第  3  回  講  演  (A)

 

  先ず最初に申し上げたいのは、私のために多くの祈りが皆様によって捧げら

れていたということに感謝を申し上げたいということです。今回の講演会は私

にとって大きな挑戦であります。皆様のお祈りと励ましが今回の講演をはるか

に易しいものにしてくれています。

  今日の午後の講演は、明白に語ろうとする私にとりまして、恐らく最も挑戦

的で困難なものになるかと思います。この講演の題は「ストーン、キャンベル

運動における聖書」というものです。

 

  第3回目の講演に際し、前置きとして申し上げておきたいことは、聖書その

ものの権威について論議するというのではなく、なぜならば聖書が権威の書で

あることを当然のこととしていますので、私のこの講演では、聖書解釈、聖書

釈義に関する論点について述べたいと思っていることです。とりわけ、私達の

運動の内から出て来たある特定の聖書解釈、聖書釈義に就いて語りたいと思っ

ております。

 

  今朝すでにお話致しましたことを再び申しておきますが、聖書の権威とは、

教会を復元しようとするどのような群れにとりましても、これは厳守しなけれ

ばならない権威である…ということです。

 

  少なくともこの講演の最初の半分で私が焦点を合わせてみたいと思っており

ます点は、ストーン、キャンベル運動の中から起って来たある特定の聖書解釈

または聖書釈義が、その特定の解釈がこん日に至るまで日米両国のキリストの

諸教会を形成して来たことです。

 

  キリストの諸教会、とりわけアメリカの諸教会が当面している課題、受けて

立たなければならない挑戦は、これまで私達が維持して来ました伝統的な聖書

の読み方を考え直さなければならなくなっているという点だと思います。

 

  その再考作業を始める場所は、私たちの伝承からだ…と信じています。

私たちの伝承を更に明確に把握し、その伝承への取り組みかたを更に満足でき

るように理解するために私たち自身の伝承を再検証すべきだと信じています。

  今朝も申し上げましたように、私たちがどういう経過をたどって、どうして

今ここにいるのか…と言うことを私たちが正しく理解することなしに、私たち

はどのような訂正、どんなな軌道修正を必要とするようになるかを正確に理解

することはできないのです。

 

  この講演の最初の部分で私は三つのことをしてみたいと思います。

  まず最初に、私たちの先輩達が聖書に接していた際の思潮・特性・特質につ

い考えてみたいのです。彼らの崇高な理念、力ある理念、彼等の長所について

です。

  第二に、そのような伝統的な聖書に対する接し方がどんな時代的背景、精神

の中で培われ、形成され、起って来てきたかです。特にそのことを啓蒙主義、

合理主義が与えた影響との関係で考えてみたいのです。

  そして、第三に、この伝統的な聖書の読み方がもたらした二、三の問題点に

ついて見てみたいのです。

 

