《ストーンと千年王国  その1》

 

  1980年ごろからストーン Barton Warren Stone, 1772-1844 を再評価する研究が米国

の先輩学者たちの間で急速に強まって来たように思えます。  感謝すべきことです。

  いくつかの優れた研究論文が発表されるようになり、海外に居住する私のような素人

の教会史学徒には、そして、なまけ者の私には、この傾向は有り難いことなのです。

 

  日本の教会にとってもこの傾向は有り難いことなのですが、そのような文献の存在を

捜し出す努力を続けることと資料を入手すること、そしてそれらを読破して、更に著者

や発行者から翻訳許可を得ることと、そして更に翻訳にとりかかるという過程を経る

ことは、しばしば気がめげるような忍耐と努力が必要となり、実践するのに困難を覚え

るのです。  翻訳しても読んで下さる方は少なく、印刷することもままなりません。

 

  今回は、ここにストーンと彼の千年王国理解を中心に、三派の学者たちが発表された

論文を私が読んで理解した範囲内で紹介してみましょう。  翻訳許可を求めております

が正式に書類で受け取っておりませんので、すでに公表された三つの文を私が読んで、

私が理解した限りの概要を紹介するという方法で、とりあえずご紹介いたしましょう。

 

  資料源は私も終身会員になっている Disciples of Christ Historical Society 発行

Discipliana  ディサイプリアナ誌2001年秋季号61巻3号 Millennialism in the

Tradition of Barton W. Stone  というストーンの千年王国に関する特集号です。

 

  ディサイプルズ派の学者 D. Newell Williams 教授の From Trusting Congress to

Renouncing Human Goverments: The Millennial Odyssey of Barton W. Stone  と、

  中間派の学者 James B. North 教授の The Legacy of Stone's Millennialism in

the Christian Churches  と、無楽器派の中でノン・インスティテューショナルな立場

の学者 David Edwin Harrell, Jr The Legacy of Barton W. Stone's Millennialism

in the Churches of Christ が掲載されおり、以下はまずノース教授論文の概要です。

 

 

 

  ノース教授(以下ノースと敬称を略す)は講演の冒頭でクリスチャン・チャーチズの

過去の全国大会の講演者たちのことについて言及しているが、その部分はここでは関係

がないので割愛する。

 

  挨拶的な部分を除くと、そしていきなり、『ストーンの千年王国説(もう少し正確に

は、前千年王国論とか前千年王国説が正しい)というものがクリスチャン・チャーチズ

に対して与えた影響というものはない』と言い切った上で講演を始めている。

 

  もっとも、保守的聖書解釈の立場を採る我々の教群と同じように、中央派の場合でも

一人の人間が教群全体がある特定の事がらに対して公式見解を出すとか、群全体の意見

を代表するということはあり得ないので、ノースが述べようとするストーンの千年王国

説理解というものが、必ずしもクリスチャン・チャーチズ全体で同じように受け入れら

れ、信じられているわけではないと念を押していることに留意する必要がある。

 

  更に、ノースに与えられた課題の範囲というものは、主としてディサイプルズ教群の

ストーンの千年王国理解と、ディサイプルズ教群の保守派から派生したクリスチャン・

チャーチズのストーンの千年王国理解ということであるが、ノースは両派の見解を正確

に代表し得ないかも知れないと断っている。  学者らしい配慮であろう。

 

  次にノースは、ノースが理解したストーンの千年王国説というものを定義している。

    すなわち、1.  前千年王国主義 pre-millennialism2.  平和主義 pacifism

3.米国政治政党制度に対する覚醒 disenchantment with the American political

party system、これら3点である。

  最後の「覚醒」というのは、ストーンが米国政治政党制度または政党政治制度に対し

て抱いていた幻想がみごとに打ち砕かれ、幻滅したという意味でノースは使っている。

これらをノースは逆の順で以下のように説明している。

 

  ストーンが米国の政党政治制度に幻滅したことがディサイプルズ教群やクリスチャン

・チャーチズ教群にどのような影響を与えたのかという点からノースは述べ始める。

 

  この二つの教群はもともとは一つの群であり、主として新生米合衆国の北部を中心に

発達した群と考えられるし、キャンベル親子の影響をより強く受けた教群だと考えても

よいだろう。  それは、ストーンの影響をより強く受けた南部の農村教会を主体とする

無楽器教群との関係においてという意味である。  もちろん、ノースがこのようなこと

を述べているわけではない。  野村の解説である。

 

