Solomon, the wise and foolish

 

                              =その賢者ぶり=

 

                    2003年5月25  八ヶ嶽南麓  野村基之

 

    『天は二物を与えず』という諺もあります。  一人の人が多くの美点を独占する

ことはあり得ないし、欠点のない人もあり得ないという意味でしょう。

一人の人の長所は別の視点から考えてみればその人の短所であるかも知れません。

私たち人間には一人一人いろいろな特徴があり、長所があり、短所があるものです。

 

    主イェスはマタイ伝6章29節で「栄華を極めた王」としてソロモンの名をあげて

おられます。  イェスがソロモン王の名前をあげられたということには、それなりの

理由があってのことだと思われます。

 

    そこで今回はソロモン王を考えて見ましょう。

  資料源は主として列王紀上1章~11章と歴代志下1章~9章を用います。

その他にも各種の聖書辞典、キリスト教事典、宗教事典、更に一般の百科事典などを

参照されると良いでしょう。  各自が徐々に揃えられることをお勧めします。

 

  ソロモンはイスラエル・ユダ王国の2代目の王として聖書の中に登場して来ます。

父はダビデ、母はヘテ人ウリヤの妻であったバテシバです。

  ある日ダビデが屋外を眺めていると一人の美しい婦人の沐浴姿を目撃しました。

王の権力を悪用して彼女を犯し、その夫を戦場で戦死させて妻としたのです。

そのような経過を経て生まれて来たソロモンが異母兄を退け父から王位を継承したの

です。

 

  青年ソロモンは父ダビデの偉業を引き継いで、父の国イスラエルを当時最強の王国

へと育て上げた偉人でありましたが、同時に彼の愚かさが国を悲劇的な破滅へと追い

やってしまったのです。  この辺りのことをご一緒に学んでみましょう。

 

    まず、ある夜、青年王ソロモンが神さまに礼拝を捧げていた時のことでした。

神さまがソロモンに現れて『お前の願いは何でも叶えてやろう』と仰ったのです。

  列王紀上3章4節~15節をお読みになって下さい。

 

  皆さんにそのような機会が仮に与えられたとすれば皆さんは何を求められますか?

お金ですか?  美貌ですか?  立身出世ですか?  権力ですか?  快楽ですか?

名誉でしょうか?  土地財産でしょうか?  智恵でしょうか?  健康でしょうか?

 

  それは若いソロモンがちょうど王様になったばかりの時でした。  20歳そこそこの

若い王様です。  自信過剰な若者が権力の座に坐りますと、自分の未熟さや愚かさを

忘れて権力に酔ってしまい、驕慢に振るまう誘惑に陥ることが多い年頃です。

  過去に私はキリスト教関係の団体や組織でこの種の悲喜劇の幾つかを目撃したこと

があります。  若者の特徴であると同時に若者が陥る誘惑と悲劇の罠なのでしょう。

 

  しかし若いソロモン王は違いました。  列王紀上3章6節以下に書かれています。

『神さま、しもべの父は神さまの道を正しく歩みましたので、あなたさまは父ダビデ

を大いに祝福されました。  そしてこの度は私のような若輩者を父ダビデの跡取りと

して王の座に据えて下さいました。  そしてイスラエルの民はあなたさまがお選びに

なった偉大で貴い民です。  それですが私は幼子のように何も知らぬ者であり、この

偉大な民を良く司ることなどできそうもありません。  私が神さまの道に従ってこの

民を正しく治めることができますように、神さまのお知恵を頂戴できるように、また

民を正しく治めることができるように英知をお与え下さいc』と、このような祈りを

捧げたのでした。

 

  このようにして、若い王ソロモンは、自分の立身出世や長寿や富や権力や敵の命を

求めるようなことをしなかったのです。  神さまの民を神さまの義に従って治めるの

に必要な神さまからの智恵や自分が驕慢にならないように、神さまを畏れる心を求め

たのでした。  素晴らしい祈りです。  驚くべき祈りです。  世界中の指導者がこの

ような謙虚な祈りを捧げ得る者たちであったなら、この世界は相当に違うものとなっ

ていることでしょう。  教会の指導者たちにも同じ事が言えるでしょう。

 

      若いソロモン王の謙虚で真摯な祈りをお聞きになった神さまは殊の外お喜びに

なったと聖書は語っています。  3章10節~14節にそのことが書かれています。

 

  若いソロモン王の謙遜さを喜ばれた神さまは、ソロモンが求めもしなかった名誉と

富と能力と長寿を英知と共に与えると約束して下さったのです。  更に、ソロモンに

並ぶ者も勝る者も、後にも先にも世に現れないだろとも約束されたのでした。

 

  3章13節との関係でマタイ伝6章33節を読んでみますと、神の国とその義を求める

者には、その他のすべてのことをご存知である主なる神が私たちの必要のことごとく

を添えて与えて下さると約束されています。

 

  少なくとも現在の我が国の現実を眺めてみますと権力や富など物を所有する欲望が

人々の心を侵して深刻な状態を築き上げてしまっているようです。  この国が美しい

国に後戻りすることなど最早できないのではないかと私は恐れている次第です。

  教会の中にも物質欲が深く侵入しているようです。  牧師も役員も指導者も信者も

モノやカネの奴隷になってしまっているのではないかと案じることが多いです。

 

  若いソロモン王のように、まず神の国と神の義を求める(マタイ伝6章33節)姿勢

をクリスチャンと自称する私たちが先ず取り戻し、神さまを畏れ、この世に追従する

ことを止める生活態度(ロマ書12章1節~2節)を確立し、聖書の示す単純な歩みを

私たちの当然在るべき在り方とし、祝福に満ち溢れた再臨を待望する生活(テトス書

2章13節)の素晴らしさを日々体験して行く必要があると思います。

  神さまを畏れる生活こそが智恵と知識の初め(箴言1章7節、3章5節~7節)で

あると学ばねばなりません。

 

