《あの世の裁きはこの世の捌きから》

                          =通知表が手渡された日=

 

  昨日あたりから全国のほとんどの小中高校が夏休みに入ったかと思います。

ということは、その前日に終業式があり、通知表が各学徒に手渡されたものと思いま

す。  楽しみにその瞬間を待ち望んでいた子供もいたでしょうし、そうでない学童も

いたのではないかと推測します。

  その「通知表」のことから今朝の話を始めます。  前置きが長くなると思いますの

で、あらかじめお許しを願っておきます。

 

  私の場合、当時の松沢村(現世田谷区上北沢)で賀川豊彦牧師が仕えておられた

松沢教会付属幼稚園に一年ほど?在園した期間を除いて、生まれた時から太平洋戦争

敗戦後までの十五年間ほどを京都の妙心寺北門前の谷口梅津間町14番地にあった自宅

と西陣釈迦堂前の母方の実家で過ごしました。  梅津間町では2回転居しています。

 

  当時ほとんどの子供は未だ幼稚園に通っていませんでしたが、私は菅原道真を祀る

北野神社の東側にあった翔鸞幼稚園に通っていたと記憶していますし、小学校も同じ

翔鸞尋常高等小学校でした。

  これらは、同志社大学法学部で行政法を担当していた父野村治一が喉頭結核で帰天

して家庭が崩壊してから後の、母方の祖父母や叔父叔母の好意により与えられた祝福

と特権でありました。  受けたご恩を忘れることも償うこともできません。

 

  小学校低学年から4年生前後までは成績が良かったようですが、高学年に到り繊細

な心に孤絶感や劣等感が忍び込み自信を喪失し始め、京都府立第三中学校入学前後に

なりますと、いわゆる「大東亜戦争」という侵略戦争が本格化していましたが、私は

完全に生きる目的も意欲も喪失していました。  家庭が備え与える愛情源というもの

が完全に欠落していたからであろうと、今になってみますと、そのように思います。

辛くて淋しい恐ろしい幼少年時代の体験でした。

 

  このような幼少時の経過がありましたので、通知表(私の時には通知簿と呼んでい

ました)の発表の日には何も期待するものはなく、通知簿を受け取ることも、それを

開くことも苦痛でした。  勉強について行けなかった私にとって通知簿の内容は最初

からはっきりとわかりきっていることでした。  今でも嫌な思いでの一つです。

 

  皆さまと今朝ご一緒に学びたいと願っていることは「人生の通知表」のことです。

私たちの魂がこの世を去って神さまの裁きの前に立つ時のことです。  「裁きの座」

を「ベーマ・シート」と呼んでいる教会や神学校もあったかと思います。

 

  そこで、再び私の幼少時代の大部分を過ごした西陣の思いでに戻ります。

すぐ西に前述の北野神社がありました。  もう少し西には平野神社がありました。

安産の神だとする藁の天神があり、金閣寺には蝉や兜虫を採りに行きました。

目の前には釈迦堂がありました。  近くには閻魔堂もありましたし釘抜き地蔵という

寺があり、絶えず大勢の人々が治癒を願って訪れていました。

 

  父方も母方も共に忠実な日蓮宗徒でしたので「朝夕のおつとめ」というものが毎朝

あり、祖母の傍に坐らされて『無上甚深微妙の法は百千万劫にも遭ひ奉ること難し』

と唱えさせられました。  『無上甚深微妙の法は』を今でもだいたい覚えています。

 

  神社仏閣には事欠くことのないのが京都ですから、いろいろな絵馬がたくさんあり

ました。  地獄の絵が描かれてあった絵馬も多かったと記憶しています。

  藁人形というものがあって、夜中にひそかに呪いの念を籠めて五寸釘で神社の大木

に打ち込んでありました。  幼い子供には恐怖感を誘う恐ろしいものでした。

 

