八ヶ嶽南麓  2003年5月4日  野村基之

 

          マタイ伝2632節、28章7節、マルコ伝1428節、16章7節、

              ルカ伝23章6節、24章5節、ヨハネ伝21章1節以下

 

 

  父を口頭結核で失った私は、幼少時代(1930年代後半部)を京西陣の母方の実家で

育てられました。  西陣織というと見事で華やかな芸術作品ですが、それを織る織子

さんたちの生活状況は酷いものでした。  その制度の下に朝鮮人たちがいました。

 

  幼い私でしたが、父母から聖書的価値観を既に遺産として受け継いでいた私には、

朝鮮人の悲惨さが、幼い子供なりに本能的に『何かおかしい Something is wrong.

と写っていました。  小学校時代に差別されていた二人の朝鮮人級友がいました。

旧制明治学院高校時代から東京獣医大学時代には金五南君という親友がいました。

 

  赤貧留学生時代には黒人やヒスパニック人や東洋人への差別を体験しました。

占領米軍が教えてくれた理想民主主義大国アメリカとは随分と違った現実でした。

 

  1968年夏に思いきって韓国を訪問し、日本侵略の残滓と朝鮮動乱直後の苦境を目撃

しました。  それ以降の1980年まで積極的に疲弊しきっていた韓国農村や貧民窟での

奉仕に参加するようになりました。  1970年初頭の朴正熈大統領軍事独裁時代の殆ど

をスラムや農村で過ごしました。  フィリッピンや印度とも交わりを持ちました。

  そこでは、物質面では極めて豊かだとされている米国とその教会や神学校では学ぶ

ことが不可能なような貴重な体験と学びを得ることができました。

 

  朴正熈パッチョンヒ大統領軍事独裁政権時代の韓国基督者の意識ある者たちはそれぞれの

やりかたで挙って同国の民主化運動に生命を賭けていました。  場所は忘れましたが

イェス基督長老教会の韓国神学大学教授の安炳茂アンビョンム教授のガリラヤ教会?で教授

の説かれる復活のイェスと出会うという説教が私の心を根底から揺さぶりました。

 

  当時は、日本からクリスチャン新聞などが中心になって、保守派福音派を自称する

日本のクリスチャンたちが恰かも韓国が東洋のエルサレムであるかの如く錯覚してか

大韓航空機をチャーターしてワンサカとソウルを訪れていましたし、ビリー・グラム

が百万人集会を主催し、ハレルヤッ!の叫び声がソウルにこだましていました。

 

  その一方で、早稲田をエルサレムとする知的クリスチャンたちは韓国の民主化運動

を支援し、岩波書店の雑誌「世界」が毎回「韓国通信TK生」が日本の知的層にはよく

読まれた時代でした。  私自身は常に韓国陸軍保安部やKCIAの監視下にありました。

 

  さて、1960年代初めから、私はエルサレムに対しての興味はそれほど強いものでは

ありませんが、ガリラヤ湖水周辺には深い興味を覚えています。

  そのこととは別に、その当時、ソウルのガリラヤ教会で安教授がどのようなお話を

なさったのか正確に記憶していませんが、遅い春が八ヶ嶽南麓にもようやく来岳して

来ましたので、ガリラヤに就いて考えてみることに致しましょう。

 

  幼い頃からの決して恵まれていなかった体験、戦前・戦中・戦後の体験、留学中の

体験(とりわけ米国国家権力との苦々しい体験)、アジアのスラムでの体験…等々が

どうしても私に権力や富みなどを握る者たちを好きにさせないものがあります。

 

  私にとってのエルサレムとは、そのような諸権力が集約された象徴に写るのです。

今でもエルサレムは世界三大宗教と、宗教を中心とした神学や政治権力や財力などの

中心地です。  紛争が絶えたことがありません。  真理と虚偽が同居し、愛と憎悪も

同居しています。  寛容と裁きや、生命と死がそこには一緒に同居しています。

 

  真理を司る者たちと自称する者たちが、同時に恐ろしい殺戮の陰謀を企てる場所で

もあります。  神と人とに仕えると自称する者たちが聖なる名前を用いて堂々と人々

を搾取する場所でもあります。  礼拝を捧げる者たちを利用してカネを稼ぎ、捧げら

れた献金を食い物にする職業的宗教人や宗教で食っている商売人がいる所です。

 