    このようにして青年ソロモンは優れた王としての道を歩み始めたのでした。

列王紀上3章16節~28節を読んでみますと、そこには若いソロモンが立派に裁き人と

しての才略を思う存分発揮したことを記録しています。  その当時の王の大切な仕事

の一つに難しい裁判を公平に正しく執行するということがあったようです。

 

  一軒の家に二人の女が住んでおり、二人がほぼ同時にそれぞれ子を出産したという

のです。  ところが一方の女が産んだ子が添い寝していた母親によって圧死させられ

てしまう悲劇が起りました。  子を結果的に殺してしまった母親は、もう一人の母親

が寝ている間に、その母親が生んだ子と自分の死んでしまった子とを取り替えて知ら

ぬ顔を決めこんでいました。

 

  二人の母親は一人の子をめぐって争いを起こし、その決着をソロモン王に求めたの

です。  江戸南町奉行大岡越前守より三千年も前に若いソロモン王がこの訴えを裁く

ことになったのです。  人々はソロモン王がどのような裁きを行うのか固唾を呑んで

見守りました。  そして若いソロモン王が下した大胆で納得の行く判決を見聞きした

人々はソロモンの後ろに神さまの智恵があったことを覚えて震えおののいたのです。

 

    4章に移りますと、そこには若きソロモンの行政手腕の素晴らしさを読み取る事

ができます。  父ダビデ王が国土統一という大きな課題に手を焼いていたというのに

若いソロモンは着実にその大事業を遂行していったというのです。

 

  若いソロモン王は巧みに人材を使って内閣を組織し、権力を中央集権化し、新しい

行政区域を設立しました。  これらはソロモンが極めて優れた国家の統治者・政治家

であったことを示しています。  4章1節~19節です。

 

  1節~2節で内閣を組織したことが記されています。  7節で国土の再整理と管理

を語ります。  伝道の書2章4節~11節にはソロモンが行った各種の大事業の記録が

あります。  列王紀上7章14節の記録は、サムエル記上1319節~20節との関係で、

ペリシテ人たちが独占していたそれ迄の銅や鉄の製錬事業に着手したことを伺い知る

ことができます。

 

  (勿論、気にいらぬ者たちを排除しています。  異母兄のアドニヤ、軍総司令官の

ヨアブ、祭司のアビヤタルらを粛正して王権を確保しています。)

 

  組閣や国土統治は同時に徴税制度の確立と国力の増強を意味していると思います。

  またこれは、今で言う国民総背番号化、管理化ということを意味し、それは同時に

国民総苦役就役制度の設置という国家管理に直結したものだと思いますし、差し詰め

国民総徴兵制度の確立とも言えます。  恐ろしいほどの管理能力者です。

 

  更にソロモンは土木事業を興し砂漠に農業を促進しました。  国土建設省や農林省

の仕事です。  上記のように、当時の強敵ペリシテ人だけが独占していた銅鉄産業に

敢えて挑戦したソロモンは、自国内に製錬所を設立して国の重工業化を促進して富国

強兵に貢献したのです。  通商産業省や陸軍省の仕事に相当します。

 

  砂漠に水と緑というだけではなく、畜産を奨励しておびただしい数の馬、牛、羊を

養い、軍用馬の数だけでも万を越したと言われていました。  農林省と陸軍省です。

 

  軍馬を組織的に用いて機動隊を編成しました。  こん日で言えば、先日の対イラク

先制侵攻作戦でアメリカ軍が全世界に示した圧倒的な攻撃用破壊兵器と組織力に相当

するのではないかとも言えるでしょう。  ソロモンの軍備拡大と常備化が周辺諸国に

与えた恐怖感と影響は計り知れないものがあったでしょう。

 

  また、ソロモン政権の外交手腕も相当なものでした。

  キリキヤ地域(今のトルコ中部~東南部からアルメニア地方)やメソポタミヤ地域

(今のイランやイラクあたり)からエジプトを結ぶシルク道路、即ち国際通商道路が

ソロモンが支配し組織化した国内を通り抜けていましたので、莫大な関税収入や仲介

手数料などを得ることができました。

 

  歴代志下8章4節以下、列王紀上9章18節~19節、同1015節を読んでみますと、

アラビヤ半島南端のシバとのキャラバン交易、フェニキヤ人と組んだ紅海沿岸貿易や

地中海沿岸地域との交易、それに9章18節に地名が出て来るタマルにまで及ぶ広範囲

な地域に影響力を発揮して内陸キャラバン貿易をも独占して、これらから巨万の益を

得ていたようです。

 

  尚、タマルとは、「なつめ椰子の木」の意で、ダマスコから北東方向約2百キロに

あったオアシス町であったという説や、ソロモンが確保・再建したイスラエルの東南

の境の砦町で、タデモルと呼ばれていたという節などがあります。

 

  ソロモンのこのような広範囲に及ぶ活動は、当然のことですが、シバの女王の耳に

も届くこととなり、後に彼女がソロモンを表敬訪問することになります。

 

  聖書には「ダンからベェルシバまで」という表現があり、国の統治範囲を象徴する

ことばとして用いられていますが、実際には北はユーフラテス川から南はガザまでを

支配していたようです。  国内を通過する国際貿易に対して関税を取り立てていまし

たが、同時に国内各所に砦を設けて通過する国際貿易隊商を積極的に保護しました。

 

  このように、ギリシャやトルコやメソポタミヤとエジプトとを結ぶ陸海路を確保・

保護・利用して、東は遠くインドや中国、西は地中海沿岸諸国を結ぶシルク・ロード

交易を促進していたのです。

 

