199910        《時速4粁、驢馬さんの歩速  その1》          野村基之

                               

  人生死ぬ瞬間まで新しい体験の連続です。  高齢者の階段を登るに従い、これまた

今迄に体験した事のない体験、即ち spirit, body, and mind の調和を保つ事が如何

に困難であるかという事実に始めて直面し、これを克服する為に、絶えず祈りと学習

と調整が必要となってきました。  どうやらこの調整は容易な事ではなさそうです。

 

  先月初めから疲労困憊も重なり、憂鬱な毎日を過ごしました。  自己再発見作業が

難航しました。  そんな時、主イエスが御利用になった驢馬の事を思い出して慰めと

励ましと癒しを得ました。  そこで今回は驢馬の事を少しばかり調べてみました。

 

  その昔、敗戦後、東京獣医畜産大学に通っていましたが、驢馬の事は念頭にありま

せんでした。  また私が所有する辞書類には驢馬に関する資料源は少ないのですが、

キリスト教大事典や平凡社百科事典、他に英語各種辞典などを調べて見ました。

  その結果、家畜化された驢馬に関する記録としては、約四千年前のナイル河地域の

資料がある事が判りました。  どうやらアフリカ一帯に最初生存していたようです。

 

  道理で、ナイルと深い関係のある旧約聖書の創世記1216節から出て来ています。

アブラハム一族が財産として保有していた家畜の中にも驢馬が出てきます。

  モーセがその愛する息子イサクをモリヤの山で神さまに捧げるという有名な話しの

中に驢馬が出て来ます。  ヤコブがエソウと和睦を望んだ時にも驢馬が登場します。

 

  粗食に耐え、体重に比較して少量の餌で生存出来ます。  水を数日間飲まなくても

良く耐え、未整備道路、荒野、悪路にも耐え、遠隔地迄も我慢して歩きます。  小柄

な身体にも拘らず、脚がしっかりしているので、百粁もの積み荷にも耐えられます。

  また、権力者・征服者・軍人などが用いた馬に比べてスピードにおいて驢馬は完全

に劣りますが、農民・平民・一般人の駄用・乗用には適していた貴重な動物です。

 

  旧約聖書では、恐らく馬を念頭に置いての事でしょうが、出エジプト記1313節や

3420節を読んでみますと驢馬の価値を極めて低く見ているようで、神さまに捧げる

燔祭、即ち、丸焼きの供え物の目的にも値しない動物のように扱われていますから、

余程「身分の低い家畜」としての認識と扱いを受けていたものと想像出来ます。

 

  亦、その肉は「まずくて食べられない」という事になっていたようですが、敗戦で

飢餓状態の時だけ肉に高値が付き、仕方なく食べたような記録がエゼキエル2320

や列王紀後書6章25節に記録されています。  エレミヤ書2219節では、処刑された

犯罪人の埋葬方法のお粗末さが驢馬のそれと等しかったようだと記録しています。

                                                   

  ここ迄を旧約聖書から読んでみますと、驢馬とは、何も功勲のない動物、家畜の中

で最も愚劣で約立たずで、苦役にだけ役に立つ、  殆ど価値のない動物のような印象

を受けてしまいます。  そして、『これじゃ、私とそっくりだわ』としょげてしまい

ます。  『俺はどうせ驢馬と同様なんだ!  何の役に立たぬ存在なんだ!』となり、

ますます自己嫌悪に陥ってしまいそうです。  でも、ちょっと待って下さい。

 

  新約聖書を紐解いて、主イエスさまと驢馬との関係を考えてみましょう。

全然そこには違った驢馬さんの誇らしげな姿が紹介されてます。  そこでは驢馬さん

でなければならない姿が描かれているのです。  驢馬さんでなければならない聖書的

な理由が語られているのです。  これは私への胸踊る良きおとずれ、吉報なのです。

(新約聖書を読む前に、詩編 14710節、イザヤ書9章6節、ゼカリヤ書9章9節を

読んでおいて下さい。  後で必要になって来る旧約聖書の大切な箇所ですから…。)

 