  『イェスさま万歳・ホザンナ!』と絶叫してイェスの入城を大歓迎した者たちが、

すぐその後には『十字架に架けて殺してしまえ!』と要求した場所でもあります。

  イェスの肉が割かれ、血潮が流され、弟子たちは敗北感と挫折と憤りに満たされ、

同時に無力感に襲われて逃げ出した場所でもあります。  『イェスラエルを救う人は

この人しかいないと信じ込んで三年間も付いて来たのに、あっけなく殺されてしまっ

てもう三日目なんだ。  がっかりだょ』(ルカ2420節)と愚痴った町でした。

 

  エルサレムとは、このように相対する二つの力、相矛盾する二つの勢力が常に対決

している場所であるようです。  私たちの心の中にも、そのように、相対する想い、

相矛盾する心の動きというものがいつもあるのではないでしょうか?

 

  相手を殺してやりたいと思う程の恐ろしい気持ちがあったり、同時に愛されたいと

願う心が住んでいるのではないでしょうか?  諦めた筈なのに諦め切れないものも亦

そこにはあるのです。  混乱したり、苦悶したり、憎悪と愛欲が同居していたり…

 

  生きて行くということには、多くの不条理が絶えずあります。  絶望しながら何か

誰かに愛されたい、理解されたい、受け容れて貰いたいという強い願いがあります。

  深刻な対立や、耐えられ得ない程の絶望や孤絶の中で私たちは生きているのです。

救いを求めている筈です。  人は独りでは決して生きては行けないのです。

 

  家族の中の対立、教会の中の対立、職場での対立、一杯あるのです。  誰もそれが

良い状態であるとは思っていません。  解決したい、受け容れたい、受け容れて貰い

たい、対決を融和と一致に向かわせたい、憎悪を愛に変えたい…みなそのように願っ

ている筈です。  対決を無視することはできません。  対決が恰かも存在していない

ように振る舞うこともできません。  対決を一方の者が死ぬまで持ち続けて行くこと

もできません。  イスラエルとパレスティナの両民がエルサレムを巡って憎しみあっ

ている限り世界に平和も愛も在り得ません。  私たちの心も同じことです。

 

  十字架に架かる前にイェスは『復活したらガリラヤで会おう』と呼びかけられたと

マルコ伝1428節は語ります。

 

  復活の早朝に女たちがエルサレムの墓に行きましたが、イェスはそこには居らず、

天使たちは『イェスはよみがえられて、予て語られていたようにガリラヤでお会いに

なる』と絶望と悲しみの中にあったエルサレムの女たちに告げたとマルコ伝16章7節

は語っています。

 

  これは注目に値する言葉です。  イェスが殺されたエルサレムで、イェスの死骸を

厳重に警護していたローマ兵たちがいたエルサレムで、イェスの復活を怖れ警戒して

いたエルサレムの職業的宗教指導者や政治権力者たちが待機していたエルサレムで、

イェスは弟子たちと再び『会おうぜ!』とは仰らなかったのです。

 

  復活されたイェスが弟子たちと共にエルサレムで再会されるとなれば、これは復讐

を意味することになります。  血が流された場所で更なる血が流されることになりま

す。  復讐は更なる憎悪と呪いと怒りを招くだけです。  更なる死を必然的に招くの

です。  支配が更なる支配を生みます。  虐げられている側は虐げる者たちに対して

ますます憎しみと復讐を誓います。  対決姿勢が更なる対決姿勢を招きます。  分断

と対立が底なし沼のようにどんどんと深まるだけです。  復讐は駄目なのです。

 

  エルサレムでの再会と集会は駄目なのです。  弟子たちが初めてイェスに出会った

初恋のガリラヤでなければ駄目なのです。  ガリラヤは大都会ではありません。

  最高宗教学者も力ある政治家も旧約聖書を片手に説く法曹界のお偉がたたちもいま

せん。  権力を象徴する立派な建物もありません。  宗教を食い物にしている政商も

いません。  搾取されている奴隷や労働者もいません。  復讐と対決はありません。

  そこには調和と自然があります。  ありのままの姿で受け容れてくれる自然があり

ます。  そこにあるのは緑の草原と輝く太陽の光と、その上を流れる風と、風の中に

舞う蝶や小鳥、湖水の魚と漁師の生活です。  これがガリラヤです。

 