  見落としがちですがトルコ半島の南東の地中海上に浮かぶキプロス島、クプロス島

とも呼ばれている島があります。  英語ではサイプロス Cyprus です。  島名からは

銅を表す英語のカパーcopper、青銅色のcupreous、キュプロ・ニッケル cupronickel

などが派生しています。  ギリシャやエジプトなど地中海諸国にとってこの島の支配

は昔から大きな関心事であったのです。  青銅文明の発展にも深い関係があります。

ソロモンがこの島と、この島に出入りする貿易船に目をつけない筈はないのです。

 

  かつて我が国に於いても池田勇人首相が敗戦後の我が国経済を復興させ、いわゆる

高度成長段階に導きましたが、同時にいろいろな弊害や汚職や疑獄をを招きました。

田中角栄首相が出て列島改造(怪造?)論をぶち、同じく多くの弊害を招きました。

  現在では構造改革(怪攪?)を謳って小泉純一郎が首相となりましたが、抵抗勢力

という隠然たる力に阻まれて選挙公約を思うように果たせないでいるようです。

  敗戦後60年の日本の歩みを見ただけでも、国を纒めること、治めることの難しさを

思いますから、想像を越えたソロモンの行政手腕にはただただ脱帽あるのみです。

 

    列王紀上5章以下を読んでみますと、ソロモンがあらゆる能力や財力を駆使して

エルサレムに大神殿と自分のための宮殿を建てた時の記録を知ることができます。

  二つの豪華な建築物のために20年を費やし、周辺諸国からは技術者や優れた建材を

導入しています。  奴隷を酷使し、民を強制的に使役しています。

  こうして建てた神殿には7年を要し、自らの宮殿には13年を費やしたと記録されて

います。  その絢爛豪華さは周辺諸国にも驚きの目をもって迎えられたようです。

  イェスが「栄華を極めたソロモン」と仰った理由もこの辺りにあるのでしょう。

 

    さて、更に人々を驚かせたのはソロモンの博学さであったようです。

 

  列王紀上10章にはシバの女王がソロモンの名声を聞き、ソロモンを試してやろうと

難問を携えてわざわざソロモンを訪ねて来たと記録されています。

  ソロモンが彼女の難問のことごとくに答えたことに心服し、ソロモンが建てた宮殿

を目の当たりにして驚嘆し、金銀宝石や高価な香料を贈って帰国したとあります。

  なお、シバ(南アラビアのサバ民族)の女王に関しての記録は列王紀上10章以外に

なく、伝説上の人物ではなかったのかとの説もあり、中世期以降の西洋諸芸術作品に

登場することになります。  同名の映画作品も試みられたと記憶しています。

 

  また、ソロモンは人間というもの、人間の存在、人の生涯という課題に対して深い

洞察力を有していた哲学者でもありました。  繊細で情緒豊かな文学的・詩的能力と

併せ、多くの作品を聖書(即ち正典)や外典に残しています。

 

  ソロモン王の神に対する絶対的な信頼の告白と、人生に対する深い洞察と理解は、

こん日に到っても聖書を読む者たちの心を根底から揺さぶるように迫って来ます。

 

  列王紀4章29節以下や、10章1節~29節や詩編を読んでみますと、ソロモンが如何

に優れた植物学者であり、動物学者であり、天文学者であったかということを痛感さ

せられます。  勿論、文学にも哲学にも音楽にも精通していた人物であったかを容易

に知ることができます。  1023節ではソロモンの富も智恵も地の総ての王に勝って

いたと記録しています。

  伝道の書(またの名をコヘレトの言葉)はソロモンが人間の在り方そのものを深く

洞察していた哲人・詩人であったことを伺わせます。

 

  (勿論、聖書という開かれた書をどのように読むのかという点になりますと、多く

の読み方があるということを承知していますが、ここでは聖書に書かれていることを

そのまま受け取った上で書いています。  箴言や伝道の書をソロモンが書いたもので

はないとする伝承が存在していることも耳にしています。)

 

    そしてソロモンのそれらの優れた才能が、実はどこから出て来ていたのかという

ことについてソロモン自身が告白している点に注目する必要があると思います。

  それは箴言を貫ぬいて流れている姿勢です。  1章7節や2章5節~7節です。

 

  『主なる神を畏れることがすべての智恵・知識のはじめであり、人はその人の全身

全力を尽くして主に信頼し、己の知識に頼ってはいけない。  人はそのすべての道で

主を認めさえすれば、主なる神は人の歩む道を真っ直ぐにして下さる。  自分を見て

自分は賢いなどと錯覚してはならない。  主なる神を畏れ、悪から離れることこそが

人生を意味あらしめるものであり、肝要だ』という姿勢、そのような人生理解です。

 

  自分の能力や知識や物質保有量の多寡が総てを支配するcといった恐ろしい発想が

この世界を支配している現在にあって、真の神を知り、その神の前に己を謙虚にし、

その神と、その神が愛される人類にどのように仕えてゆけばよいのかを模索すること

が大切であるcと語るソロモンの在り方を改めて考え直す必要があります。

 

  自己が絶対化される世に在って、組織や財力が絶対化される時代にあって、強い者

がとかく正当化される世界にあって、私たちはソロモンの智恵の根源的秘訣を尋ね、

豊かな人生というものは神を畏れること、神に仕える誠実な日常生活から始まること

を学ばなければならないと思うのです。  皆さんは如何にお考えになりますか?

