イエス・キリストの十字架

その規模と焦点

エルマー・プラウト

 

   「イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した・・・ピラトは群衆の機嫌をとろうと思いバラバを釈放した・・・そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した・・・彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物を着せた・・・それから、イエスを十字架につけるために連れ出した」(マルコ伝15章1,15,20節)。

 

    時としてイエス・キリストの十字架の衝撃は、その気取らない真相の故に、私の心を圧倒します。それは同時にこの世界を揺るがし、この宇宙を揺るがし、更に永遠をも

揺るがして充満するのです。私は、そのような時、次のような聖書の言葉を思い出すのです。

  「この世の初めから・・・ほふられた小羊・・・」(黙示録13章8節)

  (私たちが贖われたのは)「傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。・・・キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れて下さいました。」(第1ペテロ1章19-20節)

    「見よ、世の罪を取り除く神の小羊!」(ヨハネ伝1章29節)

 

   私はこれらの聖句をよく知っています。しかし、そうだからといって、私の心をこの全世界の隅々のことにまでめぐりおよぼすことはできません。まして、「世の罪」に含まれている罪意識の終わりのない蓄積が包含する深い意味を私が把握することなど、とうていできるわけがありません。「この世の初めから」と「天地創造の前から」という聖句となりますと、それは私が理解できる能力を遙かに越えるものであり、ましてこの私がとうてい飲み込めるような事柄ではないのです。

(訳者注:ここで日本語の聖歌にも讃美歌にも翻訳されていませんが、英語圏の讃美歌では有名な讃美歌の一つ I Stand Amazed in the presence of Jesus the Nazarene...が引用されています。その直訳的意味は次のようなものです。)『ナザレ人イエスさまのみ前に私は驚きのあまり言葉を失ったまま、惑いながら立っている。この汚い、よごれた、罪ある者とされた罪人のこの私さえをもイエスさまはどうして愛してくださるのだろうか!イエスさまの私への愛は何と素晴らしいものなのだろう!イエスさまの私への愛は何と不思議な何と驚嘆すべきものだろう!という讃美の言葉こそ私がとこしえに捧げる歌である。』

 

   永遠の、かつまた全宇宙にも及ぶイエス・キリストの十字架がもたらす規模と衝撃を自覚することは素晴らしいことです。また、それは必要なことです。十字架の上で一方的に神さまがお示しになった、神さまの聖なる贖いの愛の不思議さに心を奪われ、驚き、戸惑うことは、それはそれで私たちに必要なことだと思います。

 

   しかしながら、その宇宙的で永遠の十字架が、同時に、この地の上のいろいろな所に住むさまざまな私たち一人一人に焦点を合わせたものでもあることを理解する必要があります。 イエス・キリストの十字架は、ただ単に世界的なものであるばかりではなく、それは特定化されたもの、限定されたものでもあり、また、きわめて個人的なものでもあるのです。

マルコ伝14章と15章に書かれている十字架の記述は、キリストの十字架が局地的なものであると同時に、永遠のもの、宇宙的なものにまで及ぶことを理解させてくれます。

それはイエスの死に関係した人たちを観察することによって分かります。

 

      まず最初に、イエスさまが十字架の上で処刑されたとき、そこには祭司たち、国の長老たち、更に律法学者たちがいました(マルコ伝14:1,2,10,11,53-65;15:1-20を参照のこと)。これら宗教界の指導者たちがなすべきであったことは、国をあげてイエス・キリストを聖書的に評価するということでした。なぜなら、もともと彼らこそ聖書の学びの専門家たちであったからです。しかし、実際に彼らがおこなったことというのは、聖書的にイエスさまを評価するということではなく、政治的陰謀の結果としてイエスさまを死へと追いやったことでした。              

 

      祭司たちとその仲間はイエスさまを彼らの地位や権力を脅かす存在と理解したのです。ラマー・ウイリアムズの言葉を借りますと、「彼らはイエスを彼らの神学に対する挑戦者としてだけではなく、彼らの特権的地位を脅かす厄介者と受け止めた」のです。彼らがイエスさまを殺害しようと心に強く決めたのは、イエスさまの彼らへのその挑戦のゆえであったのです。   

    

