《主の働き人たち》

 

                                ロマ書16章と

                パウロに関係のあった諸教会における女性の役割

 

                          クリストファ・ハッツソン

 

                           Laborers in the Lord

                                 Romans 16

                     and the Women in Pauline Churches

                          Christopher Roy Hutson

 

 

  初代教会における女性たちを論ずる時、私たちは伝統的に第1コリント1434節~

35節と第1テモテ2章11節~15節を持ち出すのが常のようです。

  更に、これらの二ヶ所をレンズとして用い、このレンズを通して、新約聖書に出て

くる女性(或は婦人、以下同様)に関するすべての箇所を解釈しようとするのです。

  この慣習はこの課題に関して拘束的見解を与え続けて来ました。  それはあたかも

遠くにある物体を望遠鏡の反対側から覗き込んで見ているような歪んだ画像を私たち

に与え続けていました。

  新約聖書キリスト教の世界は確かに今日の私たちからは時間的にも距離的にも文化

的にも遠いものです。  そのような訳ですから、聖書に記録されている総ての証拠を

調べることなしに、初代クリスチャンたちの慣習を理解しようとしても、それは空し

い望みということになります。

  もし私たちが新約聖書諸教会の中に出てくる女性のいろいろな役割を理解しようと

するのであれば、(或はこれら諸教会に関するどのような事柄であれ私たちが理解し

たいと思うのであれば)、私たちは広角レンズを使って手に入れられるすべての情報

を可能な限り集めなければなりません。

 

  ロマ書16章はパウロ書簡に関係する諸教会における女性の役割を映す広角レンズの

役目を果たしています。  同章でパウロは29人の人々を挙げて語っています。

この人たちの中に当時ローマに一時的滞在をしていたと思われるフィベもいました。

当時のローマにどれほどのクリスチャンがいたのか分かっていません。

  しかし、ここで注目すべきことは、パウロが名前を挙げた29人の中で10人が女性で

あるということでしょう。  これは全体の34パーセントに相当します。

  この数字は、一見したところ別に大した数字ではないように見えます。  けれども

この章の中に紹介されている人物の一人一人についてパウロが語っている内容を考え

てみますと、女性たちが果たした役割がどんなにか卓越したものであったかに驚かさ

れます。

 

  パウロはロマ書16章1節~16節の中でそこに出てくるそれぞれの人物が演じた六つ

  の職責を述べています。  すなわち執事、女性パトロン(支援・保護者の意)、

同労者、ホスト(来客をもてなす主人役)、厳しい労苦に耐えた者、及び使徒となっ

ています。

  幾人かの人物についてパウロは描写的な言葉を使っていますので必ずしも役割を

表していません。  たとえば、姉妹、同族・血族の男女、一緒に投獄された仲間、

愛する者、認められている者、選ばれた者などです。  更に、パウロは11名の名前を

列挙していますが、その人たちについて何も述べていません。

  今回この学びの中で私は六つの役割を集中的に扱い、それによってパウロの知り合

いたちがローマにあった諸教会でどのような役割を演じていたのか理解してみたと思

います。

 

  執事(ディアコノス)

  ロマ書16章1節~2節はフィベのために書かれた推薦文です。  コリント地方の

ケンクレヤ港からローマに旅行に来ていた女性です。  フィベがどのような用事で

ローマに来ていたのか、どのくらいローマに滞在しようとしていたのかなどは言及さ

れていませんが、彼女のために推薦文がわざわざ書かれているということは、彼女が

パウロの手紙(訳者注:ロマ書のこと)をローマに運び込んだ人物であったことを

示唆しています。

  私達の今回の学びを助けるために、彼女に関するパウロの紹介の仕方に注目してみ

ましょう。  すなわちパウロは彼女を紹介するに際し、彼女の職業や彼女の夫の名前

を書く代わりに、彼女を「ケンクレヤにある教会の執事」(16章1節)で、「私自身

と多くの人々を助けてくれた人=女パトロン」(同2節)という書き方をして、教会

における彼女の役割で紹介している点です。

 

