復帰運動の教会、アメリカにおいては我々はみ言葉を宣べ伝えるという事と同時に、人々

に仕えるという事が車の両輪のようにならなければならないという事を学び始めたわけで

ございます。

  それからまた3のFでありますけれども、我々が非常にこの私たちが持っている復帰運

動という、非常に極めてユニークな訴えというものを、それでもってですね、我々が今ま

でのような文化的に自分たち自身を隔離してしまうのではなくて、聖書をよく勉強する学

者増えて、そして私たちは私たちの聖書復帰運動という、私たちの持っている特権を福音

的なグループの中に広めていこうとしております。もし時間が許すならば、これについて

もっともっとお話することができると思います。その中の一つの例についてお話してみま

しょう。1948年に私はアビリン・クリスチャン大学を卒業いたしました。それは今か

ら振り返ってみますと、随分昔のような気がします。しかしその当時、聖書学の中に学位

を持った、博士号を持った先生はひとりもおりませんでした。その当時のアビリン大学に

は博士の学位を持った先生はいなかったという事であります。しかしながら今日、アビリ

ン大学出をしょっている大学教授の殆どがアメリカ中の有名な大学から何らかの博士号を

もらってきている人達が教えています。その事はアビリン以外にも、オクラホマ大学にお

いてもそうですし、ハーディング大学においてもそうでございます。私たちがそのように

この教育、最高教育を受けた教授たちを迎えるまでには私たちは随分と遠回りをしてきま

した。しかしながら、感謝すべき事は信仰を失うこと無しにその事を成し遂げたと言う事

であります。そしてまた、この新約聖書教会を復元しようとする訴えの願いを失う事無し

に最高教育を受ける人達を養成することができたと言う事であります。

  第7番目、すなわち3ページのGでございますが、これは昨日の夜私が語ろうとした事

でございます。それは先程申しましたように、我々の復帰運動に対するより明確な理解と

言うものはですね、我々の復帰運動ってものは、過去の遺物を追っかけるものでもなけれ

ば、教会ってものはもう完成してしまったのだと言う理解でもないってことであって、そ

れじゃぁなくって、むしろ我々の復帰運動ってものは、いつも私たち自身の心、各世代に

おいて心を新たにするということにおける継続的な挑戦、チャレンジだと言う事でありま

す。今までの我々の先輩たちのキリストの教会の人達はキャンベルさんやストーンさんた

ちが新約聖書の教会を復帰してしまったんだから、これ以上よくする余地がないほど復帰

してしまったんだから、ただそれをちゃんと守って従っていればいいんだというそういう

理解を教えておりました。しかしながら、今日アメリカにおいてはそんなふうな事を考え

る人は誰もいません。ジョー・ベッツ先生や私、こっちではなくこっちですが(笑い)の

ような老人たちもそんなことは誰も信じておりません。私たちの多くはこの聖書と言うも

のに対して心開かれてですね、聖書が私たちに何を教えようとしているか、そして私たち

は聖書に従いたいと言う心がもっともっと開かれた人がどんどん増えてきていると言う事

であります。(いや、通訳聞きたいですか。しなくていいっておっしゃったんですけれど

も・・・しなくてもいいんだけれど日本の人が聞きたいって・・・)この機械ってものは

煩わしいもんでありまして、かつて福嶋兄弟がサンセットの学校で勉強した時にも生徒が

皆んなテープレコーダーを私の回りに山ほど積み上げてしまって、もうそのテープが途中

でね、かえたりしなければと大変な事があった、煩わしい事でした。(通訳しなくていい

とおっしゃったんですけれども・・・)。ですからそういう、もし私が異端的なことを語

ったとするならば、もう彼の行っていた学校なんかにはテープレコーダーのコピーが、カ

セットが何百枚もありますから証明ができます。悪い事は一言も言っていません。

  本題に真面目に戻りましょう。昨日の夜ここで申し上げたかった事がHの1番にござい

ます。もし我々の訴えと言うものがこの有効なものであるならば、それならば我々はです

ね、この世界のいろいろな場所、いろいろの時代にですね、聖書的なキリスト教を復元し

ようとしている人々がいらっしゃると言う事を期待して、それを探す努力をしなくてはな

らないと思います。しかしながら、過去の我々の過ちとっていうのは、もし仮にそういう

ふうな考えを持った人々をみっけたとしてもその人たちが私たちと全くおんなじ考えをし

ていなければ私たちはそういう人達に対して一種疑いの心で臨んでいたと言う私たちには

過ちがあったと思います。そのような聖書に復帰しようとするグループの人達にたまたま

出会ったとしても、そういう時に必ず私たちがもう瞬間的に質問した一つの質問がありま