   彼らのイエスさまへの恐怖観念は彼らをやけっぱち状態へと追いやり、それは更に群衆を利用して彼らの悪しき企てを実行させるということになっていったのです。

ハルフォード・ラコックの言葉を借りますと、それら宗教的指導者たちは、「彼らの悪巧みのために群衆を煽動した」のであり、「野次馬の群集心理を煽った罪」であったのです。暴徒とは思考能力のない烏合の衆です。それは「問題を暴力的に解決しようとする性癖」に属するものであり、それはまた「完全に操作できる」性質のものです。彼ら宗教的指導者たちは、イエスさまに対する武器として暴徒と化した群衆の精神状態を用いることになんら躊躇を覚えなかったのです。ここで私たちに分かることは、群衆を平和の道へと導かなければならなかったはずの聖書の専門家たちが、それとは全く反対のことをしたということです。彼らは群衆を扇動し、罪なきイエスさまの血を求めて逆上するようにとしむけたのです。

 

      次に、そこにはピラトがいました(マルコ伝15:1-15。)彼はローマの行政長官でした。「彼の任務は公安秩序の維持であり、ローマへの貢ぎ物が滞りなく流通することを保護することであった」のです。ピラトは、強大な軍事的背景を後ろ盾に、ローマの正義が維持されることを監督するための最高の地位と権力の座に坐っていた人物でした。イエスさまの住まわれていた「地方に派遣されていたローマの最高権力者であった」のです。

     

   ピラトは、イエスさまに直接会い、個人的にイエスさまに話しかけ、イエスさまから聞いたことで、イエスさまに関して非常にびっくりしていました(マルコ伝15:5)。 しかし、そのピラトの気持ちを「より端的に表現する」とすれば、それは好奇心の域を出ていなかったとでも言えるでしょう。前述のハルフォード・ラコックに言わせれば、

ピラトは、「どのような問題であっても深刻に受け止めなかった」ということになります。彼は、祭司長たちやその他の宗教的指導者たちから一方的に報告を聞いて物事を理解していたのです。 ピラト自身は、それらの宗教的指導者たちのイエスさまに対する告訴に関しては、決して心を動かされていたのではありませんでしたが、それだからといって、それ以上さらに詳しく調査してみようという気もありませんでした。それは、ピラトにとっては、いつもよく起こる治安を乱す出来事の一つでしかなく、従って何も騒ぎ立てるほどのことではなかったのです。それですから、ピラトは、その出来事も、関わっても仕方ないもの、理解できない状況として捉え、適当に処理してしまったのです。

 

      「ピラトは、自らを不利に陥れるような危険を冒すようなことはしない。彼は、理性的には何かおかしいと感じたとしても、その理性の心のうごめきを実行に移すとなれば、結局は指一本すら動かそうとしない」のです。そのようなわけでピラトは次のような発言をしたのです。「お前たちはユダヤ人の王を許してほしいのか」(マルコ伝15:9)。そのような採決をするのはピラトの責任であったのです。再びラコックの言葉を借りますと、「そのような決断をする代わりにピラトは暴徒の中に行き、『私に何ををどうしてもらいたいと言うんだね』と尋ねた。自らの責任と対局することを避けたピラトは、暴徒の意見を選ぶことにした。そして、自らを声とすることなく、むしろ自らをこだまとしてしまったのである。」こうして、ピラトは狂気の沙汰の暴動を懐柔するため、政治的に都合の良い決定、つまり『十字架につけよ!』の声を選んだのでした。

 

   第三番目、すなわちイエスさまの裁判の場には、バラバがいました(マルコ伝

15:6-15)。バラバという名前の意味はたぶん「父の子」という意味だったでしょう。 ウイリアム・バークレーは、バラバはおそらく「シカリ派、すなわち、(訳者注:あいくちを携帯する者たちとでも訳せる宗教的極右翼やくざ、一種の熱心党)の一員であった。彼らは凶暴で残忍なな熱狂的国粋主義者であった。彼らはかれら自身の見解にもとずいて、彼らが敵と認める者に対してはどのような手段を講じてでも殺人や暗殺をも辞さない勇敢で愛国的な男たちであった。そしてバラバは暴徒たちの人気者であった」と説明しています。

 