  執事、deacon、 ディコンという言葉はギリシャ語の diakonos から来ています。

その意味は「仕える者 minister」または「召し使い servant」です。

  そして「執事deacon」という言葉はしばしば「役職 office」を指す言葉として使わ

れています。  先に述べましたように望遠鏡の反対側から覗いて見ますとものごとが

広角レンズ的に見えますが、それですと、この執事という言葉は、女性を教会の執事

職から締め出してしまうような可能性を含むようにもとれますので、多くの人々は

フィベを「執事」と呼ぶことを避ける傾向があるようです。

  しかし、ここで私達は新約聖書諸教会においてどのような役割を執事たちがこなし

ていたのかを捜してみたいと思います。

 

  新約聖書には、ディアコノス diakonos (他者にサーヴィスを提供する召し使い、

執事)と、ディアコニア diakonia (奉仕、仕えるという意味での教会の働き)と、

ディアコネイン diakonein(仕えること)が使われています。

  これらは二つの役割を説明するものですが、同時にこれらの言葉は使徒行伝6章

  1節~2節で食卓に仕える者のことを描写する時にも使われています。  また、

ルカ伝8章3節とコロサイ書1章7節を見てみますと、他人の物質的諸必要を満たす

ために仕える者たちにも用いられています。  しかし使徒行伝6章4節、2024節、

第1コリント3章5節、第2テモテ4章5節を見てみますと教会の礼拝や典礼の或る

特定行為を営む者にも適用されています。

  パウロはロマ書の中でこれらの言葉を両方の意味で使っています。

飢饉救済募金を念頭におきながらですが、『聖徒たちに奉仕するため(diakonon)』

エルサレムへ行こうとしている…や、エルサレムに対する『私の奉仕(diakonia)』

がロマ書1525節と31節に記録されています。

  しかし12章6節~8節では身体の各部分を論じています。  そこでは予言、教え、

更に勧めと一緒に『奉仕(diakonia)の賜物』を語っています。

  フィベの働きがこの二つのどちらの部類に属するものだったのか分かりませんが、

フィベを『教会の執事』とパウロが書いていることを考えますと、フィベはその職責

に正式に任命されていたことを示唆しています。

 

  パトロネス(prostatis, proistanai)

    フィベの卓越さというものはロマ書16章2節のパトロネス(女パトロン

英語 patrones ギリシャ語 prostatis)という単語の誤訳によって極めて曖昧なもの

とされています。

  古代ローマ社会は貴族であるパトロンとその保護を受けた世襲的被保護者との関係

が網目のように細かく張りめぐらされていた制度の中で厳しく守られていたのです。

    社会的身分が比較的高いパトロン、すなわち古代ローマの平民保護者としての

貴族、解放された奴隷の保護者としての旧主人や弁護人が、彼または彼女の経済的

保護と社会的威光を彼または彼女の保護かにある者に与えました。  その代わりに

恩恵を受けた者はその保護者に服従と忠誠を誓ったのです。

  ロマ書12章8節にありますように『パトロン(proistamenos)する者・指導する

者』は『分け与える者』と『貧しい者に慈善をする者』の両方にかかる言葉です。

  この単語の持つ社会的影響面はパウロに関係のある諸教会にも当てはまることは

明白です。

  すなわち第1テサロニケ5章12節の『兄弟たちよ、あなたがたにお願いします。

あなたがたの間で苦労し、主にあってあなたがたを指導(proistamenous )パトロン

し、訓戒ている人々を認めなさい』とあります。

  第1テモテ3章4節と12節で監督も執事も『自分の家をよく治め(proistamenon

る者・パトロンでなければならい…と書かれています。

  同5章17節では『良く指導(proestotesパトロン)の任に当たっている長老は二重

に尊敬を受けるに相応しいとしなさい。  御言葉と教えのために骨折っている長老は

特にそうです』とあります。

  このような訳ですから、パウロに関係のあった諸教会の間では教会のパトロン・

指導者は家の良き保護者にたとえられています。  それは神の家族の中で良き影響と

責任を果たす者であるからです。

 