した。「お前たちは楽器を使うか」。楽器を使っているって分かったら、「おまえらは知

らない。ポイ捨てだ。」彼らが、例えばこの聖書の中で重要な教えを皆んな私たちと同じ

ように信じてたとしてもそういうつまんないような質問の細かい事において同意しなけれ

ば「おれたちはお前たちと関係がない」と言うふうな態度を取ってきました。彼らが私た

ちと全くおんなじ考えをしていなければ我々は彼らに語りかけようとさえしなかったので

あります。もし彼らが我々と全くおんなじ考えを持っている人であったならば、語りあう

必要はないわけであります。細かいすべての事に我々と同意しなくても、それらの人々と

じっくりと座って語りあう事のできるだけの余裕と言いますか、自信と言うものが我々の

中には生れ育ったのであります。ほかの言葉で言いますと、それは我々自身を閉じ込めて

いた我々の殻を我々自身が破って、私たち自身が殻の中から出て、聖書に戻ろうとする運

動をしている人達と一緒に、静かに座って、み言葉を学ぼうと言う態度が生れたと言う事

であります。閉じるに当たって2つの事を申し上げたいと思います。私が申し上げようと

している事は時間さえあればいくらでもお話ができる話題でございます。質問の時間に質

問をお受けしたならば、またその時に多く語ることができるかもしれません。3ページの

Hの2でありますけれども、私がしゃべりたい事は、保守的な大阪聖書学院を中心とする

クリスチャン・チャーチの兄弟たち、ディサイプルじゃぁないほうのクリスチャン・チャ

ーチの兄弟たちの事であります。私は日本にもこのクリスチャン・チャーチが存在してい

る事を知っています。同じクリスチャン・チャーチという名前を使っていますけれどもこ

こではっきり皆さんに理解しておいてもらいたい事は彼らはディサイプルスのクリスチャ

ン・チャーチの人達とは完全に違う人達だと言う事を理解しておいて下さい。ディサイプ

ルスという名前の着いたほうのクリスチャン・チャーチの人達は聖書と言うものをもう完

全に信じていないような状態でありますから、私たちとは語りあう同じ土俵にいないとい

う事であります。我々のように各個教会が独立している保守派の大阪聖書学院を中心にし

たクリスチャン・チャーチの人達はディサイプルスとは全く違います。彼らも私たちのよ

うに非常に強く聖書を信じております。彼らも新約聖書の教会を復元したいということを

我々と同じ程一所懸命願ってます。バプテスマが罪の赦しのためであるということを我々

が説くと同じようにけれらも全く同じように説いております。ですから、彼らと我々は同

じものをたくさん共有しているわけであります。彼らが福音に、聖書に従い、生まれ変っ

た人であるならば、彼らは神の家族の一員であります。しかしながら、彼らと我々の間に

も時には大切な違い、意見の違いと言うものがあります。その一番大きな違いと言うのは

彼らは公の礼拝の時に楽器を使うと言う事であります。私は個人的にそれは間違っている

と思います。長い間アメリカにおいて我々は彼らと全く関係を、交わりを持っておりませ

んでした。1984年から彼らと8回ばかり、あるいはそれ以上の交わりを持ちまして、

一緒に座って真剣な聖書の学びを始めました。それはレストレーション・フォーランムと

言う名前で毎年行なっております。そしてこれからも毎年1回、そういうフォーラムを、

計画をお互いに持とうと同意している事であります。私が信じますには、これらのフォー

ラムはとても価値のあるものだと思います。私自身の兄弟たち、私の友達たちはそれに対

して批判的であります。我々は彼らに妥協しすぎてしまって楽器を使わない、楽器を使う

事が間違っていると言う事を教えるのを止めるんじゃぁないかと言うふうな危惧の念を抱

いています。しかしながら、この復帰運動のフォーラムの目的はお互いに妥協すると言う

事ではない。もし、お互いが兄弟であるならば我々は、愛の精神において一緒に座って語

り合うと言う必要があります。楽器、公の席で、礼拝の時に楽器を使うと言うふうな大き

な問題で同意をしていないとしても、我々はそれらの兄弟と忍耐して、愛を持って語り合

う、学びあう必要があると思います。でありますから、これらの過去8回くらいのフォー

ラム、毎年行なわれているものは、彼らと我々の間に橋をかけて、お互いの理解を非常に

役立てているものであります。昨日の夜ビデオをご覧になって、バートン・ウォリー・ス

トーンさんのことをご覧になりました。そのビデオの中に出ておいでになった3人の方た

ちはクリスチャン・チャーチの先生方でありました。そして、その中の2人はディサイプ

ルス派の方のクリスチャン・チャーチ兄弟たち、先生、人々でありました。保守派の(私

は保守はと言いますけれども先生の直接の言葉は「独立」と言う言葉ですけれども・・)