   バラバとは、それですから、憎悪と悲痛な暴力を象徴していました。その一方、イエスは赦しをとうして得られる愛と贖いを象徴しています。イエスは『平和を作り出す人は幸いである』とおっしゃいますが、バラバは『革命を起こし、ローマを滅ぼす者は幸いである』と言うのです。これ以上の対比はあり得ないのです。

 

   バラバ、すなわち捕らえられ、最も決定的な人類歴史の岐路に立たされた男のことです。バラバ、それはあまりにも罪の重い男のことであり、処刑を目前にしていた男のことです。しかもその男が突然に、何の補償金を積み立てることもなく、苦役に服することもなく放免され自由の身とされたのです。そうです、自由の身です。なぜかと言いますと、バラバはイエスの場所を採り、イエス・キリストがバラバの場所をお採りになったからです。

 

   さて、ここまでで私たちは「かれら」を眺めてきました。すなわち、支配者たち、ピラト、そしてバラバでした。彼らはイエス・キリストの死というドラマの中で、遠くにいる人物として、脇役として、また第三人者として登場していました。何という易しい役だったでしょう。何と安易な感傷的役割を演じた人たちだったでしょう。しかし、同時に、彼らは何と巧妙に、何と適当にごまかしの上手な現実逃避家たちだったのでしょう。

 

   次に私たちはイエスの十字架の上での処刑の記録を読んでみましょう。

その際、注意していただきたい誘惑があります。すなわち、イエスさまの十字架を偲ぶときに私たちが感動して流す涙のことです。今この瞬間に流す私の涙を二千年前のイエスさまのお苦しみそのものとすり替えてしまう、取り替えてしまうという誘惑です。十字架を思って私が流す今この瞬間の涙をもって、私自身の個人的な罪を特定化して認識するという作業をすり替えて、やめてしまうという誘惑です。私の特定化した罪に対する告白と悔い改めを伴うような認識を感傷的な涙でもってすり替えてしまう誘惑です。その困難な認識作業を避けて、ただ十字架を偲びながら一時的に涙を流し、またその涙を拭いて、そして私自身の特定化された罪を悔い改めることを忘れ去ることのほうがどれほどか安易なことでしょうか。

 

   イエスさまを十字架にかけたのは私たちの罪であったと私たちは言います。

そして、それはそれで正しいことです。しかしそれでは具体的に何がイエスさまを十字架にかけたのでしょうか。嫉妬心ではなかったのですか。血に飢え乾いていたからではなかったのですか。地位に関する不安感からではなかったのですか。無関心ではなかったのですか。任務からの回避や妥協ではなかったのですか。

 

   イエスさまを十字架に送ったのは、とてつもなく大きな、煮えたぎるような、あるいは、ぶくぶくとあぶくを吹き上げているような神学的論争ではありませんでした。

むしろ、それは、今述べましたように特定化した、小さな取るに足りないような、厄介なさまざまな態度の積み重ね、すなわち、いろいろな罪であったのです。人々はその罪の中に自分自身を捉えられてしまったのです。そして自分自身のこと以外のことを考えることができなくなったのか、或いは考えようともしなくなったのです。人々は野次馬的な心理状態に自分自身を落とし込んでしまったのです。人々は嫉妬心という泥沼にはまりこんでしまったのです。人々は他者への思いやりを完全に失い、考えることをやめた状態に落ち込んでしまったのです。人々は人種偏見と中傷の嘲笑を心地よい住みかとしてしまったのです。

   人間の罪は十字架という結果を招いてしまったが、そのような極悪非道の残忍さと   いうものは何もその当時だけのものではない。その同じ罪は現在でも私たちの周り   で、また私たちの中で活躍している。カルバリで私たちはそれを目撃した。すなわ   ち、傲慢、生命力のない形骸化した伝統、偏見などである。

   それらは本当に恐ろしいもの、悪しきものであり、イエスを死へと追いやったも    のである。」ハルフォード・ラコック

 

      イエスさまの十字架上の処刑の背景にはとてつもなく大きな、そして永遠の神学的諸要素があるのです。神さまの永遠のハート、ご意志、そしてご計画があるのです。

ええ、本当にそうなのです。本当にです。

 