    マタイ伝21章1節〜17節、マルコ伝11章1節〜11節、ルカ伝1928節〜46節、

ヨハネ伝1212節〜16節には主イエスがエルサレムに入城なさった時の描写が描かれ

ています。  有名なお話です。  参考迄にですが日本基督教団の子供讚美歌32番及び

讚美歌 130番や聖歌 153 154 は、主イエスのエルサレム入城を讚える曲です。

 

  ここでは、主は権勢のしるしとしての馬に乗っての入城ではなく、民衆の救い主、

庶民の友として、十字架に向かわれる贖罪主として、ザカリヤが豫言していたように

仔驢馬に乗って、「義なる者」、「勝利する者」、「柔和な者」として、エルサレム

に入城されたのです。  「世の罪を取り去り贖う神の仔羊」の入城の御姿です。

 

  それは王宮ではなく馬小屋で、黄金の寝台ではなく汚い飼葉桶で、奇麗な錦糸や絹

の布に包まれるのではなく死者やミイラを巻く襤褸布に包まれて、民衆の友として、

十字架の死を最初から意識して生まれて下さったように、仔驢馬に乗ってエルサレム

に入城なさったのです。  それは馬ではいけなかったのです。  どうしても驢馬さん

でなければならなかったのです。  驢馬に乗って、ゆっくりと、時速約4粁の速度で

入城なさったのです。  軍馬や競走馬では駄目だったのです。  驢馬だったのです。

 

  驢馬の速度、即ち、人間の歩む速度なのです。  権力者や経営者は速度と能率中心

の発想ですが、主イエスは驢馬さんの速度、私たち「良く出来ない者」「持たざる者

の速度」で一緒に歩んで下さるのです。  ゆっくり歩むという事は、弱い者、貧乏な

者、良く出来ない者の速度なのです。  主イエスは私たちのペースの方なのです。

私たちの仲間なのです。  驢馬を必要とされたお方なのです。  有り難い事です。

 

  イエスさまの誕生を祝いに集まった人々、エジプトに避難された時、ユダヤ全土、

ガリラヤ湖畔、サマリヤなどを巡られて貧しい者、虐げられた人、病める人を愛され

た主、エルサレムに入城された主、そしてゴルゴダの丘に十字架を担って歩まれた主

イエス、そのいずれをとって見ても、すべて時速4粁、人間と驢馬の歩む速度だった

のです。  だから、上手に人生を歩めないからといって絶望する必要はないのです。

 

  そう言えば、長いエジプトの捕囚から解放されたイスラエルの民がモーセを指導者

として歩んだ速度も時速4粁、あるいはそれ以下でした。  荒野彷徨40年の速度も亦

時速4粁でした。  同じ所をぐるぐる廻り、ヘマをやり、不信仰の失敗を重ねたのも

時速4粁の速度でした。  紅海を渡った時も時速4粁かそれ以下でした。  荒野彷徨

中にマナを頂き、岩を割って水を飲んだ時も時速4粁でした。  まっすぐ行けば11

程で行けた直線道を、不信仰から40年もかけて、ぐるぐる巡りをやった無駄な歩み方

も時速4粁でした。  これが人間本来の求道の姿、求道の時速なのでしょう。

 

  韓国ソウルのスラムで奉仕した時も、南陽湾にスラムの人々を集団帰農させた時も

時速4粁でした。  自殺した死骸をリヤカーに乗せて火葬場に行った時も時速4粁で

した。  朴大統領緊急措置命令発動直前に皮膚病の女の子を腕に抱いて漢陽(ハニャン)

大学付属病院に運び込み、現金を要求され支払えなく、その儘また抱いてスラムに

戻った苦々しい思い出の時速も4粁以下でした。  驢馬の速度は人間の速度です。

 

  物質欲追求型の新幹線型の速度ではないのです。  合理化・合理主義・弱肉強食の

速度ではないのです。  主イエスの歩まれた速度は驢馬の速度です。  ヘマばかりを

やる私たちの速度です。  主イエスは、私たちのような者を必要とされるのです。

驢馬には驢馬でしか出来なかった主イエスへの大きな仕事があったのです。  それを

主は充分にご存知の上で、驢馬を用いて神さまのお仕事、エルサレム入城を果たされ

たのです。  それは馬にも戦車にも出来なかった貴い仕事で、驢馬の任務でした。

 

