ル博士

(アビリン・クリスチャン大学教授)

一九九二年一月二日  水戸キリストの教会

通訳  野村基之兄(八幡山キリストの教会)

 

  今回お招きにあずかり、大変名誉に存じています。来週、私は韓国のソウルにまいりま

して、二週間程あちらの伝道者の学校でお教えすることになっています。私の韓国行きの

ニュースを小幡兄弟がお聞きになりまして、早速、日本に立ち寄って下さいませんかとの

ご依頼がまいりました。私はそれを喜んでお受けいたしました。

  皆様方のうち何人かが「今回初めて日本へいらしゃったのですか」と聞いて下さいまし

たが、実は今回が初めてではないのです。最初に来たのは一九六八年でした。ビル・スミ

ス兄弟がICCの総長をされておられた時でした。スミス兄弟の家に宿泊し、大甕教会で

も、ICCのいくつかの授業でも話をさせて頂きました。その四年後の一九七二年に家内

と一緒に来ました。そのときは東京にいらしたスミス兄弟に会い、泊めて頂きました。そ

れから大阪の方にまいりまして林明男兄弟(註  西宮キリストの教会伝道者)の所に泊め

ていただいて、そこでも説教をさせていただきました。また、中国本土に行くとき非常に

短い期間ではありましたが、二度立ち寄ったことがございます。一九八五年に家内と一緒

に学生を中国に連れていく時に二、三日立ち寄りました。二一人のアメリカのクリスチャ

ンの学生を連れて昨年の五月に中国に行って参りました。そのときの中国訪問の目的は中

国の宗教的指導者たち、特にキリスト教を含むの指導者たちに会うというものでした。現

在の中国の教会の状態はとてもいいものです。明朝の講演の中でもこのことに触れ、ご紹

介したいと思います。

  この講演を始めるに当たって、とても残念なことは私が日本語で話すことができないと

いうことであります。幸いここに有能な通訳者がいらっしゃいますので不安なく話すこと

ができます。アメリカ人は全般的に外国の言葉を学ぶということにおいて努力が足りない

のは残念なことと思います。アビリン・クリスチャン大学では最近、学生は第二外国語を

取らなければならないということになりまして、これは大変よいことだと思います。皆様

の言葉でお話ができたらどんなにか良いだろうにと思い、残念です。

 

  私は今回の講演の概要をこうした印刷にして持ってきております。もちろん英語で書い

てあります。今これを英語の分かる方にお配り致します。これを配るとちょっと困ったこ

とが起こります。というのは、これを配ると皆さんはこれを読み、私の話を聞いて下さら

ないという危険が起こる可能性があるからです。ですから今回は印刷物をご覧にならない

でほしいと思います。私が案内を致しますので私の案内、指示に従ってご覧になって下さ

い。

 

  私たちの信仰復帰運動の遺産について語るときに旧約聖書の物語から始めたいと思いま

す。イスラエルの民が約束の地に入る時に、神がヨルダン川の水を遮ぎって、民たちを干

上がった乾いたところを通らせて約束の地に導き入れたということはご存知だと思います

(ヨシュア記三3章)。そのとき干上がった川底から各部族がおのおの一つづつ石を採っ

てきて集め、ヨルダン川の西の岸に記念碑を建てるようにと神は命令されました。十二個

の石が十二部族の一つ一つに対応していました。それから何世代も経ったとき、その子孫

の子供達がそこに行ってその石を見、「お父さん、この石は何ですか」と聞いた時に、神

のなさった彼らの歴史の出来事を思い起こさせ、その話を親が子供や孫に告げることので

きるための記念の石でありました。息子や娘にその歴史的な記念碑を通してイスラエルと

神との関係、神が彼らにどのようにして下さったかを父親は語る事が出来るのです。

  ですから私たちにも私たちの家族に私たちが何者であるのか、私たちは何を信じいるの

かという事を思い出させてくれる記念碑が必要なのであります。昨日私は東京の町を歩き

神社の前を通りかかりました。たくさんの人がおりましたので、それに付いて神社の中へ

入って行きました。小さな日本の女の子供達がそれはそれは美しい着物を着飾っておりま

した。神道の詳しい事は知りませんが、子供の両親たちが、子供に美しい着物を着せて、

お正月に神社に連れていく事によって日本の伝統を子供に語ろうとしている事が分かりま

した。私たちも子供達に信仰の遺産を伝えなければなりません。アメリカでは私たちはこ

のことについて失敗したようです。アビリン大学で信仰復帰運動史を教えております。小

幡幸雄君がいま私のそのクラスの学生の一人であります。池田基宜・博美(旧姓  岩浅)