  第一のポイントはこの運動の特性、この運動の思潮、強さというものです。

  アレキサンダー・キャンベルは聖書に対して根本的な態度で望みました。

1820年代にキャンベルが申したことは、『あたかも今までに誰も読んだことが

ないような新鮮な気持ちで私は聖書を読んでみたい』ということでした。

  誰かほかの人の意見に影響された視力で読むのではなく、澄んだ目で聖書を

読んでみたいと言ったのです。

  どうしてキャンベルがこのように感じたのかと申しますと、彼の時代には、

重くのしかかっていた伝統というものが、信者が聖書を読む時、大きな束縛・

制限になっていたといいうことを彼自身がよく理解していたからです。

  また彼自身の教会の諸伝統というものが、彼自身が聖書を新鮮な目で読む時

に、どんなにか邪魔になっていたかを良く知っていたからです。

  そのような訳ですから、自分もそういう諸伝統から自由になりたいと努力を

しましたし、他の人も自由にしてあげたいと願っていました。

  それらの諸伝統から彼自身を自由にするために、彼はラディカル、すなわち

根本的・徹底的・急進的な態度をとりました。彼は、諸伝統や、あらゆる偏見

や、多くの文化的背景をぬぐい去る努力をしました。

  私は、このキャンベルの努力の裏に崇高な目的・目標があることをみんなで

理解したいと思います。人々に、彼ら自分自身で、新鮮な方法で、聖書を読む

ように刺激しなければならないという願いです。

聖書に対し人々が新鮮な気持ちで臨むことをチャレンジするということです。

  このことは、少なくとも米国においては、現在でも、キャンベルの時代と全

く同じことなのです。

  それですから、私たちに伝えられて来たストーン・キャンベル運動の遺産・

伝承の一番力強い点の一つは、沈澱しがちな、閉鎖的になりがちな諸伝統を

絶えずかき回す自浄能力がある…ということです。

  それでありますから、19世紀初頭、人々が自由ということを考えていた時、

この運動も自由の運動として始まったのです。皆様がたの多くがすでによく

ご存じでありますように、1790〜1815年の間にこの運動は起こったものです。

  この運動は、最初、信者たちの、自由でなにものにも拘束されない、非公式

なネット・ワーク、網状の組織であり、人間の作り上げたいろいろな信条・

信仰告白文や職業的宗教人・聖職者たちの力を否定するように呼びかけるもの

でありました。

  このような、気の重くなるような主旨を打ち出すに際し、人々は飾られてい

ない新約聖書の内容に戻ることを訴えたのです。

 

  この時代の何人かの人々を簡単にご紹介いたしましょう。

その一人は、ヴァージニア州とノースカロライナ州のジェームス・オケーリー

(James O'Kelly  またはオッケイリー) です。

  1794年にオケーリーと何人かの人々は、所属していたメソジスト教会から

分かれました。その時、彼らは5箇条から成る宣言文を発表しました。

そのうち三つを申し上げましょう。

  宣言文の一つの点は、聖書というものが私たちの唯一の信条であって、信仰

と信仰生活の実践の規範となる唯一のものである…ということです。

  第二に、その文献が主張する点、肯定する点は、クリスチャン・キャラク

ター、すなわち、クリスチャンの人となり・品格・人格・徳性だけが教会員と

なる資格であり、教会の交わりの条件である…ということです。

  第三番目に、これらの人々が確認したことは、各個人が自分で判断する権利

を持っているということでした。

  しばらくの間、この人達は自分たちのことをリパブリカン(訳者注:主権在

民で、選ばれた代表たちが議決する共和制)メソジストと呼んでいました。

  それから1、2年して、ライス・ハガード(Rice Haggard)という人が、そう

いう(人間が作り出した)名前を捨てて、自分たちをただの「クリスチャン」

と呼ぶように説得しました。

  この、初期の、束縛されていない、ルーズなネット・ワークの内のもう一人

の人物をご紹介いたしましょう。エライアス・スミス(Elias Smith) という人

でした。スミスはニュー・イングランドに住んでいました。

彼は『ヘラルド・オヴ・ガスペル・リバティー」(強いて私仮訳すれば「福音

の自由の使者」)というアメリカで最初の宗教的新聞を1804年にニュー・イン

グランドで発行した人として極めて著名な人物です。

  彼の最大の情熱は、あらゆる宗教的圧制からの自由ということでした。

 

  私達の運動の初期において、より著名で重要な人々は、バートン・ストーン

と他の四名の指導者たちでした。

  彼らは1804年に彼らが所属していたプレスビテリー、すなわち、長老中会か

ら離脱しました。そして彼らは自分たち自身のグループを結成しました。

スプリングフィールド・プレスビテリー(長老中会)を結成しました。

  しかし、間もなく、その組織も必要でないと感じ、「ただのクリスチャン」

になるために解散してしまいました。

  彼らの訴えは、彼らの言葉を引用してみますと、「抑圧された者達は自由に

解放され、福音の自由のすばらしさを満喫できるように」でありました。

 

  ここに列記しました人々に見られますことは、自由への情熱でありました。

  キャンベルも彼らの中にあって、同様に自由を強調した人物です。

彼は或る折りに、「人々は容赦ない残忍な諸組織の力から解放されるべきであ

る…」と強く訴えました。

 

  これらの人々が異口同音に論じたことは、「原始初代教会というものは元来

民主的なものであった…」ということでした。

  これらの人たちが生きていた初期のアメリカの時代背景というものを理解し

て頂きたいのですが、当時のアメリカ、初期のアメリカでは自由というものが

情熱であり、彼らの思考の中にもそのような雰囲気が反映されているのです。

  彼らが叫んだことは、「人々は自分自身で聖書を学ぶことを許されるべきで

ある」ということでした。

 

