《ケイン・リッジ  その9》

 

  ストーン牧師が牧した有名なケイン・リッジの集会場の他にもコンコードに教会が

あったと先週号で紹介しておきました。  余りにも有名になり過ぎたケイン・リッジ

のログ・ハウス集会場の陰に隠されてしまったためか、コンコード教会堂が忘れ去ら

れてしまい、捜すのに長いことかかったことなどを紹介しておきました。

  結果的に、ケイン・リッジの北東約15粁ほどの所に二つの教会堂があったことなど

を突き止めましたが、現在では二つの集会場とも朽ち果てて存在していないことをも

紹介しておきました。  リンカン基督教大学のレイ教授が助けて下さいました。

                      Dr. Robert Rea, Lincoln Christian Seminary

 

  レキシントン市内にある前千年王国の信仰理解に立脚する教会で、下級生が牧する

教会から返事があり、「car-lyle  カー・らイル」あるいは「カらール」と発音する

町から来る教会員がいるということと、「カらイル」の町はずれにコンコード教会が

あったようだとの連絡を受けました。  その家族にコンコード教会跡地の写真撮影を

お願いできないものだろうかと頼んでいます。  こんなささいなことを調べるのにも

忍耐と時間がかかります。  相手の都合や理解や好意の有無や度合いにもよります。

 

  その間、9・11同時テロ事件のあと、汎太平洋航空便が再開され、発注しておいた

2冊の書物が新たに無事到着しました。『新大陸における信仰復興集会を調べるには

18世紀のスコットランドの信仰復興集会を先ず最初に調査する必要があるよ』と、私

淑するトム・オルブライト博士の勧めを受けて発注しておいた書籍です。

せっかく手に入れても読む時間がなく、翻訳助手数名が必要のようでお手上げです。

 

1. The Cambuslang Revival, The Scottish Evangelical Revival of the Eighteen-

th Century by Arthur Fawcett, The Banner of Truth Trust, 1996, Carlisel, PA

2.  The Revivals of The Eighteenth Century, particularly at Cambuslang, with

  three sermons by the Rev. George Whitefield by D.MacFarlan, Richard Owen

Roberts, Publishers, 1980, Wheaton, Ill の2冊です。  全部英語ですから降参。

 

  先々週号の6頁下部から7頁上部にかけて、ストーンが牧していたケンタッキー州

の人口について触れておきました。  人口が増えているのに教勢が上がらないという

悩みのことでした。 The Great Revival, 1787-1805, The Origins of the Southern

Evangelical Mind, John B. Boles, The University Press of Kentucky, 1972

  この本の表紙内側には1800年当時のケンタッキー州の人口分布図が出ています。

 

  それによりますと、すでに紹介しておきましたマディー川、ギャスパー川、レッド

・リヴァー川を含むカンバーランド地域の人口は、かろうじて1平方マイルで2名か

ら6名です。  1平方マイルとは 1.6キロ四方です。  レキシントンとその周辺地帯

は、これにはケイン・リッジがかろうじて入りますが、1平方マイル当たりの人口が

18名から45名となっています。  カンバーランド地帯とレキシントン地帯との間には

人口が6名から18名の中間地点があります。  この数値から、いかにレキシントンを

中心とする地帯の人口増化していたのかがわかります。

 

  1792年から1800年のわずか8年の間にノース・キャロライナから西漸してテネシー

やケンタッキーに移住定住した(先住民側から見れば恐ろしい侵入者・侵略者です)

白人は2倍になっていたようです。  しかし私たち無楽器教群の強いナッシュヴィル

ですら、最初は白人家族が百十数名しかいなかった寒村だったとかです。

 

  テネシー州とケンタッキー州の東部の州境にカンバーランド・ギャップという断層

箇所があります。  その地域を探索していた開拓白人集団を先住民たちが突然に襲っ

て来ては再びまた忽然と消えるという不思議な事態がいくどもあったので、1750年に

いたり先住民たちが出没する現象を冷静に観察していたトーマス・ウォカーが山脈と

山脈とのあいだに間隙を発見したのです。  狭い谷間のかなたに広大なケンタッキー

の緑の草原がどこまでも無限に拡がっているのを初めて知ったのです。

 