  同労者(スネグロス sunergos

  第1コリント3章9節を見ますとパウロは自分自身のことを『神の同労者・協力者

sunergoi)』と呼ぶこともできたのですが、普通彼は彼の宣教ティーム隊員たちを

指してしばしば『同労者』と呼んでいます。

  『ステパノの家族は…聖徒たちのために熱心に奉仕してくれました。  このような

人たちや共に働く人(sunergos)、きつい仕事をしている人たちにあなたがたは従い

なさい』と第1コリント1615節~16節で勧めています。

  パウロの同労者に関しては、ロマ書1621節を見ますとテモテが、ピリピ書2章

  25節にはエパフロデトが、ピレモン書24節にはマルコ、アリスタルコ、デマス、

  それにルカの名前があります。  その他にピリピの教会で二人の女性をパウロの

同労者として記録しています。  『私はユオデヤとスントケが主にあって同じ心にな

るよう勧めます。  そうです、あなたがた、すなわち共にくびきを担って下さる方々

に強くお願いしますが、これらの女性を助けてやってください。  この人たちは、

いのちの書に名前が記されているクレメンスや他の同労者たち(synergoi)と一緒

に、福音宣教のことで私と一緒に苦しみを共にしたのです』と、ピリピ書4章2節~

3節にあります。

  それですから、もしパウロがピリピ教会で男性と女性を共に同労者として認識して

いたのであれば、その同じパウロがローマでも同じように男女を取り扱ったと考えて

も決して驚く必要はないと思います。  すなわち、彼の同労伝道者としてプリスカと

アクラ(ロマ書16章3節)、及びウルバノを加えていたということです(同9節)。

                ローマにいた個人  (ロマ書16章1節~16節)

 

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      役割              男性                      女性           

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      執事                                  フィベ(16:1       

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    パトロン                                フィベ(16:1       

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    同労者        アクラ(16:3            プリスカ(16:3     

                  ウルバノ(16:9                               

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    家の教会      アクラ(16:3                                 

    のホスト  ・アリストブロ(16:10 )?・      プリスカ(16:5     

                ナルキソ(16:11 )?                             

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  ・きつい仕事を・                              マリヤ(16:6       

    する人=                                ツルパナ(16:12)     

  ・苦労する人                                ツルポサ(16:12)     

                                            ペルシス(16:12)     

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      使徒      アンドロニコ(16:7        ユニアス(16:7     

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      合計        3(または)5名            7名で6つの       

  ・6つの役割    3つの役割をこなす            役割をこなす       

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

  ホスト

  『彼等の家の教会 ten kat' oikon auton ekklesian 』にパウロが挨拶を送った時

プリスカとアクラがその家庭を軸とした細胞組織の主要メンバーであったことは確か

です。  パウロは彼らを「客をもてなす主人公・ホスト xenoi」とロマ書16章5節で

そのようには呼んでいませんでしたけれども…。  それは彼らの家庭が教会の中心核

であったからです。  それですから彼らは彼らの家庭でいろいろな集会を恐らく主催

していた、集会をホストしていたものと思われます。  10節には『キリストにあって

練達したアベレに宜敷く。  アリストブロの家の人々に宜敷く』とパウロは述べてい

ます。  また11節では『ナルキソの家の主に在る人々に宜敷く』とも言っていますの

で、これらの人々をもパウロは家の諸教会の中心核として認識していたものと考えら

れます。

  『ローマのクリスチャン』という本を書いたランペは、パウロはこれら家の諸教会

の幾人かに挨拶を送っただけで、これらの家族の二人の主人公はクリスチャンではな

かった…と論じています。  いずれにせよここで私たちが気付くことは、男女がこの

  大役を担っていたということです。  それ以前にアジアにいたアクラとプリスカ

(第1コリント1619節)、ピレモンの家の教会(ピレモン2節)、ヌンパとその

家の教会(コロサイ4章15節)と、このようにパウロは記録しています。

 

  きつい仕事をする者、労苦する者(kopos, kopian)

  パウロはしばしば「きつい仕事をする」とか「骨折り仕事をする」という単語を

使って彼の宣教活動を描写します(第1コリント3章8節、1510節、ガラテヤ4章

11節、ピリピ2章16節、コロサイ1章29節、第1テサロニケ3章5節)。

  また、この用語を他の教師たちにも適用しています。  たとえば第1テサロニケ

  5章12節では『兄弟たち、あなた方にお願いします。  あたた方の間で労苦し

kopiontas )、主にあってあなた方を指導し、訓戒している人々を認めなさい』と

  使っています。  第1コリント3章8節や1616節をも参照してみて下さい。

第1テモテ5章17節で『良く指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるに

相応しいとしなさい。  御言葉と教えのために骨折っている(kopiontes )長老は

特にそうです』。

  パウロにとって「苦労する」に値するものとは、それは宣教活動・伝道活動のこと

なのです。ロマ書16章6節では『あなた方のために非常に苦労した(ekopiasen

マリヤに宜敷く』と使い、12節では『主にあって労しているツルパナとツルポサに

宜敷く。  主にあって非常に苦労(ekopiasen )した愛するペルシスにも宜敷く』と

挨拶を送っているのです。  これらの人々を教師や伝道者としてパウロが考えていな

かったとするならば、パウロは彼の心の中で、これらの人々のことをどのように見て

いたのか想像することすらできないと思います。

 