  このことが意味することは、復帰運動というものは、終わりのない、絶えず

前進し続ける過程として理解されなければならないということです。

  自分自身で聖書を学ぶ、読む自由という理念は、この運動の初期における

思潮であったのです。

 

  次に、この思潮、この特性、この力強い理念の第二の点は、これらの人々が

聖書をよく知ることの重要さを強調していたことにあったのです。

キャンベルの時代というのは、各自が聖書を熟知していた時代ではなかったの

です。また、そのような時代、すなわち、各自が聖書を熟知しているというも

のは、その時まで、かつて一度もなかったのです。

  その当時のアメリカ人の多くは聖書が大切なものであると考え、貴いものと

して畏れていましたが、聖書が何を語っているのかは何も知りませんでした。

 

  すでに名前をあげましたような運動初期の指導者たち、とりわけキャンベル

が力説したことは、人々がただ単に聖書を貴い書として畏敬するとか、好きで

あるというだけでなく、人々は聖書が何を語っているのか、聖書の中身を学ば

なければならない…ということでした。

聖書は開かれ、読まれ、正確に解釈されなければならないのです。

 

  この運動が初期のアメリカでそんなにも急速に拡がって行ったのかという点

ですが、その理由の一つは、キャンベルが人々に明確で単純な方法で聖書を

理解することを手助けしようと努力したからなのです。

  キャンベルが聖書に接する時、彼の心の中にはある確信があったのです。

すなわち、人々が信仰に関する総ての事柄において、聖書の単純な言葉に自分

自身を制限する、自分自身を聖書の言葉の枠内に幽閉する必要がある…という

ことでした。

  キャンベルにとって、聖書とは、さまざまな事実の雄大なコレクション、

収集物であったのです。

もし人々が聖書のむき出しの諸事実に自分自身を閉じ込めるならば、一人ひと

りの人は、聖書を、他の人々と同じように理解することができるようになる…

と考えたのです。聖書のメッセージは単純で、そんなに多くの解釈を要する書

ではない…とキャンベルは考えていたのです。

  そんなわけですから、人々は自分自身の為に自分自身で聖書を読み始めたの

です。そしてキャンベルは人々に、そのようなことが可能だ、できるのだ…と

確信を与えたのです。聖書を読む人々に、或る特定の教会や教派の公式な聖書

の案内人、特定宗派の聖書釈義をする人物などいらない…としたのです。

 

  それではここで、ここまでお話したことを要約してみましょう。

  この運動で、聖書に接する時の思潮、特質というものには、基本的に二つの

ものがあるということです。

  一つは、教会を制限、規制して来た諸伝統に対しては、この運動が「自由」

を強調したことです。

  二つ目は、神様の御旨に対して広く蔓延していた無知に関して、この運動が

「聖書の単純さと明快さ」を強調したことです。

  しかし、私が皆様に察知して頂きたいことは、やがて間もなくこの二つの

理念の間に緊張関係が生まれて来るということです。

緊張が生じた理由とは次のようなものです。

 

  すなわち、もし聖書のメッセージが単純な諸事実によって構成されているの

であれば、そして、人がそれらの諸事実を迅速かつ簡単に学べるとするなら、

もうそれ以上の聖書への探索、聖書の学びは必要ではなくなる…とする意見が

生まれてくるようになるのです。

  そういう考えが蔓延すれば、その結果として、年月が過ぎ去るに従い、聖書

を学ぼうとする姿勢は安売りされ、聖書を学ぼうとする意欲が下落傾向に向か

うことは必然です。

  これでは聖書復帰運動が継続的な過程である…との意識を喪失しまうのは

明白です。

 

  とりわけ、バートン・ストーンは、この自由の喪失という問題に鋭敏に反応

した人物の一人でした。

1836年に彼が語ったことの中から引用してみましょう。この時すでに運動が

始まってから20年から25年は経過していました。

  『我々は長いことかかって人間が作って来たいろいろな分派とかさまざまな

信条をなくそうと努力して来た。我々は人間が築き上げた多くの信条だの、

信仰告白に反対して力強く説教して来た。

  しかし、他の諸教派の文字に書かれている諸信条・諸信仰告白文を糾弾して

いる間に、我々自身、文字には書かれていない、我々自身の不文律信条を作っ

てしまったではないか。

  その我々の不文律信条によって、主を畏れる、主にある兄弟達を、ただ単に

意見が違うからと言って我々の交わりから閉め出してしまったではないか。』

 

