《土の器》

 

                      聖書  列王紀上1916節8節~16

                      『甕の粉は尽きず瓶の油は絶えず』

              清渓川チョンゲチョン スラムで出会った無名の寡婦を紹介

            (寡婦と幼児の写真は獨逸教会に提供済で捜しても無し)

 

  30歳前後の背の低い小太りの寡婦が2歳半前後の男の子と狭い板子家パンジャチップ =

掘っ建て小屋に住んでいました。  1973年の夏に訪ねたかと記憶しています。

 

  『モクサニム・チョッム・キダリチュセョ』(牧師さま、ちょっとお待ちを)』と

彼女は外出して行きました。  狭い部屋の隅に廃物利用の米櫃がありました。

  そっと蓋を開けて中を覗いて見ますと底のほうに3センチほど麦がほとんどの米が

ありました。  それをできるだけのばして母子が数日のいのちを支えるのでしょう。

  可愛い男の子のおなかは典型的な栄養失調状態でパンパンにふくれていました。

 

  ニコニコ顔で若い寡婦が戻って来た時、彼女の手には未開封の七星チルソンサイダーの

瓶がありました。  どこかで相当な無理をして、おそらく彼女の10日分も半月分もの

ニコヨン賃金をはたいてなのか借金をして手に入れてくれたものと推測しました。

                              オートバイ

  スラムの井戸水を飲めば即座に下痢をするのです。  彼女はそれを熟知していたの

です。  『旅人をねんごろにもてなせ』というのは聖書の教えです。  大変な犠牲を

払って私をもてなしてくれたのです。  『与ふるは受くるより幸いなり』という聖句

や『人はパンのみにて生くるにあらず』という聖句を私に彼女は無言で教えて下さっ

たのです。  それは物の豊か過ぎる米国の神学校では学べなかったことでした。

 

  その年の冬が来たある日、彼女は坊やを部屋に閉じ込め鍵をかけ、近くの貯水池建

設現場で日雇い労働に出ました。  夕方になって疲れ切ったからだで帰宅した彼女が

室内で発見したものはオンドルの練炭ガス中毒で倒れたままの坊やだったのです。

その後の彼女の行方は全くわからなくなりました。  やがて天国で私は彼女と坊やと

再会できるのを楽しみに待っているのです。  イェスがマルコ伝14章9節で『この女

の為しし事も全世界に福音と共に記念として語らるべし』と語られたの同じだと私は

考えています。  生きた無名の信仰者とのすばらしい出会いのひと駒でした。