《信望愛の実践者イェス》

 

  先週週報で主イェスのエクレシア(=「この曲がって歪んだ世から呼び出された

者たち」の意)とは、教会堂という容物、箱ではないということを述べました。

 

  さらにエクレシアとは、それがどういう意味なのか聖書的根拠を欠くものですが、

いるわゆるガウンなる物をまとった職業的宗教人が教会堂正面のせり上がった説教台

という場所から、これも位階聖職者制度が要求して生まれて来た「平信徒」なる会衆

に対して、「ああしろ、こうしろ、献金額を増やせ、牧師館を新築せよ、牧師謝礼金

を増額しろ、プログラムを増加して教勢を上げよ、エトセトラ」などと支配する場所

でもなければ、そのような人種が牛耳る制度でもないことなどを述べました。

そのようなことを新約聖書は知らないのです。  人間が築き上げてしまったのです。

 

  エクレシアとは、十字架の上で私たちの罪のために贖罪の業をなし遂げて下さった

神の愛を一方的な恩寵として覚え信じた者たちが、己の罪を悔い、十字架の主イェス

を神の御子、私たちの救い主と告白し、バプテスマされ、罪の赦しを得て、神の家族

に加えられ、とこしなえのいのちを与えられ、聖霊の賜物を頂いて、この曲がった世

から救い出され、とこしえの御国を目指す者たちによって構成されているものである

ということを述べました。

 

  そのような者たちが各自の生活の場で、その人生を賭けて、共に主イェスのものと

して生きて行く状態を意味し、そのような者たちが一まわりの初めの日に共に集い、

十字架の出来事を覚えつつ主の再臨を待ち望むことを確認する状態を表すのだと説明

しました。  主の一方的な恩寵によって贖われた者たち各自が自らの霊的水準向上に

努め、聖書を自ら学び、祈り、信望愛を抱いて人々に仕えることが肝心です。

  エクレシアとは、そのような私たち一人ひとりによって構成されているのです。

これは極めて大切な新約聖書の根本的な教えの一つであると私は確信しています。

 

  マタイ伝3章13節~17節にはイェスがヨハネのバプテスマ(全身を水中に浸す)

に与られたことを記しています。  罪なき神の御子が、私たち罪ある者たちの中にい

て下さるということをわかり易く私たちに示すために敢えてそのようになさったのだ

と私は理解しています。  そして水中から上がられた時に天から声があり、聖霊が鳩

の形を採ってイェスの上に舞い降りて来たと記録されています。  それは、神さまの

太鼓判がイエスに押され、神さまが保証されたということでしょう。

 

  その直後にイェスは聖霊によって荒野に導かれ、試みる者の誘惑にさらされること

になります。  人間の一番弱いところを試みる者が巧みに突いて、何とかしてイェス

が十字架の道を選ばず、安易な道を選択するようにと誘惑したのです。  4章です。

  人にとって、また職業的宗教人たちにとって一番おいしそうに見える誘惑をイェス

は聖書の言葉を用いてことごとく撥ねのけて十字架の道を自ら選択されたのです。

 

  エルサレムの宮殿生まれではない、エルサレムのエリート家族の子でもないイェス

が世の救い主になれるはずがないという人々の嘲笑を、また、イェスのバプテスマの

正当性を疑う人々に対して、荒野での誘惑をことごとく退けられたイェスは、神の子

としての能力と実力を保持する者であることを証明され、人々の疑惑疑念のすべてを

完全にぬぐい去られたのです。  こうして公生涯へ道が着実に進行していたのです。

 

  その時イェスの道を準備していたバプテスマのヨハネがエルサレム権力によって

捕らえられたという報告がイェスの許に届いたのです。

 

  12節と18節は、バプテスマのヨハネ逮捕後のイェスが、エルサレムに赴かないで、

エルサレムから見て偏見と蔑視と差別の対象地域であったガリラヤに戻られ、そこで

その日暮らしの肉体労働者であった漁夫の中から弟子たちを選び出される作業をされ

たと記しています。

  イェスの弟子たちの誰ひとりとしてエルサレムのエリートではなかったのです。

神学的教育皆無という意味で「無学のただ者」(=使徒行伝4章13節)たちをイェス

は敢えてご自分の弟子として選ばれたのです。  イェスご自身が大工の息子でした。

 