  ここに、私が信じていますことは、われわれの伝承に於ける皮肉というか

緊張の中心の一つが横たわっているということです。

  「信条がない」ということを「信条化する」という傾向がある…と申し上げ

ておきましょう。

  「我々はどこの教派にも属さない、ノン・セクタリアン」だという主張を私

たち自身のセクトの中心部の装飾にして来たという傾向が続いているのです。

  そうでないとするなら、「聖書探究の自由」を、「従わなければならない

義務感」で圧服させて来た傾向がずっとある…ということです。

  この緊張が示す点というのは、この運動が、その諸理念と共に始まったわけ

ですが、どうやってこの諸理念を維持してゆけばよいのかの困難さなのです。

  つまり、聖書探究の自由と服従との間の緊張というものは、運動の諸理念を

どう維持してゆけばよいのか…の困難さを如実に示しているのです。

  私たちは非常に迅速に、しかもとても簡単にある立場に到着した。それだか

ら私たちはもはや探究する必要がなくなった、なぜなら真理がすでに打ち立て

られたのだ。だから今後はその真理を押し通せばよいのだ…となるのです。

 

  そこで、私が皆さんに提案いたしますことは、私たちは、聖書へのこの接近

方法を考察してみて、それがどんなにか良い伝統であっても、しょせんそれは

人間の伝統の一部であることを理解することです。

 

  私たちが理解しなければならないことは、キャンベル自身、あらゆる先入観

や偏見とか文化的憶測から彼自身を自由にしようと試みたのでしたが、しかし

彼は、多くの場合、やはり彼が育ってきた時代背景の中に留まった、時代の

落とし子であったということです。

  今朝すでに学びましたように、キャンベルが聖書を読んだ読み方にはそれな

りの多くの影響が彼の上にあったということです。

  彼は、「清教徒たちの孫」という形で聖書を読んだのです。

そしてまた啓蒙思想、または理性の時代の子供として聖書を読んだわけです。

  また、彼はジョン・ロックの熱心で専念した弟子であったと言うことです。

  そして更に、キャンベルは、すぐこのあとで学びますが、スコットランドの

哲学者たちの影響を深く受けていたのです。

  キャンベルは、啓蒙主義がもたらした世界に関しての多くの科学的方法を

勿論のことと考えながら聖書を読んだのです。

  皆様がたにご理解頂きたいことは、キャンベルは才気あふれた人であり、

また徹底的にまじめな聖書学者であったということです。

  しかし、彼も私たちと同じように、彼が生きていた時代が生み出した産物で

あり、その時代の落し子であったのです。

 

  それでは、ここから私は私の講演の主要部分の後半部、二番目の部分に移り

たいと思います。これから、啓蒙思想とか理性の時代というものがキャンベル

をどのように形成していったのかということを見て行きたいと思いますし、

また、この運動から出て来た聖書の読み方の伝統を啓蒙主義、理性の時代が

どのようにはぐくんで来たのかを更に学んでみましょう。

 

  それですから、私たちはまず最初に、この啓蒙思想というものが近代世界に

どのように深遠な諸変化をもたらしたのかを考えてみましょう。

  啓蒙主義は深い変化をもたらしました。人々がどのように世界を熟慮し、

人々のこの世界における場所をどう考察するのかという点においてです。

  このことを別な言い方で出来るだけ簡単に申してみますと、この時代、すな

わち17世紀、18世紀において世界は機械化された…ということです。

 

  これから述べますことは私の講演の中でも重要な点でありますので、ところ

どろこ困難な箇所もあるかと思いますが、どうぞ目を覚まして、まどろまず、

注意を払って私に付いて来る努力をして頂きたいと願います。

  この時代においては、科学者たちや哲学者たち、たとえば、ガリレオとか

デカルトとかニュートンのような人々ですが、これらの人々は宇宙というもの

を一つの巨大な機械として示し始めたのです。

  彼等は自然諸法則を、この機械が作動する自然の諸法則として定義づけ始め

たのです。

  数学を使って、これらの自然諸法則を極めて正確に説明することができると

彼等は考え始めたのです。

  この時代になりますと、自然界のいろいろな働きは更に規則的になりました

から、より予測がつきやすくなっていたのですし、そのことは、自然界の働き

は人間の技術によってもっと制御しやすくなっていた…ということを私たちは

理解しておく必要があります。

 