  それからのちに多くの白人移住者がノース・キャロライナ州とヴァージニア州と、

テネシー州とケンタッキー州の間を往還するようになったのです。  テネシー中西部

やケンタッキー中西部に人口の増加を見た一つの理由でしょう。  米国建国史を学ぶ

時に大切な地点なので私も3度ほど見学に行きました。  緑の深い山々の狭い谷間を

縫って蛇行するようにケンタッキーの方に登って行く交通の要所ですし、南北戦争中

には南北両軍が争奪戦を繰り返した軍事拠点でもありました。  普通の日本人旅行者

がめったに訪れることのないこの地をいちど訪問なさるようにお勧めします。

 

  このような諸原因があって、ケンタッキーの人口が増えたのにもかかわらず、教会

の力だけは増えずにいたのです。  『宗教の力が消え去って行くだけでなく、宗教の

形そのものも次第に弱くなって行く…』というようなつぶやきをストーンは残してい

ます。

 

  焦ったとか案じたと言えば不信仰で世俗的だとの語弊を招くのであれば、魂の救い

のためにとでも言えばよいのでしょうか、ストーンはかつてのノース・キャロライナ

州のコールド・ウェル神学校の同級生や先輩たちが中心になって活発な信仰復興集会

を主催していたローガン郡での信仰復興集会を見学に行くことになったのです。

1801年春のことでした。

 

  ローガン郡のすぐ下のテネシー州シャイロ Shiloh での集会で不思議な現象が見ら

れたとの報告をストーンはすでに聞いていたのです。  (先々週号なかばを参照)

  戸惑って焦っていたものと考えても、そのことでストーンが決して不信仰だったと

いって彼をきめつけられないと私は思いますし、教勢の回復と発展、救霊への願いを

強めたといえば格好がいいのでしょうか?

  私は、ストーンが神さまの恩寵というものを更に深く理解し、神さまの摂理という

ものを更に豊かに体験するために、そして福音が神さまの力であると知るための準備

段階に彼自身が置かれていたのではないのだろうかと考えています。

  やがてケイン・リッジ集会のあとで彼はそのことを学ぶようになるのです。

 

  「人間の智恵や小細工や努力で数量が増える」ものと、ストーンは最初そのように

思っていたのではないだろうか、そして可視的面での数と量の増加を「教勢が上がる

から良いことだ」と、若いストーン牧師が最初は考えていたのではないだろうかと、

そのように思っています。  人の手の業など神さまの恩寵の前には問題にもならない

という単純なことを、ストーンはまだ理解することができなかったのかなぁ…と私は

考えたりします。

 

  そしてこれが現在でも多くの教会指導者や若い伝道者・牧師が陥る罠ではないのか

とそのように観察しています。  ボストン運動(別称:国際キリストの教会)はその

最たるものでしょうか。  そのような発想を英語で work salvation と言います。

  すなわち、救いとは一方的に神さま側からの恩寵として常に与えられている賜物で

あるという単純明解なことを人間が理解していない時に、人は己の業で救いを得よう

と、はかない愚かな発想と努力をするのだと思います。  これは、ロマ書1章16節に

示されている「神の力」の理解と体験の欠落の問題ではないのでしょうか?

 

  皮肉なことに、霊的体験を豊かに得たストーンたちによって始められたキリストの

教会、クリスチャンの一致を求める運動でしたが、第1次世界大戦以降は次第に人の

業によってあたかも救いが得られるかのように誤解してしまった律法主義のセクトに

変質してしまい、人が何かを「する」とか「しない」、「した」とか「しなかった」

ということに焦点を当てた、人の行為を強調する極めて律法主義的セクト集団に変貌

してしまったと私は思っていますし、そしてこれは実に残念なことであったと思って

います。  しかし神さまの石臼は廻る速度が遅いように人には思えても、着実に善い

方向に軌道修正が進んで来ていることも事実でして、これは感謝すべきことです。

 