  ここで注意しなければならない点は、「エリート権力集団としてのエルサレム」

と「差別や蔑視の対象であったガリラヤの底辺層」との鮮明な比較ではないかと私は

思う点です。  エルサレムでの十字架の出来事直前直後に弟子たちに対してイェスが

口にされた言葉は、エルサレムで再会してエルサレムに復讐してやろうではなくて、

「ガリラヤで会おう」でした。  これはイェスとその福音を理解するのに大切な点で

しょう。(マタイ伝2642節、同28章7節、マルコ伝1428節、銅16章7節)

 

  底辺層でその日その日を喘ぎながらようやく生活している多くの貧しい人々を犠牲

にして、搾取して、その上に成り立っていて、仕えるということをほとんど知らない

エルサレムではなくて、常に力ある者、権力の座に坐っている者たちによって理不尽

に利用され、こき使われ、仕えることだけを一方的に要求されているガリラヤの人々

の中にイェスは最初から最後まで自らを置いてくださったということを忘れてはなら

ないと思います。  これは私たちの「教会という組織や制度」にも当てはまります。

 

  同じくマタイ伝4章23節を声を出してゆっくり読んでみましょう。

『イェスはガリラヤのすべての地域を巡り歩き回られ、1.各地域にあったユダヤ教の

シナゴーグ(=教会堂)で教えられ、2.王国の福音を宣べられ、3.人々の間のすべて

のノソン(=病気、主として肉体的、可視的面での病弱さ)と、いろいろなマラキア

(=思い煩い、気分が進まないこと、知力の弱さ、心や精神や意志の虚弱さや迷い=

不可視的な心の煩いや患い、不健全な物質所有欲、性欲、権力欲、地位欲、名誉欲、

自己顕示欲、怒り、いらいら、妬み、そしり etc.,)などを癒された』とあります。

 

  この23節でもイェスがエルサレムに上られたとは書き記していないのです。

首都エルサレムの小高い丘の上に立つ栄華を極めた荘厳な神殿(=宗教行事用の箱)

に参詣して、絢爛豪華に着飾った職業的宗教人たちが司る宗教儀式に義務として参列

し、日常生活にほとんど関係のないような講話に形式的に耳を傾け、決められた金品

を捧げれば「それで善し」とすることをイェスは考えておられなかったようです。

 

  むしろ、ご自分の方からガリラヤの大衆の中に出かけて行かれたのでした。

これもイェスの生涯と使命を理解するために極めて大切な視点だと思います。

  経済的権力や宗教的権力や軍事的権力が総て集中しているエルサレムではなくて、

エルサレムからもサマリヤからも蔑視され差別されていた貧しい僻地ガリラヤ全土を

敢えて選んで巡回されたのです。

 

  『教会が伝道集会をしてやるから罪あるお前たちは教会堂に来い』ということでは

ないのです。  自らをゲットー化している教会というゲットーに、教会堂という箱に

「部外者よ来い」ではないのです。  初代原始教会は「特別伝道集会」や「聖会」や

「教会堂」を知らないのです。  イェスも弟子も全世界に「出て行った」のでした。

当時の全世界、ローマ帝国全土に出て行って、さまざまな人々と、彼らのいろいろな

求めに応えながら、彼らが理解できるレヴェルに自らを置きながら、街角で、湖畔で

崇高な神の国の福音を堂々と語ったのです。  権力が集中していたエルサレムや現在

の私たちの「教会」という制度や組織とこの点において全く違うと私は思うのです。

 

  さらにそれではマタイ伝4章23節以下を読んでみましょう…

 

  1.  まずユダヤ教の教会堂を訪れそこで教えられたと聖書は語っています。

それは権力の象徴であるエルサレムの神殿と直結しているエルサレムの触角、地方に

張りめぐらされていたアンテナです。

  シナゴーグとはそこに宗教的権威を示すガウンを着用した祭司たちがやって来て、

その日暮らしを余儀なくさせられていた貧しい民に対して、命と血の通っていない、

遠いところに存在している冷たい神の、厳しい律法だけが貧しい会衆のことなど考慮

しないまま機械的に説き、献金や献品を求めていた場所・建物だったはずです。

 

