《諸教会で沈黙を?》

 

                        コリント前書に於ける女性たち

 

                          クリストファ・ハッソン

 

                          Silence in the Churches?

                           Christopher Roy Hutson

 

            『聖徒の諸教会のするごとく、女は教会にて黙すべし。

  彼ら語ることを許されず。  律法(オキテ) に言えるごとく順う(シタガウ)べき者なり。

            何事か学ばんとする事あらば、家にて己が夫に問うべし。

                  女の教会にて語るは恥づべき事なればなり』

 

                  (文語訳  コリント前書1434節~35節)

 

  ここに引用しましたパウロの勧告は教会における女性の役割に関して最も引用され

ることの多い聖書箇所でしょう。

 

  この聖書箇所だけをチラリと一瞥するだけですと、教会の集まりの席ではどのよう

な女性であっても喋ることの一切を明白に禁じられていると理解できます。  しかし

ながら、聖書を学ぶ者で、その聖書箇所をチラリと眺めただけ以上の意味をパウロが

語っているのではないかと考える者にとっては、この聖句に関して幾つかの関連質問

をする必要があります。

 

I.  この聖書箇所を解釈するに際して考慮すべき幾つかの点

 

  a.文脈    基本的な質問とは34節~35節に関するものです。

              聖書を学ぶ者の多くは、全体の文脈にいつさい関係なくこの聖書箇所

だけを取り上げ、それがあたかもパウロに関係のあった諸教会全体に対する最も権威

のある最終的声明文であるかのようにしばしば取り扱ってしまうのです。

  しかしながら、注意深くその箇所を読む者にとっては、第1コリント書14章とは、

預言に関連するいろいろな霊の賜物と異言を語ることに関するものであることに留意

しなければなりません。  そして、それは更に大きな論題、すなわち12章から14章に

亙って語られているいろいろな霊の賜物という文脈の中にあることを覚えておく必要

があるのです。  しかもこれは更に大きな課題であるコリント教会の公同礼拝に関連

する論題の範疇に属するもの、すなわち11章から14章にまたがる論題の中に位置して

いるものであることを覚えておく必要があります。

 

  直接的な文脈においては、第1コリント書14章1節から25節は、コリントの教会内

でくすぶり続けていた幾つかの問題に触れています。  1426節から40節にかけては

これらの問題に対するパウロの実際に役に立つ具体的解決策について語っています。

  26節から28節にかけてパウロは異言を語ることに関して話し、29節から33節では

預言について語っています。  37節から40節でパウロは預言者や預言および異言を

語ることについて話しています。

  それでは、この預言と異言を語るという文脈の中にあって、どのようにパウロの

女性に関する言及がピッタリと納まると言うのでしょうか?  パウロはブッキラボウ

に話題を突然変更して女性のことに触れ、そしてまたいきなり突然に話題を再び元に

戻したとでも考えたら良いと言うのでしょうか?

 

  このことに対する一つの取り組み方はと言いますと、34節と35節はその前後関係、

その文脈とは全く関係がないのだ…と言い張ることです。  これは聖書学者の一部が

主張することなのですが、これらの節はもともとパウロが書いたものではなく、後に

写本をしたある人物が本文の中にこの二つの節を挿入したのだ…と言うのです。

  この学説を支持する聖書学者たちは、この場所で女性の問題について言及すること

は全くナンセンスだ…と言います。  更に彼らが主張することは、34節と35節を抜い

てみると、33節から36節へと極めて自然に流れるではないか…というのです。

  しかし、この仮説には無理があるようです。  すなわち、総ての写本にはこの二つ

の節が記録されているからです。  それですから、ある一人の写字生がこの二つの節

を挿入したと推測するのは、聖書原典学の立場から考えて、無理があるのです。

  また、ある少数の聖書学者たちが推測するのですが、これら二つの節の言葉という

のは、本来パウロが40節以降に書いたかも知れないもので、不注意な写字生によって

過って現在の場所に移され写本されたのかも知れない…という説です。

  この仮説には、聖書原典学上から考えますと、ある程度の根拠があるようです。

なぜかと言いますと、幾つかの写本においては、これら二つの節が違った順序で記録

されているからです。  しかしながら、違った順序で記録されているそれらの写本類

は最古の写本でもなければ最も信頼されている写本でもないのです。  *(1)