 

=その愚者ぶり=

 

    『天は二物を与えず』という諺があると冒頭に書いておきました。

  一人の人が総ての美徳を独占できるわけではありません。  ソロモンも同じです。

ソロモンも私たちと同じ弱さを沢山持った人間でした。  私たちが毎日毎晩試みられ

るのと同じように、ソロモンも同じような誘惑に対して、余りにも弱過ぎたのです。

 

  実に人間臭い失敗の積み重ねと言ってしまえばそれまでですが、ソロモンは一国の

指導者、周辺諸国にも一目置かれていたイスラエル王国の王様です。  ただの失敗、

ただ誘惑に弱かったというだけでは済まされません。  それは彼自身を悲劇的な人生

に陥れて行っただけではなく、国を弱体化させ、結果的に滅亡の悲劇へと導いて行っ

たのです。  賢者の愚にしては余りにも払う値が大き過ぎました。

 

    まず最初に考えたいことは、ソロモン王が神の命令を意識的に軽視・無視して、

神の命令に従わず、これを破り続けてしまったという点です。

 

  それは、「権力の座に坐ったソロモン」という形で顕著に表れて来たものですが、

それはもともと私を含めた世界中の男性が、老いも若きも関係なく、時や歴史や国境

や言語や人種などを越えて等しく共有し体験する、女性に対する極めて強い本能的な

関心・欲望・力です。  生きている人間の根源的なフォース forceです。

 

  本来それは神さまが下さったエネルギーですから、正しく用いられ、昇華する時に

は豊かな人間関係を生み出し、優れた芸術や宗教や博愛行為などを創り出す力となる

ことは周知の事実ですが、他者を自分の欲望達成の道具なり手段として悪用しようと

する時には、それは恐ろしい結果を招くことを私たちは充分に知っています。

 

  ソロモンの場合には「権力」というものがそのような欲望を更に煽り立てたものと

思います。  列王紀上3章1節と同11章には欲情の奴隷となってしまったソロモンを

描いています。

  そのために神殿建設には7年を使いましたが、自分の宮殿建設には13年を要したと

6章38節~7章1節が語ります。  多くの女たちとその使用人らを抱えていたからで

す。

 

  ソロモンの最大の偉業は神殿建設事業でした。  これは疑いのないことです。

そのために多くの奴隷を酷使し、国民に重税を課しました。  フェニキヤ人技師らを

招待しました。  また、同国からレバノン糸杉を沢山輸入しました。

 

  神殿と宮殿の建築に20年を要したソロモンは、それらの建築が終わった時に、借金

を支払うことができなくなり、フェニキアのツロの王に借金の代わりにガリラヤの20

の町を割譲して借金を勘弁して貰っています。  但し、それら20の町をソロモンから

貰ったヒラムが町々を視察した時、ヒラムはソロモンに騙されたと思ったようです。

列王紀上9章1113節にはヒラムのそのような失望ぶりを記録しています。

  いずれにせよ、異国の異教徒の女たちのために建てた宮殿はそれほどまでにカネが

かかる、想像するのが困難なほど豪華で贅沢な建物であったようです。

 

  歴代志上22章や、列王紀上5章10節、7章13節~14節、更に9章11節などを読んで

みますと、ソロモンが20年の歳月を費やして築き上げた神殿と宮殿の建設には海辺の

ツロの王が父ダビデの時代から深くかかわっていたことがわかります。

 

  列王紀上7章14節に記載されている青銅細工師の息子であったツロの王ヒラムが、

ソロモンに対して青銅精練加工技術を初めとするありとあらゆる優れた技術援助及び

バノンの香柏やレバノンの糸杉など、超高価な資材を大量に援助しています。

  (日本語ではヒラムですが、英語読みですとハイラム Hiramとなり、同じ名の地名

や人名が米国にはあります。  マッケーレブ宣教師隊に加わって来日したスコット嬢

とホステッター嬢は現在ではディサイプルズ系の学校として存在しているオハイオ州

ハイラムの学校で学んでいました。)

 

  列王紀上5章から8章にかけ、歴代志下2章~4章~5章と読んでみますと、神殿

と宮殿、とりわけ宮殿の豪華さに度肝を抜かれます。

  権力の座に在ったソロモンのプライド、ソロモンの物質所有欲、ソロモンの異教徒

女性に対する執念、どのように言い訳をつけても言い逃れをすることはできません。

 

    即ち、ソロモンは「政治的目的のため」と称して、そのような言い訳を述べて、

多くの外国人女性たちを娶り、数多くの側妻を抱え込んでしまったのです。

  イスラエルの男が異教徒の女と結婚することを旧約の掟は固く禁じていましたし、

一夫多妻ということも聖書が同じように堅く禁じていたものでした。

 

  申命記7章1節~4節、或はそれ以下を読んでみますと、ソロモンの行為の数々が

意図的な違反行為であることを理解することができます。

  更に出エジプト記2331節~33節や、同3412節~17節にも警告があります。

  これらの警告どおり、結果的に異教徒の女たちがソロモンを彼女たちが崇め称えて

いる偶像の神々に頭をさげさせるようになって行ったのです。

 

    異国の女たちと一緒に異教徒の神々もソロモンの傍に堂々とやって来たのです。

  彼女たちと一緒に偶像礼拝を司る偶像神の祭司や占い師らがソロモンの懐に奥深く

侵入して来たということです。  そして怪しげな祭司や占い師らが昼も夜もソロモン

と女たちの傍に仕え、異教徒の宗教儀式や祭礼を絶えず捧げ続けていたということを

意味するのです。  列王紀上11章1節~10節がそれを語ります。

  わかり易く言いますと例えば東北アジアの某国の独裁者とその側近たちを慰安する

ために「喜び組」という女性たちが存在するように、ソロモン王に仕える「喜び組」

という巨大組織が必要になって来たのです。  ソロモン自身が求めたのです。

 

    異教徒の女たちと偶像を祭る祭司や占い師らを支えるために、踊り子や音楽士、

衣装や酒や異国料理や香料などを司る者たちや、縫い子、染色係、宝石係、彫金師、

楽器調律師、装飾士や照明係などなどと、諸外国から呼び寄せる必要が生じて来ます

し、それらの者たちを支えるために更に多くの奴隷や召し使いらが必要になって来た

ということになります。

 

  食事班、酒を扱う班、燃料確保班、飲料水の調達班、洗濯班、医療班、産婆たち、

占い師の薬を調達する係、輸送や連絡用の馬や驢馬などの家畜専門班、獣医師、生活

廃棄物処理や屎尿係、いろいろな下請け組織と制度があったものと想像します。

 