  然し、イェスが『ガリラヤで会おう』と仰ったのは、それだけではありません。

キリストの霊が支配する状態、イェスの愛が実践される状態、神の国の義と愛が支配

するところをイェスはガリラヤと呼ばれ、その故に『ガリラヤで会おう』と仰ったの

だと思うのです。  30年前の民主化闘争の韓国で教えられた大切なことでした。

 

  使徒行伝2章38節〜40節にはイェスの御名によってバプテスマされた者には、罪の

許しと、聖霊の賜物と、この曲がった世、または時代から救い出され得る特権が与え

られると、そのように初代教会の最初の説教がなされたと記録されています。

 

  イェス・キリストの霊を受けた者には罪の赦しが与えられ、「俺とテメェ」という

対決姿勢から永遠に解放され、『主イェス・キリストに在って一つである』という、

それまでに体験できなかったもう一つ別の新しい世界が神の一方的な恩寵の賜物とし

て開けて来るというのです。  イェスが弟子たちに『ガリラヤで会おう!』と仰った

意味はそのような意味だと私は思っているのです。  如何でしょうか?

 

  イェスラエルもパレスティナの人々も、共にそれぞれの神の名を使いながら、実は

憎悪と復讐と不信の念の奴隷となっています。  キリスト教会の中でもおなじことが

行われています。  分裂や対決や憎悪があるのが何よりの証拠でしょう。  みんなが

エルサレムにしがみ付いていて、ガリラヤに行ったことがないからでしょう。

 

  使徒パウロはエペソ書2章で、二つの敵対する者たちが「キリストに在って一つと

なる」奇蹟を語っています。  英語では「in Christ」とか「in Him」という表現で我々

が一つとなる秘義を語っています。  奴隷も支配者もなく、ギリシャ人もユダヤ人も

なく、異邦人も選民もなく、上下関係もなく、貧冨の差もなく、強弱の差もないと、

そのように語っているのです。  そこでは贔屓も差別もないし、血縁も地盤も金縁も

ないのです。  「イェス・キリストに在って」統合され、一致され、融和されるだけ

なのです。  この対立している世界、激動の世界に在って、「イェス・キリストに

在って」一つとなることを体験しなければならないのです。  それがガリラヤです。

 

  ブッシュが神の名を使って、もう一つ別の神の名を使っていたサダム・フセインに

先制攻撃を加え、それを米国の殆どのキリスト教会が支援し、アラブ諸国のモスクで

もアッラー神に勝利を祈願するというような低次元に留まって居る限り、エルサレム

に留まっている限り、この世界に平和と癒しと融合と統合は在り得ないのです。

 

  イェス・キリストの教会と、そのエクレシアに繋がる私たち自身が、『ガリラヤで

主イェスに出会う』ことの意味と必要性を先ず最初に覚え直す必要があるのです。

  ガリラヤの主の愛と赦しの中にこそ私たちの将来があり、希望があると確信してい

るのです。  癒しがあると信じているのです。

 

  皆さんの人生に於いても他人さまには語れないままの、秘められたさまざまな葛藤

があるのではないのでしょうか。  恰かも何もないような顔をしてお互いに生活して

いますが、自分の心の奥底には自分ではどうにもならないような対立や分裂があるの

ではないのでしょか。  憎悪や悔恨、恨みや呪い、絶望や諦め…皆無でしょうか?

 

  親が子を捨てたり殺したり、その反対に子が親を罵ったり捨てたりすることもあり

ます。  夫が妻を裏切ったり捨てることもあれば、その反対に妻が夫を捨てることも

あります。  意図的なこともあれば、ふとしたことが引き金になることもあります。

  また、戸籍上は未だに夫婦や親子として留まっていても実質的には無視や軽視や、

支配や離反などの現実が全くないとでもおっしゃるのでしょうか?

  兄弟姉妹どうしの憎しみあいもあります。  そして犠牲者側は死ぬまで辛い思いを

背負わされることとなりますし、加害者側に回った者も人知れず悩み苦しみます。

 

  職場でも、自分が組織という巨大な力の中で、かけがえのない大切な存在として、

一人の人間として尊重され、信頼され、評価されているのではなく、いつでも取替の

利く一部品として酷使され、用が済めば、年を取ればポイ捨てされることもしばしば

あるのです。

 

  特にこのことは、キリスト教という名の付くいろいろな組織に於いても同じような

ことが平然と行われているのです。  いやむしろ主の名を利用して意図的に上位者が

下位者を酷使・搾取していることが多いように私はいろいろな体験から推測している

のです。  そしてそれこそがエルサレム的な悲しい実態だと思っています。

 

