《ルカ伝10章・サマリヤ人とその隣人》

 

  殆ど半世紀も前に二つ目の留学先としてバイオラ大学を選びました。

(これは、Bible Institue Of Los Angeles の5語の頭文字で合成した名前です。)

そこでホワイティング博士という先生からルカ伝10章の説明を聴き感動しました。

 

  律法学者たちとサマリヤ人の物語では、聖書知識だけいくら知っていても、奉仕と

いう面を欠いているのであれば絵に描いた餅だ…というように教えられました。

  続いて登場するベタニヤ村でのイェスを巡る二人の姉妹の会話から、いくら奉仕に

専念したとしても、神の言葉に聞き入ることを忘れてしまえば空しいものだ…という

ような具合だったと覚えています。

  そのようなわけですから、サマリヤ人の譬とベタニヤ村での会話は、硬貨の両面と

して捉える必要がある…と、そのように博士は若い私たち学生に説かれました。

私たち学生は感心してホワイティング教授の釈義に聴きいったと記憶しています。

 

  ところで、それから50年近くもたった最近になってみますと、ホワイティング教授

の大学の授業よりは、少しばかりですが、より深く「善きサマリヤ人の譬」を眺めて

みることができるようになったかと、そのように思うのです。

 

  ルカ伝10章の「善きサマリヤ人の譬」には3つの人種が登場しています。

つまり、ユダヤ教の指導者たち、ナザレ人のイェス、そしてサマリヤ人の商人です。

 

  まずユダヤ人です。  旧約聖書の伝承によれば、族長アブラハムは現在のイラクの

ウルからトルコ半島の付け根方面にユーフラテス川に添って遡り、地中海添いに南下

してカナンの地に入り、約束の地として神からその地を得た‥とされています。

 

  それからのちの多くの大切な歴史を省いて、イスラエルは統一王国を形成しますが

アッシリヤやバビロンやカルデアなどの外国勢力の侵入・占領・略奪を経験し、民の

多くが奴隷・捕虜となって国外に連れ去られてしまいました。  国を捨てて逃げ去っ

た者もありました。

 

  許されて帰国することができた人たちもいました。  それらの人々はエルサレムを

含む南の方で国の再建を図ります。  いわゆるユダヤです。  ユダヤ教を中心とした

宗教国家として、強い民族意識で自分たちの半独立国家を何とか守ろうとしました。

  「善きサマリヤ人の譬」に登場する宗教指導者たちはこのグループの精神的指導者

でした。

 

  中央パレスチナ(ペリシテ)地方のサマリヤは紀元前 250年前後からアッシリアの

占領下に民族の多くが奴隷として連行され、占領軍関係者たち=異邦人たちとの混血

が進行し、植民地化し、次第にエルサレムを中心とするユダヤ系の旧同胞とは異なる

道をたどるようになりました。  NHK-TVでも放映されましたが、ゲリジム山頂に彼等

独自の旧約の教えを守る信仰形態も生まれて行きました。

  ローマ軍占領下のイェスさまの時代にはエルサレムとは全く異なり、ギリシャ文化

の影響も強くなっていました。  ユダヤ人の目から見ますと彼等は「堕落しきった」

半同胞で、半異教徒と見えたのでしょう。  軽蔑と蔑視の目で眺めていたのです。

 

  ガリラヤ地方はと言いますと、北のイスラエルであり、つかのまの独立を勝ち得た

マカバイ王朝時代にエルサレムとその神殿を中心とするユダヤ勢力によって再統一に

組み込まれたのち、ローマ・ヘレニズム化が進んでいて、経済的にも独立できていた

サマリヤ地方とは異なり、比較的に再ユダヤ化がじょうずに進んでいた地方でした。

 

  このように、族長アブラハムが神さまから頂いたという約束のカナンの地、または

パレスティナ(聖書ではピリシテ)が、部族連合から統一王国を経て後、いろいろな

外国勢力に何世紀にもわたって占領され、イェスさまの時代には、パレスチナ地方と

いうものには、さまざまな人種的対立、文化的対立、宗教的対立、経済的対立などが

混在していたようです。

 

  明治時代から太平洋戦争を経て敗戦と独立をした当時の沖縄の姿を、沖縄の人々が

眺める時と、本土に住む者たちが眺める時に、何かしら不自然で複雑なものを私個人

は感じるのです。  それとどこか似たものがイェスさまの時代の三者の間にもあった

のではないかと思います。  首都圏人、沖縄人、韓国・朝鮮・台湾人の関係をです…

 

  それですから、エリートを自称するユダヤ人、生粋のユダヤ人であると誇るユダヤ

人、しかもその頂点に立つエリート中のエリートの宗教的指導者としてのパリサイ人

たちと、蔑視と軽蔑と差別と、そして歪んだ羨望の視線を受けるサマリヤの行商人、

そしてその中間に位置するガリラヤのナザレ人としてのイェスさま、よくこれほどに

考え抜かれた設定でルカは「善きサマリヤ人の譬」を語ったのだと思います。

 