  使徒(apostolos

  『或る特定の使命のために送り出された者』を意味するギリシャ語 apostolosから

できた英語『apostle 』は言語的に全く混乱を招きようがない明白な単語です。

新約聖書においてその使命とは福音を宣べ伝えることです。

  しかしロマ書16章7節に出てくるユニア Junia  がどういう人物であったのかに

関しては多少の混乱があるようです。  すなわち或る聖書翻訳家は技術的な問題で躓

いてしまったのです。  と言うのは、古い複数の聖書写本にアクセントのしるしや

句読点が欠落していることから来る問題です。  そのためここに出てくる人物を男性

とし、その名をユニアスとしたのです。  しかし前述の学者ランペは、初代教会時代

にそのような男性名は存在していなかったと断定しています。  ユニアヌスなどと

いうあだ名すらその当時あり得なかったと主張しています。  それですからパウロは

ユニアという女性のことを語っているのだとランペは主張しています。  別の言い方

を日本語でしてみますと、ユニアは男性だ…と言い張ることは、まるで『花子という

男の子が…』というようなおかしなことになるのです。

  それですから、7節に出てくるアンドロニコとユニアを、アクラとプリスカと同じ

ように、宣教師ティームとして派遣された者たちと理解した方が遥かに筋が通るので

す。

 

  しかしながら、ユニアを女性だとしても、『この人たちは使徒たちの間でよく知ら

れている人たち…』という7節の句から考えて見ますと、そこには未だ未解決の問題

が幾つか残るようです。  すなわちこのアンドロニコとユニアの二人は、a.使徒たち

によって尊敬されていたのか、b.彼ら自身が使徒たちであったかです。  この場合、

どちらの意味にもとれますが、圧倒的多数の聖書学者たちはb.説を採っています。

  実際、アンドロニコとユニア自身が著名な伝道者であったか、それとも教会指導者

でなかったならば、使徒たちによって尊敬されるということはなかっただろうと思わ

れます。  更に、もし仮にパウロがたくさんの女性たちを教師や伝道者と呼んだとし

ても、アンドロニコとユニアの二人が宣教師チームであったと想像することはそんな

に困難なことではありません。  それは使徒行伝14章4節と14節に出て来ている用語

の使い方のように、四福音書の12弟子とは関わりなく、使徒apostle イコール宣教師

missionaryという総称的一般名称として、ここでも使われているということになりま

す。

 

  結論

  パウロが語るローマ教会の29名の人々の中で、10名だけが女性です。 34 %です。

しかし、ここで学ぶ事実は、男性よりも女性の方が遥かに積極的役割を担っていると

いうことです。  挙げられている6種類の役割の中で三つだけが男性によって遂行さ

れており、わずか3名の男性だけがそれらの役割の中に出てきています。  (或は

アリストブロとナルキソがクリスチャンのホストであるならば5名の男性となる。)

  これら6種類の役割の中で六つ総ては女性たちによって遂行されています。

更にパウロはこれらの役割の中で7名の女性名を挙げており、その殆どが教師の役を

担っています。

  以上の情報だけでローマの教会の中で優勢であったのは女性たちである…とするの

は不充分です。  しかし、ここで学んだ諸事実は、『女は教会にて黙すべし』とする

命令、『われ女の教えることと男の上に権をとることとを許さず』との勧告は、初期

のパウロが関係した諸教会 early Pauline churches を支配する約束事ではなかった

ということです。

 