君たちも私のクラスです。学期の試験の終りのときに、この歴史を学んだ事はあなたにと

ってどんな意味がありますか、と必ず質問します。ここに或る学生がそれに答えたものが

あります。それには「私はクリスチャンの家族の中で育ったけれども、新約聖書に戻ろう

という運動について私の通っていた教会で教えられた事がなかった。しかし、今は教会と

いうものが一体何であるのかという事を正確に理解しましたし、それが新約聖書のみに基

づいているものだという事も分かりました。神のみ言葉に従うという事は絶え間ない継続

的な戦いであるという事、また、私が高校生のときに私たちの信仰のルーツについて知っ

ていたならばもう少し良い信仰の証しができたであろうに」と書いています。先程、広瀬

兄弟が言われた事はまさしくこのことでありまして、私たちは自分たちの遺産というもの

を子供達に語り伝えて行かなければならないと思います。この講演会はそのことを学ぶた

めに計画されたものであります。私たちが何者であり、どのような過去を背負ってきたか

という事を学ぶためのものであります。

  初めに信仰の先輩たちのうち四人について学びたいと思います。私たちは彼らの信仰に

負うところが多いのです。アメリカで起こった歴史についてはあまり関心がないと思いま

すのでそれについては簡単に触れるだけにいたします。しかしながら、これから述べます

四人については少し詳しく述べる事にします。

 