  また更に、ディサイプルズ教群はこん日の日本には一つの教群として存在していない

が、ディサイプルズの先駆者たちが設立したものとして聖学院が残っているし、日本

キリスト教団に太平洋戦争勃発時や敗戦後に加入した旧ディサイプルズ系のいくつかの

教会がある。  但し、そのような歴史意識がそれらの教会にあるわけではない。

  一方、クリスチャン・チャーチズ系の教会は全国に約50ほど存在しており、大阪聖書

学院を中心によくまとまっている。  この交わりに加わらないいくつかの教会もある。

 

  もとに戻って、ノースの観察によると、ディサイプルズもクリスチャン・チャーチズ

も共に米国の政治的状態を、もちろん文句を言う人はどこにでもいつでもいるが、大体

において肯定的に受け容れている人々から構成されているとしている。  文句を言う人

でも、米国の政治制度というものが世界中のどこの政治体制よりも優れたものであると

いう点では一致しているとノースは見ている。  これは世界貿易センター爆破テロ事件

直後からの大多数の米国人の愛国心と団結心を観察してもよくわかると思う。

 

  更にノースは、ディサイプルズとクリスチャン・チャーチズの二つの教群の信者たち

の支持政党を観察して、もちろん共和党員と民主党員の両方がいるのは当然だとみてい

るが、ディサイプルズ教会員たちの中には民主党員の方が多いだろうと推測している。

 

  我々日本人にとっては知っているようで知っていない、なじみの少ないものの一つに

米国の政治政党があるが、基本的に、そして歴史的に、米国には二大政党政治が定着し

ていることぐらいは理解している。  すなわち共和党と民主党である。

 

  無楽器教群であるチャーチズ・オヴ・クライストや中間派の有楽器のクリスチャン・

チャーチズには、どちらかと言えば、現在では、共和党員 Republicans  が多くいると

考えられている。  共和党の方が保守的であり、例えば堕胎の反対運動に見られるよう

に道徳基準や倫理基準を厳しく守ろうとする傾向がある。  現ブッシュ政権である。

 

  それに比べ、民主党はクリントン前大統領の政党であり、リベラルな考えをする人々

が多いと考えて良いだろう。  どちらかというと、お金持ちが多いのかも知れない。

ハリウッドの映画産業などは民主党を支持する傾向があるが、深南部では共和党支持が

多いだろうと思われる。  但し、これらは野村個人の見方であるので当てにはならない

かも知れない。  ノースがディサイプルズには民主党員が多いだろうと推測する理由も

こういうところにあるのかも知れない。

 

  そして、両派の教会員たちは、どちらの政党を支持するにせよ、共に現在の政治制度

を支持しているという点では変わりはない。  百年も前には今の共和党と民主党の政策

が逆であったように思うが、これも日本人、しかも素人で俄か教会史学徒私個人の理解

だから当てにはならない。  間違っていたらお許しを乞わなければならない。

  ノースは第一次世界大戦時の二大政党がディサイプルズとクリスチャン・チャーチズ

に占めた割合を知らないと述べ、更に第二次世界大戦時のことも知らないと述べている

が、朝鮮戦争時や冷戦時代のことは覚えており、愛国心というものが両派の教会員たち

の心の中にしっかりと定着していたと述べている。

 

  そして、先日の世界貿易センター爆破テロ事件後のアメリカの教会堂の中に国旗掲揚

があるのかどうかを野村個人が調査を試みた結果、北の両派の教会堂の多くには国旗が

教会旗と共に掲揚されていることを確認したが、南の無楽器教群の教会堂に国旗が掲揚

されたり説教台上に展示されているのは極めて少ないという報告を得たのとほとんど

同様に、ノースも朝鮮戦争時代や冷戦時代には北の両派の教会堂の多くに国旗が掲揚

されていたと述べている。

 

    南北戦争時に北の教会の指導者アイサック・エレットが出征する北軍兵士を前に

『南の反逆者どもをやっつけに行く我らのボーイズを神よ祝し給え』と祈ったように、

北の教会では政治や戦争というものが神によって祝されたもの、聖戦として捉えられる

傾向があるようだと野村は個人的に観察して来たが、はからずも、ノースが同じことを

述べているのは驚きであった。

 