  この発展の結果として、いろいろな科学的発見が爆発したのです。

そこには人間が世界を征服できるというはかり切れない自信がありました。

  この幻、この自信が余りにも強力でありましたので、多くの人はこの地上に

ユートピアを建設できるとすら考えるようになりました。

  当然、同じ時代に生きるクリスチャンは、これらの色々な発達・発展を目の

あたりにして、この自信を共に担うようになりました。

  自分たちより前の時代に生きた人たちがなし得なかったこと、すなわち自然

の力を支配することができるという見通しに大いに驚き、感動し、拍手喝采し

たのです。

  このような新しいものの見方を「ニュートン学説の宇宙」というようになり

ました。このニュートン学説は人類に大いなる科学の発展、医学の発展による

恩恵をもたらしたのです。

  今日の工業化された世界に生きる私たちも、この世界観の変化による副産物

なのです。

  しかし、このような発展と進歩には、そのために払わなければならなかった

代価があったのです。

  その代価というものは、強力な世俗主義の流れ、非宗教的道徳論の流れだっ

たのです。ニュートン学説の世界においては、神は更に遠くの存在となり、

もっと非個人的なものとなりました。

  例えば、クリスチャンという人々は、伝統的に神様の特別な摂理を信じてき

た人たちです。ということは、神様は今ここに私たちと共に臨在なさり、私の

傍にいらっしゃり、私たち人間の日々の営みの中に個人的に入り込み、複雑に

からみ合っていらっしゃるお方だ…ということを確認している人々です。

  しかし、今やニュートン学説の世界が現れましたので、神様の御臨在の信仰

と神様が私たちの生活に関与されているという信仰が薄れ、非個人的な自然法

にとって代わられてしましました。

  今日、それでも私たちクリスチャンは神の摂理ということを口にしますけれ

ども、その言葉の意味を失ってしまっています。

  この世俗主義に移行したということについて最近ある人が論評しました。

  16世紀にルターやカルヴィンは神様のことを「私の神様  my God」と言いま

した。個人的な神様です。

  しかし、こん日では、多くの人々にとって神様はもはや「私の神様」ではな

く、機械世界の主権者であるのです。

  ですから、神様の御臨在についての信者の考え方に変化が出てきたのです。

もちろん、人々は神様のことをいまだに創造主として語りますが、あるいは

存在するすべてのものの第一原因として口にしますけれども、人々は神様が

個人的に人間の営みに関与されるとは信じていません。むしろ、いろいろな

第二原因を媒介としてのみ働かれると信じています。

  簡単に言えば、この時代においては、自然というものは超自然というものと

鋭く分離させられてしまった…と言うことです。

  このようなことをいろいろと申してみましたが、申し上げたかったことは、

この世界観の変化が19世紀になりますと聖書の読み方に新しい道を与えた…と

言うことです。もっと単純に申してみますと、新しい科学的な物事の見方が、

聖書を新しい科学的視野で眺めるという方向に導いたのです。

 

  ある学者はこの新しい思考型を、彼の言葉を使いますが、「分析的、技術的

思考」と呼びました。その考え方によれば、自然界の事実の方が自然界を越え

たところにもしかして横たわっているかも知れない物事より確かであると見る

のです。

  その考え方では、すべてのものが明確であり、理論的に形成されていること

が要求されます。別の言葉で言いますと、自然科学が総ての真実な知識の模範

にならなければならないのです。

 