  ストーン牧師のケイン・リッジ集会から始まったクリスチャンの一致を求める運動

体が、上記のように、何なにを「する」とか「しない」ということだけで内部分裂を

繰り返して、ディサイプズルと、クリスチャン・チャーチズと、チャーチズ・オヴ・

クライストに3分裂してしまったのです。

  そしてさらに、チャーチズ・オヴ・クライストという最も保守的な聖書解釈をする

教群では更に些細なことで、この何なにを「する」とか「しない」ということを中心

に、客観的に眺めてみますとささいなことで、さらなる内部分裂を繰り返して、現在

では20とか30近い分派が北米では生じているようです。  それらの分裂体の一部から

は全世界にそれぞれの宣教師が派遣されたり現地人伝道者を支えたりしているので、

無意味なセクトが日本を含めた全世界に拡散されているのも残念ながら事実です。

 

  しかし、一度を除いて、無楽器教群では「神学論争が理由で群が割れた、別れた」

ということはないのです。  すなわち「何なにを信じる」か「信じない」かで意見や

見解の違いを論じたことは、一度を除いて、全くなく、また、お互いの意見や見解の

差を論じたあとで、それでも仲良く一緒に信仰の道を求道し、巡礼を続けるといった

体験を経験していません。

  ところが本来は群を割る必要など全くなかった神学上の意見・見解の差、すなわち

黙示録の20章を中心とする千年王国をめぐる解釈の違いがでてきた時に、意見の違い

を抱いた友とその支持者たちに熾烈な魔女狩的排斥根絶運動を起こして淘汰しようと

試み、その結果、群の殆どが巻き込まれて少なくとも4050年を痛ましい無益なこと

に費やしてしまいました。

 

  こうして意見の差として相手の立場を認めるということができなかった無楽器派、

すなわち、チャーチズ・オヴ・クライストは、前千年王国節を採用した百余の教会を

交わりから完全に追放してしまいました。  意見の違いを絶対に許さないという排他

主義と、救いは神さまからの絶対的な恩寵によるとする理解が完全に欠落して、その

代りを律法主義が支配してしまったからです。

  そのような恐ろしい無楽器教群の体質は、ストーンたちが始めた運動からは想像も

つかない愚かなことだと私は考えています。  その当時前千年王國を信奉する学校に

留学中だった中原七郎さんや私などは日本の人々が想像だにできないような非人間的

・非基督者的な酷い扱いを幾度も受けたことがありました。  魔女狩の恐ろしい恐怖

教会政治時代だったと思います。  これは私たちの群の悲しい愚かな1頁なのです。

 

  さて、ローガン郡の伝道集会を訪れた若いストーン牧師は、そこで目撃したことを

次のように書き残しています。

 

  『あたかも戦場で人が殺されたように、たくさんの人々が地面に倒れていった。

そして何時間もの間そのままでいた。  その間には全く呼吸をしていないような状態

が続き、また全く動かない状態が続いていた。  そうかと思うと、少しの間だけその

ような状態が続き、そしてよみがえって来る人もいた。  そういう人々は何かうめき

声をあげたり鋭いジャーク状態を伴ったりしていた。  別の人々は神さまのお慈悲を

求めて一心に祈っていた。  その内に祈っていた人々の顔が希望の微笑みに変わって

行き、次いで歓喜の笑みへと移行して行き、次に立ち上がって解放されたことを誉め

称え始め、誠に雄弁で印象的な言葉で周囲の会衆に語り始めた。』

 

  『そうかと思うと、信じられないようなことであるが、男も女も子供たちも神さま

の数々のくしきみわざを宣べ始め、福音の素晴らしい奥義を語りはじめた。』

  『そして、それらの現象を伴っていた人々が周囲の人々に対して神さまの不思議な

業を語り福音を宣べる時に、実に厳粛で心の中にまで染み込むような態度で、大胆で

自由な雰囲気の中で体験を語っていた』とストーンは自分の目撃したことを書き残し

ています。  さらにストーンは、それらの人々が福音を語っていた時に福音の真理の

知識に満ちていたことにたいそう印象づけられたようです。

 