  『私は役立たずで駄目な人間だわっ。  僕は驢馬みないに駄目男だ!』などと自分

で決め込む必要は、主イエスの前では絶対に必要ないのです。  主は驢馬を必要とさ

れたのです。  価値の少ない家畜、歩みの遅い家畜と思われがちな驢馬をイエスさま

は必要とされたのです。  馬と驢馬には神さまがそれぞれに与えられた目的と役割が

あって別々に創造されたのです。  二者を比較する事自体がおかしいのです。  『俺

は驢馬で、馬のように速く走れないから駄目だ』と呟いて嘆く必要はないのです。

 

  私には私にしか出来ない人生の役目と仕事があるのです。  それを神さまは求めて

おられるのです。  私が私であるという事は、それは神さまのご恩寵、贈り物です。

  これからその私をどう成長させるのかは、それは私たちが神さまへの私たちの感謝

の度合いのバロメーターになるのではありませか。  これが求道者の姿と道です。

                                             

  先日、こんな事を考えてみたのです。  そして、鬱とおしい気持ちから解放され、

再度主の前に恩寵を感謝する事が出来たのです。  驢馬は驢馬である事を主に在って

誇りたいものです。  みんな大丈夫です。  その儘で神さまに愛されているのです。

 

  讚美歌 243 244 と聖歌 392 398 を大声で歌ってみました。  感謝でした。

 

                    《時速4粁、驢馬さんの歩速  その2》

 

  〔その1に続いて学びましょう〕  旧約聖書の中で余り目立った、パットとしない

地位を占めていた動物に驢馬があった事を考えて来ました。  庶民、農民、大衆が

駄用・苦役に用いた動物です。  馬のように高速で移動出来る動物ではありませんで

した。  侵略者、征服者、軍人、官僚、豊者、あるいは職業的宗教人など支配者が

主として利用していた馬とは違い、驢馬は速度の極めて遅い動物です。

 

  映画「十戒」を御覧になった方も多いと思います。  青年モーセがエジプトの宮殿

から逃げ出し、命辛々やっとの思いで砂漠を渡り切り、ミデヤンの地に辿り着いた時

も、恐らく時速4粁以下だったのではありませんか(出エジプト記2章18節)。

  そこで生涯の殆どを過ごした羊飼いとしてのモーセの速度も時速4粁以下でした。

 

  3章でモーセは神さまとホレブの山頂で出会います。  更に4章1節から9節でも

神さまとの決定的な出会いをしました。  時速4粁以下だったと思います。

  4章の後半から5章、6章、7章、8章、9章、10章、11章と、モーセが神さまの

仕事をする為にエジプトに戻り、エジプトの王と交渉をする時の時速も4粁でした。

 

  1231節から何百年もの間エジプトで捕囚生活を強いられていたイスラエルの民が

モーセの指導の下に出エジプトの偉業?を始めます。  老人、病人、幼児、家畜など

おびただしい数の大群衆の民族の移動です。  時速4粁どころではありません。

  「解放された」神さまの民が神さまの「秩序を入手する」一大歴史の開始です。

呪わしい捕囚の地エジプトから約束の地までの距離は11日の距離であったと、申命記

1章2節は証言しています。  それだのに、イスラエルの民は、その道を実に40年も

かけて時速4粁以下の速度でさ迷い続け、歩き続けたのです。  実に人間的理由で、

呟きと不平の絶えない民は、ぐるぐると同じ道を辿りながら訓練を受けたのです。

 

  多くの場合、目前の危機に怯えて神さまの約束を信じられず、不信仰のヘマだけを

繰り返していたのです。  こうして、解放直後に荒野に突入した不信仰な者たちは、

荒野彷徨の不信仰の日々の中で死に絶え、砂漠の中で生まれた新しい世代によって、

40年後に約束の地に辿り着けたのです。  全部時速4粁以下の速度、驢馬の速度でし

た。  人々は時間をかけてしか神さまの教えを体験をとおして学ぶのです。  解放が

直ちに新秩序、神さまの秩序の確立とは行かない事を学ばなければなりません。

 