  さて、話題がストーン、キャンベル運動が生まれたアメリカに移ります。

  この新しい思考型式は、クリスチャンが聖書を読み始める時にその読み方を

深く形成したのです。その理由をご説明致しましょう。

  クリスチャンたちは、不信心が拡大してゆく可能性を案じたのです。

科学的に物事を考える人々が、もしかして聖書に非科学的なものを見いだし、

従って聖書は信じるに足りない書物であると言い出しはしないかと恐れたので

す。人々が聖書を手にする時、聖書を非科学的権威の書として眺めるのではな

いか、従って聖書を拒否するのではないか…と心配したのです。

  それですから、クリスチャンの思想家たちは、科学的な人々にもっと科学的

に訴えることができるように聖書の近代化を開始しました。

  この強調点の移転は一夜にして達成されたわけではありません。長い、歩み

の鈍い過程を経て行われたのです。

  しかし、このゆっくりと時間をかけて行われた強調点の移転をとうして多く

の献身的なクリスチャンの思想家は、徐々に聖書を、「自然界の諸真相に平行

した諸事実を積み重ねただけの書」に変えていったのです。

  このことの結果は、聖書は、ニュートン学説の世界において起ったことと

類似していったのです。聖書は科学的基準に適したものとなったのです。

  聖書は更に機械的なものとなり、個人的要素が更に少なくなり、神秘的面も

少なくなり、人間の支配に更に屈するものとなっていったのです。

  そこでは聖書が、人間が神様と正しい関係を維持するようにと呼びかける

神様の生きた声という面が少なくなってゆくわけです。

 

  19世紀の初めのアメリカにおいては、これらの近代化する影響力は、多くの

アメリカのプロテスタントの人々が聖書を読むに際してその読み方を形成した

のです。特に明白であったのは直訳主義と呼ばれるものでした。

  皆様もご存じだと思いますが、16世紀のプロテスタント宗教改革は聖書の

逐語的な意味を強調していました。

  私が申し上げたい点は、キャンベルが設定した聖書の読み方は、この文脈・

この概念を構成する内容の内で形成されていったということです。

  ここで私はとても重要だと思う一つの考えをご紹介いたしましょう。

  19世紀初期の多くのアメリカのクリスチャンたちはベーコン哲学と呼ばれて

いるものに魅せられました。この哲学はフランシス・ベーコンから来ていま

す。17世紀に生きた人で、科学的方法論の父として知られています。

  アレキサンダー・キャンベルや彼の後に続いた人たちの内の何人かは、この

研究法にたいそう影響されました。

 

  ここで、ベーコン哲学がどのような影響を与えたかということを、なるべく

簡単にご説明してみましょう。

  自然というものは諸事実から成り立っているという考え方だったのです。

自然がそうであるように、聖書もまた諸事実から成り立っていると言う発想で

す。自然科学者は自然の中から彼らの諸事実を集めて来ます。

聖書学者は聖書の中から諸事実を集めて来ます。

自然科学者たちは彼の諸事実を用いて正確で或る特定の知識に達するのです。

  それと同じように、聖書学者たちは彼の諸事実を用いて正確で或る特定の

知識に到着するのです。これは、別の短い言い方で申しますと、聖書に適用さ

れた科学的方法だということです。

 

  キャンベルとその生徒が言ったことを簡単に言い替えてみましょう。

キャンベルは、彼が語った有名な言葉の内の一つですが、聖書は理論ではなく

て諸事実である。聖書の諸事実の意味というものが本当の聖書の教義である。

自然科学者が諸事実だけを用いて調和に到着したように、宗教科学も同じ方法

を用いれば調和と一致をもたらすであろう…とキャンベルは言いました。

  キャンベルの生徒にジェームス・ラマー(James S. Lamar)と言う人がいまし

た。1859年に彼は聖書解釈の本を発行しました。

彼は極めて注意深くベーコン哲学に忠実に従ってその本を書きました。

  いくつも例題をあげることができますが、私の言いたいことは次のようで

す。すなわち、このような方法で聖書を読むという事がストーン、キャンベル

運動において強い伝統になったという点です。

  このような取り上げ方、接近方法が強くなり、19世紀の終わりに別な著者が

次のようなことを言いました。「イエス様が聖書の学びをなされた度ごとに

イエス様はベーコン哲学によって聖書の学びをなされたのだ」と。

  私は多くを省略して簡単に申しましたが、それを証明する充分な資料を持っ

ています。

 

  さて、私がここで申し上げている要点は、キャンベルのあと一,二世代もし

ない内にですが、このような取り上げ方、接近方法は、pattern authority

system(訳者仮訳:形式権威組織とでも訳す?)に道を開きました。

  その中心的役割を果たした人の一人がモーゼス・ラード(Moses E. Lard)

だったと思います。1880年に亡くなった先輩です。

  彼は、命令と模範と必要な推論(command,example,necessary inference )