  いろいろな出来事をとおして、そのような場合、他人ばかりを責め立てているもの

の、自分にも非があったと認めようとしなかったり、それを秘かに認めて愕然とする

己の姿を惨めに思ったり、それでいてなおまだ愛情と憎悪が一緒に混在していたり、

絶望とかすかな望みが同居していたり、厳しい現実の中にあって尚も果たせなかった

叶わぬ夢を追ってみたり、あの時ああしておけば良かったなどと悔やんでみたり…で

す。  死ぬまで魂にひとときたりとも憩いも休みもあり得ないのです。

 

  憩いも救いもないそのような生き地獄のような毎日毎晩の生活を死に到るまで蝸牛

のように独りで背負い込んで歩み続けて行くとすれば、「道が遠くて耐えられない」

(列王紀上19章7節)人生は余りにも寂しくて辛すぎるのではないでしょうか?

 

  十字架のイェスに出会い、復活のキリストにガリラヤで出会って、心の奥底に潜む

重荷をイェスの前で降ろす必要があるのではないのでしょうか?

 

  聖歌 536番の4節の翻訳歌詞をどのようにお読みになっていらっしゃいますか?

    『来たれや世の旅路に疲れ果てし者、ただちに来たれ罪の重き荷を負う者、

      君なるイェスはなれを慰めいたわり、まことの安き、救い与え給うべし。

      伸べ給う手にすがれ、なれも安き受けんとこしえまで君をなれは神とせん』

 

  私の70余年の人生の大半は厳しいものでした。  改めて私の家族のこと、留学時代

に体験したこと、大学院を中退して帰国せざるを得なくなったこと、更に帰国直後に

左腎臓を失う不思議な交通事故に遭遇したことなどをご紹介してみたいと思います。

  そうして、私自身にとって、「私のガリラヤ」がどうして必要であったのかという

こと、「私にとって私が私のガリラヤで私の復活の主イェスに出会う必要がどうして

あったのか」などをお話ししてみたいと考えています。

 

  それによって、皆さんにもそれぞれ「皆さんのガリラヤ」が必要であるとご理解を

頂ければ嬉しいと考えています。  ベタニヤ村でイェスは『人生でなくてはならない

ものはそんなに多くない。  いや、たった一つだけだ』と仰いました。  ルカ伝10

42節の言葉です。  皆さんの人生にとってなくてならぬものとは何でしょうか?

 

  聖書そのものはイェスの復活が何月何日であったと具体的に記録を残しておりませ

ん。  ユダヤ人の古い暦から何となくその日を割り出せると東西二つの教会の伝統は

語っているようです。  然し、ある特定の日にちが大事で、その日だけを復活祭だ、

イースターだと騒ぎ立てることはそれほど大切なことではないと私は考えています。

 

  聖書が何も語っていないことを恰かも語っているかのように騒ぎ立ている割りに、

聖書が語っているイェスの復活を一年に一度だけ思い出すような姿勢には疑問を覚え

ざるを得ません。  いわゆる「クリスマス」に対しても同じことが言えるでしょう。

 

  何千何百年もの間にわたって原始的な農耕生活をしていた人々にとって、春の草木

が暗黒と死の厳寒の季節から再び復活して来るという季節の節目は、彼らの農耕生活

リズムの上で極めて大切なものであった筈だと、私はそのように理解しています。

  キリストの福音がヨーロッパに導入されるより遥か前から存在していた、春を切望

する農業生活を中心とした復活を祝う伝統を否定するつもりは毛頭もありません。

 

  そういうことではなくて、私たちにとって大切なこととは、「日々の生活の中で」

「あなたご自身」が「あなたのために」「復活されたイェス・キリスト」に「個人的

に出会って」、「そのイェス・キリストに在って」、「新しいいのち」「とこしえの

いのち」を「あなたご自身」が「個人的に得られたのかどうかということ」が最大の

課題だと私は確信しています。  課題ですからあなたの個人的回答が必要なのです。

 

  人間は自分の力だけで、独りで人生を渡りきることなど到底できません。

  神さまの上からの一方的な恩寵が必要なのです。  赦されること、愛されること、

ありのままの姿で受け容れて頂くことが必要なのです。  如何でしょうか?

 

  さあ、『ガリラヤで会おう』と仰って下さっているイェスに会いに行きましょう。