An Ozark Christmas by Bill Sherrill / 20031228

              《オザーク山脈のクリスマス    ビル・シェリル著》

                                野村基之訳

 

  先ず最初に訳者注といいますか訳者補足を加えてから翻訳文に入ります。  最初に

オザーク・マウンテンズということですが、直訳しますとオザーク「山脈」ですが、

幾つかの百科事典や英語の辞書には「オザーク台地」と紹介されています。

  ここでは取り敢えず「山脈」としておきますが、「台地」あるいは「丘陵地帯」と

いう意味だとお考え下さっても結構です。  日本の規模ではとうてい測れないほどの

大きな「台地」あるいは「丘陵地帯」ということになりますけれども…

 

  イリノイ州の南部からミズリー州南部にかけ徐々に上昇し、アーカンソー州北部、

オクラホマ州東部からカンザス州東南部を占める丘陵台地の呼称です。  「山脈」と

言っても尾根が脈々と続いているという意味ではありません。  嘗ては聳え立つ高い

山々があったものと考えられていますが、次第に侵蝕されて現在の「台地」となった

ものと考えられています。  そこから採掘されている鉱業産物の主なものに亜鉛や鉛

があります。  現在は全体的に苦石灰岩から成立する台地で、標高 600メートルから

 800メートル前後が一番高い山ということになります。  この高さの山は、日本なら

差し詰め八王子の南西部にある標高 600メートルの高尾山や、茨城県の中央部に位置

する標高 876メートルの筑波山とほぼ同じです。  果物も生産されています。

 

  未だに開拓時代そのままの文化や生活習慣が残っており、開拓時代そのままの素朴

な生活を営む人々も存在し、彼等を蔑視と愛情を込めてヒルビリーと呼ぶ場合が多い

です。  米国各地を広く訪ねた私ですがこの台地の中心部だけはまだ未訪問です。

 

  そこで生まれ育った伝道者二世のビル・シェリルさんから下記のような物語を聞き

ましたので翻訳を試みました。  ビルさんの文章は前にも紹介した事があります。

原文は降誕祭後に到着しましたのでクリスマスには間に合いませんでした。

 

 

 

  アーカンソー州北部のオザーク山脈のある小さな掘っ建て小屋に住みながら秋用の

毛皮を集めている猟師の青年がいました。  冷たいみぞれが打つ日も凍った積雪の日

にも仕掛けた罠を次々に追いながら動物を捕らえてはせっせと毛皮を得ていました。

 

  苦労して集めた毛皮を小舟に積み込み、ホワイト・リヴァーを下りカリコ・ロック

に売りに行く日が来たのです。  (訳者注:アーカンソー州とミズリー州の境界線に

添った中央部から約40キロほどアーカンソー州内部に下った所にある人口約800人の

小さな町。  カリコは、日本ではキャラコ、或はキャリコと呼ばれているワイシャツ

用の木綿生地名で知られ、まだら模様に染めた更紗もある。  ホワイト・リヴァーは

ミゾゥリー州南のテーブル・ロック湖から流出して来る川で、蛇行しながら南西方向

に流れ、最後にはミシシッピー川に合流している。)

 

  カリコ・ロックは川辺に添って立ついろいろな色の岩崖の上に町が立っているので

そのような名前がついています。  冬になりますと柔らかい冬の太陽が南に向かって

流れる川の水の面に反射して美しい光景を提供します。  古く開拓時代から交易の町

として栄えた所です。

  然し今日の猟師には川面に映える美しい太陽を眺めている余裕はありません。

今日の彼は、カリコ・ロックに行って、苦労を重ねて手に入れた毛皮を売り、その金

で婚約指輪を買わなければならないのです。

 

  この4年間、彼は町一番の美人と言われているメリーと付き合っていました。

夏が過ぎようとしていた時、若い猟師は思い切ってメリーに結婚を申し込んだのでし

た。  しかしメリーの答ははっきりしていました。  『それ相当の婚約指輪を渡して

くれれば正式な婚約の申し込みと考えてみるわ』というのが返事だったのです。

  メリーにしてみれば、彼女の高校生の多くの女友達が馬蹄形をした安っぽい指輪を

受け取ってお粗末な婚約のしるしとしているのを目撃していたので、自分の婚約指輪

は「それ相当なもので」と常々考えていたからでした。

 