と言う取り上げ方、接近方法を聖書に対して唱えた最初の人か、そうでなけれ

ば最初に唱えた人の一人でした。

  この方法が過去一世紀以上にわたりキリストの諸教会において使われてきま

した。この方法によって、キリストの諸教会で聖書によって許可されているも

のが何かを確立して来たのです。

  しかしながら、私がここで強調しておきたい事は、第二の世代や第三の世代

の人々、すなわち、モーゼス・ラードなどは、この方法を、アレキサンダー・

キャンベルが押し進めたかも知れないものよりはるかに推進したという点で

す。

  これらの後輩たちは信じている事のすべてをあまりも厳密にしてしまったの

で、他のすべての人々も彼らと全く同じように厳格に信じなければならなく

なってしまったのです。そうしなければ彼らの交わりに参加することができな

くなったのです。

  キャンベルは一致ということに情熱を抱いていました。

それですから彼はこのような独断的な姿勢の拡がりを拒絶したのです。

  ラードはある時、真の復帰とはすべての点において啓示されたキリストの

御旨に従うという事を意味するのだ…と語りました。

  ラードによれば、人が聖書的命令、模範、必要な推論を使う時、その人は

キリスト教信仰に対して全く正確な原型・模範を組み立てることができるが、

だれであってもそれから離脱する時にそれは背教となる…というのです。

 

  20世紀において、この手段・方法が有名な説教シリーズの一つを支持・強化

したのです。そのことによってアメリカのキリストの諸教会の形成に、諸教会

の同一性・画一性の確立に大きな役割を果たしたのです。

  私が申し上げている事柄は、テネシー州のナッシュビルで N.B. ハードマン

(N.B. Hardeman) が1920年代から1940年代にかけて幕屋連続伝道会というもの

をやったことです。

  ここで申し上げておきたい点は、この方法で聖書を読むということ自体は

極めてモダンだったと強調しておきたいと思います。これは啓蒙主義運動に

よって深く形成されたのです。そしてそれは、18世紀になって起った分析的、

技術的な思考によって形成されたものなのです。

  しかし、私がこのことを眺めますと、これは予期に反した奇遇、皮肉だった

と見ています。

  一方では新約聖書のクリスチャンだけだと主張しながら、その一方で多くの

人々がとても近代的な憶測を聖書に対して抱いたのです。

  聖書に対するこれらの近代的ないろいろな推測というものは、私が思います

に、いくつかの問題を開いたとでも申しておきましょう。

  ここで私達は聖書の権威について語っているのではなく、聖書を個人がどう

適切に解釈するのかを論じていることを忘れないで下さい。

 

                              《休憩》

 

  先ほどまで私たちはキリストの諸教会を形成してきた伝統的な聖書の読み方

の諸影響の由来を尋ねようと試みて来ました。

  ここで私は、このような伝統的な取り組み方には、いくつかの得たものと、

いくつかの失ったものがある…ということを申し上げて講義を続けたいと思い

ます。

  ここで私たちはこの取り組み方の過程において私たちが得たものと失ったも

のを見落としたり隠蔽したりしたくありません。

 

  得たものの一つを申し上げますと、ただ単に感情や気分によって左右される

のでなく、個人個人が聖書を調べてみなければならないということを主張した

点です。キャンベルや他の人たちが強調したことは、聖書は歴史的に与えられ

た啓示であり、人々が或る特定の意味を聖書に言って欲しいと願うようなもの

でないということでした。

  それですから、私たちは私たちの感情や、私たちが大切にしている諸伝統だ

からと言ってそれらを重くみないように努力しなければなりません。そして、

これはキャンベルの言ったことですが、「聖書の距離を理解する」範囲の中に

近かずかなくてはなりません。

  なぜかと申しますと、聖書はいにしえの文化と時間のなかに根づいたもので

すから、聖書のメッセージを聴くために私たちはいにしえになるべく近づかな

ければなりません。

  すでに学んで来ましたように、この接近方法、この取り組み方は私たちに胸

の躍る可能性を提供してくれたのです。元来、聖書とは、そもそも、普通の人

が自分で理解できたものであったのです。

 

  このように、この取り組み方で得た貴重なものもありましたが、同時にまた

失ってしまったもの、マイナス面もいくつかあったのです。これからの講演の

内でマイナス面、失ってしまったもののいくつかを論じてみたいと思います。

 