  またさらに、当時の私の傍に居たお爺さんやお婆さんの多くは明治初期に生まれた

人かその前の孝明天皇時代に生まれた人々ばかりでした。

  迷信を文字どおりに信じている人々でしたから、お爺さんお婆さんの地獄極楽話は

幼い私たち子供には相当な説得力がありました。

  勧善懲悪が主題で、『悪いことをすれば必ず地獄に叩き落とされる』ものと信じて

いました。  しかし、極楽の話の内容や、地獄の具体的な内容の説明はありませんで

したし、そのことをさらに大人に問いかける子供もいなかったと思います。

地獄に関しては「針の山」や「火炎の谷」があったかと記憶しています。

  それらはこん日のように「科学という尺度で測るべきこと」ではなく、「無条件で

信ずべき筋のもの」として捉えられていたのだと思います。  伝統の京都ですから…

 

 

  それでは、長い前置きで述べました「通知表」というものと、「地獄の裁き」と

いうものを、私たちはどのように聖書的に考えてみたらよいのでしょうか?

 

  まず、私たちは日本という土壌の上で生を受け、そのままその文化の中で生きてい

ます。  日本文化が生み出した宗教的な思いの影響を受けないで生きるということは

ほとんど不可能だと思います。  このことは、私たちが聖書を読む者となっても同じ

ような状態から抜け出せないのではないかと思うのです。  そして聖書を読んでいる

のかと問われますと、恥ずかしくなってしまうというのが本音だろうと思います。

 

  こん日の教会の多くが教会堂内で営まれている集会数の多寡や、そこに集まる人数

が多いの少ないの、あるいは献金額を増やすこと、教会堂や牧師館の建設や拡張など

に主として焦点を当てているように思います。

  キャンプだ、音楽会だ、伝道集会だ…と、行為義認主義で、一種の阿波踊のように

常に内輪でワッサカ・ワッサカやっていないと気がすまないようです。  この世から

自ら自分を隔離し、ゲット化して踊っていますが本人だけが気づいていません。

  自分たちだけの自己満足が中心で、「世光地塩」マタイ伝5章13節~16節としての

基督者の社会的責任などは考えたこともないというのが現実のようです。

 

  まして神の国、天の国、キリストの再臨、終末のことなど、さらに自分自身の魂の

行き先を聖書から学ぶということもありません。  これらの説明をクリスチャンでは

ない人々から求められても、多くのクリスチャンは答えられないと思います。

 

  予期せぬ交通事故や癌でこの世を去り行く「教会に行っている人 church goers

の魂のことをまともに、聖書的確信と希望を持って答え得る基督者は少ないです。

  牧師と称する職業的宗教人も儀式としての葬儀を司式できても、魂の行き先を聖書

から語り、遺族や関係者に信望愛を与えることができる場合は少ないと思います。

 

  すでに述べましたように、私たちは日本という土壌の中に住んでいますから、その

文化、とりわけ先からあった宗教の影響を受けてしまうことが多いと思います。

  聖書が語りたい天国や神の国や永遠の滅びという概念も、しばしば仏教用語を借用

しなければならないような問題にぶつかります。

 

  極楽浄土という単語は使わないにしても、いつの間にかそれが天の国とごっちゃに

なったり、永遠の滅びということが仏教の地獄という概念と混同されてしまうことが

多いかと思います。  教会や自称クリスチャンですらも『野村さんがなくなった』と

言います。  亡くなる=無くなるです。  魂が永遠に続くという聖書の発想からする

とおかしい表現です。  何気なくこのような言葉を私たちは使っているのです。

 

  それと同じように、「神の裁き」とか「裁きの座」と言いますと、この世を離れ

た魂の行き先、落ち着き先を、最終的に神さまが決定なさる場を「裁きの座」である

などとする誤解があるようです。  これでは神さまは閻魔大王と同位・同格で対等な

関係にあるような感じすらします。  恐ろしい裁判官のように受け取れます。

 

  しかしこのことについてイェスはヨハネ伝5章24節で、また使徒パウロはロマ書

8章1節で説明しています。  人の魂がこの世を離れる瞬間に私たちの魂の行き先は

決まるのであって、「裁きの座」に立たされて、そこで初めてそして最終的、決定的

に私たちの行く先が決まるわけではないとイェスもパウロも言っていると読めます。

 

  『よくよくあなたがたに言っておく。  私の言葉を聞いて、私を遣わされたお方を

信じる者は永遠の命を受け、また、裁かれることがなく、死から命に移っているので

ある』と、「死から命に移っている」とイェスは言明されています。

  『こういうわけで、今やキリスト・イェスに在る者は罪に定められることがない』

と使徒パウロも言明しているのです。  神さまに裁かれるために神さまの裁きの座に

私たちの魂が行くのではないとしか読めないのです。  皆さんはどう読まれますか?