  結局は、不安定な地位を強いられているガリラヤ人イェスさまが、「デカイつら」

をしている、いちばん偉そうなことをまことしやかに口先だけで説いている職業的な

位階階級制度にあぐらをかいている宗教指導者たちに対して、彼等が最も忌み嫌って

軽蔑仕切っているサマリヤ人、しかも商人を引き合いに出して、儀式宗教にうつつを

ぬかす彼等の一番弱い点を逆襲したのだと思うのです。

 

  イェスさまは相当に辛辣なことをやんわりとおっしゃりながら、わかり易い譬話を

用いながら、しかも、実に厳しい皮肉と強い抗議を当時の最高宗教的指導者層に対し

て堂々とおっしゃったのだと思います。

 

  そして、イェスさまの皮肉と抗議と断罪は、こん日の「ハレルヤ・アーメン教」の

牧師や、教会指導者や、教団本部に巣食う職業的宗教人たちに対して、また、日曜朝

だけの「教会ゴッコ」を形式的に何とかこなしている私たちに向かっても、今もなお

語られておられるのだと思います。

 

  そのことをイェスさまは「善きサマリヤ人の譬」でおっしゃりたかったのではない

のかと思います。  最近ある方とお話をする折がありました。  教会に「牧師派」と

いうものが形成されてしまって、そのことでいろいろと弊害が生じて困っている…と

のことでした。  結局は、その牧師にとっての「隣人」というものは、牧師に都合の

良い、牧師の仲間に入った信者さんたちだけ…という意味なのです。  それ以外の者

は「隣人」ではあり得ないというのです。  「霊性を欠く信仰の弱い者」として牧師

に区別され、差別され、蔑視されているのです。  一つのエクレシア内でです。

 

  これはちょうど、あのユダヤ人たちの最高宗教指導者であったパリサイ人の態度と

全く同じなのです。  『自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄に

なろうか。  罪人でさえ自分を愛してくれる者を愛している。  自分に良くして呉れ

る者に良くしたとて、どれほどの手柄になろうか。  罪人でさえ、それくらいの事は

している』とイェスさまが語られたと、ルカ伝6章32節~33節は言うのです。

 

  宗教的に最頂点に君臨していたパリサイ人たちにとっての「隣人」とは、ユダヤ人

の仲間や内輪の者だけでした。  「エルサレムからエリコに下がって行く途中で強盗

に襲われた或る人」は、おそらくは同じエルサレムに住む同じユダヤ人であったので

しょうけれども、パリサイ人たち宗教的指導者たちにとっては「隣人」ではなかった

のです。  仲間でも身内でもなく、同じ信仰レヴェルの人たちでもなく、同じ社会的

階級に属する人でもなかったのです。

 

  強盗に襲われた気の毒な男は、パリサイ学閥のお偉さまがたにとっては、「隣人」

でも「お仲間」でもなかったのです。  それですから強盗に襲われた人は「お仲間」

扱い、「隣人」扱いを受け得られなかったのです。  従ってパリサイ学派の偉い先生

たちには、重傷者の隣人に「ならなかった」「なる必要などなかった」のです。

  内輪の者でない以上、仲間でない以上、手を貸す必要は毛頭もなかったのです。

偉い先生さまがたには、そのような彼等だけに通じる価値基準があったのです。

  宗教的指導者たち、私たちの牧師たち、教団本部の偉い先生さまがたには、身内の

者以外の人々に対して、無意識でしょうが、彼等だけに通じる価値基準なり差別意識

というものがあったのです。

  口先では立派なことを語っても、実際生活においては、自分と関係のない人々には

自分の語っていることを不言実行する必要など全くなかったのです。

 

  ところが、差別され、蔑視され、軽蔑され、嘲りの中でしか生きるすべのなかった

サマリヤ人、しかも商人が、「エルサレムから下って来る道中に強盗に襲われた男」

の「隣人」と「なった」のです。  このことを、社会的・宗教的・経済的に不安定な

ガリラヤ出身のイェスさまが、「おいらはユダヤ人の中のユダヤ人だぞ」と自負し、

自慢し、ふんぞりかえっていたユダヤ教の最高指導者たちに語られたのです。

 

  彼等は、ルカ伝1025節~29節で、とぼけた顔をして、ガリラヤ地方出身のイェス

さまへの差別と蔑視の感情をひたすらに隠して、自分たちユダヤ人が最も大切にして

いる律法を持ち出して、『先生さま、永遠の命を受けるために、私たちは何をしたら

よいのでしょうか』と、ふざけた質問をしたのです。  明らかにガリラヤ人としての

イェスさまに対する蔑視意識と優越意識に基づいた挑戦と揶揄だと思います。

 