  また、ストーンが書き残した文章には『そのような体験をした人々が周囲の傍観者

たちに福音を語り始めた時に、話しを聞いていた人たちが今度は地面に倒れ始めて、

それまで語っていた人々が体験したと同じような状態に陥ってしまった…』とも書き

残しています。

 

  ストーンがローガン郡のリヴァイヴァル集会場で目撃し体験したことは、ストーン

には初めてのことであり、珍しいことであったのですが、それ以前のイングランドや

スコットランドや新生国アメリカに於いても決して珍しいことではなかったのです。

  9月23日号ですでに紹介しておきましたが、メソジスト教会ではそのような現象を

むしろ奨励していたようです。  そしてさらに9月16日号に、すでにそのような指摘

と提案をトム・オルブライト博士から頂いていたと書いておきました。

 

  1742年スコットランドの大都市グラスゴー近郊のキャンバスラング村で開催された

信仰復興運動には3万人の人が集まって、ケイン・リッジと同じような不思議な光景

が見られたようです。  このことについてはようようやく資料が何冊か揃い始めたば

かりですので詳細報告はあとのことになります。   Cambuslang キャンバスラングの

集会を除いて、たくさんの人々がいっせいに地面に倒れたというようなことは旧大陸

イングランドや新大陸でもなかったようです。  ただし、いく人かの人々が倒れたと

いう記録はあります。

 

  18世紀のイングランドではジョン・ウェスレー John Wesleyが、新大陸では同世紀

にジョナサン・エドワーズ Jonathan Edwards とジョージ・ホゥイットフィールド

George Whitefield ら有名な伝道者たちが盛んに信仰復興運動を主催していました。

  教会史や米国建国史では一般に大覚醒時代と呼ばれている時代のことですが、この

時の伝道集会ではいく人かの人が倒れたという記録ならありますが、おおぜいの人々

がいっせいに地面に倒れて、ローガン郡での集会やケイン・リッジ集会で見られたよ

うな不思議な現象が起きたということはなかったようです。

 

  すでに書きましたが、当時のメソジスト教会では人々が倒れたり、ジャーク状態、

すなわち、引きつけを起こしたように身体を痙攣させてもわめき叫んでも、とにかく

救いを熱心に求めることをむしろ奨励していたふしがあったようです。

同教会の信仰基盤がアルミニウス主義信仰に基づいているからでしょうか…

 

  カルヴィン主義と同様に、アルミニウス信仰にもいくつかの特徴があると思います

が、基本的には、1.神さまはこの世界を創られた以前から人が救われることを求めら

れ、2.主イェス・キリストは全世界の人々のために死なれたが、贖罪の恩恵を受けら

れるのは十字架のできごとを信じる者たちだけに限定され、3.聖霊の働きを得て人は

主イェス・キリストへの信仰を持ち得て、4.恩寵によって人はますます神さまの方向

に向かい得るが、己自身の選びで拒否することもでき、5.この世とサタンの力に打ち

勝つ力がクリスチャンには与えられているが、同時に、のちに堕落して、信仰を失う

可能性もある…というような点だと思います。

 

  このような信仰理解だと思いますので、イェス・キリストの救いにあずかりたいと

願う者は、聖霊の助けを切望する必要があり、ここに伝道集会などで自分の魂が救わ

れることを激しく祈り求めるという姿勢が生まれて来たのだと思います。

 

  さらにまた、主の恩寵によって救いを得た者、すなわち、神さまの前で人間側には

何らの勲功、いさおがないのにもかかわず神の前で義とされた者は、すなわち、義化

された者は、さらに引き続いて絶えず聖化され続ける必要、献身し続ける必要がある

し、そうすることによって自分の救いの完成を熱心に追求し続けなければならない、

もっともっとますます捧げ続けなければならない…と、ざっとまあこのような理解が

生まれて来るのだと思います。

 