    ソロモン王が溺愛した異国の女たちを中心として、彼女らを支えるのに必要な、

例えば上記のような、ありとあらゆる異国の召し使いたちの存在、それらがソロモン

やソロモンに仕える重鎮や兵士などに与える信仰的、道徳的、倫理的面での悪い影響

は計り知れません。  彼らへの膨大な支出というものは国家財政を圧迫し、国を内部

の奥から日夜少しずつ蝕み、徐々に国力の弱体化を招いて行ったのです。

 

  『ソロモンは女たちを愛して離れなかった』と列王紀上11章2節~3節が証言する

ように、七百人の王妃と、その他に、ソロモンの傍に仕える妾が三百人いたのです。

  年老いて行くに従いソロモンはますます偶像の神々を礼拝し、父ダビデの道を歩ま

ず、主の道を歩まず、神の前に不誠実な者と落ちぶれて行ったのです。

 

  一人の女を支えるために、仮に百人前後の召し使いや奴隷がいたとすれば、千人の

女を支えるためには、恐らく十万人もの奴隷や召し使いがいたのかも知れません。

 

    毎日毎晩にわたって相当額の税金が湯水のように浪費されて行ったのです。

ソロモンの派手な浪費は莫大な国家収入を遥かに越えてしまっていたのです。

重税に喘ぐ国民たちからは、当然のことですが、極めて厳しい批判と反発を招くこと

になります。  9章24節には、エジプト王パロの娘もソロモンが彼女のために建てた

宮殿に住んだと聖書は語っています。  これは国民感情からも面白くありません。

 

  預言者たちは事態を重く見て警告を発します。  9章前半部で主なる神はソロモン

に警告されます。  11章9節~10節には主なる神がソロモンを怒られたとあります。

  1114節以下に迫り来る国難が書かれています。  敵対的な王国がエジプトに出現

するに到り、それまではソロモンの支配下にあった周辺の属国がこぞってソロモンに

反旗を翻すようになります。  31節は主なる神が国をソロモンの手から引き離すとも

述べています。  内外からの力が加わり国が大きな音を立てて崩れ始めたのです。

 

    ソロモンは彼が溺愛したエジプトの女たちのためにエジプトと同盟を結ぶことに

なります。  更にソロモンはエジプトから馬と戦車を購入します。  これらの総てが

主の命令に反する行為であったのです。  そしてソロモンはこれらの馬や戦車を北の

国に売却して莫大な利鞘を稼いだのです。  賢者といえば賢者ですが、問題はそれら

の行為は聖書が堅く禁じていたことであったということです。

 

    列王紀上4章22節~26節や6章37節、同9章~10章、そして更に歴代志下の1章

から5章などを通して読んでみますとソロモンの強引さ、豪華・豪勢さ、贅沢三昧な

生活ぶりを知ることができます。  主なる神のための神殿建設に7年を使いますが、

妻や妾たちのための宮殿は13年を要しました。  6章37節前後に宮殿の豪華さの説明

があります。

 

  私たちはこれらの箇所を読んで、栄華を極めたソロモンの破格の豪華さに心を奪わ

れるのではなく、神殿と宮殿の建設費と、千人に近い女性たちとその召使たちが毎日

浪費していた金銭が、国民の重税によって賄われていたことに留意する必要があると

思うのです。  北東アジアの或る独裁国の独裁者の在り方にどこか似ています。

 

  申命記8章11節~14節にはソロモンの傲慢さに対する警告、ソロモンが放蕩に浸っ

ている姿にも適用される警告があり、18節~20節には主の警告を無視する者に対する

厳しい結果が予告されていたのですが、馬耳東風でした。

 

  申命記1716節には多くの馬を手に入れるためにエジプトと交渉することが禁じら

れていました。  然しソロモンは敢えてこの禁を破っています。  エジプトの王女を

妻として迎えただけではなく、エジプトとの交易から莫大な利益を得ていたのです。

 

  列王紀上1028節や歴代志下1章16節~17節や同9章28節にはソロモンが馬や戦車

をエジプトやクエから輸入して、それらをヘテ人やスリヤの王たちに輸出していたと

記録しています。  利鞘を稼いでいたことを語っています。

  しかし、このことは申命記1716節に示されている主なる神の命令に違反している

ことを意味しますし、イザヤ書31章1節はエジプトの馬や戦車に頼る者がイスラエル

の聖者を仰ぐことを阻害し、主なる神に依り頼むことを妨げると証言しています。

 

    やがてソロモンが権力の座に坐ってから40年ほどの年を重ねて来ますと、その間

に数多くの女性たちに生ませた多くの子供たちの間に権力闘争が起って来ました。

 

  列王紀上11章3節はソロモン自身の神への変節を語るだけでなく、女たちから大勢

の子孫が生まれて来ることを予測させます。  彼らが心からソロモンを愛し、お互い

に仲の良い子孫たちであり得るわけがありません。  大奥の権力闘争は必定です。

 

  3章1節や11章3節が一夫一妻制度に違反していることは明白です。

1110節を英語で読みますと、『他の神々に従ってはならないと命じておられたのに

but けれども」彼は主の命じられていたことを守らなかった』と、but を加えて、

ソロモンの明白で意図的な命令違反を語っています。

 

  これはロマ書1618節にある『己の腹に仕える・自分の欲に仕える』ことと同じで

すし、ピリピ書3章19節の『彼らの神は己の腹・己の欲望』であるという描写と同じ

です。  このような状態で国が穏やかにまとまることも、正常に成長して行くわけが

ないのです。  女たちと彼女たちの子供らによる権力闘争を避ける道はないのです。

  出エジプト記20節3節や3311節~17節を読んだだけでもソロモンの違反の多くを

知ることができます。

 