  私たちが望遠鏡を回して広角レンズの方から眺めてみますと、相当数の女性たちを

パウロは彼自身の関係した諸教会で教師や指導者として用いていたかを知ることが

できるのです。

  このような訳ですから、第1コリント1434節~35節と第1テモテ2章11節~15

の聖書の言葉を他のパウロ書簡の資料と照らし合わせて解釈しなければなりません。

    そうすることによって、これら二ヶ所の拘束は、或る特定の、或る特定の地域の

或る特定の状況に対して述べられたものであり、総ての時間と総ての地方の総ての

クリスチャンたちに向けられたものでないことが明らかにされるのです。

 

 

 

 

 

  訳者注:  Christopher Roy Hutsonクリストファ・ロイ・ハッスンさんから御自身

              の自己紹介文を2通頂きましたので大旨をご紹介致します。

 

            テネシー州に生れ育った生粋の白人キリストの教会員で、オハイオ州、

              コネティカット州、イリノイ州の諸教会で説教者(注一般には牧師)

              としての牧会(注教会で魂に配慮して働くこと)経験あり。  37

            本年1月迄シカゴ郊外エヴァンストンに居住、同市内キリストの教会員

              であったが現在はノース・キャロライナに移住、フッド神学大学院で

              新約聖書学を担当なさっています。     Hood Theological seminary

            パソコン通信交信中の5月20日、『今日は結婚9周年目だ』とのこと。

 

            デイヴィッド・リプスコム大学で聖書言語学を専攻(BA学位取得)

              シンシナティ大学大学院で古代言語学を専攻(MA取得)

              エール大学で新約聖書学を専攻(M.div Ph.D取得)

              エール大学ではキリストの教会員で世界的に著名な新約聖書学教授

                Abraham Malherbe  エイブラム・マラビー教授から特に個人指導を

                受けた。  尚、マラビー教授は嘗てアビリン・クリスチャン大学の

                教授であり、最近エール大学から引退された60歳代後半の方?。

 

            フッド神学校はアフリカン・メソヂスト・エピスコパル・ザイオン教会

              の大学院で、1796年ニューヨーク・メソヂスト・エピスコパル教会が

              人種的差別政策を採っていた事に抗議したアフロ・アメリカ人たちが

              同教会を脱退、新しく独自の教会を形成した。  1879年に同校設立。

            他のアフロ・アメリカ人系メソヂスト諸教派からもフッド神学校に学生

              たちが集まっている。  同校学生と教授たちはいろいろな教派教会員

              から成立する。  キリストの教会員で同校教授はハッスン教授のみ。

 

            『自分はキリストの諸教会の諸伝統のことは充分に良く知っている。

              しかし私が確信していることは、20世紀のアメリカの諸伝統が初代、

              すなわち1世紀の地中海沿岸世界に存在していたクリスチャンたちの

              諸伝統と常に全く同じであると推測する事は正しくないという事だ。

            そのような訳で、復帰運動とは絶え間なく前進し続ける過程である…と

              確信している者の一人である。  私たちが真の目標とすべきものは、

                私たち(訳者注白人アメリカ人の事と推測する)の文化の中から

              私たちの気に入った諸理念だけを保持して行こうとする事ではなく、

              使徒の時代に生きたクリスチャンたちの最も古い諸伝統を追求する事

              である。  なぜなら近代諸文化というものにはいろいろな多様性が

              ある訳で、日本に於ける評価や適応は米国に於けるものと違う事も

              あり得る。  しかし初期のキリスト教の精神は常に一環して輝き続け

              なければならない。

            いずれにせよ私たちは私たちが堅持している諸慣習や諸教義を間断なく

              再検査し続け、キリスト教初期の諸伝統をどうすれば復興できるのか

              を問い続けなくてはならない。』

              …と御本人が野村に自己紹介

                                                         Stone-Campbell List

            教会に於ける女性の役割に就いてアビリン大学のパソコン談話室に質問

              を送り、これを御覧になった何人かが応答して下さいました。

              御本人も直接即刻応答して下さり、以後個人的指導を受けています。

            ここに紹介します資料はペパダイン大学発行の The Leaven 「パン種」

              に掲載された論文の翻訳許可を同校とご本人から得て翻訳しました。

 

            古代ローマ・ギリシャ社会関連文に訳者が多少補足句を加えパトロネス

              (=女パトロン)欄を読み易くしましたが、論文自体を損うものでは

              ありません。

            「女性」より「婦人」という用語を使用したかったのですがそれに対比

              する男の用語を見いだせず、結局「女性」「男性」で纒めました。

 