  実に、イスラエルの民が、過ぎ越しの祭りという途轍もない体験をした後、モーセ

に引率され、エジプトの捕囚から解放されて神さまの約束された地に向かって以来、

現在まで何千年もかかっているのです。  未だに神さまの秩序が打ち建てられていな

いのです。  イスラエルの国は未だにアラブ諸国との間で「神の平和」エルシャロム

を確立していないのです。  それ程にも信仰の確立には時間がかかるのです。

 

  ガラテヤ書5章22節にある「聖霊の結ぶ実」の事ですが、樹に実が成るには長年の

歳月がかかるのです。  一つの果物が私の手元に来る迄には、恐らく数千年、いや、

数万年、若しかするとアダムのエデンの園までも戻らなければならないような年月が

かかっているのです。  エゴイストの私に愛の実が実るとすれば、聖霊さまのお助け

で、長い信仰生活、求道生活の中で、神さまから与えられる賜物なのです。

 

  実は枝に繋っていれば(ヨハネ伝15章4節〜8節)、やがて信仰の実、聖霊の実で

ある愛を結ぶ事が出来るのです。  更に、実が成るには時間がかかるだけではなく、

枝に繋っている実は、実に内側から外側に向かって少しずつ少しずつ確実に育ってい

るのです。  内側から外側への成長ですから、外側からは見えないのです。  時間が

来れば判るようになるのです。  果物の成長は、時速4粁なんて早いものではありま

せん。  もっと、もっと遅い速度ですが、枝(イエスさま)に繋っていれば必ず成長

するものなのです。  外から見ても実ってないから切り捨てろとは言えないのです。

 

  その間に、颱風も来るでしょうし、旱魃もあるでしょうし。  八ケ岳のように零下

20度の厳寒期もあれば1メートル半の積雪もあるのです。  それでも枝に繋っている

実は確実に着実に成長し、やがて素晴らしい実を実らせるのです。

 

  信仰による新秩序、神さまの秩序の確立には時間がかかるのです。  時速4粁でも

早過ぎるのかも知れません。  驢馬さんの速度でよいではありませんか。

 

  荒野彷徨のイスラエルの民は、厳しい環境の中で、実に人間的な悩み、飲み食いと

排泄、出産・成長・恋愛・結婚・老化・疾病・死亡がもたらす実に人間的な苦悩と亦

それから複雑に派生していった生きる問題を時速4粁以下の速度で体験したのです。

11日で徒破できた距離を40年もかけて危険と約束の狭間の中で、時速4粁で彷徨した

のです。  それで良かったのです。  それ以下でもそれ以上でも駄目だったのです。

 

  脱線ついでと言うのも変ですが、ヨハネ伝5章1節〜9節には若い時に何か失敗を

しでかして(14節)38年間、殆ど40年間も病を得てベテスダ池「病院」に入院した男

の話しをイエスさまがなさっています。  治りたい一心で入院した筈でしたが初心を

見失い、他人に責任を転嫁し、成人人生の総てを無意味に過ごしてしまった男です。

  イエスさまに出会い、始めて自分の入院目的を自覚し、立ち上がったとあります。

求道中に初心と目標を見失う恐ろしさの姿です。  イエスに出会って初心に戻り復活

したのです。  新秩序確立には時間が必要です。  時速4粁で進みましょう。

 

  コリント前書1013節には、私たちが体験する人間的な、時速4粁の総ての苦悩と

いうものを、神さまは充分に御存知なのであり、そのために「逃れる道」を備えて下

さっていると明記しています。  「逃れの道」とは、聖書が書かれているギリシャ語

によりますと、エクバシン、即ち、困難に当面しても、逃げないで、真っ直ぐに直進

する事で得られる道という意味です。  三銃士のダルタニヤンのようにです。  それ

は時速4粁の道でしかあり得ないのです。  ゆっくり直進して行けば良いのです。

  困った時、悩む時、時速4粁で着実に前進すればよいのです。  求道とはそのよう

な事を言うのです。  それで良いのです。  大丈夫です。  神さまがご一緒です。

 