    国家を纒める中枢部に亀裂が入って造反や内乱が起これば外敵は必ず襲撃を加え

て来るものです。  国の外側からは外敵が襲い、国内では異教徒の神々がイスラエル

の精神面・道徳面・倫理面を崩して国民の一致団結を困難にして国を揺るがせます。

 

  希望が見えなくなっている国の将来に国民は希望も勇気も喪失してしまいます。

それなのに過酷な額の重税だけが国民には重くのしかかって来ます。  国を纒める力

がなくなった国の人々は造反・反乱しか選択肢がなくなって来るのです。

  ソロモンの断末魔の過酷な徴兵と強制無料苦役はますます人々の心を怒りの炎の中

へと押しやります。  そこには最早かつての栄光はなくなっていたのです。

 

    主なる神がソロモンから離れられたからと言うよりも、ソロモンが意図的に主の

道を捨て、意識的に主に逆らう道を選び、主を捨てたことから始まったのです。

  主を捨てたソロモン、主なる神に捨てられたソロモンが率いるイスラエルの国は、

それから間もなく襲いかかって来たアッシリヤやバビロンの大軍に攻撃され、多くの

国民が捕虜として連れ去られ、結果的に久しく国を失ってしまう民となるのです。

イェスの時代にはローマに占領されていました。

 

  このようにして、ソロモン王治世の最後になって弱体化した統一王国イスラエルは

国を喪失してしまう羽目に陥り、それからの三千年間を国家を持たぬ流浪の民として

全世界を流浪し続け、実に1948年までの間を放浪民として全世界を彷徨い歩くことに

なるのです。

 

    神を畏れることが智恵の初めだと語ったソロモンが、今や自己中心的に、本能の

赴くままに、国を纒める重任を担う最高実力者であることを忘れ、勝手気ままな生き

方を昼も夜も重ね続けて40年を過ごしてしまうという愚か者になり果ててしまったの

です。

 

  神の祝福を感謝して、神の義を求めて人生を着実に歩み始めたと見えた者が次第に

神を忘れ、神からの一方的な恩寵を忘れ、貪欲に捕らわれ、権力に溺れて行ったので

す。  神の愛に応えて神を愛すると誓った者が、己の智恵や地位に次第に目が眩み、

次第に神から離れて行き、結果的に神から見放されてしまう愚かで哀れな者となって

行ったのです。  世界最高の賢者が世界最悪の愚者になり果ててしまったのです。

  多くの家臣や国民の多くから尊敬され、信頼されて、期待されていた若者が、一旦

地位と権力を手にした時から、少しずつ初心を忘れ始め、落ちぶれて行ったのです。

 

    列王紀上9章6節~9節を読んでみますと、『もろもろの民のうちに諺となり、

笑い草となるであろう』と警告されていました。

  神の言葉を軽視し、神の戒めを無視し、神の命令を意識的・意図的に顧みず、黙殺

する道を選んでしまったのです。  ヘブル書6章4節~8節の警告、1026節~29

にはそのような道を自ら選ぶ者に対する警告が書かれてあるのです。

 

    神が人間に与えて下さった貴い贈り物である性という強い力、根源的フォース、

エネルギーを人が己の欲望だけを求めて汚く使う時に、そのエネルギーを昇華させる

ように努力せずに、そのフォースの中に耽溺する時に、神からの最高に美しい贈り物

が醜いものに変わり、男女を破滅に追いやってしまうのです。

 

  ソロモンは自らを誘惑の中に誘い込み、自らの破滅と世界最強の国を滅亡へと導き

入れてしまったのです。  そしてその結果、ユダヤ人たちは三千年もの間、自分の国

を失って流浪の民となって行ったのです。  余りにも支払う代価が高すぎました。

 

  ソロモンは「政治的理由」で異国の女性たちを招き入れたと言い訳をしましたが、

列王紀上11章2節は『ソロモンは彼女たちを愛して離れなかった』と告げています。

  自らを性の奴隷に売り払ってしまったのです。  これは私を含めて、クリスチャン

であってもそうでない誰であっても、世の男性たるものは自分自身を常に充分に自制

してゆかなければならないチャレンジなのです。  神の助けと恩寵が必要です。

 

  マタイ伝5章28節でイェスは『誰であっても「epithumesai 欲望する、強く心を~

の上に置く、望む、真剣に~を求める」の心で女性を見る者はすでに姦淫を犯してい

る』と語っておられます。  ルカ伝1215節では貪欲を警戒するように諭されていま

す。  マタイ伝4章23節でイェスが『民の中のあらゆる病気、あらゆる煩いを癒され

た』と書かれていますが、前者の「肉体的な病」と対比して後者の「あらゆる煩い

pasan malakian」には性のエネルギーが男性にもたらす誘惑を含むものと私は個人的

に解釈しているのです。

 

    女性は神さまの恩寵を男性と共に継ぐ者として、神が男性に与えられた秘められ

た不思議で強力なエネルギーを充分に理解し、同時に、男性がその死に到るまで抱え

続ける内なる悩みをよくよく理解し、それなりの賢明な配慮をする必要と責任がある

のではないだろうかと、そのように私個人は考えています。

 

  私は女性では勿論ありませんし、この種の極めて個人的で繊細な話題を語れる学び

をしているわけでもありませんから、女性の側のことは全くわかりません。

  然しパウロがエペソ書5章25節~33節やコロサイ書3章19節やペテロ前書3章7節

で勧めているように、『女が自分より弱い器であることを充分に認識して、神からの

知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共々に受け継ぐ者として*貴ぶ』べきだ

と考えます。  timen は「尊ぶ」とも「尊敬する」とも邦語に訳されていますが、

「それ相当な評価をもって」とか「真の価値を持って」とも訳せます。

 