  その会堂に貧しい大工の子イェスが大衆と同じような姿をして、ガリラヤ湖の貧し

い漁師であった弟子たちを連れて訪れ、まことの神とはどなたなのか、神を信じると

いうことはどういうことなのかと、正しい信仰と信仰の正しい在り方を説かれたので

す。  信望愛(コリント前書1313節)の「信仰」をです。

 

  2.  次にイェスはシナゴーグで、職業的宗教人である祭司のようにでは全くなく、

軍事大国ローマが支配するローマ帝国のことでもなく、ローマ占領軍にへつらう一部

のユダヤ人エルサレム指導者が説くイスラエル王国のことでもなく、ローマ占領軍に

反乱を企て、ローマから軍事的独立を勝ち得てイスラエル王国の復興を実現しようと

訴えたのでもなく、何世紀にもわたって長く虐げられ続けて来た貧しい民に対して、

イェスは神の王国の善き知らせを宣べられたのです。  信望愛の「希望」をです。

 

  3.  そしてイェスは貧しい群衆の中にはいって行って、大衆の中で揉まれながら、

人々の肉体的疾病や不健康な精神的な歪みを癒されたと23節は何気なく語ります。

  人が生きるということは、その人が死亡する瞬間に到るまで、常に病気と同棲して

いるということです。  とりわけ虐げられている貧しい人々の苦悩苦痛は深刻です。

  肉体の病が心の病を招きます。  心身の障害は相互に悪い影響を与えあって更なる

苦痛と悩みを増加させます。  23節は「病気」と「煩い」を癒されたと、そのように

二つに別けて説明しています。  うっかり読み過ごしてしまう箇所ですが…

  ここにも私たちのことをよく知り給い、私たちの側にご自身を置き、私たちの涙の

意味を知り給う主イェスのお心を感じます。  信望愛の「愛」が示されています。

 

  このようにして肉体と心に痛みを覚えている人々が、エルサレムからも、そして

エルサレムからはるか遠く離れたいろいろな場所から、イェスの許にきわめて多数の

人々が続々と詰めかけた…と、23章に記録されているように、人々に信望愛を与えた

イェスの在り方の結果を、24節~25節が伝えているのです。  そしてそのことが次に

登場するいわゆる「山上の垂訓」へとつながって行くのです。

 

  イェスのバプテスマと、荒野誘惑と、バプテスマのヨハネの逮捕と、山上の垂訓と

の間に隠されているこの短い23節の描写は「仕えるしもべ・苦難のしもべ」としての

イェスの姿を見事に証言しているのです。  まことに主イェスこそ「僕仕 ボクシ」なの

です。  そのことをイザヤ書53章が語り、ピリピ書2章5節以下が証言するのです。

 

  私たちはそのイェスの贖いによって曲がり歪んだ世から救い出された者たちです。

神さまのお仕事を担うために「エクス・カレオ」された者=「呼び出された者たち」

=エクレシア=教会なのです。  私たち一人ひとりが教会なのです。  私たちの生活

の場で日々の在り方そのものがイェスを証しているのです。  それが教会の一部なの

です。  「箱」の中で「教会ゴッコ」を司式する「職業的宗教人・聖職者」のために

私たちが存在しているのではないのです。  そういうことはイェスとほとんど関係の

ないことです。  教会とは私たち自身のことです。  私たちが築き上げるものです。

  そういう私たちが主の御名によって共に集まって醸し出す信望愛のイェス共同体の

状態・在り方を教会=エクレシアというのだと私は思っています。

 

  主の食卓にはべり、十字架の出来事と再臨との間に立たされた自分の在り方を、

姿を、今いちど誠実に問いかけ、一方的に主の恩寵に与らせて頂いている特権と感謝

したいものです。  如何でしょうか?  アーメンと言えるのでしょうか?