恐ろしい閻魔大王の恐ろしい裁きの座のような所に行くのではないのです。

 

  コリント後書5章10節には確かに「キリストの裁きの座」の前に私たちが出頭す

ることが書かれています。  しかし、よく読んでみますと、それは地上での私たちの

行為に対する報いに関することであって、閻魔大王が裁くというような性質のもので

はありません。  怖がる必要はないのです。

 

  聖書の中でもたぶん一番読まれている箇所はヨハネ伝3章16節~21節でしょう。

その中でも18節を注意して読んでみますと、「裁かれるべき人」というのは、死後に

裁きの座で裁かれるというよりも、「今この時点で、今この現世で、すでに裁かれて

いるのだ」ということに気づかされるのです。  多くの教会も牧師もクリスチャンも

うっかりしていて、16節ばかり教えたり聞いたりしているので、気づいていない点で

はありませんか?

 

  このことから明らかなように、「裁き」というものは、死後のことと言うよりも、

むしろ「今の生活の中で」「私たちはすでに裁かれている状態の中に在る」という点

が大切だと思います。  まさしく「生き地獄」ということでしょう。  神から離れた

状態の中に居るということ自体が「裁かれている状態のド真ん中に居る」ということ

なのです。  日々の生活に押し流されて、神と他者と自己との関係を見抜けず、神と

自分の罪と裁きを考えることもしないような生活そのものがすでに裁かれて居る状態

だと思います。

 

  使徒パウロはピリピ書1章21節以下で大切なことを語っています。

『私にとって生きることはキリストであり、死ぬことは益である』と語り始めた彼は

『この世を去ってキリストと共に居ることであり、実はそのことの方がよっぽど素敵

なことである』と語っています。

  パウロのこの発言の中に、「この世を去った後で私は神さまの裁きの座に出頭しな

ければならない…」などと語っていないのです。  死んでから裁かれる…とは書いて

いないのです。  これは留意する必要があることだと思います。

 

  さて、再び最初の脱線、すなわち成績表、通知表、通知簿のことに戻ります。

  小学校中学年ころまでは、すなわち三年生から四年生前半部分までは成績も良く、

自信もあったように記憶しています。  お習字の成績もよく、作文はいつもトップで

したし、理科の成績も極めて良かったと思っています。  通知簿を貰うのが楽しみで

あったと記憶しています。  当時は甲乙丙という評価で、ほとんど全甲でした。

 

  しかし四年生後半から卒業するまでの後半部となりますと、自己に目覚め、自己の

置かれていた境遇の厳しさに目覚めますと、いじけて自信を喪失してしまいました。

  科目のすべてに興味を失い、希望を失い、自信を失ってしまいました。

しかられるのが怖くておどおどするようになりました。  試験を受ける前から試験の

成績はわかっていました。  通知簿を貰う前から記入されている赤い字が見えていま

した。  担任の先生がどのようなお説教をくれるのかも予想がついていました。

 

  日々の学校での勉学に対する姿勢、日々の学習態度、日々の宿題のこなし方…など

が自分自身には一番よくわかっていたのですから、通知簿を貰わなくても、貰う前に

すでにわかっていたのです。  その日その日が通知簿に記載されてあった成績を実践

していたのです。  その日その日の在り方が通知簿の記載内容を書いていたのです。

 

  裁判所の判決が下されなくても、その前の段階ですでに犯人は自分が悪いという

ことを充分に知っているはずなのです。  裁判で有罪にされたから悪いのではなく、

悪いから捕まって裁判にかけられたことを犯人が一番良く知っているのです。

 

