1章  書き初めにさいして

                            イーノス・ダウリング

 

 

  数年間の留学を終えて1960年代初頭に帰国し、しばらくのあいだ横浜市内の二つの

教会に仕えたのち、私淑していました故ローズ宣教師のお住居の近くの葉山の漁村で

家庭集会を始めました。  不可解な交通事故に遭遇し、医療ミスも重なり、左腎臓を

失い、やむを得ず葉山での開拓伝道を断念して世田谷区八幡山の自宅に戻りました。

 

  八幡山の自宅に戻ってから、それがいつであったのか今となっては記憶もさだかで

はありませんが、ある日のこと突然に羽田国際空港から電話がありました。  長話の

相手がどなたであったのか、これも記憶が全くありません。  タイからシンシナティ

の神学校に戻られる途中のアメリカ人であったかと、そのことだけは覚えています。

1960年代の半ばに差し掛かる少し前だったと思います。

 

  電話の内容は、当時は復帰運動と呼んでいましたが、ストーン・キャンベル運動の

わかり易い出版物を出すので日本でも協力してみないかと、そのような内容であった

かと思います。  狭い台所で長話をしたことだけを鮮明に覚えています。

 

  そのようなことからイーノス・ダウリング Enos E. Dowlingさんの原稿を参考に、

ストーン・キャンベル運動の簡単な歴史を日本の読者にもなるべくわかり易いように

書いてみようということになったと記憶しています。

 

  そこで、それ以前に自分で調べていたことを追加して、1985年7月号から1988

1月号までの「福音誌」にトーマス・キャンベルを紹介する拙文を投稿したのです。

  今回ふたたび同じ主題に挑戦しますが、今度はその後に集めました諸資料を調べた

うえで、ダウリングさんとは全く関係なく、トーマス・キャンベルを新たに紹介して

みたいと考えています。 どこまで紹介できるのか実力に疑問がありますが。。

 

  このような思いを抱くようになった理由は、月刊誌「福音」の編集と印刷と発行を

担当されている茨城県勝田キリストの教会の伝道者福山次定さんにお願いをしました

拙文「バートン・ウォーレン・ストーンとケイン・リッジ集会」の紹介文が昨年末に

印刷製本を終え希望者の方々に無償で提供することができるようになったからです。

 

  この「ストーンとケイン・リッジ集会」の小冊子は、八ケ岳南麓の集会に集まって

来られる方々を対象に、2001年8月から11月までの間の週報に、思いつくままに書い

たものを掲載した文章であって、決してまとまった思いを表すものではなく、まして

学術的な文献でも決してありません。

  しかし私たちの群れが願い目指す運動の主旨の理解に少しでも役立つものであれば

と願い、あえて昨年末に自費出版を試みた次第です。

 

  このことと併せ、私たちの群れが目指す運動とその訴える点を日本の読者にさらに

理解し評価して頂くために、主イェスとその聖書に戻ることで、クリスチャンたちの

一致を求めようとする運動のもう一方の初期指導者トーマス・キャンベルについても

できるだけわかり易く改めて紹介しようと考えるにいたった次第です。

 

                                             

 

  話を元に戻してダウリングさんのことをもう少しご紹介してみましょう。

  ダウリングさんはイリノイ州リンカンの神学校に莫大な量の讚美歌や関連文献資料

のコレクションを遺して数年前に帰天なさった方です。ストーン・キャンベル運動の

熱心な研究家でもありました。  同神学校にはダウリングさんの記念図書館がありま

す。  それとも一種の讚美歌を中心とするストーン・キャンベル関連資料の博物館の

一つといったほうがよいのでしょうか…

 

  インディアナ州インディアナポリスのバットラー大学宗教学部図書館で司書として

長らく働いておられました。  今はクリスチャン・セオロジカル・セミナリーです。

 School of Religion, Butler University (now Christian Theological Seminary)

に勤務されている間にストーン・キャンベル運動にたずさわっていた数多くの群れが

発行した定期刊行物をことごとく集めるという大きな仕事を達成されました。

 

  (いつものように頭を悩ます問題の一つに英語の固有名詞の発音を片仮名で表わす

ことのむつかしさです。  Butlerをバットラーと書けばよいのか、バトラーで良いの

かです。  ここではとりあえずバットラー大学と仮にしておきます。

  次に、このバットラー大学についてここで詳しく説明するつもりはありませんが、

ベサニー大学で学んだバットラーの名前を冠した大学です。  いろいろないきさつが

あって、同大学神学部とは別に、同じキャンパスの一郭に新しく生まれたのが上記の

Christian Theological Seminaryです。  それ以上の説明はここでは略します)

 

  その後リンカン・クリスチャン・カレッジに移られた後にも同じような仕事を継続

され、すでに書きましたように莫大な量と数の讚美歌集、伝記、小冊子、定期刊行物

を集められました。  1997年の3月25日に帰天されたかと思います。

 