  先ず最初に挙げられるのはバートン・ストーンであります。彼はアメリカの信仰復帰運

動の中でもっとも先駆けの指導者の一人だったのです。今夜、彼の歩んだ道についての詳

しい内容をVTRを使ってご紹介いたします。そのVTRは世界で今夜が初公開という事

になります。ストーンは力強い素晴らしい説教者であり、キャンベル父子がアメリカに来

る前、すでに各地に多くの教会を打ち立てた人でありました。アメリカの人々は私たちの

事を「キャンベル追従者」と皮肉の悪口を言いますが、ストーンはキャンベルの来る前に

もう既に聖書に戻ろうという運動をやっていたのです。ストーンは神の愛を強く説いた人

でありました。聖書の言葉を自由に聖書に戻って学べるようにという道を説いた人でもあ

りました。クリスチャンたちの一致を何よりも訴えられた方でありました。彼の掲げた有

名な合言葉に「クリスチャンの一致をして北極星とならしめよ」(註  クリスチャンの一

致は人々を導く証の印)というのがあります。

  二番目に挙げられるのは私たちの信仰が負うところの多いキャンベルです。トーマス・

キャンベルは一八〇七年にアイルランドからアメリカに来た長老派の人でありました。彼

はアメリカに着くと間もなく、長老派を離れて「宣言と挨拶」と言う有名な文書を書きま

した。彼に書いた全文書を通してみる時にそこに流れている一つの大きなテーマがありま

す。すべてのクリスチャンたちは一致しようではないか、その一致の方法としては新約聖

書に戻り、それにより頼む事によって実現しようではないかという事であります。

  三番目はトーマス・キャンベルの息子のアレキサンダー・キャンベルであります。彼は

「聖書に戻る事によって一致しようではないか」と言うその父の夢を引き継ぎました。ア

レキサンダー・キャンベルは大変な学者で、新約聖書に戻ると言う事はどういう事なのか

と言う事をよく研究した方でありました。 

  最後はウォルター・スコットであります。彼は最初にバプテスマの意味が「罪の赦しの

ためである」である事を明確にした人であり、非常に力強い説教者でもありました。キャ

ンベル父子はあまり人々を改宗させると言う事をしませんでしたが、スコットは力強い伝

道で信仰復帰運動に大きな足跡を残しました。

  アメリカでは私たちの過去を振り返ってみる時にこれらの四人の先輩たちを一種の尊敬

の念を持って見るのです。しかしながら、これらの四人の人々やそのほかの先輩を振り返

って見る時に二つの誤ちを私たちが犯す可能性があるということを覚えておきましょう。

それは、私たちがそれらの聖徒たちをあまりにも崇めて、彼らをあたかも「正典」である

かのように、聖書そのものであるかのように錯覚してしまって、聖書に戻ることの大切さ

を忘れてしまう危険性がある事です。このような過ちは古い世代の人間、例えば私の時代

の人々の間にしばしば見られました。過去に安住してしまうと居心地がよいのでなかなか

そこから脱却は出来なくなりました。私たちが彼らをあたかも最終的な権威者にしてしま

うならば、彼らの本当の意志と意図を私たちが勝手に無視したと言う事になります。彼ら

の言った事は「聖書に戻れ。人間のどんな考えにも従うな」と言う事であったのです。彼

らを権威者として考える事は彼らのこの主張と矛盾する事になります。

  もうひとつの誤ちはその反対で、過去の事はどうでもいいではないかと、過去を軽く考

え、否定的に捉えてしまう事です。その結果、過去の先輩から多くの遺産を受けている事

を忘れてしまう事です。この種の誤りは若い世代に多いのです。確かに初代の私たちの先

輩は人間でありましたので誤りも犯しました。それですから、誤りがあれば私たちはそれ

を正さなければなりません。しかしまた、彼らは偉大な信仰の指導者たちでありましたの

で土台を据えようとしたのであります。その土台の上に私たちの今日の信仰の建物を築き

あげていかなければなりません。ですから、私たちは過去の人々に感謝の念を持っている

訳であります。私たちは過去を知るために歴史を学ぶのではありません。我々が一体何者

であるのか、誰であるのかという、我々の現在を知るために学ぶのであります。そして我

々がこれからどこに向かうのかと言う未来を知るために学ぶのであります。

  聖書に戻ろうと言うこの考え方はアメリカで始まったものではありません。この四人が

やろうとした聖書に戻ろうと言う考え方はもっと広く、普遍的なものでありました。この

運動は教会の歴史の中で出て来ては消え、出て来ては消えしてきたものであります。私た

ちが銘記しておかなければならない事は信仰復帰運動はすべて人間の営みの一つであると

言う事です。教会は聖なるものであります。神は御子を通して教会を建てられました。し

かし、信仰復帰運動、聖書に戻ろうと言う運動は人間によってなされたものであります。

ですからこの運動は教会ではありません。聖書に戻ろうと言う運動の起こる前から神の教

会は既に存在していました。また、聖書に戻ろうと言うことを止めた後だって神の教会は

厳として在るのです。神の建てた教会に戻ろうとする私たちの運動、戻りたいと言う願い

が私たちの信仰復帰運動です。

  ヨルダン川でイスラエルの先祖たちがかつて石を積み上げて記念碑を造ったように、私

たちも記念の石碑を造ろうではありませんか。ここで私の言う石は河原にゴロゴロ転がっ

ているようなものではありません。また神社で見たような着物でもありません。それは私

たちの聖書に戻りたいと言う基本的な真理であります。この真理は私たちが子供達に語り

伝えたい真理であります。また語り継ぐ事によって、私たちが誰であるかを知るような真

理であります。

 