クリスチャン・チャーチの機関紙的な役割を果たしているのはクリスチャン・スタンダー

ドと言う雑誌であります。毎週約10万部出しています、発行しています。サム・ストー

ン兄弟、昨日ご覧になった方がその編集長であります。彼が同意したことはこのビデオで

すね、彼ら、クリスチャン・チャーチの中でもこの市場開拓に協力すると言う事に同意し

ました。クリスチャン・スタンダードの雑誌の中でも昨日ご覧になった雑誌は広告されま

す。それでありますから、先程ご覧になった、未だ世界で、誰も見ていない訳ですけれど

も、あのビデオは我々のグループが、群れが見ると同じようにクリスチャン・チャーチの

群れでも多くの人が見る事になります。我々の確信を妥協する事無しにそれらの兄弟たち

と共に学び、共に働くと言う事が可能なのであります。

  次に中国の、第3番目、中国にいきます。(テープ中断)去年になりますが、年が明け

ましたから、5月にアメリカから21人の方が中国に渡りまして、そして、中国のクリス

チャンの指導者たちと語りあいました。そのうちの何人か、数人のものは奥さんを同伴致

しまして、アビリン・クリスチャン大学の教授たちであります。ACUの総長さんの、マ

ネーさんと言う人が奥さんと一緒に行きました。世界福音放送(と訳したらいいんでしょ

うかね)、それの総長であるバブ・スコットさんもいらっしゃいました。クリスチャン・

クロニカルと言う雑誌の編集長のシップさんも飛びました。アメリカではクリスチャン・

クロニカルと言うのが一番数がたくさん出版されている雑誌であります。クリスチャン・

スタンダードと言うのは保守派のほうのクリスチャンチャーチの主な機関紙で、毎週発行

されていて、クリスチャン・クロニカルと言うのは我々の側の月刊誌であって毎月11万

5千部ぐらい発行されています。我々の群れの指導的な役割をする重要な人達が皆この中

国への旅行を致しました。これは中国の旅行公団といいますか、公社といいますか政府の

機関が企画したものでございまして、我々は行って中国のクリスチャンと仏教徒とイスラ

ム教の指導者たちとの対話を致しました。私たちの目的というのは今日の中国におけるク

リスチャンの状況を、あらゆる事をできるだけ学ぼうとする事でありました。チンさんと

いう北京の神学校の校長先生、それから南京の神学校の副校長先生の方、それから北京と

南京のお役人様たちと特にお会い致しまして学んだ事があります。中国で我々が学んだ事

は中国におけるクリスチャンたちの信仰とその成長は驚くべきばかりのものであったとい

う事であります。今日中国本土に置きましては、キリスト教が一番急成長を成し遂げてい

る群れである事を驚きを持って学びました。この12年ほど前に中国で起こりました文化

革命の時には殆どの宗教は抹殺されてしまったわけであります。文化革命の時に我々がこ

の前お会いした人達は問っても辛い目にあった人達であります。その当時はどのような宗

教であれ、指導者たち、人々はとても辛い目に文化革命の時に遭わされました。文化革命

は大体12年前に終りました。文化革命の後、中国政府は再び宗教活動を許しました。中

国共産党政府の許可を受けまして文化革命のあと、約6千の教会がですね復活されて、そ

して、大体4百万人から5百万人の信徒がいるというふうに考えられています。そしてま

た、中国では私たちが学びました事は、秘にですね、家庭集会を隠れてやっていてそこで

聖書を学んでいる多くの信徒たちがいるという事を学びました。中国全土で隠れた家庭集

会のような形で集まっている人達は、もしかすると4千万とも、5千万とも言われている

んじゃぁないかというふうに考えられています。共産党政府によって公認された6千の教

会について語ってみましょう。彼らは三つの自立「三自教会」です。自分で自分自身を支