  「聖化される」という段階で、「聖化されたい」と願う段階で、実はこれも人間の

力で救いを得ようとする一種の律法主義的要素が強く働くのではないかと、私個人は

そのように考えます。  これが世間を騒がせている「国際キリストの教会」あるいは

「東京キリストの教会」、別称「ボストン運動」の「洗脳の罠」だと私は思います。

 

  「聖化されたい」と願い祈る気持ちを理解しない、できないというわけでは決して

ありませんが、また別な考えようによっては、それでは十字架の救い、十字架の上で

神さまが御子の血潮を通して無条件で、恩寵のゆえに与えて下さった貴い救いが何か

不完全なもので、そのあとは人間の努力を付け足す必要があるかのような印象を与え

かねないともとれそうなのです。

 

  それですから、ローガン郡やそのすぐ下の方のテネシー州ナッシュヴイル北郊外の

シャイロでの伝道集会・信仰復興集会で、長老教会の牧師たち以外にも、メソジスト

教会の牧師でストーンの学友のジョン・マッギーが集会を主催した時に、そのような

不思議な肉体的現象を伴う光景が起ったものと思います。

  レッド・リヴァー集会場で、長老教会牧師たちが立ち去った後にメソジスト教会の

ジョン・マッギーが赴任して来ますが、そこで初めて人々が地面に倒れるという現象

が起ったのをストーンは耳にしたのでした。

 

  これらの地域からは、太平洋戦争敗戦直後に、現在の御茶の水キリストの教会設立

宣教師ビクスラー O.D. Bixlerさんが日本の食料事情解決のために数百頭だったかの

山羊を船一杯に積み込んで運んで来て下さったことがあります。  ケンタッキー州の

アレンズヴィルのギル家はその中心的な役割を果し、長男ロバートは山羊と共に日本

にやって来たことがあります。  故中原七郎さんや私と同級生でした。

 

  ローガン郡におもむいたストーンは伝道集会場で注意深く列席者を観察したようで

す。  その中にはストーンが個人的に知っている人たちもいたようです。

  その中でも特にストーンの個人的興味と関心を引いた一人の人物がいたようです。

その人とストーンは面識があったので、その人の傍にあえて坐り、その人を最初から

最後まで数時間かけて見守ったのだそうです。  その人は、ストーンに言わせますと

「不注意な罪人」であったようです。  その人が、説教を聞いているうちに突然地面

に倒れたそうです。  そしてそのまま死んだように動かなくなったそうです。

  そのうちにその人は意識をとりもどし熱心な祈りを捧げ始めたそうです。  そして

究極的に救い出されたのだそうです。  この人はその直後に厳粛な感謝と神への讚美

を捧げたばかりでなく、一緒に参加していた仲間たちに優しく勧め始め、主イェスの

みもとにやってきて罪を悔い改めるようにと勧誘し始めたとのことでした。

 

  これら一連の現象を数時間かけて注意深く観察していたストーンは、ほかにも同じ

ような現象をいろいろと目撃したあと、ローガン郡での不思議な業は善き業であり、

それは神さまご自身の働きの業であると、そのような結論に達したのでした。

(この結論はアレキサンダー・キャンベルの体験や信仰理解とはかなり違います。)

 

  ローガン郡で目撃したことからストーンが得たもう一つの大切なことは、ストーン

が按手にあずかってから秘かにずうっと悩み続けていた疑問の答を初めて得たという

ことです。

  すなわち、神さまが人間をお創りになっておきながら、人間が神さまを信じないか

らといって、そのことで神さまが人をお裁きになって、滅ぼされるというのは不条理

ではないかということでした。

 

  こん日アラブだのイスラムだのと世界中が騒がしくなっています。

神さまが地球の人口の5分の1前後の人々を創造されて、それらの人々はアラブの国

の人やイスラム教を信じる人々ですが、その人々をも神さまが創造されて、支配され

ておきながら、彼らが聖書の神、エホヴァの神、ヤハゥエの神を信じないからという

理由で、神さまがそれらの人々を滅ぼされるというのであれば、これは何かどこかが

おかしいのではないか?…ということになるのではありませんか?