      しかし前景には、すなわち、エルサレムの郊外に立つ十字架の足元には、更にまた人々がイエスをその十字架へと導いた小径には、その意味での前景には、私たちと同様に心のゆがんだ人間が、本当の生身の人間がいたのです。私たちと同様にちっぽけな、意地の悪いいろいろな動因を心に秘めた人間がひしめいていたのです。同じ動因は平和を維持し国を救うこともでき得る道理にかなったものです。けれども結果的にこの動因はイエスさまの手に釘を打ち込んでしまったのです。

 

   イエス・キリストの十字架上の処刑とは、実は神さまの永遠の御心と贖罪のご計画と同じだけ大きなものなのです。そしてそれはエルサレムという限られた地域的なものでもあったのです。そこで十字架の出来事を目撃していた祭司たちと同じほど個人的なものでもあったのです。ローマの支配者ピラトと同じだけ特定化されたものであったのです。バラバと同じだけ個人的なものでもあったのです。

 

   イエス・キリストとその死にざまがもたらした屈辱と痛みを嘆くことはそれはそれでよいでしょう。そのような私たちの嘆き悲しみの涙は、私たち自身の特定化した罪を私たちが嘆き悲しんで涙を流すときにのみ意味があると言えるのです。私たち自身の傲慢さ、私たち自身の妥協の数々に対し私たちが嘆き悲しんで涙するときにだけ有効なのです。

一般化されてしまった感傷主義というものは、十字架の出来事が私たちの心に今この瞬間に与える個人的な衝撃を妨害してしまうのです。私たちが「彼ら…、目の曇ったあの支配者たち…」というような言葉や表現を使うとき、今ここにいる私の今ここにある罪のために主イエスさまの十字架があるのだという、あの焼き焦がすようなメッセージから私たちは私たち自身を遠ざけてしまうのです。

 

   もし私たちにその気があるのならば、マルコ伝15章は私たちを十字架にかけられたキリストとの個人的体験に、正確に焦点を合わせた体験にと導いてくれるのです。

イエスさまを十字架に追いやったあの宗教的指導者たちの罪を私たちが見るとき、私たちは挑戦を受けるのです。すなわち、私たちは実は彼らと全く同じように傲慢であり、偏見に充ち、そして私たちは私たちが住むこの社会や教会の中で、彼らと全く同じようにどのようにして自分自身の地位や名誉の保全に躍起になっているのかが問われているのです。私たちがピラトの罪を認めるとき、私たちはそれと全く同じ恐ろしい罪が私たちの中にも存在していることを勇気を出して素直に認めるように要求されているのです。

 

   今から二千年前にイエス・キリストを十字架にかけた者たちの罪の数々を私たちがいま思うとき私たちは唖然とさせられます。唖然とさせられてもそれは当然のことです。そこで今度は同様に私たち自身の罪の数々に唖然としてみましょう。もし私たちが二千年前のエルサレムにいたとするならば、私たちも彼らと全く同じことをしたであろうと正直に認めましょう。「十字架につけよ!」と彼らが絶叫したその叫び声に私たちの声を合唱させたであろうことを認めましょう。

 

   イエスさまとバラバ… もしあの日イエスさまが裁判の座に引きずり出されなかったとすれば、バラバの身にどんなことが起こっていたのでしょう。ピラトの前で誰が一体本当の革命家であるのでしょうか。イエスさまですかバラバですか。本当のところバラバが提案していた革命には何ひとつ目新しいものなどなかったのです。それはそれまでにも繰り返されていた、おなじみの、暴力と憎しみと復讐と死への呼びかけでしかなかったのです。

しかしイエス・キリストにはバラバを自由に解放した本当の革命があるのです。

バラバ… どこで私は彼の顔を見たのでしたっけ。いつでしたっけ。それはイエス・キリストがカルバリーの十字架に行かれたことで自由の身とされた人の顔です。バラバの顔を私はどこで見かけたのでしたっけ。

私はその顔を今朝見たばかりです。私はその顔を毎朝私がひげを剃るときに鏡の中に見かけるのです。… 彼の顔は私の顔なのです。私の顔は彼の顔なのです。どうしてかと言いますと、イエスさまが遙か二千年も前にエルサレムの郊外で十字架にかかって下さったから自由にされた人物というのは実はこの私だったのです。(ヘブル書13:11-14)

 

1998年5月7日 野村基之訳

 

Elmer Prout

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