  仔驢馬の背にお乗りになってエルサレムに入城なさる事は、詩編 1182526節や

ザカリヤ9章9節で豫言されているのです。  主イエスは神さまの豫言を成就なさっ

たのです。  馬ではいけなかったのです。  驢馬でなければならなかったのです。

 

  ですから、私たちも、自分が価値がない者であるとか、生きる意味のない者である

とか、無用の長物で人さまの迷惑にしかならない存在である、などと断言する必要は

全くないのです。  自分の事を驢馬と自己卑下する必要もなければ、馬でないと悲観

する必要もないのです。  神さまはいろんな人にいろんな賜物を与えておられます。

一人の人間が総ての賜物、多くの才能を独占するようになどなさっていません。

 

  私たちこそ神さまの愛の対象、赦しの対象、神さまの御用に当たる為の材料である

と信じ十字架のイエスさまの不思議な恩寵の業を感謝して受け入れれば良いのです。

  驢馬さんには驢馬さんにしか出来ない、馬さんには到底出来ない、神さまの特別な

仕事があったのです。  ヨハネ伝3章16節やロマ書5章8節にそう書いてあります。

  だから私たちも、良く出来なくても大丈夫です。  お金がなくても大丈夫です。

そのままの姿で大丈夫です。  こつこつ時速4粁で求道し続ければ大丈夫なのです。

 

                    《時速4粁、驢馬さんの歩速  その3》

 

  さて最後に、仔驢馬の背中に乗ってエルサレムに入城なさった主イエスさまの行動

と、イエスさまを巡るいろんな人々の事を注意して観察してみましょう。  マタイ伝

21章1節から16節前後までの事です。  そこにどんな種類の人々が描かれているので

しょうか。  そしてこの自分が、そのどちらの部類の人に属するのでしょうか?

 

  主イエスの入城目的を理解してか、それともしないでか、驢馬と仔驢馬を快く提供

してくれた人が出て来ています。  名前も判らぬ人ですが、イエスさまの入城を側面

から支えた人です。  天国でこの人とお会い出来るかも知れませんね。

 

  その人が持っていた驢馬、貧しい者には宝物です。  日常の糧を得る大切な道具で

す。  オートバイとか軽トラックのようなものだったかも知れません。  その大切な

生き物を2頭とも喜んで提供したというのですから驚きです。  素敵な人です。

 

  マルコ伝1241節〜44節とルカ伝21章1節〜4節のイエスさまの説明からも明白な

ように、人というものは、一つしか持っていない物を他人に差し上げるという事には

相当な抵抗があります。  二つ同じ物を持っている場合には、もしかするとその内の

半分なら他人に提供する事もあり得ましょう。  しかし、二つを差し出すという事は

持ち物の全部を差し出すという厳しい決断と勇気と信仰が要求される事なのです。

 

  元気で稼ぐ母親驢馬なら、仔驢馬を提供していたかも知れません。  仔驢馬が元気

で良く稼ぎ、母親驢馬が老いぼれ驢馬なら、元気な仔驢馬を手元に置いて、弱い方の

母驢馬を提供する事も出来たでしょう。  皆さんだったら、そのような場合、どちら

を提供されるのでしょうか。  この人は両方を主の御用に捧げたのです。  老いぼれ

母驢馬のために「仔驢馬ぬ(転ばぬ)杖」として仔驢馬も提供したのかどうか!?

 

  群衆が出て来ます。  『ホサナ』(「救って下さい」の意)と熱狂して主イエスを

お迎えした大衆です。  この同じ人々がそれから間もなく『十字架につけよ』と絶叫

したのです。  マタイ伝2722節にそう記録されています。  自分の利益の為にのみ

動く群衆です。  主の前に独りで責任ある一人の主体として立てない烏合の衆です。

  教会の中にも、案外このような無責任で日和見的な人もいるかも知れませんね。

調子の良い時だけやって来て花を摘み、ご馳走を食べてハイ・サヨナラ式の人です。

  自己顕示欲の強い人、世渡りの上手な人、集合写真撮影時には必ず前列中央に来る

人、「偉い人」が見えるとすぐ近寄りたがる人、いろいろな人がいるものです。

 