  朝鮮戦争といい、フランス軍がヴェトナムで敗北した後にヴェトナムへ介入した米国

といい、湾岸戦争といい、沖縄への半永久的?な駐留といいい、宇宙制覇意欲といい、

これらは1845年に発表されたマニフェスト・デスティニーというジョン・オサリヴァン

の思想に象徴的に示されている北米白人による覇権主義の延長と野村個人は考えている

が、軍事的・経済的圧力で周辺弱小国に迫る米国のビッグ・スティック政策の延長とも

考えられる。  もとをただせば、農業立国を目指した南に対して、工業立国を目指した

北東部の資本家を中心とする勢力、すなわち、フェデラリストたちを中心とした発想、

別な言い方をすれば、連邦政府の権力拡大主義を背景に伸びよとした北の勢力が背景に

ある地域では、国家権力を擁立しようとする傾向が北の教会をも支えているのではない

かと、素人ではあるがそのように野村個人は考えている。  そのような北の地域の教会

では、戦争に負けた南部とは違い、平和主義が育つ可能性はより少ないと思われる。

北の教会の指導者エレットと南の無楽器群のリプスコムの違いがそこにあると思う。

 

  更にノースは、両派の教会が主催する子供たちのための夏季聖書学校の殆どにおいて

も子供たちが米国旗に対する忠誠のうたい文句を暗唱していると述べている。  その後

で教会が定めた教会旗に対する忠誠のうたい文句の暗唱があり、三番目になって聖書に

対する忠誠のうたい文句が暗唱されると述べている。  この順番は不動のようである。

  このようなわけで、ノースによれば、北部地域を中心に発達したディサイプルズ教群

と、そこから派生したクリスチャン・チャーチズにとって、アメリカの政党政治に幻滅

を感じたストーンの影響、ストーンの政治への不信感、ストーンのこの世の権力に対す

る絶望感や違和感といったものは殆どないと断言している。

  ノースのこの結論は、主として南の陣営に慣れている私にとって、改めて考えてみれ

ば驚きでもあり、また当然だと納得のゆくものでもある。  ある特定地域というものが

聖書の単純な教えに戻ることによって基督者の一致を求めようとする我々のストーン・

キャンベル運動に与える影響の大きさと、運動の困難さを物語っているとも言える。

 

 

  次に、ストーンの平和主義 pacifism パシフィズムというものが北のディサイプルズ

とクリスチャン・チャーチズに与えた影響についてノースは次のように述べている。

  北の両教群が政治権力との関わりにストーンのようなこだわりを持たないということ

以上に、北の両派に純粋な意味での平和主義を見いだすのは更に困難であろうとノース

は述べている。

 

  そしてノースはその一例として彼自身の家族を引き合いに出して説明している。

すなわち、ノースの曾曾祖父母は、1801年夏に有名な信仰復興集会がケンタッキー州の

ケイン・リッジで開催された翌年の1802年に同じケイン・リッジのログ・ハウス集会場

で結婚式をあげたので、ノース家は代々この運動の生粋のメンンバーであるという。

  また、ノースの曾祖父は南北戦争に従軍した人だという。  また更に、ノースの父は

第二次世界大戦に従軍している。  1950年代においては兵役に服する青年が出るたびに

母教会では青年を集会場の前に招き、母親が息子の胸に紺色の(教会の?)旗の上に白

い星が描かれているバッジをピンで止め、出席者全員で青年の無事帰還を祈ったそうで

ある。  そのあとで更に教会の婦人たちがバッジの星に赤い糸で青年の名前を刺繍した

上でブルーの旗に縫いつけていたとノースは紹介している。  朝鮮戦争の時や共産主義

を封じ込める機運が盛り上がっていた時には、平和主義などというものを聞いたことが

なかったと回顧している。  おそらくこれは1950年代初頭に共和党上院議員であった

ジョーセフ・マッカーシーが反共を旗印に行った恐ろしい政敵攻撃時代のことを指すの

だろうと野村は考える。  チャップリンなど進歩的だと見られた人々が次から次に容共

とか共産主義者の烙印を押された不幸な恐怖時代であったと記憶している。  また更に

ノースは、こん日でもクリスチャン・チャーチズでは平和主義を謳う組織的なそのよう

な運動は見当たらないと断言している。

 

    ディサイプルズやクリスチャン・チャーチズの群においては、神が米国に与えた

民主主義や宗教的自由や憲法が保証する諸条件を防衛するために、クリスチャンが銃を

とることはクリスチャンとして当然のことだと理解していると、ノースは語っている。

 