  パウロの論争点の流れに真剣に取り組むことをしないで、むしろハサミと糊で聖書

釈義の問題を解決しようとする学説は、パウロに対して公平ではないと思います。

 

  それでは、一番良い取り組み方とは、パウロが理論的に一連の思想を扱っていたと

推測することです。  33節の後でパウロは自分が何を語っていたのかを忘れてはいな

かったということです。  そしてそこで無関係な論点について助言し、そして突然に

身を翻して本来の軌道に36節で戻ったとするのです。

  そのような訳で、34節と35節の最も満足のいく解釈とは、コリントの教会の無秩序

な礼拝の集まりと、いろいろな霊の賜物の乱用に関するパウロの実際的な勧告の一部

としてこの二つの節を理解する…とするものです。

  このこととの関連で沈黙に関するパウロの諫言が女性に対してだけのものではない

という点において極めて注目に値するものです。

  異言を語るという点に関して使徒パウロは28節で『もし解き明かしする者がいなけ

れば、教会では黙しなさい』と命じ、預言者に関しては30節で『もし席に着いている

別の人に黙示(または啓示)を受けたのなら、最初の人は黙しなさい』と述べていま

す。  文脈が提議していることとは預言者たちのことでもなく、異言を語る者たちの

ことでもなく、喋っている女性のことでもなく、むしろそれはこれらの人々が集会を

乱しているということです。  集会の混乱と分裂を招いている異言を語る者たちや、

預言者たちや、女性たち総ての人々に対してパウロは『黙すべし』との禁止令を発し

たのです。

 

  b.『聖徒の諸教会におけるように』    第2番目の問題点について。

                                        33節の終りにある『聖徒たちの諸教会に

おけるように』という句をどこに置けばよいのか、それがどこに属するものなのかと

いう問題です。  この懸念は古いギリシャ語の聖書写本から起ってくる問題です。

  その一つに古代聖書諸写本には句読点もなく、言葉と言葉、単語と単語の間に区切

りがないので、そこから起ってくる問題です。  聖書著者たちは言葉のリズムと、

論点の論理から、読者が著者を充分に理解することを当然のこととしていたのです。

  ずっと後の世になって、その時代の写字生たちが、パウロが言いたかったであろう

ことを彼らなりの最善の判断で決め、適切な句読点を加えたのです。  しかし、この

第1コリント書1433節に関しては、聖書写字生・翻訳者たちが適切な句読点をどこ

につけるかで合意に到らなかった箇所の一つだったのです。

  また、パウロが書簡を書いた時、当然のことですが、彼も章や節に分けた訳ではあ

りません。  書簡というものは、古今東西を問わず、読者が一気に読んでくれること

を前提にしています。  しかし後世の学者たちは文章なり書簡に数字、すなわち章や

節を加えることによって、彼らの研究したい特定の文に言及したり捜し出すのが便利

になると判断したのです。  *(2)

  これらの数字はあくまでも出典指示や参照目的のためのものです。  数字をつける

こと、すなわち章や節を文章に加えることによって、或る特定の文章を検索するのが

容易になるからです。  しかし、それは必ずしも著者が意図した文の切れ目や区切り

を正確に示すものではないのです。

  これらの理由から、現在の私たちが33節と数字を打って使っている文章をパウロは

どこでどのように区切りたかったのか、それはこん日の私たちには分からなくなって

いるのです。  このために RSV NEBNIV などの翻訳に携わった学者たちは33節を

二分し、次の新しい節、すなわち34節に『聖徒たちの諸教会でそうであるように』を

加えたのです。  このような訳で、『聖徒の総ての教会で行われているように、女性

(または妻・婦人・女 gunaikes )たちはこれら諸教会において黙しなさい』という

ふうに使っています。

  しかしKJV NAS NKJ などの訳ではこの句を先行する33節に結びつけています。

すなわち『なぜならば神は混乱の神ではなく平和の神だからです。  聖徒の諸教会に

おいてそうであるように』です。  ここでの文法は曖昧です。  それですからどちら

の翻訳も有効なのです。  ただし前者のほうが文体上は不体裁です。  なぜかと言い

ますと短い一つの節の中に『諸教会の中で』という句が二度も出てくるからです。

 