  私はこの講演で強調しておきたい五つの大切な点があります。

  その第一の記念碑は、真理は聖書の権威と言う事であります。聖書は神の霊感によって

書かれたと言う事であります。私たちは聖書に絶対的に服従をすると言う意味で「聖書の

民」であります。二百年ほど前にアメリカでこの復帰運動が起こった時に、ほとんどのク

リスチャンたちは宗派の人たちでありました。それらの宗派はそれぞれ信条を持っていて

信徒はそれに縛られていました。結果的にはそれらの信条が聖書そのものに置き換えられ

てしまっていました。ですから私たちの初期の指導者たちが絶えず繰り返し主張した事は

「聖書に戻れ」と言う事でした。今夜予定されているバートン・ストーンのVTRはそれ

を学に良い例です。彼は按手礼を受けた正規の長老派の牧師でした。彼が按手礼を受ける

時に「ウエストミンスター信仰告白を信じますか」と質問されました。この質問は按手礼

の際に三百年の間アメリカであれ、イギリスであれ長老派の教会の按手礼の時には決まっ

てなされる質問であります。でありますからこの信仰告白や信条は結果的には最終的信仰

の権威になってしまっていました。バートン・ストーンはその時既に信条と言うものに問

題を持ち始めていました。なぜかと言うと、カルビニズムの予定説などの臭いをかぎ取っ

ていたからでした。ストーンの按手礼の時にも同じ質問を当然されたのでしたが、「その

信仰告白が聖書の教えに反しない限り受け入れる」と変わった答え方をしました。別の言

葉で言うと人間が作り上げてしまったあらゆる権威と言うものから自分は独立するのだと

言う宣言でもあったわけです。私たちの信仰の先輩たちが復帰運動を始める時に異口同音

に口を揃えて言った事は「聖書を我々は受け入れなければならない」と言う事でした。で

すから私たちは「聖書の民」と自分たちを呼んで良いと思います。時間が限られています

ので、聖書の霊感説について皆さんは私と同じ考え、信仰を持っていらっしゃるようです

のでそのことについて議論をするつもりはありません。「聖書は、すべて神の霊感を受け

て書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」(第二

テモテ三章一六節)とパウロは語っていますが皆さんはよく知っておられると思います。

パウロ派そこで聖書について大切な三つの事を主張しています。1.聖書は神の霊感によっ

て書かれたものであると言う事。2.聖書は権威のあるものであると言う事。教え、戒める

と言う権威を持っていると言う事。3.聖書はそれ自体で完全であり、私たちの必要とする

ものが既に入って満たされていると言う事。これらの聖書への信仰が私たちが築き上げな

ければならない信仰の第一番目の記念碑の石であります。

  第二番目の記念碑の石は、人間の歴史を通して教会の基本的な型を提供してくれている

と言う事であります。私たちは神が教会を作る時に教会がこうあってほしいと望んだよう

に今日も神が私たちにこうあってほしいと望んでおられると言う事を信じています。ここ

にキャンベル父子が、新約聖書と言うものは教会にとって神から与えられた規範であると

言っています。トーマス・キャンベルは「新約聖書は礼拝、宗規、教会行政の完全な憲法

であり、信徒たちにとっての完全な規範である」と言っています。アレキサンダー・キャ

ンベルは「復帰運動というものは今日の教会とキリスト教を新約聖書の基準まで引上げる

事である。また、個人的であれ、集団的であれクリスチャンの群れを信仰の中に歩むよう

にするものである。救い主である主の祝された聖書と言う本の中に示されている命令に従

って歩むよう聖書の基準にまで引上げるのが復帰運動である。」と言っています。彼が用

いている「憲法」と言う言葉は今日の若いアメリカの世代の人々にあまりにも律法主義的

であると言う印象を与えています。聖書と言うものはいつの時代にあっても教会の規範に

すべきものであります。私はアレキサンダー・キャンベルの示した聖書復帰運動と言う言

葉が大好きです。復帰運動の目的と言うのは教会、クリスチャンを新約聖書の基準にまで

引上げ、昂める事であります。神はいつでも完全であられますが、教会はそうではなく不

完全であります。聖書に出てくる新約聖書の教会はそのどれをとっても完全なものはあり

ませんでした。コリントの教会が直面したあらゆる罪と言うものを考えて見て下さい。ラ

オデキヤの教会はなまぬるい教会でした。エペソの教会はキリストへの最初の愛を捨てて