  大阪聖書学院長を勤められていたマーティン・クラークさんがバットラー大学生で

あったころにダウリングさんから多くの良い影響を受けられたそうです。

  そのほかにも大阪聖書学院関係では宣教師ベックマンさん、宣教師ミングスさん、

さらにマーティン・クラークさんのご子息で前学院長ポール・クラークさんも同様に

ダウリングさんから学ばれたそうです。

  ポール・クラークさんの強い勧めもあって、一度ダウリングさんをお訪ねしたいと

願っていましたが帰天されてしまいました。  御国でお目にかかれることを楽しみに

しています。

 

  ダウリングさんの玉稿を参考にして、かつて福音誌でトーマス・キャンベルを紹介

したことがありましたが、すでに述べましたように、このたび当時の原稿を推敲し、

その後に独自に入手した多くの資料を加えて、ここにあらためて書き直すことができ

るのを嬉しく思います。

 

                                             

 

  もう少し脱線をお許し願います。

  私は教会史を専攻した学徒ではありません。  あくまでもド素人が趣味で個人的に

学んでいるだけです。  このことを最初にお断りしておきます。

 

  1951年九月にサンフランシスコで講和条約が結ばれ、日本が連合軍の占領から解放

されました。  それから二年目の同じ九月に、まだ物資が不足していた時代ですが、

教文館からローランド・ベイントン博士 Roland H. Bainton (1894-1984)が書かれた

教会史の本が発売されました。  「世界キリスト教史物語」(気賀重躬訳)でした。

  私は二十歳、東京獣医大学の学生でした。  この本がきっかけとなり教会史に興味

を抱き始めました。  知らなかった教会史の世界に強い衝撃と刺激を受けました。

 

  当時一ドルが三百六十円という時代でした。  英語もわからない獣医学校の学生が

高い航空郵便料金を払ってベイントン教授に手紙を差し上げました。

驚いたことは世界的に著名な教会史の教授から丁寧な返書を頂いたことでした。

 

  その後は教授が帰天なさるまでの三十年間ほど個人的にお交わりを頂きました。

日本にお越しになる前にはご連絡を頂きました。  頂戴したお手紙も残っています。

  あのときに無理をして書籍を購入していなかったなら、もしかして教会史に興味を

抱くこん日の私はあり得なかったのかも知れません。  その本は現在でも版を重ねて

世界中で読まれていますし、その後も教文館から引き続き発売されています。

 

                                             

 

  先ほどすでに申しましたが、昨年暮れに「バートン・ウォーレン・ストーン牧師と

ケイン・リッジ・キャンプ・ミーティング」という、わが国のキリスト教会世界では

ほとんど知られていない、それでいて米国教会史の中で最大のできごとであったとも

言われている不思議なリヴァイヴァル集会を紹介する拙文を二百五十部だけ限定印刷

して、読んで頂ける方々差し上げました。  校正ミスがいっぱいあります。

 

  ケイン・リッジという僻地で1801年夏に営まれた特定集会の現象面を中心に書いた

ものです。  そこで生まれた信仰や思想とその後の発展などには触れていませんし、

ストーン自身の生涯にも触れていません。  折りがあれば書きたいと願っています。

 

  ストーン牧師の時と同じように、今回も会話調で書いて行きます。

 

  今回はストーン牧師が率いていた運動と、やがて合流して行くことになるもう一つ

の運動、「ディサイプルズ」(主イェス・キリストの弟子たち the disciplesを意味

する単語)運動が合流するあたりまでを紹介してみたいと考えています。

  ただし、そこまで行けるのかどうか…今の時点ではわかりません。

 

  新世界で起った大きな信仰のうねりが、やがてキリスト者の一致を願い、そのこと

を単純に新約聖書の教えに基づいて求めようとした運動に成長して行きました。

  「ストーン・キャンベル聖書復帰運動 Stone-Campbell Restoration Movement」、

以下「ストーン・キャンベル運動」と呼んでおきますが、それがどのようにして次第

に画期的な大運動に発展して行くのかを理解して頂く材料となれば幸いです。

 

  それと同時に、一致を願ったはずの運動が、どういう理由で、どのようにして次第

に大きく三つに分裂して行くのか、そしてさらにそれがどのように現在にまで及んで

いるのかを考える一つの判断材料にして頂ければ幸いだと思います。

 

  これから書こうとしている文章は、教会史の学者さんが書くものではありません。

また、一気に書き下ろしているとう文章ではなく、いわゆる伝道牧会の合間を見ては

少しずつ書いていますので、文章がまとまっていないこともお詫び致します。

過度な期待をなさらないで、気軽にお読みいただければ幸いです。

 

                                        2005年1月15  八ヶ嶽南麓  小荒間