  (訳者注:訳者所有の限られた日本語訳で前者の立場を採るものは、日本聖書協会

の文語訳、キリスト新聞社の口語訳、新教出版社の柳生訳、ロマ・カトリック教会系

の中央出版社昭和3619版のラゲ訳、ドン・ボスコ社のバルバロ訳などがある。

    明白に後者の立場を採るものとして、永井直治訳、昭和8年版と平成4年版の

新契約聖書、いのちのことば社の詳訳聖書、中央出版社版でも昭和2715版ラゲ訳は

後者の立場を採っている。

  日本聖書協会の1995年改訂版口語訳、共同訳および新共同訳は、多少曖昧な形を

残しながらも後者の立場を採っているように思え、翻訳者の苦悩が偲ばれる。)

 

  しかし、この二つの訳ではその意味において重要な違いがあることに留意して下さ

い。  『諸教会におけるように…』という曖昧な句がどちら側につくのかによって、

コリント教会以外の諸教会にも適用されるのか、されないのか、あるいは強調される

のか、それとも、されないのかの違いが生じてくるからです。

  33節にあるパウロの神学的供述は、そこに書かれている『聖徒の諸教会において

そうであるように』という句があるなしにかかわらず、神さまに関する一般的真理と

して受け入れられるものです。  しかしながら34節での実際的命令は、この句が34

につく場合にのみ総ての教会に宛てられたものとして適用できますが、そうでなけれ

ば、当時のコリント教会の無秩序な礼拝に関するはっきりした諫めの言葉の一つとし

て理解されます。

 

  第1コリント1434節から35節にかけてのパウロの命令が、総ての場所、総ての

時間における総ての教会に適用される一般的な命令なのか、それとも、ある特定の

時限内において、ある特定の場所における、ある特定の状況下における教会に宛てら

れたものなのか、これが決定的論争点なのです。

  それではこのことをどのようにして決めたらよいのでしょうか?  再び申しますが

そのためには文脈を考慮しなくてはなりません。  パウロはこの同じ文脈の中でそれ

ぞれ異なった三つのグループに対して『彼らを黙らせなさい』と同じ諫言をしていま

す。  1426節においては異言を語る者が黙さなければならない特定の状況を述べて

いますし、1430節では預言者が黙さなければならない特定の文脈を語っています。

  これら二つのケースに対してパウロが使った言葉は彼が34節で女性に対して使った

ものと同じ言葉です。  すなわち、同じ『黙していなさい』という表現です。

  しかしここでパウロが言っていることとは、預言をする者たちや異言を語る者たち

に対して、総ての教会において彼らの活動を「止めてしまえ」とか、総ての教会から

「消えてしまえ」と言っているのでしょうか。  勿論そうではありません。

  これは1世紀なかばに存在したコリント教会内の或る特定の状況に対処するために

宛てられたメッセージです。  パウロは、預言者たちや異言を語る者たちが他の総て

の教会で彼等の活動を継続しているように、コリントの教会の集会でも霊の賜物を使

うことを勿論のことと考えています。  そしてこれが現実ですから、パウロがこれら

三つの同様内容の訓戒の一つだけを採りあげて、それを総ての時間の中にあり総ての

場所にある総ての教会に適用しようとするのは、彼の言葉の誤った使い方ということ

になります。

  要するに、パウロはコリントにおける対立に関係のある幾つかの一般的原則を持ち

出しています。  クリスチャンのどのような状況にも対処できる基本的原則です。

  しかしパウロは、この一般的原則、基本的原則に或る特定の諫言を加え、すなわち

『黙しなさい』という、コリントの特殊な状況に対してのみ適用される勧告を適用し

たのです。

 

  c,『律法も言うように』    三番目の質問は34節にある『律法も言うように』で

                              パウロは何を言いたいのだろうかということです。

  女性たちが集会でなぜ黙さなければならないのかという主たる根拠をパウロは律法

に求めています。  しかも更に彼は何を根拠としているのでしょうか?  律法のどこ

にそのようなことが言われているのでしょうか?  私の考えでは、パウロが律法と

言う時、彼はモーセの律法を考えていたのだと信じています。  すなわち、トーラー

と呼ばれている旧約聖書の最初の五つの書巻です。  第1コリント9章8節や20節で

パウロが使っている律法という意味がよく分かります。  (その他にもロマ2章12

27節、3章19節~21節、ガラテヤ3章19節~23節などでも分かります。)