  それに対して、イェスさまは、彼等の人種的偏見と神学的知識の誇りや聖職者絶対

主義や特権意識を逆手にとり、「隣人」とは何か、「お仲間」とは何を意味している

のか、そしてまた隣人と「なる」、仲間に「入れる・入れてもらえるということ」は

それがどういうことを意味するのかと、反対に宗教界の最高指導者たちを皮肉って、

また、からかって、問われたのでしょう。  そしてそれは同時に、イェスさまからの

激しい抗議を意味しているようだと、そのように最近の私は考えるようになってきた

のです。

 

  1960年代後半から1970年後半まで私は韓国のスラムや疲弊し切っていた農村で多く

を学びました。  私のささやかな執り成しで西ドイツ教会から巨額の資金援助が韓国

最大の教団を通して流れ込み始め、毎日2千人の未就学児童が20年間にわたって保育

教育と給食を得ることができました。  少なくとも1千数百万食が飢えた幼児たちの

胃袋に納まりました。  彼等の多くは現在の韓国社会で活動している人々です。

 

  その時、最大教団のトップ・レヴェルの指導者たちが、西ドイツから責任者が来韓

するたびに、あたかも来客とは何拾年も知り合っている「仲間・隣人」のような顔を

して空港や一流ホテルの食堂に現れたのを覚えています。

  しかし、それらのお偉方先生さま、クン・ソンセンニムたちは、スラムにも農村に

も一度も顔を出したことはないのです。

 

  韓国最大の宗教教団の「超・お偉い人たち」にとって「隣人・仲間」とはどういう

人たちなのか、そして彼等にとってスラムの名もない人々は誰なのか、お偉い先生方

たちがスラムの人たちの「知り合い」にも「知人」にもなっていないことを、まして

や「仲間」でも「隣人」でもあり得ないということを、お仲間に「ならない・なれる

わけがない」ということを、スラムや農村の底辺住民たちと、西ドイツの責任者と、

そして韓国最大宗教集団の最高幹部たちを、数年間観察していて学んだのです。

 

  このようにして私は、スラムの中にいる時に、「善きサマリヤ人の譬」の意味を、

読み方を、米国の神学校で学んだ視点からではなくて、改めて学んだのです。

 

  先日、能登半島の付け根に住む宣教師の古い友人を初めて訪ねてみました。

飛騨の山道を抜けました。  険しい山岳地帯の谷底の流れに添って走る狭い道路と、

その道端に添って、お互いに身を寄せるようにして建っている家屋が点在する部落を

通過しました。  イェスさまの福音のしるしらしいものを見いだすことはできません

でした。  何とも表現できない複雑な感情に襲われました。

 

  「おいらはイェスさまに出会って救われてんだぞ!  だから天国に行けるんだ!

「あの人たちのことなんか、本当は何とも思ってなんかいない」というのがおおかた

の都会の「一週間に一回の日曜朝だけの教会ゴッコ」を遊ぶ善男善女の理解であろう

かなあ…などと思いながら通過しました。  寂しい気持ちになりました。

 

  「アーメン・ソーメン・ゴッコ」の宗教的行事をこなす牧師先生さまたちにとって

飛騨の山中の人々、八ヶ嶽南麓の数世紀にも亙って仏教圏内に住む人々のことなど、

実は「どうでもいいこと」なのでしょうか?

 

  「同胞」でも「隣人」でも「仲間」でもよいのですが、日曜朝に都会の教会に通う

善男善女や、イラク侵略大万歳を唱えて、『神よ、この国を祝し給え』と祈る米国の

多くの教会に集まる善意の固まりのような人々にとって、「仲間に手を貸す」とか、

「私の隣人とは誰か」とか、アフガニスタンやイラクで殺戮された罪なき多くの老人

や女性や子供などというものは、日米韓の無邪気な「善男善女」にとって、どのよう

な意味があるのだろうか…などと考えながら飛騨山中の隘路を通過したのです。

 

  「隣人」に「なる」という行為は、都会の既存の教会と牧師や信者さんにとって、

これは全くルカ伝10章の「善きサマリヤ人の譬」の中でだけ語られる言葉なのでしょ

うか?  たまに讚美歌 214番や聖歌 529番や 534番を儀礼的に歌い、たまに宣教師や

一生懸命に働いている伝道者に千円札を「特別献金」などと称して捧げれば、それで

「善き隣人になった・なれた」などとでも自分に言い聞かせているのでしょうか?