  ノース自身もクリスチャン・チャーチズ教群の軍牧(チャプレン)委員会の責務の

一端を担っていると述べている。  現在チャプレンとして従軍している者が同教群には

29人おり、他に予備役軍牧とナショナル・ガードの軍牧が28名いるとも紹介している。

  野村の理解が間違いでなければ九州鹿屋の敬愛する宣教師マクセイ師も太平洋戦争中

には軍牧として従軍中に自爆する神風特攻隊を目撃されていたので、神風特攻隊の出撃

基地であった鹿屋を戦後いち早く選ばれたようだったと、そのように記憶している。

 

  次に、ノースはディサイプルズ教群の平和主義について以下のように述べている。

ノースによると、恐らくディサイプルズ教群の人々もここまでノースが述べてきたこと

に対して一般論としては共鳴するだろうけれども、いくつかの明白な例外があるとも

述べている。

 

  それはディサイプルズの人たちがアレキサンダー・キャンベルから多くの影響を受け

てきたという事実だとノースは言う。  1846年から1848年にわたって戦われた米墨戦争

(アメリカ・メキシコ戦争)に際してキャンベルは反対を唱えなかったが、あとになっ

てキャンベルは米墨戦争に反対を唱えなかったことを悔いたとノースは語る。

  そして1848年になってキャンベルは彼の有名な「戦争に関する演説」で彼の平和主義

を述べているとノースは W. E. Garrison and A. T. DeGroot The Disciples of

Christ  422頁の上部6、7行目あたりから引用して説明している。  運動の研究用

資料としてはクラシックな資料源であるので英語を読める方にはお勧めしたい。

 

  第一次世界大戦を経て、世界の大不況期時代を経験したころの1930年代の米国では、

大きな戦争や国際政治に幻滅したということも手伝って、何となく平和を求める機運が

高まりを見せ始め、この同じ雰囲気はディサイプルズ教群でも支持されていたとノース

は分析している。  1935年に到るとディサイプルズ・ピース・フェローシップなるもの

が組織されたとノースは語る。

  これはわが国では昭和10年で、間もなく「日華事変」という日本による中国侵略戦争

が蘆溝橋で始まり、日獨伊三国同盟が締結され、戦時経済体制が強化され、国民生活が

完全に破綻を迎え、国家総動員体制が樹立され、恐ろしい時代に突入する頃である。

 

  ディサイプルズ教群ではピース・フェローシップを中心に徴兵制度に反対を表明し、

その代案として良心的兵役拒否運動を興して平和運動に携わった。  カービー・ページ

がその中心的な名前となったとノースは説明する。

  またノースは Lester G. McAllister and William E. Tucker Journey in Faith

396頁から 397頁を引用して最近のディサイプルズの軍事力への幻滅傾向と平和主義

への傾向を説明している。  この本もストーン・キャンベル運動理解には必携である。

 

  結論的に、ノースはストーンの影響よりもキャンベルの平和主義の影響の方が遥かに

ディサイプルズ教群にとっては大きいと結論づけている。

 

 

  第三点はストーンの千年王国説なり千年王国論が北の二つの群に与えた影響である。

これに対してノースはストーンが信奉していた前千年王国論というものはクリスチャン

・チャーチズに殆ど何も影響を与えていないと断言している。

  ストーンもキャンベルも前千年王国論を唱えていたが、それから一世紀たってみると

クリスチャン・チャーチズにはそのような影響は全く存在していなかったとノースは

言う。  野村個人としてはキャンベルが前千年王国説を信奉していたというのは初耳で

あって多少の戸惑いがある。  キャンベルは最初から後千年王国説を唱えていたものと

考えていたので、これは自分の研究不足を指摘されたことになり、この点で改めて更に

研究する必要に迫られていると理解した。  長生きしてよかったと感謝している。

 

  ノースによると、クリスチャン・チャーチズでは圧倒的に無千年王国論が受け入れら

れているとのことである。  黙示録20章に書かれているような千年の王国というものは

ないという理解である。  ノースの幼少時代や青年時代の教会の牧師たちは全員すべて

が無千年王国論者、英語ではa-millennialism であったという。  そしてその立場だけ

  が語られていたのだと言う。  前千年王国説 pre-millennialismでも後千年王国説

post-millennialismでもなかったという。  ノースが聖書大学に入学した時にも、彼の

記憶している限りでは、すべての教授が無千年王国論に立脚していたという。

 