  脱線ついでとなりますが、創世記1章を初めから注意深く読んで行きますと神さま

が人間の創造に向かって如何に細心の配慮を払ってもろもろの準備をなさったのかを

知ることができます。  そして神さまが神さまの総てを総動員して、み心を砕いて、

対話の相手として人間をお創りになったのかを理解する事ができます。

 

  26節~27節で人をお創りになった神さまが、28節で神さまはご自身の為に、ご自身

に代わって、創られた総てのものを支配するようにと、そのように秩序を確立された

ことを知ることができます。  ここ迄のことは皆さんの同意が得られると思います。

 

  そこで更に神さまの創造の秩序を考えてみますと、神さまと人間との関係はいわば

上下関係であり、神さまから恩寵を受け、私たち人間は感謝と信頼で神さまに応える

ように秩序だてられています。  人間と他の総ての創られた被造物との間にも、同様

に上下関係をみることができます。

 

  ところが26節と27節を注意してもう一度読み直してみますと、男女の間には上下の

関係は描かれていません。  それは水平の関係、相互補助の関係という秩序が神さま

から与えられているのです。  これは驚きであり、神さまの深い恩寵のしるしです。

 

  それですから2章7節で、神さまが人をアダマ(地の塵)から創造されたのちに、

神さまの命の息をアダマの中に吹き込まれるとアダマがアダム(人格を持った人間)

が生まれて来ました。

  15節~20節では、そのような人格者としてのアダムが、神さまによって罪のない、

神さまの住まわれる理想的な環境の中に置かれました。  衣食住の心配もなく、病気

や死の心配もなく、ただエデンの園の中で簡単な管理者としての単純な仕事も与えら

れていました。  肉体的な生命を神さまから頂き、神さまの命の息を与えられて生き

た人格者となり、生きて行くための総てを恩寵として一方的に神さまから与えられて

いたのです。  そして何よりも神さまとの自由な交わりがそこにはありました。

 

  然し、エデンの園では、神さまの下にアダムはいました。

総てのものを「神さまから頂く」という上と下の関係にいました。

  そして更に、動植物の管理者としてのアダムにとっては、動植物の上に在る自分を

いつも見いだしていました。  常に上下関係の中における自分という存在でした。

  何かが足りない、何かがおかしいと感じていたのではないでしょうか?

 

  そこには水平関係、対等関係、相互補佐関係、相互補助関係というものがありませ

んでした。  他者に自分を与えるということ、与える喜びを味わうということ、他者

に仕えるということ、他者に仕えることで体験できる喜びということ、二人で一緒に

なって神さまに仕える喜びを経験できるということがありませんでした。

 

  19節には、アダムの知的能力を示すとか、アダムが「モノとヒト」がアダム自身に

もたらす喜びの違い、「モノ対ヒト=他者」という価値感覚を示しているだけではな

く、お互いに仕え合うことから来る存在の根源的な喜びがモノ、即ち、動物との関係

においては欠落しているということを、動物を見ていると楽しいけれども、動物たち

は自分のパートナーではないと直感して、独りでいるということへの孤独感を感じて

いたのではないだろうかと、そのように私は19節~20節を読むのです。

 

  モノ、この場合は動物がそれを表していますが、モノがあれば楽しいでしょう。

然し、モノが人を幸せにはしないという単純なことをこの聖句は示しています。

  現在はいろいろな種類のモノをより多く持つことが人を幸せにすると、そのように

錯覚させようとする時代に私たちは生きています。  19節~20節は大切な箇所です。

 

  友、同伴者、仲間、恩寵を共に継ぐ者の不在から来る孤独です。  人は、神さまと

共に、他者を必要としているのです。  モノは他者の代わりになれないのです。

他者がいない自分は自分ではないのです。  神と他者と自分の関係は大切です。

 

  18節のアダムに「相応しい助け手」を創ろうとは、そのような訳ですから、アダム

と全く同質でありながら、アダムと少しだけ違い、またアダムとは決定的に違う存在

を意味していると私は理解しています。  鏡の前で全裸になって男女を比較してみる

とよくわかるような、相互補佐、相互補助をお互いに提供出来る存在cというような

意味が18節に用いられている「助け手・ケネグド・ help mate」という意味です。

 

  アダムが孤独さに苛まれて絶望し、深い眠りに入った時に、神さまはアダムに最も

必要であった「助け手」をアダムのあばら骨から創られたというのです。  アダムの

心臓に一番近く、アダムの心臓を黙って守るあばら骨からです。  頭のてっぺんの骨

でもなく、足の指先の骨からでもありません。  女が男のボスになるためでもなく、

男が女を奴隷のように利用するためでもありません。

 

  このように、創世記は、神さまが定められた素晴らしい男女の秩序を語ります。

ソロモンには、このことが全くわからなかったのだと思います。  ソロモンの側近の

中には優れた聖書学者や祭司らもいた筈です。  しかし誰もソロモンに神さまのこの

単純明解な創造の秩序を説明しなかったようです。  余りにも哀れな事態でした。

 

  いのちに関わるはずの信仰というものが儀式宗教に成り下がってしまい、職業的な

宗教人が執り行う宗教儀礼が無意味に繰り返される時、そこには人を生かすいのちが

欠落してしまうものだと、私はそのように理解し、自律自戒するようにしています。

 

  話を元に戻しますが、ソロモン王が愛した多くの女たちは、結果的に誰一人として

ソロモンの真の友ではありませんでした。  ソロモンに利用されながら、ソロモンを

利用していただけだったと思います。  お互いが「奪い取る」という関係だけで成立

していた関係です。  不幸なことでした。  そこには己を捨ててでも相手に尽くし、

相手に与えるという関係が最初から成立していなかったのです。  水平な対等関係、

相互補助、相互補佐というものが成立していなかったのです。  悲劇でした。

 

    また、当時の世界最強の権力と富を持ち、巨大な地位と最高の智恵を誇っていた

ソロモンですが、ソロモンには良き男性の友がいなかった、良き友情で結ばれている

親友なり師というものが一人もいなかったという事実です。  これも悲劇です。

 

  列王紀上12章6節には、ソロモンの存命中はソロモンに仕えた重鎮たちが存在した

ことを示唆していますが、ソロモン内閣の閣僚たちがソロモンの愚行の数々を諫めて

いたのかとなりますと、甚だ疑問だと思うのです。  独裁者ソロモンに忠告し、諫言

するだけの人材がソロモンの側近者の中に果たして存在していたでしょうか?

