神さまの時は常に「今」です 

 

  1968年から1980年までの間に韓国の貧民窟訪問は50回前後になっていました。

その他にフィリッピンの恵まれない子供や仲間たちへの訪問が3回、隠された香港の

貧しい地域の子供たちや、インドの貧しさを掻い間見たのが1回ありました。

 

  疲弊しきっていた韓国農村にささやかな希望を与えたいと願い「肉牛銀行」計画を

建て、そのために、かつて敗戦直後に今はなき東京獣医畜産大学で学んだ知識を活用

し、ニュージーランドに赴いて6百頭の孕んだ若い牛を買い付け、船で仁川港に送り

出したこともありました。  貧しかった韓国農村各地もくまなく訪れました。

 

  また、韓国の貧民窟の指導者達に懇願され、現在のような割引安売航空券とという

ものが未だなかった時代に、順子さんに助けて貰って、乏しい家計の中から、そして

また家具なども売却して、80時間かけて西ドイツに行き、韓国の恵まれない幼児たち

のために保育教育と給食事業を導入して欲しいと交渉に行ったこともあります。

  結果的に、韓国各地に給食施設を付帯した数ヶ所の立派な託児所が建てられ、毎日

2千人の幼児が20年間に亙り給食付きの幼児教育を無料で受けることができました。

延べ最低1千4百万の幼子たちのからっぽの胃袋がバランスのある栄養食で満たされ

たと思います。  日韓共催サッカー大会場で熱心に応援していた韓国の青年や壮年の

中には給食を食べた嘗ての子供たちがいたであろうと、そのように思いました。

 

  そのようなことを通して学んだ哲学の一つに、「神さまの時は常に今だ!」という

こと、すなわち 「Wait and See !」ということです。  『まぁ、ちょっと待ってみて

神さまがどうなさるのかを拝見してみましょう!』とでも訳せばよいのでしょうか、

そのような学びもあったのでした。

  今回はこれらとの関係で友人から聞いた小話を思い出しながら紹介致しましょう。

 

 

  南カリフォルニアに住むジェフという若いパパがマクドナルドでバイトをしていた

時の体験談です。  彼の役目は店頭でハンバーガーを売ることではなく、ドナルドの

縫いぐるみをかぶって恵まれない人々を訪問し、ハンバーガーを提供するという仕事

でした。  マクドナルドは、この種の奉仕活動も、長い目で見れば、宣伝と売り上げ

につながる、と考えてのことでした。

(そのように聞きました。  特定の会社を宣伝している訳ではありません。  為念)

 

  ジェフは毎月1回、特定の施設や病院を順番に訪問して、恵まれない孤独な老人や

幼児たちに接する仕事を大切なものと考え喜んでドナルドの縫いぐるみをかぶってい

ました。  会社も彼の仕事ぶりに満足し、老人たちや子供たちも、そして施設の管理

運営者も、看護婦も医者も、誰もがジェフの奉仕を喜んでくれ、感謝してくれていま

した。

 

  しかしその一方でジェフには「してはいけない」規約・制限が幾つかありました。

一つは、病院の内ではマクドナルドの責任者と病院側の付添なしで勝手にどこへでも

行ってはならないということです。  それは、ドナルドの縫いぐるみが突然に入って

来れば入院中の幼児や老人がびっくりするかも知れないからです。  病人を驚かせて

はいけないということはジェフにもよく理解できました。

  もう一つは、病院に収容されている者と手を握ったりして接触をしてはいけないと

いうことです。  外部からの黴菌の感染を予防するための処置でした。

 

  このようなわけで、「触ってはいけない・触れてはいけない」という主旨は充分に

理解できるのですが、子供たちに愛情を伝達する一番良い方法は握手し、抱き締め、

抱き上げることですので、ジェフにはこの禁止命令だけは苦手でした。

  印刷された文字や言葉は人を欺くことができますが、相手をハグするときの暖かさ

には偽りがないからです。  でも、これら二つを犯せば即刻クビの約束でした。

 

  アルバイト4年目のある日のことでした。  或る病院での長い一日を縫いぐるみを

かぶってのバイトが終わりに近づいていました。  ジェフが廊下を歩いていたときの

ことです。  半分ドアーが開いていた病室から弱々しい幼い声が聞こえてきました。

『ドナルドちゃん、ドナルドちゃん!』と呼ぶ声でした。

 

  禁止命令ですから病室に入るわけにはゆきません。

半分開いたドアーから中を覗いて見ますと、そこには5歳前後の男の子がパパの腕の

中に横たわっていました。  全身にスパゲッティのような管がいっぱいグルグル巻き

ついています。  ママもすぐ傍にいます。  お爺ちゃんとお婆ちゃんも一緒です。

看護婦が何やら器具を調整しているようでした。

 

