《ケイン・リッジ その10》
新たに今週になって入手した資料が二つありますのでご紹介致します。
1. Cane Ridge, America's Pentecost by Paul K. Conkin, The University
of
Wisconsin Press, 1990
2. 私淑しておりますトム・オルブライト博士が
Cane Ridge in Context,edited by
Anthony L. Dunnavant (Disciples of Christ Historical Soceity,
1992) の中の
Cambuslang: The Scottish
Predecessor to Cane Ridgeと題する第7章部分をお送り
下さいました。 世界貿易センター爆破当時に投函して下さったものですが汎太平洋
航空便が一時中断されていましたので遅れて到着したものです。
神さまが人を創造なさった目的や意義、人は神さまを信じて神さまを受け入れられ
るのだろうか、一部の人は神さまを信じることができないように予定されているのだ
ろうか、神さまが人をお創りになっておいて一部の人間が神さまを信じない、信じら
れないようにお定めになっておいて、そしてその人が神さまを信じないからといって
神さまがその人を裁かれるのであれば、これは無慈悲で不条理ではないのか。
これらの疑問を若い牧師ストーンは、牧師になるために按手された前後から、他人
には言えないが、秘かに心の中で悩み続けていたようだと、前回までにいくどか書い
ておきました。
そして前回号の最後の部分で、ストーンがローガン郡の信仰復興集会を訪れた際に
親しく目撃したことで、それらの疑問が晴れたようだったと紹介しておきました。
しかし、それ自体は別に新しいことでもなくて、それまでの「ニュー・ライト派」
と呼ばれていた信仰理解・聖書理解に立脚していた長老教会では、これは周知のこと
であったようだったと紹介しておきました。
問題は、それでは、この「ニュー・ライト」とは何を指すのかということです。
かつて、旧大陸スコットランドやアイルランドの長老教会の「ニュー・ライト」だ
の「オールド・ライト」に関しては、「福音誌」1985年9月号の「先駆者紹介」51号
をご覧下さいとも書いておきました。 必要な方には複写して差し上げます。
しかし、新大陸での「ニュー・ライト」は旧大陸での「ニュー・ライト」とはどう
やら別のもののようです。 そのあたりのことをもう一度整理しておきましょう。
お恥ずかしい次第ですが、私は長老教会のこと、イングランド・スコットランド・
アイルランド・ウエールズ史のこと、それら四ヶ国の教会史を正式、あるいは本格的
に学んだこともなく、いつも戸惑っている次第です。 類人猿が宇宙ロケットを調査
するよりも困難な状態です。 己の勉強不足と同時に、日本には教会史や歴史を学ぶ
人が少ないのを嘆きます。 「学んでも食えない」という現状があるからでしょう。
さて、積み上げると2メートル近くになる教会史関連辞典などを泥縄式で調べまし
たが、ニュー・ライトとかオールド・ライトという項目はないのです。
そのような中で
The New International Dictionary of the Christian Church が
僅かに最低限の情報を提供しているのを発見しました。 また、オールド・ライトを
Old Light とばかり先入観で頭の中に入れて捜していましたが、獨逸語の影響なのか
Auld Lichts で出ていることを学びました。 教会史の勉強は飽きません。
まず上記「福音誌」で私はオールド・ライト派の反バーガー派の臣従拒否・脱退派
長老教会のことを以紹介しましたが、ここに改めて簡単に紹介しておきます。
すなわち「当時のスコットランドには既に長老または監督による教会制度が確立さ
れていたのですが、国教会が規定を定めて、各個教会、即ち、ローカル・チャーチズ
が自らの牧師を自らが選ぶことを禁止しようとした時に、この規定に従うことを拒ん
だ前記の数名(注アレキサンダー・アースキン牧師らのこと)が放逐されたのです。
