王の祝宴 The Royal Banquet 

                                  C.J.ダル

 

  宗教的専門語とのお付き合いで私たちが常に悩まされる問題の一つは、どのように

すれば聖書的で、しかもその意味がすぐ誰にでも良く分かる言葉を選び出したら良い

のか…ということです。

  その中でも最も頻繁に出てくる例として「イースター」という用語があます。

理解できないか、あるいはキリスト教から見て異教的(または他教的)宗教専門語と

して捉えられています。しかし今回はそのことの功罪を討議しないでおきましょう。

  また*「Lord's Supper 」「主の食事」という宗教的用語を異教的・他教的な連想

から解放するといった願いからでもなく、今回はその用語の使用に際し、更にもっと

意味深いもの、もっと力強いものとしたいという見地からお話して見ましょう。

  *(訳者注:直訳では「主の饗宴」だが、一般的には「主の晩餐」「主の聖晩餐」

「主の聖餐」「パン裂き」「主の食卓」などと邦訳されている場合が多い。)

 

  ここに出てくる「主の」という句の意味は普通一般に用いられているような意味で

はありません。  すなわち「地主の」とか中世期のお城に住んでいた「お殿さまの」

という意味ではありません。  むしろそれは「キリストに属する」とか「神聖なる」

という専門的意味において使われているものです。  それと同じように、「食事」と

いう意味も、世俗的な意味でのことを指すのではありません。

  このように、世間一般に通常使われている句を私たちも用いていますが、その意味

するところは、世の中で使っている意味とは明らかに違います。

 

  「主の」というとき、それは所有代名詞のことではなく、むしろ形容詞です。

  形容詞を使って所有を表わすことは古代ギリシャ語においても近代英語においても

珍しいことではありません。  しかし、文学的作品でない書簡に、普通めったに使わ

れない形でこれが出てくるということは、例えば次の節である第1コリント1021

にみられるように、パウロ書簡でパウロが比較的しばしば使っている所有代名詞とし

ての「主の」が表わす所有よりも更に遥かに強力な所有を強調させたい、それを信じ

させたいという意図を感じさせられるのです。

 

  *パピルスは、更にそのような形容詞的な使い方での「主の」という用語を、その

当時のローマ帝国の慣習に何か関連するものがあるのではないかとのニュアンスで

指摘しています。

  *(訳者注:パピルスは葦の繊維から漉いた古文書や写本のことで英語のペーパー

の原語。  ここではコリント書簡が最初に書かれたものの写本のこと。)

  当時のコリントはローマ帝国内でも最重要地域の一つでした。  そしてパウロ時代

の統治者ガリオは、皇太子の最高政治顧問の弟であったシネカでした。  この哲学者

シネカは後に皇帝ネロの最高政治顧問にもなった人物です。  「帝国の」という単語

は何か時代後れで否定的な印象を与える用語ですが、「王の」という用語を使います

と、それは何か形容詞としての「主の」という用語が持っていた意味を取り戻させて

くれるばかりではなく、それは私たちの王であるイエス・キリストとの食事を思い出

させてくれるのに役立つようです。

 

  私の省略抜粋していない厚さ10センチほどのランドム・ハウス英語大辞典によりま

すと、「サパー」すなわち食事を二つに分けて説明しています。  1.で、サパーとは

夕食、イヴニング・ミールのことであり、しばしば一日の主要な食事…とあります。

2.で、軽い夜食、ライト・イヴニング・ミール、特に遅い夜の食事…とあります。

  私の経験からの憶測ですが、そして、それはもっと他にもより深い意味があるので

はないかとの疑念がだんだん強くなってくるのですが、いずれにしても2.の線だろう

と推測しています。

  すなわち、かつてサパーという単語は現在私たちが使っている意味以上に、更に

もっと強い印象を与える感動的な意味を含んでいたようです。  しかし現在では二つ

の面を失った単語だと私は思っています。  その最初の意味は、幸いなことですが、

現在私たちが使っている英語の単語の「ディナー」と「バンクエット」にその意味が

残っています。  それは或る特定の人物に名誉を与えるために招聘するという、食事

  を伴う祝宴のことです。  面白いことですが、「祝宴を張り名誉ある人を祝う…

to fete 」という英語の動詞はもともとフランス語の*「feast 」から来ています。

*(訳者注:宗教上の祝祭というより饗宴、祝宴、宴会、ご馳走…などの他に、多数

の人々が集まってふんだんに飲食を楽しむ…とか、目や耳を楽しませる…とか、宴を

張って一夜を過ごす…などがある。)

  更にもっと大切なことなのですが、英語の「サパー」には知的活動とか知的教訓の

意味が含まれていないということです。

 

