《おぼろ月夜》

 

  朧オボロ 月夜という懐かしい文部省唱歌曲があります。  楽譜を用意しました。

ちょうどこの頃になると空中に水蒸気が多くなります。  昼間は霞カスミ と呼びますが

夜になると朧という表現を使います。  空中の水蒸気が作り出す同じものです。

  冬の間は空中の空気が乾燥しているのでお月さまに兎さんを見ることができます。

しかし春になるとお月さまが霞んで見えにくくなります。  朧月と呼びます。

朧月になると兎さんを見ることができません。  お月さまの光りも薄暗くなります。

 

  お月さまに光源があって光っているのではありません。  太陽の光を受けて反射

しているだけです。  同じお日さまから同じだけの光が冬も春にもお月さまに届いて

います。  そしてお月さまも同じようにお日さまの光を反射させています。

 

  しかし、そのお月さまを眺めている私たちが住む地球の表面に春になると水蒸気

がたまるので、それでお月さまが曇って見えるのです。  お日さまのせいではありま

せん。  お月さまがわるいのでもありません。  見ている私たちの地球の側に問題が

あるのです。

 

  コリント後書3章18節には、私たちは神さまの栄光を反射する者であると教えて

います。  しかし、かぶり物、ヴェールがあると私たちの顔がよく見えないのと同じ

ように、私たちは神さまを見ることも、神さまの栄光を反射させることもできないと

その聖書箇所から教えられます。

 

★私たちは神さまが創ってくださった者です。  神さまがすばらしいことを次の世代

の人々に示すようにと私たちを創って下さったのです。  これは神さまのお恵みなの

です。  エペソ書2章10節にはそのように書いてあります。

 

  コリント前書1031節及びコロサイ書3章17節を読みますと、私たちは神さまの

栄光を表すようにと勧めています。  しかし、困ったことが一つあります。

  それは私たち自身ほとんど気づいていないことですが、私たちには「エゴ」という

かぶり物、ヴェールがあるのです。  それですから、私たちは神さまの栄光も恵みも

見ることができないし、私たちが神さまの栄光やお恵みを反射することもできないの

です。  「私が…」「私の…」「私を…」と、いろいろな言い訳をしますが、神さま

より「私」のほうが大切だと考えているし、そのように行動しているのです。  その

ような気持ちはないと言いながら、なんだかんだと言い訳をしているだけなのです。

 

  罪と死の暗黒の谷底に住んでいた私たちに、神さまがお恵みで天から光を送って

下さったので私たちの足下が明るくなり希望の国へと歩くことができるようになった

のです。  ルカ伝1章78節~79節はそのように教えています。

  そして私たちはこの天からの光を周囲の人々に、全世界の人々に伝える責任と特権

が与えられているのです。  神さまはその仕事をする人を捜しておられるのです。

  神さまは「あなた」を求めていらっしゃいます。  あなたはどうなさいますか?