この出来事があって、追放された牧師達に同情した群を臣従拒否・脱退派長老教会
と呼ぶようになったのです。
この群れは、さらに1747年になって選出代議員(バーガーズ burghers)に強制的
に義務づけられていた宣誓文の内容の一部に関して論争が起り、賛成派はバーガー派
となり、反対派は反バーガー派となって両者の間には激しいいがみ合いが起ったので
す。 ところがさらにこの二者は、ニュー・ライト派とオールド・ライト派に分裂し
てしまいました。 いくつもに内部分裂しての骨肉の争いです。 この一連の分裂と
対立、憎悪と頑迷さはキャンベルに神の子の一致を求める願いを起こすようになって
行ったのです。
そもそもことの起りは、行政や司法を司る地方長官や治安判事のような役職にある
人物が宗教に関する問題に対して権威を振るうことの善し悪しと、イングランド議会
とスコットランド議会との間に取り交わした約束の永久拘束化の問題が発端でした。
チャールズ一世と英国議会が犬猿の仲であったときにスコットランドは英国議会と
約束を取り交わし、英国議会を支持する条件として、長老教会制度をイングランドと
アイルランドに導入しても良いという事にしたのです。 以下は省略します。
キャンベル親子が所属していたオールド・ライト派の長老教会とは、司法権を保有
する地方行政官は自分が治めている市民に正しい信仰を強いる義務があると理解して
いたスコットランドのオリジナル脱退派長老教会 Original Secession Church、別名
The Synod of United Original
Seceders に属していた群であったのです。
上記の選出代議員の宣誓を巡って賛成派と反対派に別れ、さらに地方行政官制度と
ウエストミンスター信仰告白文の文言の解釈を巡って Auld Lichtsと New Lichts に
分裂したのです。
地方行政官による「正しい信仰」を強制させる制度に対し、「新しい光りを見た」
として拒絶した群をニュー・ライト派と呼んだようです。 個人の信仰に権力が介入
するのを拒否した群ですから、差し当たり、こん日ならば「進歩派」「自由主義派」
「反体制派」「反権力派」などとでも訳したら良いのでしょうか。
さて、今度は「新大陸でのニュー・ライト派」についてです。 どうもこの場合は
旧世界の長老教会が使っていたニュー・ライト派と同意語ではないようです。
前述の教会史辞典によりますと、新大陸で1740年代を中心にして起った大覚醒時代
のニュー・イングランド地方の会衆派教会(組合教会と呼ばれる場合がある)に属す
る説教者たちの中で、覚醒運動、すなわち信仰復興運動中に、瞬間的に、または突然
に信仰を得る経験(原文は conversion experience 改宗体験)をして、かつ感情的
で神秘的な諸特徴を伴うことを強調する説教者たちを「ニュー・ライト」派と呼んだ
そうです。
それは、それらの説教者たちが、自分たちが牧会する教会を「新しい光りに当てら
れた教会」にしたかったからだそうです。 この場合の「新しい光り」とは神の霊の
ことを指していたのです。 すなわち、こん日の言葉で言うならば、聖霊に満たされ
た教会、聖霊を浴びた教会、聖霊に照らされた教会、聖霊に射てられた教会cなどと
言えばよいのでしょうか。 そのような願いを抱いていた説教者たちの多くは穏やか
な人たちであったようです。 その中には有名なジョナサン・エドワーズも含まれま
す。 しかし、その中の一部の説教者たちは、体制的な教会を激しく非難し、国家と
教会の完全な分離を強硬に要求した「過激」な人々もいたそうです。
さらに、それから約60年もあとになって起ったケイン・リッジ信仰復興集会以降に
ストーンらに従った人々のことを「ニュー・ライト」派と呼んだようです。
ケイン・リッジ集会のうねりも、多くの教会史家によりますと、大覚醒時代の最後
の大波であった、覚醒運動の最後を飾る聖霊の働きであったと捉えているようです。
このような理由で、呼び名が同じ「ニュー・ライト」でも、旧世界のと新世界のと
では内容が違うようです。 ストーンらから始まったクリスチャンの一致運動のこと