  しかしトーラーの中には集会で女性が語ることを禁止している律法はありません。

そうなりますとパウロが律法と言う時、それは旧約聖書を指すのでしょう。

  それが恐らく第1コリント1421節で、イザヤ書28章を引用しながら、パウロが

使った律法の意味でしょう。  しかしこのイザヤ書28章でも女性が集会で喋ることと

禁止させる旧約聖書の禁止命令というもを見つけることはできません。

  そうなりますとパウロは、トーラーから引き出された何かラビ風の規則のようなも

のを指していたのでしょう。  もしそうだとしますと、パウロは、彼の書簡の読者、

すなわち第1世紀のクリスチャンたちには周知の、彼等には良く分かっていた何かを

指していたのだろうと推測することができます。  しかし残念なことですが、ここで

パウロが何を意味し、何を指していたのかを知ることは、こん日の私たちには不可能

なことなのです。

  要するに、ここで大切なこととは、パウロが女性たちに対して黙するように命じた

ことの根拠となっていたのは「律法」であったということです。  また更に彼の論旨

がこの点で現在の私たちにははっきりしていないということを認識することも大切な

ことなのです。  それですから、今となっては理解するのが困難となっている一つの

聖書箇所を根拠にして、教会における女性の役割に関する教義全体を築き上げるよう

なことは注意しなければならない…ということです。  パウロが女性のことについて

どのように考えていたのかを理解するために私たちは他の聖書箇所をできるだけ多く

読まなければなりません。

 

  d.  矛盾?    四番目の問題点についてですが、それは第1コリント1434節~

                  35節に関する解釈の問題を、同11章2節から16節と対比する時に

生じる明白な矛盾との関係で、どのように理解したら良いのかという点です。

  パウロは一方で女性たちが集会で喋るのを禁止しておきながら、もう片方では女性

が集会で祈ったり預言をすることを勿論のこととしているのです(11章5節)。

  そして女性が集会で祈ったり預言をする時には、どのような服装をしたらよいのか

を論じています。  これら互いに矛盾するように思える二つの文章が同じ書簡の中に

書かれているというだけではなく、コリントの教会の礼拝のために集まっている席で

の問題を扱うという、そのような同じ文脈(11章~14章)の中で書かれているという

ことです。  パウロは11章と14章との間で彼の考えを変えたのでしょうか?

 

  伝統的立場を採って釈義する人々の考えは次のようなものです。  すなわち、この

問題を解決するために、この立場を採る人は、14章でパウロが女性が集会で喋るのを

禁止しているのだから、11章でパウロが語っている集会というのは何か個人的集会、

たとえば個人的なデボーショナル集会や、それとも全員が女性だけの集会のことを

指すのに違いない…と解釈しようとするものです。

  しかし、この伝統的解釈論を採る人たちは11章2節から16節までの文脈を無視して

います。  1117節からパウロはコリントの教会の主の食卓の営まれ方について論じ

始めます。  そしてそこから12章1節へと移り、いろいろな霊の賜物に関して論戦を

張っています。  そこに紹介されている画面は明らかに礼拝のための教会の集会の姿

です。

  11章2節からお読み頂けば分かることですが、2節で『あなたがたを褒めたいと思

います』で始まり、17節では『私はあなたがたを褒めません』とあります。  各部分

の終わりと初め、すなわち主の食卓の部分の初めがどのように結びつけられているか

に注目してみて下さい。  更にその他に考えなければならないことは、個人的集会、

家庭的デボーショナル集会だとするなら、どうしてパウロはそこに集まる人々の服装

のあり方にまで言及するような愚かなことを言ったのでしょうか。  その当時、公的

な場所での服装は神学的に重要な意味を持っていたのです。

 

  また他の人々は特別な訴えをすることで問題を回避しようと試みます。  すなわち

女性たちは無言で祈っていたのであり、預言するということは第1世紀にだけ顕示さ

れた聖霊の特別な働きであり、こん日では起らないことなのだ…とするのです。

  預言が現在では廃れたのかどうかは別としても、コリント教会の女性たちは沈黙の

内に預言したのだ…と主張なさる方が皆さんの周囲にいらっしゃいますか?