しまった教会でした。偉大なエルサレムの教会でもアナニヤとサッピラと言う神への献げ

物をごまかした者がいました。彼らは決して良い信者ではありませんでした。このように

新約聖書の教会はそのどれをとっても完全なものではなかったのです。しかし、この聖書

と言う基準、物差は神の子供達がここまでになってほしいと言う神の願いを教えているも

のであります。アレキサンダー・キャンベルは聖書が基準であり、私たちの教会を、そし

て信仰を引上げてくれる基準だといいます。このように聖書というものを復帰運動との関

連の中で考えてみると、私たちの群れは特別な、はっきりした主張を持ったものだという

ことを示してくれると思います。例えば、何故、私たちはバプテスマというものが罪の赦

しそのものであり、水の中に全身を漬けなければならないかをこの関連の中で知るのであ

ります。ロマ書六章の中でパウロは私たちがイエス・キリストと共に水の中に葬られたと

いっています。バプテスというものは単なる宗教儀式であるのではなく、私たちがキリス

トと共に葬られ、そこから新しい命としてキリストと共に甦ってくることを表わしている

のであります。私たちはキリストの死へと、キリストの体の中へとバプテスマされるので

あります。多くのプロテスタントの友達が「それだからと言ってどこがどう違うのか」と

言います。それに対する私たちの答えは、時代を通し、歴史を通し、聖書がバプテスマと

言うものをそのように教えているのだから、私たちはそのように人にも教えてきたと言う

ほかはありません。週の初めに主の食卓に与かるということや、そのほかにも大切なこと

があります。教会が聖書の教えを守らなくなると教会の教えは意味をなさなくなります。

私たちはここに聖書と言う神が下さった基準があると言うことを信じています。これに私

たちは従い、これに到達すると言う必要と責任があります。

  第三番目の記念碑は、意見、良心関するに自由と言うことです。アメリカで話される有

名な表現があります。「信仰においては一致、意見においては自由、すべてにおいては愛

(註  英語では語呂合わせになっている。  一致・ユニティ、自由・リバティ、愛・チア

リティ)」。これは復帰運動の中で皆んなが追い求めてきた最も大切なスローガンの一つ

であります。私たちがそれをスローガンとして語ったり、説いたりしたのではなくみ言葉

の中でそのようなことを語り続けてきているわけです。不幸なことに私たちはそのことを

実行しなかったところに問題があります。「信仰において一致」このことを私たちは強調

しました。しかし、私たちはすべてのことを信仰に属する問題だと言うことで、なにもか

も信仰の問題と言うことに帰属させてしまったのでした。ですから意見や、良心に属する

問題を見失ったのでした。アメリカにおいては教会を分裂させるような大切な問題でない

ものまでも議論の対象とした結果たくさんの分派ができてしまいました。私は若い時、ク

リスチャンはすべて同じように考え、同じように信じていなければならないと考えていた

事があります。考えてみますと新訳聖書の時代だってそんなことはあり得ませんでした。

ロマ書一四章一節では「信仰の弱い者を受けいれなさい」とパウロは教えています。初代

教会においては食べ物についても違った意見を持っていました。肉を食べることを積みだ

と考える人もいたし、肉を食べても良いと考える人もいました(二節以下)。そこでパウ

ロはおたがいに審きあってはいけないと教えています。「他人の僕をさばくあなたは、い

ったい何者であるのか」(一四章四節)と言っています。奴隷はその人に従う者でありま

す。彼は宗教的な日にちを守る意見の違いについても述べています(五節以下)。「私は

これらのことは大切なことと思います。どんな食べ物を食べられますか。どんな日を守る

ことが出来ますか。このようなことを私は信仰に属する事柄だと思います」と、もし、私

がそのように言えば、皆さんが私と意見を同じくしない限り、私と皆さんの間には交わり

が成り立たなくなります。パウロが私たちに教えていることは、このような事でお互いが

審き合ってはならないと言うことです。わたしたち一人一人が神に対して責任を問われて

いると言っているのです。私はあなたによって審かれるのではなく、神によって審かれる

のです。だから、彼はもうお互いに審くことを止めにしようと言っているのです。私たち

の復帰運動を振り返って見るとしばしばこの点において誤ちを犯してしまったと思います