を「ニュー・ライト」とか「クリスチャン・コネクション Christian connexion」と
も呼んだようです。
この二つの名前も、ストーン運動と関係があった他の同様な訴えを掲げていた群を
含めて、敬虔で聖霊に満たされることを望んだり、旧宗主国側の既存既成の体制教会
に抵抗して聖書だけでやって行こうと決めた新大陸のいろいろな群や、自由と独立を
主張した群などにも幅広く使われていましたので、具体的にどの群を指したのかは、
文脈から判断しなければならないことが多いようです。
さらに、ストーンの運動がキャンベルたちのディサイプルズ運動と合流した時に、
キャンベルたちのディサイプルズ派との合流に反対をしたストーン派の人々のことを
キャンベル運動と合流した人たちは完全に忘れ去っていますが、合流しなかった人々
にしてみれば自分たちこそ正統なストーン派だと考えていたし、いるわけです。
一方、キャンベル運動と合流したストーン運動の人たちは、合流しなかった人々を
今でも「クリスチャン・コネクション」と呼んでいます。 なお、
connection では
なくconnexion という英語の綴り方に注意しておいて下さい。
キャンベル派に合流しなかったストーン派の人々のその後の動きはここでは触れま
せんが、私自身はインディアナ州西南部のメロムに今も残る同群の一人から個人的に
いろいろと教えて頂いています。
クリスチャン・コネクションの群から1887年5月16日に横浜港着で最初の宣教師が
東海岸→英国→喜望峰経由で来日しています。 その後に宮城県石巻を宣教地として
選び、後に麻布に進出し、そこから現在の日本基督教団聖ヶ丘教会が生まれました。
注1. クリスチャン・コネクションから来日した群の麻布時代の宣教師の資料源とし
ては、新宿区西落合 1-4-6 茂木宏さん 3951-5185 がいらっしゃいます。
2. 1883年ガルスト・スミス隊来日
3. 1888年スナッドグラス夫妻来日
4. 1892年マッケーレブ夫妻、スコット嬢、ホステッター嬢アズビルの案内で来日
5. 1894年ミラー嬢アズビルの案内で来日しスコット嬢と交代
6. 1899年ビショップ夫妻来日 (アリス夫人召天・青山墓地埋葬)
7. 1901年カニングハム夫妻来日
8. 1902年ビショップ夫妻来日 (後妻クララさん)
これ以降来日の宣教師たちは省略
前回号でストーンがローガン郡のキャンプ・ミーティングで目撃して学んだ真理、
すなわち、「罪ある者がキリストのみもとに喜んで近寄りたいと願う意志、神さまの
招きに応えたいと求める心というもの自体も、それは神さまの側からの恩寵であり、
それが福音、良き音信である」ということだったと記しておきました。
これは長老教会が立脚しているカルヴィン主義、すなわちウエストミンスター信仰
告白文からするとずいぶんと異なった信仰理解ということになるのでしょうか。
異端的な解釈だと言われて糾弾されても文句を言えなかったのかも知れませんね。
それまでの長老教会の理解では、神の主権というものが先ず最初から人間に臨んで
いますから、自分が永遠に救われて行く身なのか、永遠に救いの選びから洩れている
のかがわからないので、結果的に自分は永遠に救われない身なのか救われる可能性と
いうものがあるのかがわからない状態に置かれてしまうので、人々は戸惑うのです。
自分が確かに救いに選ばれている身なのかどうかを確認する方法がないのです。
選ばれていないという恐ろしい運命を確かめる手段もないのです。 人間の自由意志
などは神さまの選びという絶対的な権威の前には何も役に立たないものとされていた
のです。 当然ですが人々は焦り、怖れ、不安な日々を送るしかなかったのです。
森を歩いていて突然樹木が倒れて来て自分がその下敷きになったのに自分が怪我を
しなかったというような異常体験から人々は自分が救いの方に選ばれているなどとし
たのです。 そのような体験のない人々は自分の魂の行く先を案じたのです。
二元論のグノーシス主義の、救われ得ない、どうしようもない組に属する者とされ
ていた人々と同じような精神的状態に陥っていたことでしょう。