  預言とは、その定義上、それはスピーチ、声を出して話すこと、喋ることです。

エゼキエルですら芸当、演技、パフォーマンス・アート(エゼキエル書4章)をやっ

たのです。  そしてやがて6章に到って彼は自分の行った演技の解説、メッセージの

説明をしなければならなかったのです。

 

  このような訳ですから、これらの解決方法、釈義方法というものは、第1コリント

11章5節の平易で明瞭なメッセージを歪めるものです。  それよりむしろ女性たちが

集会で祈ったり預言していたことをパウロは一般的に勿論のこととして捉えていたと

推測する方がもっと自然な解釈方法だと思います。  したがって14章において彼が

女性に沈黙を守るように特別な忠告をしたということは、その当時のコリントの教会

内でも騒然とした礼拝の、そのような特定の状況に対して諫言したことの一部として

捉えた方が遥かに自然だと思います。  別な言い方をしてみますと、1434節~35

にある特定の諫言というものは、11章5節に書かれている一般的な慣習から見ますと

例外的なものであった…ということになります。

 

  第1コリント8章から10章にかけてパウロが語っていることは、偶像に捧げられた

肉に関する検討です。  ここでもパウロは、女性が集会で喋る時に生じた問題の時と

同じように、一般的な慣習から特定の諫言へと筆を移しています。

  最初パウロは、偶像には「本当の存在」がないと8章4節で言っています。  更に

彼は8節で「食物が私たちを神に推薦するものではない、神に近ずけるのではない」

のだから、偶像に捧げられた肉を「食べてもよし、食べなくてもよし」と語っていま

す。  ところが、8章9節~13節や1023節~30節になりますと、ある特定の状況の

もとでは、偶像に捧げられた肉を食べることに反対する諫言をしています。

  これと同じように、パウロは、女性が教会の集会への積極的参加者であったことを

勿論のこととして考えていましたが、コリントの教会において特殊な事情が生じたの

で、女性に対して沈黙を守るように諫言したのです。  第1世紀もなかばになった時

にコリントの教会の礼拝の中で無秩序な状態が生じたのです。  11章における女性

たちと14章の女性たちとの違いは後者が礼拝を妨げていたということです。

  第1コリント1426節~40節の文脈において、「女性たちは黙しなさい」という

命令は、コリントの町の或る一部の女性たち、または総ての女性たちが、礼拝の席で

礼拝を妨げていたのか、または預言をしたり異言を語ることに関しての混乱の主たる

扇動者ではなかったのか…を暗示しているようです。

  この解釈は次の二つの点で優れていると思われます。  すなわち(a)1434節~

35節の文脈における意味がはっきりします。  そして更に(b)11章2節から16節の

聖句をねじ曲げてまで「個人的礼拝」などと主張する仮説を押し通すよりも、パウロ

は女性が集会の席で祈ったり預言をしていたものと理解していたことをはっきりさせ

るからです。

 

II.   異議

 

  ここまでで私が述べましたことに対し、或る人は次のような異議を唱えられるかも

知れません。  すなわち、私たちはパウロの書いたものの中から私たちの気にいる

ものだけを選び出し、気に食わぬ箇所をずっと昔の特殊な状況下においてのみ適用

されたのものだと主張して捨て去ろうとしている…とおっしゃるかも知れません。

  総ての時間と総ての場所にあるクリスチャンたちの営みに適用される事項と、或る

特定の時間と特定の場所にだけ適用される事項とに分別するということには妥当性が

あるのでしょうか。

  私が思うことですが、パウロが或る特定の書簡を書く時には、そこには或る特定の

目的があるということです。  もしそうだとするならば、私たちはそのような区別

なり特徴を認識する必要があります。  事実、コリント教会で起っていた或る特定の

倫理的問題、神学的問題に対処する目的でコリント書は書かれたのです。

  コリント教会のいろいろな諸問題は、たとえば1章の諸分派の問題などは、クロエ

家の人々によってパウロに伝えられていました(1章11節)。  その他に独身問題、

偶像に捧げられた肉のこと、いろいろな霊の賜物の乱用についても、コリントの人々

が起こした問題であり、これらは書簡でパウロに伝えられたのです(7章1節、8章

1節、12章1節)。

  コリント書簡全体を通して、その時点でのコリント教会を騒がしていた生きた特定

のいくつかの問題に対してパウロは取り組んでいたのです。  第1世紀の総ての教会

が近親相姦、分派・分裂、主の食卓の乱用、礼拝で騒然とした集会などを共有して

いたのではありません。

 