 

  ソロモンに父ダビデとヨナタンの美しい友情物語をサムエル記上18章~23章や同下

9章1節~13節や21章7節~10節などが語りますが、ソロモンに関しては友情を語る

記録がありません。

  紙面の関係で箴言1322節、1824節、2710節、2824節だけを記載しておきま

すが、男の人生で、男が惚れ込む男の中の男、尊敬と信頼と友情を覚えることができ

る男、そのような真の師、真の友を持たない人、持とうとしない人、或は持てない人

とは、自らを滅ぼしたソロモンのように、本当に不幸だと思います。

 

    賢者ソロモンの愚が教えてくれる教訓には、物質に対するソロモンの惑溺という

ものもあります。  いろいろな種類の物質があれば確かに私たちの生活は便利です。

  しかし、私の青春記というものは戦争前と戦争中、そして戦後のどさくさ生活で、

物資は極端に不足していましたし、「それが当たり前」の状態として育ちました。

  現在の状態とは比べることすら不公平で困難だと思います。  物質が溢れる現在の

日本や米国には、同時に不必要な煩いや病が私たちの心身を蝕んでいると思います。

 

  いろいろな物質がたくさん沢山あることが人生を意味あらしめるわけではありませ

んし、人生の目的を明確に示してくれるわけでもありません。  「衣食たりて礼節を

知る」などと敗戦後そのような標語が一時期はやりましたが、今の日本に礼節が存在

しているのか甚だ疑問だと思っています。  物が人を義しくする筈はないのです。

 

  イェスはベタニヤの寒村を訪れられた時、『人生でなくてならないものはそんなに

多くない。  いや、ただ一つだけだ』と言われたとルカ伝1042節は語ります。

 

  日米のクリスチャンは他の国々の人々に比べますと相当なお金持ちだと私は考えて

います。  しかし残念ですが日米のクリスチャンの信仰の質や内容は、多くの場合、

それと比例していないと、そのようにも確信しています。  何かがおかしいし、何か

が狂っていると思っています。

 

  歴代志下9章3節~4節で、シバの女王ですら栄華の絶頂に居たソロモン王とその

家臣たち、神殿や宮殿の超豪華さを見て『息の根が止まるほどに、全く気を奪われて

しまった』と証言しています。  「度肝を抜かれた」ということでしょうか。

 

  しかしかつて就任したばかりの若いソロモン王が採決した裁判の結果を見た人々が

「ソロモンの後ろに神の智恵があったことを覚えて神を畏れた」というようなことが

シバの女王の訪問の時には全くなかったのです。  人の見るところと神がご覧になる

ところとは全く次元が違うとサムエル記16章7節は証言しています。

 

  マタイ伝6章19節~34節やヘブル書13章5節を読んでみますと、物質や金銭の多寡

が決してその人の人生を左右するのではないことを改めて教えられます。  最後には

その人の在り方そのものが問われるのだと思います。  人はただ一回しか生きること

ができません。  豊かで意味のある人生を送るためには、神を中心とした人生設計を

確かなものとしなければなりません。  神から与えられた祝福を汚いものに変えては

ならないと思います。  賢者ソロモンが犯した愚行を繰り返してはなりません。

 

  獨逸ケルンの大聖堂を訪れても、英京ウエストミンスター大聖堂や聖パウロ大聖堂

を訪れても、米首都にあるディサイプルズの超壮大なナショナル・カテドラルを訪問

しても、そこにイェスがいらっしゃるわけではないのです。  隣国韓国ではドデカイ

教会堂を建てる牧師ほど偉い立派な牧師先生サマだとする傾向があるようです。

 

  わが国も、経済的に豊かになるに従い、度肝を抜くような礼拝堂を誇る教会が出て

きました。  何億、何十億の教会堂です。  朽ち果てるモノを建て、それを長期間に

わたり維持してゆくことは大変な事でしょう。  関係者は得意顔でしょうけれども、

そのことと信仰の質とは全く無関係だと思います。  むしろその逆かも知れません。

 

  全世界に出て行ってイェスさまの福音を伝えることや、全世界の飢えと困窮の中で

悩み苦しむ仲間に奉仕と共存の手を差し延べることと、デッカイ聖堂を建てることと

はどうも違うように思えるのです。  わずか24年ほどの限られた経験ですが、アジア

各地のスラムの内側から物質的に豊かな日米のような国の豪華な教会堂とそこに集う

「善男善女」を見て、しばしばそのように思ったり、憤ったり、絶望したことが多々

ありました。  スラムの中でロマ書1417節や1618節を考えてみたことでした。

  教会財産の維持管理に悩む教会、献金額の多寡ばかり心配する牧師や教会指導者、

ソロモンから学ぶことが未だに数多くあると思います。  如何でしょうか?

 

    この文章は一気に書き下ろしたものではなく、多くの中断がありました

そのために纏まりのない中途半端な文となりました。  お詫び致します。

 

          最後に、ネヘミヤ書1326節の言葉をご紹介して終わります。

 

  『イスラエルの王ソロモンは、これらのことによって罪を犯したではないか。

      彼のような王は多くの国民のうちにもなく、神に愛された者であるc』

 

  真実の人生とは、自分自身の力だけで生きているのではなく、一方的な神の恩寵、

神の愛によって生かされている自分を発見することから始まるということを、今回の

ソロモンの生き方から学んで頂ければ幸いです。

 

 

 

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                                  野村基之

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