。私たちは他人を審くことに性急すぎて多くの分派を作ってしまったのでした。パウロは

お互いの意見と言うものを尊重しなければならないと言っています。復帰運動の初期には

今日の私たちよりもっと多くの自由があったと思います。特にバートン・W・ストーンに

ついてはそうでした。ストーンについて学んでいただきたいことが今夜のVTRの中にあ

ります。

  第四番目の記念碑は、どの宗派にも属さないキリスト教と言うものであります。誰でも

聖書に立ち返って聖書に従い、再び生まれ変るものであれば神の家族の一員であると言う

ことです。このことはいかなる時代であろうとも、文化であろうとも、国であろうとも起

こることなのです。私たちアメリカ人のみが独占的にクリスチャンであるのではないので

す。また、皆さんが日本において独占的にクリスチャンであると言うことも出来ません。

時々、皆さんは私たちはアメリカから来たキリストの教会の伝道者の説教を聴き、彼らに

よってバプテスマされなければクリスチャンではないとお考えにならないでしょうか。聖

書に戻ろうと言う運動はアメリカで作られたものではないのです。どんな時代でも、どん

な文化の中でも、どんな国においても聖書を読んで、聖書に戻ろうと考えたときにそのこ

とは必然的に起こってくるものなのです。私は聖書を読んで聖書に戻ることができると言

うことを非常に強く信じています。もしこの聖書復帰運動の夢が真実なものであればバー

トン・ストーンやトーマス・キャンベルがこの運動の創始者であるなどと言うことは間違

いであります。聖書に戻ろうと言うことを言った人はストーンよりも前に歴史的にいたは

ずです。本当にいたのです。別の時代に、別のところで同じようなことを志した人々がい

ました。キャンベルがアメリカに来る前にその運動を考えた人がイギリスにもいました。

ホールデーンと言う二人の兄弟がいたのです。グレゴリィー・ユウーイングもいました。

キャンベルがアメリカに来る遥か前にイギリスで「キリストの教会」と言う名前の教会が

あちこちに建てられていました。キャンベルたちも彼らから強い影響を受けていました。

キャンベルたちがアメリカに来る前に既に、イングランドやスコットランドには「キリス

トの教会」と言う教会があったのです。英国のその人たちですら、最初に「キリストの教

会」と言うことを言ったのではありませんでした。宗教改革までさかのぼるとアナバプテ

スト(再洗礼派)の人たちがいます。彼らは宗教改革者のマルチン・ルーテルやジョン・

カルヴィンなどと同時代の人々でした。彼らは新約聖書の教会に戻ると言うことを非常に

強く訴えたクリスチャンでありました。彼らが書き残したものにはキャンベルたちの書い

たものと非常に似ているものがあります。スペインのワンメロイと言う兄弟たちの群れが

ありますが、その群れの物語をお聞きになっていらっしゃるかもしれませんが、一九六四

年にスペインにそのようなグループがあると言うことを私たちは発見しました。明日私は

最近の中国の宗教情勢について語ろうと思います。今日、中国には聖書を学んで私たちと

同じような考え方をしている驚くほど多くの人々います。今、中国で起こりつつあること

は、ちょうどアメリカで復帰運動が起こり始めた時代と宗教的な状態が似ています。人々

が聖書にもどり、聖書を学び、福音に従う時にはいつでも彼らは神の教会に加えられるの

です。彼らが宗派的壁で彼らを囲わない限り、また、私たちが宗派的壁を周りに築いて交

流を断たない限り、私たちはすべて神の家族の一員なのであります。「私たちは純粋にク

リスチャンでありたい」、これが私たちの復帰運動の夢であります。どこの宗派のクリス

チャンでもなく「純粋にクリスチャンでありたい」というのが私たちの夢です。アメリカ

の復帰運動の初期にはこのことが非常に強く訴えられました。時間がありませんのでお渡

しした概要印刷の三ページの上のほうは省かせて頂きます。しかし、後でお読み下さると

私たちの先駆者が宗派に属さないクリスチャンに如何になろうとしていたかをご理解いた

だけると思います。二番目のクォテーションはハードマンからです。フリード・ハードマ

ン大学はこのN・D・ハードマンに因んでつけられました。大学生の時このN・D・ハー

ドマンから授業を受けました。彼が生きておられた時代では、アメリカのキリストの教会

の中では最も偉大な説教者ではなかったかと思います。彼は「自分たちだけがクリスチャ

ンである」などとはただの一度も言ったことがありませんでした。しかし、「私が強く言