  しかし、このような問題を抱え込んでいた他の教会に対してパウロは同様の諫言を

していたかも知れない…と想像することは不可能なのでしょうか?  「必ずしも」と

いうのが私の答です。  ロマ書14章1節~4節および第1コリント8章から10章に書

かれている食べることに関連するパウロの二つの禁止命令は確かにお互いに似ていま

す。  しかし第1コリント11章2節~16節に書かれている礼拝のための妥当な服装に

関してはいかがなものでしょう?  この箇所でパウロは種々の文化的慣習の衝突と

いう極めて微妙な細い線の上を歩いていたと言っても過言ではありませんでした。

  コリント教会のユダヤ人クリスチャンたちは恐らく男性たちが礼拝の席で彼らの頭

を祈祷用ショールで覆うことを妥当なものと考えていました。  その一方、ローマ人

クリスチャンたちは男女共々にもちろん祈る時にトーガ(訳者注:古代ローマ市民が

用いていた、体をゆるやかに巻いて着用していた外衣のこと。  映画ベンハーなどで

ローマの市民が着用していた衣服)の縁縫い部分を引き上げて頭を覆うことを妥当だ

と考えていたのです。  当時の人々はラテン語で「capite velato 被りものを被っ

て」礼拝するとそのように呼んでいたほどです。  しかしギリシャ人のクリスチャン

たちはと言いますと、彼らは礼拝に関する服装のことでとやかく言いませんでした。

  パウロはここでギリシャ人のクリスチャンたちとローマ人のクリスチャンたちとの

慣習の違いを区分しているように思えます。  そして彼は聖書からの正当化と「自然

からの正当化」を提案しているように思います。  「自然への訴え」とは実際は習慣

への訴えです。  それは16節における彼の訴えで分かります。  スパルタ人戦士たち

は彼らの長い頭髪を誇りにしていたのです。  それは彼らの社会的地位を象徴する

ものであり、青少年には許されなかったものでした。  しかしその一方、スパルタの

女性たちは結婚時に頭髪を短く断髪したのです。  短く断髪したスパルタの女性は、

それですから、結婚している女性を意味していたのです。  それは第1コリント11

6節にあるような「女として恥ずかしいこと」ではなかったのです。  *(3)

 

  そういう訳ですから、コリントにおける諸文化の衝突、いろいろな文化の不一致と

いうものへのパウロの実際的忠告というものは、必ずしもローマやエルサレムに適用

されるものではないのです。  事実、それをダラスやナッシュヴィルに当てはめるの

は無理というものです。  ナッシュヴィルでの礼拝に相応しい、適切な服装であって

も、それがロサンゼルスやカイロや東京での礼拝に相応しいものであるかどうかは

別の問題です。  コリント教会における頭の被りものに関する忠告が他の総ての場所

にいる総てのクリスチャンたちに対する一般的原則として強いられるべきものではな

いとパウロは敢えて語っています(第1コリント1116節)。  *(4)

  この権威の否認ということを念頭におく時、過去において多くのクリスチャンたち

が、女性が礼拝の席において頭に被りものを着用すべきか、あるいはそうでないのか

で論争したり、どのような被りものが礼拝に適切なものなのか、そうでないのか、

また、「礼拝」とは一体全体どのようなものから成立しているのか…などで論争して

来たことを振り返って眺めてみますと、もうそれは滑稽である、ユーモラスである…

とさえ言えるのです。

 

III.  適用

 

  それでは、もしパウロの一つひとつの規定は自動的に総ての時間と総ての場所での

総ての状況に適用されるものでないのであれば、私たち自身の諸状況に対してパウロ

の諫言をどのようにし適用することができるのでしょうか?  それに対して私は二つ

の提案を用意しています。

  まず最初の提案はパウロの諫言の背後にある一般的諸原則を強調することです。

それは、たとえば、「聖徒の総ての教会においてそうであるように、神は混乱の神で

はなく、平和の神である」(1433節)という直接の文脈の中で、「総てのことを

相応しく適切に、秩序をもって行いなさい」(1440節)とこのように読むのです。

  そして、異言を語ることと預言をすることに関して論じている一般的文脈の中で

最も強調されている原則とは、「総てのことを、徳を高揚するために行いなさい」

1426節、および14章3節、4節、5節、17節を参照)です。  パウロはこれらの

一般的原則を念頭におきながらコリント教会における礼拝で生じた特殊な諸問題に

対処したのです。  これらの諸原則は第1世紀のコリント教会を超えて適用すること

ができるものです。

 