  川を下る猟師ビルの心は小舟一杯に積み込んだ獲物の毛皮を眺めながら自信と誇り

に満ちていました。  そしてどきどきしていました。  これで苦労が報われるという

わけです。  その冬、一生懸命に働いて、他の誰よりも沢山の獲物を罠で捕らえたの

でした。  その毛皮を売って、メリーに相応しい指輪を得て、それを彼女に渡して、

奇麗な花嫁を小舟に乗せて川をさかのぼって自分の小屋に戻り、まだまだ続く厳しい

冬を二人で楽しく過ごす…という夢に支えられて厳しい自然の中で毛皮になる動物を

追っかけていたのでした。  そしてクリスマスが来るとうのでビルは毛皮を一杯積み

込んで川を下りカリコ・ロックの町に向かっていたのでした。  贈り物を交換するに

は最も相応しい季節が到来しようとしていたのでした。

 

  渡し船が到着する波止場の横にビルは彼の小舟を留めて、渡し船がやって来るのを

待ちました。  ビルは渡し舟からワゴンが下りた時に町まで毛皮と自分を一緒に乗せ

て行ってくれるように交渉しました。  彼一人で毛皮を崖の上の町まで運ぶというの

は大変な重労働となるからでした。  交渉が成立しワゴンで毛皮を無事に町の中心地

まで運ぶことができました。  ハンク・ガーデナー商会で毛皮を全部売りました。

 

  ハンク・ガーデナー商会は小さな町の中心にある「何でも屋」でした。  種子から

日用雑貨品から松材の棺桶まで揃っている雑貨店でした。  ハンク・ガーデナー商会

のことを人々は「少額までも節約することで有名だが、公平な取り引きをする店だ」

と、そのようにささやいていました。

  毛皮を持ち込んだビルは店主のハンクと値段の駆け引きに懸命でした。

ハンクはビルが彼の店から指輪を買うということを知っていましたので多少の譲歩を

示しましたが、ビルは彼女のための指輪を少しでも安く買おうと交渉に必死でした。

 

  長年の苦労の果てにビルの夢が今まさに現実のものとなりそうな、そのような商談

が成立しようとしていたその瞬間でした。  想像だにしていなかったジレンマが彼を

襲うことになろうなどとは、その瞬間直前まで、夢にも思わなかったのでした。

 

  その時、ハスケルという若者がハンクの店に借金を払うために入って来ました。

借金の支払いのために別の客がハンクの店に入って来たとしても、ビルにとって何も

関係のないことのように思えることでした。  ハスケルの妻はその夏に結核で死んで

しまっていたそうです。  これもたまたま横にいたビルには関係のないことです。

 

  結核は当時の開拓者の間でも、オザーク山脈の住民たちの間にも、とても怖れられ

ていた、恐ろしい病気、はやっていた病気でした。  ハスケルは妻に先立たれたのち

四人の幼い子供たちを一人で養わなければならなくなっていました。

  悪いことは重なるようでして、ハスケルの住んでいる地方に鉄道が敷設されること

となり、ハスケルが働いていた製材所が閉鎖されることとなり、そこの従業員たちは

ハスケルを含めて解雇されてしまったというのです。  製材所の持ち主は、来年の春

になって、近隣の大きな町から材木の注文が入れば、従業員たちを再雇用すると約束

をしたのですが、ハスケルには春まで待つ余裕など全くなかったのです。

 

  ハスケルは正直な男でした。  彼は最後のあり金を握ってハンク・ガーデナー商会

にその月の支払いにやって来たのでした。  しかし残額を全部支払うことはハスケル

の能力を遥かに越えてしまっていることでした。  ハスケルはハンクに『子供たちを

孤児院に預け、独りCCCに入団してカネを稼ぐしかないから借金の支払いの猶予を

願いたい』と申し出るためにやって来たのでした。

(訳者注:CCC=Civilian Conservation Corpsの略で、1933年から1943年にかけ

て組織されたもの。  自然保護青年団などと邦訳されているようであるが、米大統領

FDルーズベルトが1933年に始めた経済復興・社会保障増進政策のニューディール政策

の一環として、失業青年に植林や道路建設や土地改良などの機会を与え、公共事業を

促進させようとした組織のことを言う。)