える、自分自身で自分を治める、自分自身で自分を宣伝していくと言うこの事を木枠化し

ております。それはこの西欧主義が中国に入った時から始まっております。共産党政府が

判断した事は西欧のキリスト教と宣教師は中国にとって悪いものだって言う判断を下しま

した。共産政府が判断した事は外国勢力が宣教師や外国の宗派の教会を通して中国を支配

しようとしたんじゃぁないか、と言う疑いの念を持ったのです。そして、歴史家の一人と

して彼らの判断が、そういう事が、事実であったと言う事を認めざるを得ません。ですか

ら、ここに今から申し上げますように(テープ聴取不能)、ルーテル教会や長老教会やバ

プテスト教会の指導者に中国政府が言いました。「お前たちはすべての外国の教会との関

係から縁を切らなきゃぁいけない。お前たちは外国人や外国のそういう宗派から縁を切れ

ば我々はお前たちがクリスチャンとして活動する事を、存在する事を認める」と言うふう

に言いました。

  3のBを見て下さい。彼らが我々に繰り返し繰り返し何度も語った事は「我々は宗派主

義を越えてしまったクリスチャンたちだ」と言いました。彼らはもはや長老教会やバプテ

ストでもルーテルでもなくて、ただのクリスチャンだ、そういう時代に俺たちは生きてい

るんだというふうに言いました。我々はこの政府によって外国の力、あるいは外国の宗派

から切られてしまったために我々が出来たたった一つの事は聖書に戻って、聖書の教えを

捜すこと以外にする方法がなかったと言う事を、繰り返し言いました。それは丁度2百年

程前にアメリカでキャンベルさんやストーンさんが言った事と同じ事が実に、まさに今中

国で起こりつつあるわけであります。日曜日の朝、南京で私たちが出席した教会のことに

ついてお話しましょう。教会の席は約8百席ありましたけれども、人々で一杯でありまし

た。60年ほど前にメソジスト教会として建てられた教会堂でありました。文化革命の時

にはそれは工場になっておりました。しかし、また再び今、そこの建て物は教会として活

用され、教会活動を行なっております。しかしながらその教会に掛けられた看板はメソジ

スト教会ではありません。そこに言っている事は「キリスト教会」であります。「キリス

トの教会」であります。彼らはただのクリスチャンであります。彼らが語った事は、政府

によって我々は強制されてしまったので、我々はやる方法がなくて、聖書に戻って、聖書

が教えている事を学んで、そして聖書の教えている事を実行する以外になかったと言いま

した。ですから彼らは聖書に戻らざるを得なくなって、聖書を学んで、そのことをやって

いるわけでありまして、それはまさしく私たちがやっている事と、信じている事と非常に

多くの共通点あるという事であります。多くの教会では罪の許しのために全身を水の中に

浸けると言うバプテスマをやっております。北京神学院か神学校の校長先生のイエンさん

はバプテスマは水の中に完全に浸す事であって、それは罪の赦しのためであると言う事を

信じていると言う事であります。我々の大統領ブッシュさんが大使であった時に、中国に

行った時に、この北京のイエンさんの教会に彼は出席しました。そん時にこの北京神学院

の校長先生のイエンさんがジョージ・ブッシュさんの子供さんを水の中に浸してバプテス

マをしましたそして私たちが学んだ事はそれらの多くの教会が毎週ごとに主の晩餐を守っ

ていると言う事であります。私たちの出席した南京の教会では主の晩餐を守っていません

でした。だけども私たちの学んだ事は多くの教会において毎週、主の晩餐を守っていると

言う事であります。そして私たちが学んだ事はですね、多くの教会の毎週ごとに持ってい

る主の晩餐は一つのコップから回しのみをしていると言う事です(私が冗談で、結核がう