  次の提案とは、パウロの具体的な忠告が適用され得るような類似状況を捜し出すこ

とです。  第1コリント14章に関してはと言いますと、それに類似するような状態と

は、教会の集会が乱されているような状況のこととなるでしょうし、とりわけそこで

他人の注目を引くために対立や競争心が煽られているような状況のこととなりましょ

う。  キリストの諸教会の静かで落ち着いた正常な礼拝の席でそのような状態が起る

ことを想像するのは(決して不可能なことではありませんが)一般的に言って困難で

  す。  しかし、各クリスチャン個人の上に聖霊が個人的に注がれると強調する

カリスマ的教会においては、そのような状態が起り得る…と想像できない訳ではあり

ません。  また実際、聖霊を必要以上に強調し過ぎるというのが第1コリント12章~

14章でのパウロを悩ました問題だったのです。

 

IV.   結び

 

  要約してみますと、第1コリント1434節~35節はクリスチャンの諸集会における

女性の参加に関する新約聖書の命令の中で最も厳しいものです。

他のどの箇所を見ても礼拝の席で女性に完全な沈黙を命じている箇所はありません。

  この厳しい命令は、第1世紀のコリント教会の混乱した礼拝という特殊な問題に

関するパウロの忠告の一部をなすものであって、総ての時間と総ての場所における

総てのクリスチャンに対してなされた一般的命令ではありません。

  更に、この命令は、女性たちが積極的に礼拝に参加することを勿論のこととしてい

たパウロの理解を遥かに超えるものであったのです。  それは11章2節から16節で

明らかです。  特殊な状況のもとでそれに対処するために出されたパウロのこの特別

な命令をもって総ての教会に当てはめようとすることは、パウロ自身を矛盾させる

ことになるだけではなく、聖書が語っていないことを私たちが語るということになる

のです。

 

  脚注

 

*(1)    三つのギリシャ語写本があります。

            写本D(6世紀)、写本FとG(9世紀)、その他に二、三のラテン語

写本、更に写本a(8世紀)、b(9世紀)がこの説を支持します。  ギリシャ語

写本Dはもともと1413節~22節を欠いていました。  これらの節はその後で写本・

写筆に従事した写字生たちによって補われました。  そしてラテン語写本aでは36

39節が欠けています。  これらの脱落を除いて、幾人かの写字生たちにとっては、

話題を変更することには問題があると感じ、霊のいろいろな賜物の討論の明白な結論

をまって、34節と35節を章の最後部に移した可能性があります。

 

*(1b    著者から追加送信されて来た脚注:  脚注(1)で重要なことはすでに

            述べてありますが翻訳者からの提言で写本に関して補足を加えます。

新約聖書はギリシャ語で書かれたものです。  それですから古代ギリシャ語写本の方

がそれより後に出来たラテン語写本より更に重要な写本ということになります。

  また、現在私たちが持っている最善の写本、最も信頼出来る写本というのは4世紀

と5世紀に写字されたのです。  2世紀と3世紀に書かれた大切な断片的写本もあり

ます。  そのような訳で6世紀またはそれ以降に書かれた写本類はその信頼性や権威

において、それ以前に書かれた写本類と比較して、全体的に劣るものと考えられてい

ます。

  最も信頼され権威のある写本はアンシアル書体で書かれた写本です。  (訳者注:

アンシアル書体は3世紀ごろから9世紀ごろまで主としてギリシャ語およびラテン語

の筆写・写字に用いられた、普通の大文字よりも丸味のある大文字を用いた書体)

  アンシアル写本は総て大文字で写筆・写字されており、言葉・単語と言葉・単語の

間に区切りがなく、句読点も殆どないか或は全くありません。  アンシアル写本類は

専門の写字生によって写本されています。  アンシアル写本は聖書学者たちによって

大文字写本と呼ばれています。  これらの中でも一番良いものは下記のとおりです。

      アレキサンドリア写本。  5世紀    現在は大英博物館所蔵

      ヴァチカン写本。        4世紀    現在ヴァチカン図書館所蔵

Aleph   シナイ写本。            4世紀    現在大英博物館所蔵

 