  実はこれと同じようなことを、カルヴィニズムとの関係で、ストーンは秘かに考え

続けていましたし、悩み続けていたのでした。  皆さんはどうお考えになりますか?

 

  人が神さまを信じないからといって、その不信仰のゆえに神さまが人を裁かれると

いうのは、神さまが人間に信仰をお与えにならない限り人間には神さまを信じること

ができないのだから、これはおかしいのではないか、矛盾ではないのかと、悩み続け

ていたのでした。

 

  それは、人が洗濯できないように洗濯機を作っておいて、洗濯しないから、洗濯が

できない機械だから、その洗濯機は駄目で、ぶっこわしてしまえ…というのと同じで

はないのか?…という疑問と同じようなことなのでしょう。

 

  神さまが人間にイェス・キリストの十字架という信仰の道をお示しになっておきな

がら、人間が神に対する信仰をもてないから、持っていないからといって、どうして

神さまは人間を裁かれるのだろうか?  これが久しくストーン牧師が秘かに悩み続け

ていた疑問点であったのです。

 

  ストーンは、ローガン郡での信仰復興集会を親しく目撃して、そこに「神の声」を

聞き、「神の業」を見たと確信したのです。  『老若男女それぞれが、子供までが、

各自がそれぞれイェス・キリストへの信仰を言い表し、純粋で単純なイェスの福音を

宣べている姿を目撃した。  私は神の声を知ったし、神の力を感じたのだ』…と書き

残しています。  『罪人を悔い改めに導き、罪の許しを与え、神へと導く力は神から

出てくるものである。  それが福音だ』とストーンは知ったのです。

 

  『信仰とは、すべての罪人に対する神からの最高の賜物であり、信仰がもたらす人

の行為ではなく、イェスの証、すなわち福音、信仰の基礎をなすものであり、罪ある

者にも福音を信じる力が与えられ、神の恩寵と救いを得るために神へと近寄れる力で

ある』と理解したのです。

 

  ということは、ストーンにとっては、「神さまが人間に信仰をお与えになり、その

信仰とは、福音を通して、霊的または道徳的に人が神さまに近寄る意志、喜んでその

ようにする心を神さまが人に与えられたので、罪人には福音を信じる力があり、その

ことによって罪人が神さまの前にやって来ることができる」と理解したのです。

 

  別な言い方をしましと、「罪ある人間がキリストのみもとに喜んで来たくなる心と

いうものは、とりもなおさず、そのこと自体が神さまからの賜物であり、この福音を

無視する者は自らの滅びに対してその人が責任を負うこととなる」ということです。

 

  罪人がキリストのみもとにやって来る力を神さまが福音を通して罪人に与えられ、

その力によってキリストのもとにやって来た罪人が、その負わなければならない罰と

罪の力から解き放たれる…、神さまがそのように語りかけられることが福音である…

というこの発想は、ストーンにとってはローガン郡でのリヴァイヴァル集会に親しく

参加して得た画期的な発見といいますか、悟りといいますか、学びであったのでしょ

うけれど、特に新しいことではなかったのです。

 

  このような神学的理解は、それまでのニュー・ライト派の長老教会ではずっと以前

から久しく考えられて来ていたことだったそうです。

 

  (クリスチャンの一致を聖書の単純明解な聖書の教えに戻って達成しようと試みた

もう一方の巨人にトーマスとアレキサンダー・キャンベルという親子がありました。

  この親子二人が所属していたアイルランド・スコットランドの長老教会は、すでに

学んで来ましたように、オールド・ライト派で、反バーガー派で、臣従拒否・脱退派

の長老教会に属していました。  こうなりますと再び複雑怪奇な長老教会の内部検証

が必要になってきます。  まことに面倒で困ったことですが、挑戦でもあります。

 

  このことに関しての最低限の説明は、「福音誌」1985年9月号・先駆者紹介51号に

述べておきましたので参考になさって下さい)