いたい事は、『私たちは(純粋な)ただのクリスチャンでありたい』と言う事だ」と教え

て下さいました。私が夢に描いている事はどの宗派教派にも属さないクリスチャンになり

たいと言う事です。私たちはただクリスチャンでありたい。福音に忠実に従い、再び生ま

れ変るならば、何処にいる者であっても神の家族の一員であり、私たちの兄弟姉妹なので

す。

  最後の、そして五番目の記念碑について述べましょう。それは継続される復帰運動(絶

えることなく続けられる復帰運動)であります。教会は聖書に戻る復帰運動を繰り返し常

にやっていかなければならないと思っています。この復帰運動は決して完全なものではあ

り得ませんから、私たちはこれを継続してやっていかなければなりません。私たちは不完

全な人間ですし、過ちも犯しますので、復帰運動の仕事も完全ではあり得ません。先程話

しました古い世代の人々の失敗について考えてみましょう。古い世代の人達はあまりにも

過去にこだわりすぎてしまったと思います。と云いますのは、古い世代の人達はアレキサ

ンダー・キャンベルやバートン・ストーンたちは新約聖書の教会を完全に復元してしまっ

たのでこれを変える必要はないし、ただこれを正しく守っていればそれでよいと考えたか

らです。もしそのように私たちも考えるならば復帰運動に先駆者たちを私達も裏切ってい

ると言う事になります。彼らの主張していた事は「聖書に戻ろう」と言う事で、「どんな

人間にも従ってはいけない」と言う事でした。ですから復帰運動は私たちに絶えず挑戦を

迫ってくるものです。約二百年前に彼らがやっていたと同じように、今日の私たちもやっ

ているこれは一種の戦いです。各世代の教会は、その世代その世代において神のみ言葉に

よって審かれるものであります。神のみ言葉によって審かれる時に私たちは寸足らずの者

である事を知るのです。私たちは決して完全な者ではないし、神が望んでおられるような

ところから遥か遠くにいる者でありますのです。各世代は各世代自身がよく聖書を学ばな

ければなりません。各世代は各世代で神が望んでおられる私たちの本来の姿に少しでも近

付く努力をすべきであります。それがバートン・ストーンやアレキサンダー・キャンベル

が試みた事であります。また、それが今日、中国で多くの人々がやろうとしている事であ

ります。それが新約聖書の教会を復元する意味でもあります。リューエル・レモンが話し

ておられるのを聞かれた方はいらっしゃいますか。何人かおられるようですね。お年を召

して最近亡くなられましたが、ファーム・ファンデーション誌の編集に長く携わってこら

れました。私の見るところ、教会復帰運動の過去四〇年間の流れの中でアメリカにおいて

最も優れた指導者の一人であったと思います。彼の書いた論説の一つをここに記しておき

ましたので、それをもって今日の午前の講演を閉じる事にしましょう。

  「新しくされると言う事は恐らく聖書を復帰すると言う事よりもよりよい言葉ではない

だろうか。私たちが神に新しい命を下さいとお願いする時に、私たちは何かを復元しよう

としているのではありません。私たちは神に新しくされる事を願っているのであります。

分派主義、悪意、いがみ合いが存在するかぎり、私たちが聖書の復帰を必要としているよ

りも私たち自身の心が新しくされると言う事が必要なのです。炎は火をつけられなければ

なりません。私たちの心は新しくされなければなりません。聖徒たちの群れは彼らの手に

神のみ言葉を持って、彼らの心の中に神の愛を持ってこの古い、滅びゆく世界に対しても

っとたくさんの素晴らしいことができるのではないでしょうか。私たちの心が正しい霊に

よって新しくされると言う事は教義的に正しいと言う事と同じ程大切な事です。お互いの

どちらが欠けても鳴る鐘や鐃鉢血のようです。」(ファーム・ファンデーション  一九七

六年一月二〇日)

 

  五つの記念碑を私たちが建てたいと望んでいる事を、皆さんがご理解下さる事を心より

願がっています。これらは非常に大切なものでありまして、私たちはこの事へと献身しな

ければならないと思います。私たちの息子・娘にこの事を語り伝えていく必要があると思

います。過去を知るために歴史を学ぶのではないと言う事をもう一度覚えて下さい。歴史

というものは、今の私たちが一体何者であり、誰であるかと言う現在を知るために学ぶの

です。明日の朝に、私たちは一体何処へ行こうとしているのかと言う私たちの未来につい

て語りたいと思います。ご静聴ありがとうございました。