  実際、私たちは主の食事、すなわち主の晩餐または主の食卓と説教とを相互関連の

ないものとして捉えがちです。  しかしこのような、二つを別個の独立した、相互に

無関係のものとする視点は、初代教会の人々には想像もつかなかったことでしょう。

なぜならば一世紀の人々は正式な食事の席で多くの情報交換を行っていたのです。

  シンポジウムという単語があります。  ある特定の主題について自由に意見を交換

する会のことです。  討論会とか座談会という意味で現在では使っています。

本来の意味は「シン」が「一緒」の意味で、「ポジス」が「飲む」という意味ですか

ら、一緒に飲むというギリシャやローマの酒宴や饗宴を意味していたものです。

  このシンポジウムという混成単語の本来の意味でもお分かり頂けると思いますが、

シンポジウムとは、酒宴に侍る職業的女性を伴いながら相当量を飲むという宴会なり

饗宴を意味していたものであったのです。  例えばプラトンの同名の対話をお考えに

なればより良くお分かり頂けると思いますが、相当量の飲食を伴うその饗宴の場は、

同時に話しあいの場でもあったのです。  人々は飲みながら話しあったのでした。

それが、いつの間にか、飲食の部分が抜けて、討論または会議の場として現在に到っ

てしまったのです。

 

  異教徒(または他教徒)の或る古文書によりますと、バンクエットの極端な一例と

して、多くの議題を論ずるために設けられた一種の社会的慣例として宴席を捉えてい

ます。  紀元前約二百年にアテナエウスという人物が書き残した古文書を読んでみま

すと、そのような宴席は数日間も続いたようです。  その会席において論じた話題は

哲学、文学、法律、医術や薬から料理にまでもおよび、まだその他にも多くの議題が

あったようです。  そこで使われた書籍は十五冊(標準的二ヶ国語翻訳文では七巻)

だったようで、千二百五十人の著者名が語られ、一千以上の演劇名が列挙され論じら

れ、一万以上の詩節が引用されていたのです。

  私たちが何気なく使っている「主の食事、 Lord's Supper  ローズ・サパー」は、

原語のギリシャ語では、嘗てこの意味で用いられていたものなのです。  使徒パウロ

が、それですから、パンを裂くために信徒たちを呼び集めたという時、まず最初に、

パウロは延々と数時間も説教を続け、そして話が終わってから、やっと実際にパンを

裂いた…となるのです。  こん日の私たちクリスチャンがこの背景説明を聞いて本来

の主の食事、主の晩餐、主の食卓、パン裂きを思う時、私たちは本当に肝をつぶすこ

とになるはずです。

  しかし、初代のクリスチャンたちにとって、これは至極当たり前のことだったので

す。  食事の前に教えを受けることは極めて自然なことであったのです。  パウロの

説教は*「コミュニオン Communion  聖餐」とは切り離せないものだったのです。

決して二つは別々のものではなく、全体を構成するのに絶対必要な、統一された二つ

の要素であったのです。

*(訳者注:もともとは共有、参与、霊的な交わり、親交の意味で、ここから主なる

イエス・キリストとの交わり、更に他のクリスチャンたちとの交わりのしるしとして

の聖晩餐という意味。)

 

  このような訳で、私はここで改めて次のことを強調しておきたいと思います。

ディナーとかバンクエット(祝宴、会席、宴席、饗宴、晩餐などと邦訳されている)

とは、本来、その席で演説が述べられ、更に或る特定の人物に名誉を帰し、その功績

を称えるために集まる目的のものであったのです。

  私個人としては*「バンクエット」という用語を使いたいと思っています。

それは、その単語が、その催し物の性格を適切に良く表わしていると思うからです。

私たちは、それですから、毎日ディナーを楽しむことが出来るはずです。  まいにち

毎日バンクエットにあずかることが出来ると思います。  特に王宮正晩餐をです。

  (日曜日の主の食卓以外にも、日々)主であり王でいらっしゃるイエス・キリスト

をお招きしての「王との晩餐」、主イエスと交わり、御言葉に聞き従うことができる

祝宴とは何と壮大で何と適切な祝宴ではありませんか。

*(訳者注:バンクエットはイタリヤ語やフランス語を背景とする、スピーチ付きの

祝宴のことで、長いテーブルと共に備えられた背もたれや肘掛けのない長椅子、即ち

ベンチが使用されていた。  バンクエットから英語の単語ベンチが派生した。)

 

                                ヨリコ

1998年5月12  野村基之訳・野村順子校正

 

 

C.J. Dull*

225 Tibet Road

Columbus, Ohio 43202-1439

 

 

訳者注:    CJ  Dull  ダルさんは現在オハイオ州コロンバスにお住いです。

          鹿児島県鹿屋市にお住居で私たちが敬愛する Mark G. Maxey マーク G.マクセイ

          宣教師の友人であり、同じ Minnesota Bible College ミネソタ・バイブル・カレッジ を

          卒業なさり、更に Milligan College ミリガン・カレッジ で学ばれました。

          最終的にUniversity of Wisconsin ウイスコンシン 州立大学から古代ギリシャ・

          ローマ史で博士号を取得なさっていらっしゃいます。

            夫人は Helen ヘレンさん、お二人の間に子供さんはありません。

          職業は米国連邦政府職員でコンピューター関係を担当されています。

          無楽器教会と有楽器教会の復帰運動フォーラムで活躍されていらっしゃる

          方で、両方の群の多くの出版物に幅広くお書きになっています。

          コロンバスの Upper Arlington Christian Church の長老のお一人です。

            19961027日号 The Christian Standard 誌掲載文を許可を得て翻訳