  室内の雰囲気は緊張し、重苦しそうで、ただならぬようでした。

ドアー越しに『坊や、何ていう名前?』とジェフは思わず尋ねました。

『僕、ビリー』と弱々しい声です。  ジェフはビリー坊やに幾つかの手品をした後で

ジェフはその男の子に『サヨナラ』を言いました。

 

  『ドナルドちゃん、行かないで。  僕を抱いて!  どうかお願い!』とごく自然な

求めです。  しかし、それはジェフの失業を意味します。  ジェフには養わなければ

ならない愛する家族がいます。  住宅ローンの支払いがあります。  自動車ローンの

支払いも待っています。  愛する子供たちの教育費もあります。  仕事を失うわけに

はゆきません。  患者の坊やを抱くということは、それですから、ジェフにはとうて

いできない相談です。  縫いぐるみの中のジェフは必死です。  ビリーの気をそらす

ためにジェフはクレヨンで塗り絵を始めました。  手品をもっと続けてやりました。

 

  そして再び『サヨナラ』を言った時、再び坊やが『ドナルドさん、僕を抱いて!』

と弱々しい声で絶叫しています。  ジェフの心は Yes! No!, No! との間でずたず

たです。  この坊やは二度と再び自宅には戻れないだろう…、二度とドナルドの縫い

ぐるみを見られないだろう…

 

  『ジェフょ、お前は何を戸惑っているんだ!?  『クビにはなりたくないよ!』

『お願だから僕を抱いて!』…弱々しい幼児のとっても自然で簡単な求めです。

ジェフの心の中は走馬灯のようにいろいろな躊躇や思いが瞬間的に走り抜けました。

 

  ジェフはマクドナルドのスタッフに先に車に戻るように言いました。  坊やの家族

にも病室から出るように言いました。  看護婦だけが残りました。  そしてジェフは

ビリーを抱き上げたのです。  痩せさばらえた、軽い軽い5歳の男の子でした。

 

  それからの45分間、二人は笑い、歌い、話し続けました。  二人にとってはとても

楽しいひとときでした。

 

  ビリー坊やは言いました。  『僕にはね弟がいるだよ。  パパとママがここにいる

から弟は幼稚園からお家に戻れないんじゃないかと思う…』  『猫と犬と金魚の餌は

どうなっているんだろう?』  『僕が手をつないで案内しなければ、ちっちゃな妹は

ひとりで幼稚園に来年行けないと思うんだ…』  『僕が牛骨を庭に隠したから仔犬は

あの骨を見つけられなくて悲しんでいるんじゃないか』…などと話してくれました。

 

  別れぎわには縫いぐるみの中のジェフの顔は涙でぐじゅぐじゅでした。

そして両親にジェフの本当の名前と電話番号を伝えたのです。  これも職務違反行為

だったのですが…

 

  そして48時間も経たない内に、ジェフはビリー坊やのママから嬉しく、そして悲し

い電話を受けたのです。

  ビリー坊やはその最後のひとときを、本当に楽しく幸せに過ごし、そして神さまの

もとに独りで戻って行ったのです。  どれほど両親と看護婦はジェフの最後の奉仕に

感謝しているか言葉で言い表せない…との内容でした。

 

  そして、ビリーは死ぬ前にママにこうも言ったそうです。

『ママ、僕はね、今年のクリスマスにはサンタに会えないかも知れない…でも、僕は

いいんだ。  だって、僕、本物のドナルドに抱っこしてもらったんだから…』

 

  『時には自分で正しいと信じたことに対して勇気を出してそれを実行しなければな

らないのだ』とジェフは語ったのです。

『自分のチッポケな幸せを守るために、自分の信じていることを犠牲にするなんて、

これはやはり良くない。  やってみることに価値があるんだ。  リスクを恐れて人々

が実行すること、経験することを制限してしまうから、結局のところ人生はつまらな

いものになるのさ』と、ジェフは恥ずかしそうに語ったそうです。

 

 

  アジアのスラムで私が体験したことの一つは、前にも述べましたように、『神さま

の時間は「今」しかない』ということです。  死に臨むビリー坊やがその短い人生の

終わりで最後に経験したジェフとの出会いの小話しを聞きながら、私はスラムで学ん

だ教訓の一つを改めて再確認できたのです。

 

  マクドナルド社の記録には、ジェフが死の直前のビリー坊やに出会った時のことは

全く記載されていないとのことです。  ジェフはその後もしばらくの間マクドナルド

でアルバイトを続けていたそうですが、その後のことは聞いていません。

 

  以上の小話を友人から数年前に聞いたことがありましたので「ベタニヤつうしん」

に改めて再び紹介することにしました。

 

  そう言えば、むかし尋常高等小学校高学年の時に修身という授業を受けました。

その授業では『義を見てせざるは勇なきなり』と教えられたように記憶しています。

 

  主イェスは『私の兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたのは、すなわち、

私にしたのである』とおっしゃいました。  (マタイ伝2540節)      野村基之