  そういう背景の中で育ったノースには、前千年王国論を信奉する者たちの中に知的な

人物などあり得ないという印象を抱いて成長したと回顧している。  そのような奇妙な

論説を掲げる人種がいるらしいということは薄々ながら感じていたが、きっと深南部の

どこかの山岳僻地の教育のない人たちが信奉しているのだろう程度の理解しかなかった

とノースは語っている。  そのような説を信じている人々をむしろ哀れにすら思ったと

も語っている。  お月さまが青いチーズでできているとか、お月さまには兎さんが住ん

でいるとでも信じているような人と同じほど無知で哀れな人々だと考えていたと正直に

ノースは語っている。  前千年王国説なんていうものを信じる人々は相当に風変わりな

人々で、愚かな人々だと思っていたともノースは語っている。  アパラチア山脈の僻地

やオザークの丘陵地域に住んでいて、今でもマルコ伝1618節に書いてあることを文字

どうりに信じて毒蛇を掴んでみたり、腕や首の回りを這わせたりして礼拝をする愚かで

哀れなヒル・ビリーのたぐいの人種だろうと彼は軽蔑していたのではないかと思う。

  参考までに、法律で禁じられているこの毒蛇を扱う人々を、野村個人としても興味を

抱いているので、一度はアパラチア山脈の奥深くに訪ねたいと願っており、そのような

礼拝が行われている場所のいくつかを特定しているが仲々に機会が与えられていない。

 

  このような理解の中で育ったノースにとって大きな驚きの日がやって来たと彼は語っ

ている。  それはノースが西海岸カリフォルニアの聖書大学に移った時に、その学校で

前千年王国説を信奉する二人の教授に出会ったことであったという。

  その内の一人は歴史的前千年王国論者 historic pre-millennialist で、もう一人は

經綸的前千年王国論者 dispensational pre-millennialist であったという。  二人に

初めて遭遇したノースは呆然とさせられたと、その時の衝撃の激しさをノースは語って

いる。  ちゃんとした大学院から学位を得た「ある程度知的な人々」が前千年王国説を

信奉している!と、ノースは戸惑っている。

  その衝撃を「ある程度知的な人々」という表現でノースは記録している。  それは、

彼ら二人が大学院の学位を得たということは、彼らを学術的に大学院卒業生として認定

した「ある程度知的な人々」が存在していたからであろうから、その二人も「ある程度

知的な人々」なんだろうと認めざるを得なかったけれども、ノースにしてみれば、二人

が前千年王国論者である以上、彼らが「完全に知的な人々」であるとはとうてい認めら

れないと、そのように考えたと、当時の衝撃の強さを語っている。

 

  ノースによると、1970年よりも以前のクリスチャン・チャーチズ教群の中においては

前千年王国説というものは極めて限定されたものであったとみているようである。

  A. B. McReynolds  マクレナルズという人物が存在したようであるが、その影響力は

少なかったとみている。  1970年になりダラス神学院のHal Lindsey ハル・リンゼイが

Late Great Planet Earth という本を出版している。  その頃から、テレヴィやラジオ

による經綸的前千年王国説に立脚する聖書講座が流行し始め、クリスチャン・チャーチ

教群のメンバーの中にも聴取者が増加していったようであるとノースは分析している。

 

  それらの結果としてクリスチャン・チャーチ教群の中にも經綸的前千年王国説は次第

にその足場を確保し始めたとノースは言う。  さらに驚いたことに、野村の個人的友人

でもあるディヴィッド・リーガン David R. Reagan  Lion and Lamb Ministries

「ライオンと仔羊ミニストリーズ」という、聖書からの豫言と霊的信仰復興を強調する

伝道が始まったと述べている。  クリスチャン・チャーチズにも聴取者が増加したので

あろうと想像する。  リーガンはテキサス在住無楽器教群の人で、經綸的前千年王国説

に立つ伝道者である。  大阪聖書学院前学院長が招いた彼の友人シャーマン・ニコルズ

も前千年王国説者であった。  「時代は変わった」とノースは感じている。

 

  しかし、これらとストーンの前千年王国説との関連はどうなのであろうか?