  先ず第一に、この接近方法は、特にすぐ後に来るいくつかの世代において固

くなってゆきました。それは、聖書に対し、教会に対し、クリスチャンの実生

活において、次第に機械的になり、非個人的な固いものを生み育てる結果を

招きました。

  講演の初めの部分で、啓蒙主義の時代の精神、理念について学んだ事を思い

出して下さい。

  これと同じように、すなわち、その当時の科学者たちは世界を機械的に捉え

ました。それですから、多くの神学者たちも聖書を機械化する傾向があったの

です。聖書は、米国憲法と同じように従順な類似したものとなったのです。

あるいは、聖書は、守られるべき法律的な書類となってしまいました。

別な言い方ですと、諸事実の組織されたものというものになって行きました。

  聖書が、統一された個人的な物語、できごとや体験などを叙述したものであ

るという意識は減少してゆきました。

  ここで、19世紀後半部における伝統的な福音の公式表示とでも言えば良いの

でしょうか、福音を明確に述べた最も一般的な諸見解の一つが、どうなったの

かをご説明したいと思います。

この公式、決まり文句、処方箋、方程式、フォーミュラというものですが、

いくらでも例題を出して御説明することができますが、それは次のようなもの

でありました。

  説教者は彼の福音の方程式を、信ずべき諸事実、服従すべき諸命令、享楽す

べき諸約束…というように説教したものです。

  諸事実は人間の心に訴えるものであり、諸命令は人間の意志に対して挑戦す

るものであり、諸約束は人間の情に訴えるものであったのです。

  しばしば説かれた方程式というものですが、信ずべき事実は三つあったとい

うのです。キリストの死と埋葬と復活であす。服従すべき命令の三つは悔い改

めと信仰告白とバプテスマです。楽しむべき三つの約束は罪の許しと聖霊の

賜物と永遠の生命でした。

 

  さて、ここで私は決定的な、重要点を申し上げたいのです。

この方程式、信仰告白、フォーミュラ、聖なる創始、聖なる音頭取りというも

のは薄れ行き、遠のいて行くのです。神様の、人知ではとうてい計り知り得な

い深いご恩寵、キリスト死の神秘性などが後ろの方に消えて行ったのです。

  焦点は神様が私達のために何をなして下さったかということではなくなり、

とかく強調点は私が何をなすべきなのか、私が何を理解しなければならないの

か…という点に集中される傾向が出て来たのです。

  もう少しお話した後でこの点に戻りたいと思います。

この、機械的な教会の型が次第に広く行き渡って行くようになります。

  生命のない教会の型、機械的な教会が、生命のある、生命に溢れる教会の型

にとって代わっていったのです。すべてが全く正確に同じでなければ本当の

教会ではない、本当の教会の姿、像ではない…という考えが支配するように

なっていったのです。

 

  この理論を、この姿を、私は「風船理論」という言葉で表明したいと思うの

です。皆さまも良くご存知の事ですが、空気なりガスが充満した風船というも

のは、小さな針の先が触れるだけで破裂してしまうのです。風船というもの

は、どのように小さな、とても小さな穴であっても、これを許すことができな

いのです。

  これと全く同じことが教会の信仰にも当てはまったのです。すなわち、一つ

の教義上の誤りであっても、それは正当信奉の崩壊を意味するのです。

かつて、モーゼス・ラードが申しましたように、聖なる型から一つでも離脱す

るならば、それはその人を背教者にしてしまう…のです。

 

  今日、私が皆様がたに提案し、申し上げたいことは、キリストの福音は、た

だ単に事実の固まりやいろいろな命令だけで構成されているのではない…とい

うことです。

  福音とは神様から私達に対しての主導権、創始、神様側から私達に向かって

の音頭とりなのです。福音とは、私達の罪と反逆に関するものであり、それら

への神様のお苦しみの愛なのです。聖なる慈愛と忍耐、神様の約束された誠実

さなのです。福音とは、イエス・キリストをとうして、私達を神様との生きた

関係に招き入れるものです。それは愛と信頼と従順に基づくものです。

  アレキサンダー・キャンベルは、かつて、このことについて語らなければな

らないと考えたことがあったようです。1837年に彼が語った言葉を、次の講義

で、皆様がたにご披露してみましょう。  (ここで休息)