  次に宮の庭で商売をしていた人々がいます。  宗教を利用して土産を売る人です。

仕える事を忘れて、人々の宗教心を巧みに利用して個人の利を得る人です。

 

  両替人は、「一生に一度だけ」と多くの犠牲を払って遥々とエルサレムに巡礼して

来た人、即ち、ローマ帝国内の各地からやって来た人たちは当然の事ですが、旅銀を

ユダヤのお金に換金しなければ神殿への献金で困るのを知っているので、主として

ロ−マのお金をイスラエルのシケルに両替して、その利鞘を稼でいた人です。

 

  鳩を売る人もいます。  貧しい庶民が神さまにまともな捧げ物をする事が出来ない

時には一番安い鳩で代用できたようです。  正月三ヶ日に神社の賽銭箱に十円か百円

を投入して商売繁盛、家内安全、無病息災等を祈る日本人の賽銭感覚のようなものが

ユダヤ人参拝者にもあったようです。  鳩がそれを表していると思います。

 

  尤も、鳩以上の供物、例えば、ヨハネ伝2章14節を見てみますと、牛や羊もあった

ようですが、お金があっても牛や羊を捧げず、一番安い鳩で誤魔化した人も沢山いた

筈です。  どうしてかと言いいますと、自分や家族などのための買い物をする時には

私たちは沢山のお金を支払えるのに、神さまへの献金となると誤魔化す事が多いとい

う事実を私たちは自分の事として充分によく知っているのです。  什一献金ですか?

 

  ベタニヤ・ホーム集会場入口に置いてある献金壺に、屡々、3円とか5円の小銭が

投げ入れられている事に気がついた事がありました。  暫くは合点がゆきませんでし

たが、日本基督教団の或る教会での信仰生活がかなり長い者ですと、そのように自己

紹介をされて当集会に転入を希望された或るご家族が、当集会に出席される度にその

ような現象が献金壺に現れる事に間もなく気付くようになりました。

  即ち、その家族は、礼拝に出席する時に自分の財布にある小銭だけを捧げる習慣を

身につけた家族だったのです。  この家族は、結局、月定献金という、聖書に教えら

れていない制度、即ち、教会に安定した収入を確保維持するために人間が考え出した

月定献金制度を悪用して、日曜日ごとの献金をサボる事をいつの間にか当然の事とし

てしまっていたようです。  その家族の母教会の牧師さんに電話で問い合わせて月定

献金をしていない事を初めて知りました。  この不幸な家族といい、鳩売りといい、

決して人ごとではありません。  神さまの目には、月定献金とか什分の一献金だとか

一部の教会が強調している献金方法というものも、どう映っているのでしょうね?

 

(ベタニヤ・ホームの集会では、礼拝中に献金を集めるという習慣を中断しました。

  献金の番だと判ると、多くの教会で、日曜公同礼拝の最重要中心である厳粛な主の

聖晩餐のド真ん中で、多くの人々が財布をとり出して献金の用意を始めるのを目撃し

たからでした。  時には、硬貨がチャリチャリと音を立てたり、コロコロ床に転がっ

て行くのを目撃した事があります。  神さまに対し極めて失礼な事だと思います。

  それよりも、マタイ伝6章4節に示されているように、隠れたところから私たちの

隠された行為、この場合、神さまへの捧物を御覧になっていらっしゃる神さまだけが

御存知であれば充分だとの考えから、玄関脇に献金壺を用意するようにしたのです。

更に、献金を入れる紙袋も用意しました。  本人と神さまとの間だけの事ですから)

 

  更に悪い事は、神殿でお土産を売る人、両替をする人、鳩を売る人、彼らは多くの

場合、祭司長や学者と組んでいたようです。  即ち、神さまに捧げられた筈の生贄を

こっそり祭司長たちから払い下げを受けて、それらを再び商品として使い利を得てい

たようです。  コリント前書8章にはそれを暗示する言及があります。  他人の信仰

を食い物にする事、宗教を食い物にする事、本当に怖いですね。

 

  教会中心というのも、教会行事中心というのも、牧師さんや役員さん中心というの

も怖いです。  牧師さんなり役員さんに音頭をとって貰って、みんながワッサカ・

ワッサカやるという、「宗教的集団酒に酔う」という事は本当に恐ろしい事です。

このことをエペソ書5:17-21が警告していると思うのです。

 