ノースは両者の間に関係はないと断定している。  こん日のクリスチャン・チャーチズ

内の前千年王國説、とりわけ經綸的前千年王国説というものは、ダラス神学院教授の

ハル・リンゼイのラジオとテレヴィを使った伝道活動や、スコーフィールド・バイブル

の再評価などが經綸的前千年王国論の普及に役だったとノースは考えている。

  そして前述のマクレナルズの前千年王国説ですらストーンに戻ることはできず、恐ら

くはスコーフィールド・バイブルが資料源になっているのだろうとノースは見ている。

 

  ノースは彼の論文を締めくくるに際し、1831年から1832年にかけてケンタッキー州の

ジョージタウンとレキシントンで繰り返されていたストーンとジョン・T・ジョンソン

とラクーン・ジョン・スミスとジョン・ロジャーズの集会を思い出すように注意を喚起

している。  これらの回を重ねた会合の結果としてストーンとキャンベルの追従者たち

が合流するに到ったのであり、その後裔者として我々がこん日いるとノースは述べる。

 

  ラクーン・ジョン・スミスが基督者の一致・合同について最初に語っているが、彼は

一つの信仰があるだけだと強調していることに注意を払う必要がある。  意見というも

のは何千何万とあるだろうけれど、もしクリスチャンたちが一致・合同するというので

あれば、それは意見において一致・合同するというのではなくて、一つの信仰という点

においてのみ一致・合同が可能であるとラクーン・ジョン・スミスは語ったのである。

 

  その次にストーンが演台に立ってスミスの後を引き受けて次のように演説をした。

『教会の諸論争というものは、基督者がどんなにか神秘的または崇高な思想などを考察

し推測しても、その上に立って論議している限り、基督者が一つになる、なれるなどと

いうことはあり得ないことを証明している。  そういう論議はクリスチャン哲学者たち

を喜ばせるかも知れないが、教会の徳を高めるということには決してつながらない。

  我々がすべての人為的な信条や教義を放棄して聖書だけを我々の信仰と行動の規範と

して取り上げて以来、我々はいろいろな手段や方法による多くの反対に当面して来た。

  私自身も、それらの崇高な思想や考察をや推測や思考に基ずいて語らなければならな

い場面にも当面して来たが、私の心をわくわくさせるようなそのようなものに基づいて

説教をしたことはなかった。  そういうことをすると、後になって、心に不毛の寂しさ

を味わうことになるのがわかっているからである。

  私はスミス兄弟と全く同じ意見である。  そういう思想や考察や推測というものは、

絶対に説教台の上から語られるべきものではない。  万が一にも、そのようなことを

もしも語らなければならないような場合には、霊を高めるような言葉で語らなければな

らない』  これは John Augustus Williams の著書 Life of Elder John Smith 453

頁に述べられているものからの引用である。  この本も可能なら入手をお勧めしたい。

 

  それまでのストーンは贖罪やキリスト論に関して論争を闘って来たとノースは語る。

しかし、ストーンが率いる群とキャンベルが率いる群が今まさに合流しようとする時期

に及んで、ストーンは過去の苦い体験から論争というものの不毛さを学び、論争がもた

らす逆効果を数多く体験していただけに、そのような論争に自分自身がかかわったこと

を悔いていたとノースは説明している。

 

  このことこそ、ストーンがクリスチャン・チャーチズ教群に与え遺してくれた最大の

影響であろうとノースは語っている。  一つの信仰に立つ一致、意見に属する部分では

自由、そして推測や空論を避けるということがストーンの贈り物だとノースは理解して

いる。

 

  神の言葉に基ずく聖書的な教えに立脚した基督者の一致である。  そして、その他の

もろもろのことがらは意見に属するものであり、推測や空論を説教台から退けるという

ことである。  この原則からすると、千年王国論も、平和主義も、米国の政治体制への

姿勢というものも、総て意見に属するものであるとノースは結論づけている。

 

  従って、クリスチャン・チャーチズ教群では、これらの論題はすべて推測や思考分野

に属するものであると捉え、論争することを避けているとノースは語る。

 

  そして最後にノースはテモテ後書2章14節の聖句を引用して「ストーンと千年王国」

と題する講演を終了している。  すなわち、『あたながたは、これらのことを彼らに

思い出させて、何の益もなく、聞いている人々を破壊に陥れるだけである言葉の争いを

しないように、神のみ前で厳かに命じなさい』。  これこそがストーンがクリスチャン

・チャーチズに遺し与えた最大の影響であるcとノースは彼の講演を結んでいる

 

  以上がノース論文の要旨である。  読んでみて感じたことは、たとえば、黙示録20

の千年王国への言及をどう解釈するのか、憶測ととるのか、文字どうりに受け止めるの

かなど、これからも聖書解釈の論争は絶えないだろうという点であった。  野村基之