つりませんかと言ったんです)。多くの方はウォッチマン・ニイさん、「キリスト者の基

準」を書いた人ですね。皆さんが、またアメリカでもはウォッチマン・ニイと言う名前で

知られている方はですね、20世紀初め新約聖書復帰運動の教会を中国で作ろうとしたの

であります。そのはウォッチマン・ニイさんが始められた教会は、嘗て5百位の教会まで

増えましたけれども共産主義政府によって弾圧を受けました。1972年にはウォッチマ

ン・ニイさん自身が労働キャンプの中に強制的に入れられてそこで亡くなりました。しか

し我々21名のアメリカ人が中国の指導者たちにあった時にしばしば彼らが、中国の指導

者たちがはウォッチマン・ニイさんの言葉を引用しておりました。それでそれらの人々の

宗教的背景ってのは長老教会とか、聖公会とか、メソジスト教会とか、そういうルーテル

教会とかいろんな背景を持った人達でありました、嘗て。しかしながら、それらの嘗てい

ろんな宗派に属していた今の、現在の指導者たちが聖書を学ぶ事においてウォッチマン・

ニイさんが主張していた事を今になって思い出している訳でございます。例えばそれらの

人が言った言葉の中にウォッチマン・ニイさんの影響を受けた人達は「聖餐式」と言う言

葉は使わないで「主の晩餐」という言葉を使っておりました。

  最後のところに行きます。もちろん、この明らかに、明白にですね、中国のその今語っ

ておりました教会の多くにおいて行なわれている事と、私たちがやっている事とにはいく

つかの大きな違いがあります。例えば、この婦人が教会の中でもっと活動しているし、女

の説教者もいましたし、また、楽器を使って礼拝をしているところもあります。そういう

わけでありますから、今日、教会、中国における多くの教会で為されているこの事柄の中

には我々キリストの教会と違う、多くの違いがあるって事は事実であります。今日中国の

多くの教会で今彼らが一所懸命、真剣にやろうとしている事たちは、我々キリストの教会

の2百年前に、アメリカで復帰運動を始めた指導者たちがやっていた事を思い出させる事

が今行なわれているって事を覚えておかなきゃぁならないと思います。彼らがみ言葉を学

び、彼ら自身で結論に達して、罪の赦しのためにバプテスマがあるんだと言う事に気が付

いて、彼らが罪の赦しのためにバプテスマされて、生まれ変った時、彼らは意見の違い、

いろんな事で違いがあっても、我々は中国において彼らが我々の兄弟であると言う事を私

たちは認めなければなりません。我々は中国をさる時我々は中国に我々の兄弟たちがいる

と言う事を、そういう気持ちを持って中国を去りました。もしかすると何百万人と言う兄

弟たちがそこにいるんじゃぁないかと思います。もしかすると中国において彼らこそ私た

ちアメリカ以上に新約聖書教会を復帰、復元させる事に、復元させたんじゃぁないか、そ

ういう可能性がある事を否定できないのであります。でありますから、私どもが願ってお

ります事は我々は中国の兄弟たちから多くの事を学ぶと言う事、と同時に彼らもまた我々

から多くの事を学んでくれる事を願っている訳でございます。私はまた、聖書の考古学の

ビデオを製作致しました。小幡兄弟がそれのビデオのコピーを1枚持っていらっしゃいま

す。それで我々はそのビデオのコピーをですね中国に置いて参りましたので、教室でそれ

らが使われるでありましょう。

  最後に一言申し上げたいと思います。東ヨーロッパで、ロシアで、そして中国で、今起

こりつつある事を考えます時に、考察します時に、私たちは我々の将来に対して、強い確

信、信念、希望を抱いている事であります。皆さんがたは非常によく私の事を聞いて下さ

ったので、良い聴衆者でありましたので感謝します。(拍手)