  すでに脚注(1)で紹介したものとしては

      クラロモンタヌス写本    6世紀    パリ国立図書館所蔵

                              9世紀    ケンブリッジ  トリニティ大学

                              9世紀    ドイツ・ドレスデン  ザクセン図書館

a,b,c など小文字で示すラテン語写本も他に幾つかあります。

 

  中世期のラテン語写本にはギリシャ語本文にラテン語訳を付けたものが出てきまし

た。  このような二ヶ国語写本の中で一番新しいものは6世紀のD写本です。

  D写本はパウロ書簡の写本だけで、ギリシャ語本文に向かい合うように反対側の頁

にはラテン語訳がついています。  このことから分かることは、ローマ帝国西部で

ラテン語を話していたクリスチャンたちがそのような写本を使い始めたということで

す。  初期の、そして最も信頼できる写本類は私たちが現在使っている聖書本文の

並べ方と順番が全く同じです。  この二ヶ国語は34節~35節に取り組んだ写字生たち

の努力の現れと思えます。  彼らにしてみればどうも納まり具合が良くないと思った

のかも知れません。  私がこの論文(米国では未発表のもので、翻訳者の強い要請に

応えて日本で最初に発表することになった文)において言いたいことは、34節と35

にまたがる問題の句は、私たちが現在使っている聖書に書かれてある順番どおりに置

けば良いとする私の主張にピッタリ合致するということであり、それはまた、恐らく

パウロが書いた順番に添うものであろう…ということです。

  ここに追加脚注(1b)として加えたものは、この論文に必要な脚注を遥かに越える

ものですが、日本の伝道者の皆さんの理解を深めるお役に立てば…と願ってのもので

す。  ネストレ・アーラント版ギリシャ語新約聖書をお持ちであれば、本の裏に昔の

写本類のリストが他の必要な諸情報と共に掲載されていますので、参考にされては

いかがでしょうか。

 

*(2)    私たちが現在使っている聖書の章や節の割り振りは、後にカンタベリー

            の大主教になったステファン・ラングトンが13世紀にパリ大学で確立し

たものです。  彼はラテン語ウルガタ訳(訳者注:4世紀末の古代西方教会の優れた

聖書学者で、彼がラテン語に翻訳編集したウルガタ訳、またはブルガタ訳はローマ・

カトリック教会公認聖書)に章と節をつけました。  それがその後の聖書翻訳や編集

の基準となったのです。  セント・ルイスにあるディサイプルズ系の出版社が出した

ローエル・K・ハンディ著になる「The Educated Person's Thumbnail Introduction

to the Bible) 41頁~43頁を参照して下さい。  この著者は私の個人的な友人で、

シカゴにあるローマ・カトリック系ロヨラ大学で教鞭を執っています。  彼自身は

ディサイプルズ教会員です。

 

*(3)    パウロの時代になりますとスパルタ文化は衰退していましたが、それで

            もスパルタの娘たちが結婚初夜に頭髪を短く切る習慣と比較してみるこ

とは私たちの教育上ためになることです。  断髪後その女性は二度と再び頭髪を長く

伸ばすことはなかったのです。(訳者注:西暦46?-120?に生きたギリシャの哲学者・

歴史家で伝記作家の)プルタルコスまたはプルタークの著作品の一つ「ルクルゴス」

15章3節にそのような記述があります。  クラシカル・クォータリー誌「スパルタの

妻たち」の著者であるP.カートレッジは新シリーズ311981年)の101 で、この

慣習は当時の男子の慣習とは全く反対のものであったと述べています。  すなわち、

スパルタの男の子らは短髪であったが、成人した戦士たちは彼等の長髪を誇った…と

あります。  この雑誌「クラシカル・クォタリー誌」は東京のどこか大きな図書館に

あるのではないでしょうか。

 

 

*(4)    今となっては推察不可能な理由のため、時としてパウロは、英語では

            次のように言ったかのように誤って翻訳されています。  すなわち RSV

によりますと「・・・我々はその他の習慣もないし、また・・・もない」となってい

て、これはむしろ反対のことを意味することになります。  しかしギリシャ語原文は

はっきりと「我々にそのような習慣はない」と読めます。

 

訳者注:  RSV=Revised Standard Version,        NEB=New English Bible

          NIV=New International Version,       KJV=King James Version

          NAS=New American Standard Version,   NKJ=New King James Version