 

  在日韓国・朝鮮の人々と彼等と日本人との間に横たわる長い歴史の未解決の軋轢も

ありますが、私たち「教会ゴッコ」集団の殆どは無関心・無知の状況の中にいます。

  拉致だ、ジェンキンズだと騒ぐだけで、日本国家とその国民が犯した犯罪と、その

ことへの国家として、国民として謝罪も歴史的検証や整理が全くなされていないこと

に対しては全く無知、無関心、無感動で、世俗に流されたままでいます。

  日本帝国主義侵略から朝鮮半島が解放されて60年になります。南の韓国と国交正常

化が調印されて40年ほどになると思いますが、本質的なことは未解決です。

 

  私ども夫婦の長男は、精神科の医師を訪ねる必要のある仲間たちと共に生きる道を

模索していますが、自らの意志や選択で自らの脳細胞の働きの一部を傷つけたわけで

もないのに独りで苦しまなければならない状態に置かれ、そのことで社会から更なる

蔑視と差別を受け続ける状態にいることを生涯に亙って強いられているのです。

  彼等とその家族や関係者の悲痛な叫び声が、「教会ゴッコ」を満喫している集団、

「アーメン・ソーメン・ハレルヤ、主ょ」を絶叫する人々に殆ど届くことなど滅多に

ないのです。  そのような人が叫んでいることさえ知ろうともしないのです。

 

  その他にも、共に生きなければならないでいながら、忘れ去られた仲間たちが一杯

いるのです。  たとえば知的障害に悩む人もいます。  視力障害や聴力障害で苦しむ

人もいれば、ダウン症で差別されている人もいますし、ハンセン氏病で不当な差別を

強いられていた人々もいます。  そのために一緒に悩み苦しむ家族があります。

 

  マッカーサー占領軍総司令官が私たち日本人に、米国は民主主義の発展した素敵な

国だと教えていたにもかかわらず、人種差別というものを、留学中に黄色人種の一人

として、私自身もいやというほど味わったものでした。  教会の中においてさえ…

 

  しかし、そのように差別され、蔑視されている人々、顧みられない人々が、まわり

には一杯いるのだ、彼等が救いを求めて泣き叫んでいるのだということすら、イェス

さまの名を冠する教会と、そこに集まる人々は、全く気付いていないのです。

  そしてイェスさまの名前を掲げる宗教集団の善男善女らは、自分たちの仲間だけで

「ハレルヤ・アーメン」と、仲間だけで、内輪で、お祭りをやっているのです。

  それが当たり前になっていて、自分たちがイェスさまの抗議と怒りの対象になって

いるなどということに対しては、全く無知なのです。  悲喜劇混在状態です。

 

  イェスさまに『私の隣人とは誰のことですか?』とまことしやかに尋ねたパリサイ

学派の最高指導者たちのように、私たちも、私たちの隣人が誰のことだかわからない

状態のままでいるのです。  「牧師派」だの、「うちの教会の人」だの、「私の教派

の人」しか仲間はなく、その他の人々はこの地上に全く存在していないのです。

 

  キリストに従う者となる、キリストの弟子になる、キリストのものとなる、即ち、

クリスチャンである…ということは、実に大変なこと、ほんとうにむつかしいこと、

生半可ではできない、命がけの仕事だと、私はそのように思うのですが…

 

  聖歌 433番や讚美歌第2編 173番に紹介されている黒人霊歌、「弟子になりたい」

という詩に曲をつけて歌ったから、それでキリストの弟子になれるわけでもないし、

差別されている「仲間の隣人になる」ことができるわけでもありません。

自己弁護と自己弁解の適当な誤魔化しを唱えているだけの場合が殆どでしょう。

 

  先週ご一緒に学びましたように、旧約聖書のウザがずり落ちそうになった神の箱に

手をかけて崩落を防ごうとして、その「慣れ・馴れ馴れしさ」の故に、ただちに処分

されたという警告と同様に、口先だけで神さまを誉め称え、聖句を述べ、格調の高い

聖書解釈をしても、どれだけ可視的宗教的儀式をこなしても、実生活において他者を

差別したり軽蔑したり、不言実行の愛の行為を怠ったり、意識的にも無意識的にも、

教団だの教会の中に自分に都合のよい支持者を獲得したりするようなことがもしある

とすれば、それは厳しくイェスさまによって抗議されることになるというものです。

 

  同じように、どこかで、何とかして「ハレルヤ・アーメン教の教会ゴッコ」から、

「ハレルヤ・アーメン酒」から、私たち一人ひとりは脱出しなければなりません。

  そうでないと、ルカ伝10章の「善きサマリヤ人の譬」を語られたイェスさまの怒り

の声、抗議の声を、より深く理解することができないのではないかと案じます。

 

  毎日曜朝、主の食卓に与る時、私たちは主イェスさまの十字架の死と、再び来たり

給うことを覚えるだけではなく、私たち自身が私たちの死と復活を覚える必要があり

ます。  口先だけの「アーメン」や軽々な「ハレルヤ」連発は慎みたいものですね。

 

      『神さま、罪人である私にお慈悲をお与えください』  ルカ伝1813