ストーンもこのことで悩み続けていたと書いておきました。 神さまが人間を創造
されておきながら、そして人間が神さまを選べないように、人間が滅びに到るように
神さまが人間を創っておいて、その上で人間が神さまを信じていないという理由で、
神さまが人間を裁かれるということは、何という矛盾ではないのかcこれがストーン
の秘かな、そして真剣な悩みであったのです。 これでは恐ろしい神さまです。
しかし、ローガン郡でストーンが体験したものは、神さまをまだ信じていなかった
人が、罪人が、福音を聞いて悔い改め、喜んで神さまに近寄りたい、喜んで神さまを
信じたいと願っている姿を目撃して、彼らが倒れたり、絶叫したり、泣いたりした後
で、人々が神さまを讚美し始めたという事実を自分の両目で確かに見たということで
した。 そしてこれをストーンは福音がなす業だと、神さまの賜物だと、神さまが人
に福音を通して語られる業だと、語られた福音によって人が神さまの方に喜んで接近
すること自体が神さまからの賜物だと、そのように確信するにいたったのです。
また、その福音に与ることを自らの意志で拒否する者には彼らの裁きが待っている
としたのです。 それまでの疑問が断ち切れたのでした。
しかしニュー・ライト派の長老教会では、罪人らにイェス・キリストのお顔の中に
神さまの栄光を見せることによって、罪の力と罪の支払う罰から罪人を解放するため
に神さまは罪人たちをキリストへと引き寄せて下さるcと説いていたのです。
ですから、ストーンにとってはローガン郡で目撃したことからストーン自身が初め
て理解したこと、学んだことは、必ずしも新しい信仰理解ではなかったのでした。
ニュー・ライト派の長老教会にとってこのことは、どうしようもない哀れな罪人を
救うために、御子をこの世にお送りになった神さまの「ご栄光」であったのです。
イェスの内に神さまの栄光を見るということの応答として、罪人の心が神さまの愛
で満たされて、そのことによって罪人たちは喜んで救いのためにキリストのみもとに
行くのだと、そのようにニュー・ライト派の長老教会は説いていたのでした。
そして、このことをニュー・ライト派の長老教会では「理に叶った合理的信仰」と
解していたのです。 すなわち、イェス・キリストを通して神さまが罪人らのために
何をなさったのかということを理解することによって、人間の方にやって来る神さま
の愛、すなわち霊性だとしたのです。
それは、それまでのように、夢や幻や異常な体験、たとえば、前述のように樹木が
倒れたが怪我をしなかったからだとか、樹木の下敷きになったが死ななかったなどの
体験によって、自分でそのように感じたり考えて、「入信体験」や「罪の許しを得た
のだ」と決める体験から、自分で「救われた」とか「自分は救いに予定されているの
か」などと判断をする、人間側の感覚や保証などによらない信仰理解だったのです。
神さまが福音を通して下さる、その福音を聞いた時に神さまが下さる力によって、
人はキリストの方に喜んで行けるようになり、そこで罪の許しと救いを得られるのだ
とする信仰理解だったのです。 人の夢や幻想や体験のようなものは不要なのです。
ローガン郡の信仰復興集会に参加したストーンにとっての新しい発見、新しい信仰
理解というものは、神さまがどのようにして人間に信仰をお与えになるのかという点
ですが、罪人であっても神さまを信じる力が罪人の中にはあって、そのことによって
イェス・キリストのお顔の中にあらわれている神さまの栄光を見ることができるし、
そのみ顔を仰ぎ見ることによって神さまへの愛に満たされることができるということ
でした。
それは、それ以前まで教えられていた、聖霊の働きによって人間は初めて罪の力と
いうものを説得させられるという教えではなくて、福音の力によって神さまのお顔の
栄光を仰ぎ見ることができるし、そのことで神さまの愛に満たされ、キリストの前に
出て行き、罪の許しを得られると理解したことでした。
しかし、このストーンの理解に反対する人もありました。 すなわち、ストーンの
この理解では、罪ある人々が、神さまを信じられるようにと準備してくださる聖霊の
