窓際の男

 

      テキサス州アビリン        キャロリン・ケリー

 

            二人の患者が或る病院の二人部屋に収容されていました。

一人の男性患者は毎日1〜2回だけ上半身を起こすように勧められていました。

両肺に溜った液体を下に降ろすためです。  その人のベッドの横に窓が一つありまし

た。  二人の相部屋には外部を眺められる窓はこの窓の他にありませんでした。

 

      もう一人の男性患者はと言いますと、ずぅ〜っと寝たきりの状態でした。

  二人の患者は、何も他にすることがないので、どちらかが疲れ果てる迄、毎日毎日

お互いに話し続けていました。  それぞれの妻のこと、子供のこと、家族のこと、職

のこと、昔の兵役のこと、夏休みに旅行したこと、趣味のことなど、他愛もないこと

が中心でした。

 

  窓際の男は、起こして貰って、窓を眺める時間が来る度に、広い外の光景を、もう

一人の寝たきりの男に詳しく縷々説明していました。  こうすることで、狭い部屋に

閉じ込められ、動けず、訪れる人も少ない二人の世界が、急に拡がるのです。

外には芝生を敷きつめた公園があること、池があること、池には可愛い鴨や鶩が泳い

でいること、時には白鳥が姿を現すこと、子供たちが手作りボートを浮かべに来る

ことなどです。  そして、若い恋人たちが腕を組んで公園の池の周りを散策したり

ベンチに坐って何か語らい合っていることなどです。  また或る時は、空に美しい虹

が掛っていることや、季節ごとに異なった奇麗な花が植えられて公園が映えることも

説明していました。  公園の遥か向こうには一連の高層建築群が聳え立っていること

も詳しく描写していました。  こうして二人は長い長い、終わりのないほど長い病室

の時間の一部を、自分たちと外部とを繋ぐことで、毎日毎日、何とか過ごすことが

出来たのでした。

 

  窓際の男が毎日1、2回、外部の模様を詳しく説明している時、もう一人の寝たき

りの男は、じっと両目を閉じて、出来るかぎりの創造力を使って、外部世界の風景を

想像していたのです。

  或る春の暖かい日でした。  起こして貰った男は、窓の外の公園脇の道路に大勢の

人々が集まっていると報告しました。  バンドが通ると言いました。  もう一人の

男には、楽隊の音をどういう訳だか聞けないのに、あらゆる創造力を使って、窓際の

男の詳しい説明を聞いていました。  子供の頃に自分も楽隊員だったこと、楽しかっ

たその時のことなどを思い出しながらでした。

 

  その時、ある悪い心が寝たきりの男の心に侵入して来ました。  どうして窓際の男

だけが外の世界を毎日眺められるのだろう、どうして自分は寝たきりなのだろう

こんな不公平なことはない  このような思いが、突然、彼を襲ったのです。

    最初、男は、そのような自分の悪い心、悪い思いを恥ずかしく思いました。

  然し、日が経つ従い、その思いだけが段々と強くなっていきました。  外の光景を

眺められる隣の男が憎たらしくなりました。  外を眺められない自分が哀れに思えて

来ました。  彼は窓際の男に優しい言葉を掛けることが出来なくなりました。  憎悪

の気持ちで一杯になった彼は、平常心を完全に失い、夜も眠れなくなりました。

  そのような彼の心の変化を知らない窓際の男は、相変わらず外の模様を説明し続け

ていました。  憎しみで一杯になった男の憎しみは益々加速していきました。

 

  或る夜のことです。  寝たきりの男が、いつものように、何もない白壁の天井を見

つめていた時、窓際の男が咳き込んでいるのに気がつきました。  肺の液体が詰まっ

て呼吸が困難になった模様です。  薄暗い部屋の中で、横目で窓際の男の姿を見てみ

ますと、苦しむ男は看護婦を呼ぶ緊急ボタンを押そうともがいていました。  然し、

寝たきりの男は手を伸ばして自分のボタンを押すことをせず、唯だまって窓際の男が

苦しみもだえるのを冷ややかに眺めるだけでした。  5分もすると窓際の男は静かに

なりました。  そして、呼吸する音も聞こえなくなりました。  その夜は特に長い夜

のように思えました。  翌朝、巡回に来た看護婦が窓際の男の異常に気づきましたが

手遅れでした。  窓際の男の遺体は病室から運び出され、寝たきりの男だけになりま

した。  数日後、寝たきりの男は、看護婦に窓際のベッドに移して貰いました。

 

  それから幾日かして、寝たきりの男は全身の力を出して、少しずつ片腕を動かし、

上半身を起こそうと努力を続けました。  そして何週間もかけて、自分の片腕で自分

の体重を支えられるようになり、看護婦の目を盗んで、長いこと待ちに待った窓の方

を見ようとしました。  そして、やっとのことで、窓の外の光景を見ることができる

瞬間が来ました。  しかし、期待に反して、窓の外は暗い廊下の壁でした。  公園も

池も高層ビルもありません!  驚いた彼はボタンを押して看護婦を呼びました。

 

  『亡くなったあの患者さんは盲人だったのよ。  何も見える筈がありませんよっ』

『きっと、退屈しきっていたあなたを楽しませたいので、いろいろなことを言って、

慰めてくれていたのよっ  だって、他人を幸せにすることって素敵なことでしょ

う。  悲しみも辛いことも半分になるし、嬉しいことや楽しいことは二倍になるんで

すものね。  あの患者さん、そんなことよく分かっていらっしゃたのよ、きっと』。

 

          英語で「贈物」のことをプレゼント (present)と言います。

  実はこの単語の別の意味は「今日、この瞬間」という「今」の時間を表します。

私たちも「今日」、「今」、「この瞬間」を神様と他の人と自分のために有効に使いたい

ものですね。  この三者の関係を正しく理解しないと楽しい感謝の生活は不可能なの

です。  自己中心は罪 sIn、そしてその中心に私=アイ<I> がいるのです。

私たちの日々を豊かにしてくれている人々や物質を数えて神さまに感謝しましょう。 

聖歌 604に、「数えてみよ一つづつ、数えてみよ、主のめぐみを」という歌詞があり

ますね。

 

  そう言えば、イエスさまは私たちを幸せにする為に十字架にかかられたのでした。

ロマ書1215節には『喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい』ともあります。