            Dr. Christopher Roy Hutson

            610 Mahley Avenue

            Salisbury, North Carolina 28144, USA

               1-704-642-1392

 

  以下はその後のハッスンさんとの e-mail 及び  交信の中から選び出したもの

 

  1950年代初期に渡米して一般白人たちの黒人や中南米人への人種差別を目撃し

      心を痛めたことがある。  戦争に破れて天皇がマッカーサーに代わった。

      連合軍の言うことを絶対的権威として受け容れることは、それ以前の天皇制の

      中で生きていた私たちには苦痛ではなく、極めて自然であった。  そして米国

      は民主主義の理想郷だと教えられたいた。渡米後に現実を知って衝撃を受け

      心が痛んだ。  幼い時、戦争勃発以前から私は京都に育ち、日本人の朝鮮人へ

      の差別を目撃して育った。  最初に何かおかしいと感じたのは6歳だった〕

 

  『人種偏見と差別、これは残念だが人間の現実の一部である。

      あなたが最初に留学した1950年代から比較すると米国でも相当な向上が見られ

      ようになった。  しかし、私たちを神さまがお創りになった御旨に適うように

      私たちがお互いを神さまの子供として受け容れて共生できるようになる迄には

      まだまだ前途遼遠である。

      野村さんが理解されているように*米国のキリストの諸教会のやっている事の

      総てが必ずしも神の御旨に添うものでもないし、クリスチャンとして相応しい

      ものでもない。*〔注野村の理解ではアングロ系白人教会〕

      それだから、日本の皆さんは、皆さん自身で聖書に戻り、そして更に聖書自身

      がどのように日本の皆さんに語っているのかを探究しなければならない。

      あなたが過去にも現在にも米国の兄弟姉妹から学び続けている事を知り嬉しい

      が、絶えずその学びを篩(フルイ) にかける必要があるし、また、聖書自身の教え

      に私たち米国文化が付け加えた砂や埃を篩い落とす必要がある』

 

  1961年末に帰国後、アジアのスラム、フィリッピンやインド、とりわけ韓国の

      スラムで20数年間多くを学んだ。  もう一つの神さまの神学校だった。  貴重

      なものを沢山学び得た。  そのために結果的に東京の土地家屋を売却し伝道が

      易しくない山岳寒村に現在は住んでいる〕

 

  『それは興味がある話だ。  一度日本を訪れてそのような事を話し合えれば良い

      と願う。  日本と韓国・朝鮮との間には厳しく長い人種的対立がある事を耳に

      している。  あなたは日本人とコリアンズとの対立関係を米国のアングロ人対

      黒人、アングロ対メキシコ人と比較してどのように考えているのか』

 

  〔太平洋戦争敗戦後に日本に導入された「深南部キリストの教会主義」による

      律法主義と他者への恐怖心、及びバベルの塔の問題(=言語問題)の積み重ね

      が私たち日本の教会と信者の成長を著しく妨害しているように思うが…〕

 

  『そうだ。  それらは大きな問題だ。

        米国深南部とスコットランド-アイルランドから積み重ねられて来ている

      世襲的伝統遺産の積み重ねの皮を福音の中心的メッセージからどうやって剥い

      て分けるのか…これが常に問われている事なのだ』

 

  〔もし教授のお手元に他の良い論文があって、それを日本の私たちの学びのため

      に提供して下さるのなら嬉しいのだが…〕

 

  『そう言われれば私の手元には未発表の小論文がある…。

      第1コリント1434節~35節を論じたものだ。  コネティカット州で牧会中に

      教会に於ける女性の役割に就いて勉強をしたことがあった。

      勉強会に出席できなかった数人の人々のためにと準備した小論文だ。

      また、教会での女性たちの役割に関する私たちの「聞き慣れない」立場を理解

      したいという人たちのために準備したものだ。    読み直してから e-mail

      そちらに送ってあげよう』

 

    5月22日パソコン通信で『Silence ? 沈黙?』が送信されましたがフォーマット

      の違いから受信できず、現在フォーマットを変更して再送信してくださるよう

      に依頼中です。

    この他にも家族のこと、庭に植えた薔薇のこと、キャロライナ州を飛ぶ小さな

      航空会社のことなど個人的な交信が続きます。