《これらの中のいと小さき者たち》

        The Least of These by Dr. Ed. Fudge / GracEmail Jan 16, 2005

 

  テキサスのエド・ファッジ博士 Dr. Ed Fudge からのEメールを紹介します。

ヒューストン市西辺を対象に発行されている日刊 Katy Times 紙の死亡告知欄に掲載

されたもので、他界された Mrs. Juana Munoz さんのことだそうです。

 

  (訳者がヒスパニックの発音に不慣れなので間違っている可能性がありますが)

愛称「ファニタ? ワニタ?  Juanitaさん」と友人たちに呼ばれ親しまれてきた彼女は

メキシコの古都グアナファト Guanajuato で生まれました。  若くして結婚した彼女

はメキシコ・シティーに移住しました。  文盲であった彼女は「私は読み書きは駄目

だがお皿は洗える」ということでレストランで皿洗いの仕事を見つけました。

  夫が死去した後も、泥の床と段ボール屋根でできた粗末なアドビー煉瓦造りの家に

住み、子供たちを育てました。  狭い庭で鶏と豚を飼い、子豚が生まれるたびに彼女

は彼女が通っているローマ・カトリック教会に献金の代わりに献品していました。

  その日その日の神への彼女の純粋な信仰と、歯を食いしばって正直に働く姿、肉体

労働を貴ぶそのような彼女の真摯な姿勢を目撃しながら子供たちは育ちました。

 

  60歳ぐらいになった時にカティー(訳者注:ヒューストンの西約30km人口3千)

に引っ越して来ました。  一番末の息子が住んでいる近所に住みたくなったのです。

 

  ここでは「三輪車おばさん tricycle lady」として知られるようになりました。

毎朝4時に起きて三輪車のペダルを両足で一生懸命に踏みながら小さなカティーの町

の家庭から捨てられる罐詰の空き缶を回収し、それを売って生活の糧を得ていたので

した。  仕事を終える8時半になるとセント・バセロミュー教会の朝の聖体拝受に

参列していました。  英語を使う教会で、彼女自身は英語を全く解せませんでした。

 

  他界する何ヶ月か前になって癌だと告知されました。  しかし彼女は平然として

動揺する素振りを見せず、完全に満ちたりた態度で事実を教会と友人たちに打ち明け

ました。  死の床でも彼女は多く語りませんでしたが、彼女の人生の最大の悲劇とは

彼女自身が字を読むことも書くこともできなかったので、神さまの御言葉を彼女自身

で読むことができなかったことだと語りました。

 

  彼女の死亡告知欄は次のような言葉で彼女を称えて終わっていました。

『彼女の死は多くの人々を祈りへ導き、また彼女の数多くの善き思い出へと導くもの

であった。  彼女の謙遜さと神への信仰の在り方は、多くの人々に善き印象を与える

ものであった…』

  私たち自身が私たちの人生の終わりに差し掛かったとき、人々は私たちのことでも

彼女について語られたと同じようなことを言ってくれるものなのでしょうか?

 

  『主イェスよ、私たちはいつもうわべのこと、目に見えることばかりを気にする

者であることを私たちに教えて下さい。  しかしあなたは私たちの内なる心の在り方

を常に御覧になっているお方であることを私たちが忘れないようにさせて下さい。

  「これらのいと小さき者たちに為すことは主に対して為すことである」という聖句

に私たちが鋭敏であるように私たちをお助け下さい』(マタイ伝2540節)