  そこでは個人個人は完全に無視され、個人の責任で個人の信仰を大切にするという

姿勢も、弱い一人ひとりをケアーする姿勢も欠落して、宗教行為・宗教儀式が恰かも

最重要課題のように錯覚させられてしまうのです。  それが信仰だと…。  個人個人

の貴い信仰を宗教行事や宗教儀式にすり替える職業的宗教人、本当に恐ろしいです。

 

  次に出て来るのは、門の傍にいて中に入る事が許されなかった差別された人々でし

た。  脚の弱い人や盲人など差別されていた人です。(サムエル後書5章8節参照)

 

  マタイ伝4章23節以降を読んでみますと、公生涯の最初にイエスさまがなさった事

は実に貧しい人々、虐げられていた人々への「巡回治癒神」としてのお仕事です。

  ユダヤ教の会堂で教えられたとあります。  律法主義を中心とした信仰上の誤解を

正されたのです。  律法主義、行為義認主義から人々を救い、人々の無知から彼らを

解放されて希望を与えられました。  民をあらゆる差別から、病気や煩い、苦悩から

から解放し癒されたのです。  愛を与えられたのです。  信望愛がそこにあります。

 

  これが主イエスの福音です。  差別され、蔑視されていた淋しい魂に徹底して奉仕

された姿です。  罪人の友、救いを必要としていた者の傍に立つ救い主としての姿勢

です。  同じ事がエルサレム入城時に示され、差別されていた人々を癒されました。

  これが驢馬に乗った主、十字架の道を求道された主イエスの自然なお姿でした。

 

  子供たちは鋭敏にこれらの事を見抜いて、『ホサナ』、即ち、『救って下さい』と

叫び、また『万歳』と叫んだのです。  詩編 11824節〜26節の豫言どおりです。

大人が『主よ、主よ』と叫ぶ時、気をつけねばなりませんね。(マタイ伝7章21節)

 

  最後に、祭司長や律法(旧約聖書の)学者たちが、驢馬に乗ってエルサレムに入城

された主イエスと、主を取り巻き、主イエスに癒された貧しい人々を見て、苛立って

いる姿を描いています。  驢馬に乗って時速4粁で入城されたイエスを受け入れぬ姿

です。

  それと同じように、教会に古くから居座っている人々の中には、新しく加わった人

を歓迎しない傾向が、多くの教会に於いて、意識的に、無意識的にあるようです。

  困った事です。  祭司長や学者たちを貶す事なんか出来ませんよね。

                                   

    さて、マタイ伝21章には幾つかのグループに分かれた人々がありましたね。

    あなたは、この場合、どちらのグループにご自分を置こうとなさいますか?

          ヨシュア記2414節〜15節の問いかけに何と応えられますか?

 

  さあ、驢馬さん、もう一度御一緒に、そして一人ひとり、時速4粁で求道の道を

歩みましょう。  私たちは天国を共に目指して歩む旅人・寄留者・漂泊者です。

      時速4粁、驢馬さんの歩速がちょうど求道者にはピッタリの速度です。

    恩寵に支えられています。  大丈夫です。  ゆっくり着実に歩みましょう。

 

    もともと、この時速4粁の驢馬さんの話しは、私自身が落ち込んでいた時、

  ベタニヤ・ホームでの集会* で9月後半から10月上旬にかけて、3回に分けて、

      皆さんと御一緒に学んだものを、思い出しながら、纏めたものです。

 

  茨城県の石岡教会にお招きを受けた17日、35分程の時間内で再度この驢馬さんの話

しを試みました。  時間不足でしたのでプリントにして同教会にお送り致します。

  午前中にお話ししたエリヤさんの事、列王紀上19章4節〜16節、改めて書きます。

 

  同教会では「甲斐小泉キリストの教会」伝道者として紹介されましたが、私には

          そのような教派教会意識、宗派教会意識は毛頭もありません。

 *「甲斐小泉小荒間に集まるクリスチャンの集い」としての意識しかありません。

 

              【以下はメモ用 this speace for your doodling