 

  毛皮を売って婚約指輪を買おうとハンクの店にやって来たビルは、このハスケルの

厳しい実情を一部始終すべて耳にしてしまったのでした。

  一生懸命にひたすら働いて得た金でメリーへ婚約指輪を買うべきなのか、ハスケル

に渡してハスケルと4人の子供たちが取り敢えず来春まで持ちこたえることができる

ように助けてやるべきか、ビルは厳しい決断を迫られることになってしまったのでし

た。

 

  ビルはオザークの山中で狩猟をしながら厳しい冬を独りで越していた時にしばしば

聖書を読んでいたのでした。  『それ神はその独り子を給ふ程に世を愛し給へり』と

ヨハネ伝3章16節の偉大な聖句に触れた時、かれの心は大層な安らぎを得ていたので

した。  『誠に汝に告ぐ。  これらのいと小さき者の一人に為したるは、即ち、我に

為したるなり』というマタイ伝2540節の聖句がビルの心に響いて来たのでした。

 

  ビルがハスケルにした行為は野火のようにまたたく間にカリコ・ロックの町の人々

の知るところとなりました。  しかし、メリーに一言の挨拶をする余裕もないままに

ビルは小舟に乗りホワイト・リヴァーをさかのぼり始めました。  川の流れはいつも

よりも早く感じられ、からっぽの船を漕ぐのもいつもよりも重たく感じられました。

  彼の魂は、自分が正しいこと、なすべきことをやったと、そのように信じていまし

たが、彼の心はといいますと、軽いものとは言いがたく、実に重たいものでした。

 

  川の流れに逆らって漕ぐ音と、水の流れの音に混じって、打ちしおれていたビルは

メリーの声を聞いたような錯覚を覚えました。  まあそれは自分の身勝手な幻聴だと

ビルは思いながら重たい船を漕ぎ続け上流に向かっていました。  しかし再びビルは

メリーの声を聞いたように思いました。  今度は確かに前よりもはっきりと聞いたと

ビルは思いました。  振り返って見ますと崖の上に確かに手を振るメリーの姿らしい

ものをビルは見たのでした。  それは確かに一生懸命に手を振るメリーでした。

 

  ビルは船を崖の西側に回し、崖の端の岸辺に船を着けて崖道を登り始めました。

メリーは崖の上かからビルを目がけて駆け降りて来ました。  彼女の手の中には何と

婚約指輪があったのです。  メリーは、この世の中の何物よりも、誰よりも、ビルの

花嫁になりたいと決めてのことでした。  しかしメリーはビルが婚約指輪を買う余裕

があるのかどうかわかりませんでしたし、恐らくはそのような余分があるとも思えな

かったので、彼女の結婚持参金を使ってハンクの店からビルが買う予定であった指輪

を購入して、彼女の手の中にしっかりと握り締めて、崖から降りて来たのでした。

 

  カリコ・ロックのすべての人が二人の結婚式に参列したのはそれから間もないこと

でした。  二人が小舟に乗ってホワイト・リヴァーを新婚旅行でさかのぼって行く姿

を見て目頭がゆるまなかった人は一人もいなかったと語り継がれています。  急流も

川面を吹く冬の冷たい風も、二人には何ともなかったようです。

  二人は二人の人生で一番大切なことを学んだのでした。  『与ふるは受くるよりも

幸福なり』という使徒行伝2035節の聖句でした。

  『神はその独り子を与へ給へり』  神さまが私たちに下さった最善・最高の賜物は

主イェス・キリストです。  そして、与える、贈るということの最も基本的なお手本

でもあるのです。  メリー・クリスマス!

 

    Bill Sherrill, 3914 North Street, Nacogdoches, Texas 75964, U.S.A.