働きを無視する理解であるとして、不満を表明したようです。
聖霊が働かれて、罪人にイェス・キリストを救い主として受け容れる必要性を認め
させるのだという、これまでの教えと違うではないかと苦情を言ったのでしょう。
このストーンの新しい信仰理解を、ストーン牧師は同僚で先輩のナッシュヴィルの
クレイグヘッド牧師から得たのではないかと唱えた人もいたようです。
伝道学院の授業で少しだけ触れましたが、クレイグヘッドはペラギウス主義者では
ないのかと疑われていたナッシュヴィル第一長老教会の牧師でした。
しかし、ストーンは必ずしもクレイグヘッドから全面的な影響を受けたというので
はありません。 このことはここで縷々述べる必要がないのではぶきます。
さて、ローガン郡での伝道集会に参加したストーンは情熱に燃えて大急ぎで自分が
牧するケイン・リッジに戻って来たのです。 日曜礼拝に間に合わせたかったからで
す。 ログ・ハウス集会場内の一段とせり上がった狭い説教台に立ったストーンは、
彼の帰りを鶴首して待っていた会衆を前にして、ローガン郡の集会で目撃したことを
ことこまか説明したそうです。
そのあとマルコ伝16章15節~16節を用いて説教しました。 すなわち、『全世界を
めぐりてすべての造られし者に福音をのべつたえよ。 信じてバプテスマされる者は
救はるべし。 されど信ぜぬ者は罪に定めらるべし』
それまでのように聖霊の業に頼らなくても、福音を聞くことによって神は人に信仰
を与えて下さるとの新しい確信を得たストーンは、罪人たちよ、今や来たりて信じ、
救われよと、熱心に説いたのです。 ストーンの説教を襟を正して聞いた会衆たちの
中には嗚咽しながら帰路についた者も沢山いたそうです。 そのあと、おそらく午後
になってストーンは何軒かの信者さんの家庭を訪問して同じように説教をしました。
そしてさらにそのあとで、10数粁離れた所にあったコンコード教会の夕拝でも説教
をしました。 コンコードでの夕拝の説教中に二人の若い娘が突然に倒れました。
娘たちが倒れたのちの現象は、ストーンがローガン郡での集会で親しく目撃したの
と同じ状態であったそうです。 その夜ストーンはコンコードに泊まりました。
翌日になってストーンはケイン・リッジに戻りましたが、そこにはすでにたくさん
の人々がストーンの帰りを待っていました。 人々が救いを求めてストーンの留守中
に集まり始めていたことと、また、その中にはすでに主を見いだしたと言って神さま
を讚美している者もいたとストーンは知ったのです。
その中にナサナエル・ロジャーズ
Nathaniel Rogers という人物がありました。
バーボン郡の議員としてケンタッキー州憲法大会にも参加した人で、ストーン牧師に
とっては、地域社会の中でも尊敬されている人物でもあったので、特別に大切な仲間
であったようです。 ウイリアム・マクセルズ家で家庭集会があった時、ロジャーズ
夫妻も一緒に参加したようで、ストーンを迎えに出たロジャーズは両腕を広げて歓迎
し、神さまを讚美し続けたそうです。 家庭集会が始まって20分も経つと数名の者が
ローガン郡やコンコードでの集会と同じように地面に倒れたとのことです。
家庭集会に出席していた人の中には、怖れをなしたのか、立ち去ろうとした人々が
ではじめたようですが、どうしたことか倒れこんでしまったり戻って来た人々が出て
来たとのことです。 要するに集会からなぜだか逃れられなくなっていたのです。
家庭集会に冷やかし目的で?出席していた人で知的な理神論者がいたそうです。
その人がそこで吐き出すように呟いたことは、『ストーン牧師を自分は尊敬していた
し、牧師は真面目な人だと信じていたが、今じゃストーンは人々を騙すペテン師だ』
ということだったそうです。
そこでストーンがその男に優しく二言、三言囁いたらその男も倒れてしまったとの
ことでした。 その男が立ち上がった時に、男は信仰を言い表したとのことです。
その日の家庭集会は夜まで続いたそうで、家の内に入れなかったおおぜいの人々は
外にいたまま、『主にあって平安を得た』と、主を讚美し続けていたそうです。