  ですから、私たちが死んで、この世を去った後で、神さまの裁きの座で裁判の判決

を受けて、そこで私たちの有罪が決まって、それ以降の行き先が決まるというのでは

なくて、実は生きて居る今現在という時点で私たちの裁きは進行して居るのです。

  聖書の語る裁きというのは、魂がこの世を去ってから、神の裁きの前に出て有罪と

されて、それから永遠の滅びの状態に、あるいは永遠の滅びに到るというのではなく

て、今という日が裁きの日であるのです。

 

  その日その日、朝ごとに、夕ごとに示される神の恩寵をどのように私たちが感じ

て、感謝して、それにどう応えているのかが、実はそれがすでに裁きの座の中に在る

ということだと思います。  神の御言葉にどう応えて居るのかが問われているのです

し、神の光りをどう反映しているのかが問われているわけですし、どう私たちが自ら

選択しているのか…が、私たちの判決文を私たち自身が書いて居るということです。

 

  神さまが私たちの行為の結果を示す判決分をお書きになる必要はないはずです。

それは神さまのビジネスではないはずです。  神さまがそのようなことをお決めにな

らなければならないという筋合いのものではないと心得ます。  私たちの判決文は、

実は私たちが今という時点で毎日少しずつ書きあげているのです。  天に宝を積んで

いるのかどうかが問われているのです。  マタイ伝6章20節や33節の問題です。

  『むしろ、あなたの財宝を天に蓄えなさい。  あなたの財宝の在る所にあなたの心

もあるからである    まず神の国と神の義とを求めなさい    明日のことを思い

煩うな…』との御言葉です。  「今ここで」の在り方が天に通じているのです。

 

  ロマ書1410節に「神の裁きの座 bema seat of Christ」というのがあります。

 

  留学第二番目のバイオラ聖書大学の教理学の授業は必須科目の一つでした。

その授業は、律法主義的なハイパー・カルヴィニズム主義者のスタントン博士が担当

していました。  死後の裁判ということで九種類の裁判があると説いていました。

  これは經綸学的前千年王国論 Dispensational Pre-Millennialism という聖書理解

に立脚した視点からの授業でした。  剃刀の刃のような感じの怖い先生でした。

  その中には「Bema Seat ベーマ・シート」という項目がありました。  キリストの

裁きの座 tow bemati tou theou ということで、上記ロマ書1410節を挙げて説明

していました。  コリント前書3章12節~15節やヘブル書9章27節も挙げて説明し

ていました。  今でも当時のノートが手元にあります。

 

  しかし、このシリーズで私がいくども繰り返し強調している点は、聖書は開かれた

書であるということと、開かれた書である限り読む人によって違った解釈が可能だと

いうことです。  特定の教義を余りにも強く主張して、それ以外の可能性を全く否定

するということは避けなければならないと、留学中の苦い多くの体験から学んだこと

ですが、今はそのように思っています。  聖書は、知的にああだこうだと理解すると

いうよりも、あくまでも信じるという世界に属する書だと私は思います。

 

  そして、ロマ書1410節を虚心坦懐に読んでみますと、文脈から見ても、この箇所

は、私たちの日々の生活の場で、他の兄弟姉妹への私たちのかかわり方を論じている

のであることがわかります。

  「神の裁きの座」と聖書は述べています。  「座」の原語のギリシャ語がベーマで

すのでベーマ・シートとスタントン教授は呼んだのだと思いますが、それは私たちに

日常生活の場で他の兄弟姉妹を私たちがどのように取り扱っているのかということが

中心課題で、死後にどのような裁きがあるということが主眼点ではないはずです。

 

主に在る兄弟姉妹をどのように取り扱っているかということだけではなく、神の愛

の対象であるすべての人々に私たちがどのように接しているのかが問われています。

どのように他者を今現在この時点で扱っているのか、捌いているのか、その姿勢が

次の世における裁きに繋がっていることに留意すべきなのでしょう。

 

  この世に於ける現在の生活の場で、私たちは天に宝を積んでいる者なのかどうかが

問われているのです。  この世に在ってこの世をどう捌いているのかが問われている

のだと思います。 それが後に来るベーマ・シートで明らかにされるのです。

  日々の生活の中で私たちは来たるべきベーマ・シートの前に実はこの瞬間にすでに

立っているのです。  主の聖餐、主の食卓に与ることの意味がここにもあります。