野村さんがご持参下さった米国の1ドル紙幣の裏側の右側の鷲の方ではなく

て、左側の方のピラミッドの図柄をごらん下さい。

  この国璽 =コクジ ( 訳者注:国家を象徴する印)は、初期のアメリカの精神を

表していますが、その精神こそ復帰運動者たちの推進力を形成したものです。

  アメリカにやって来た数知れぬほど多くの移民たちにとって、アメリカは、

あたかもエデンの園のように、新しい出発点に思えたのでした。

  とりわけ1776年の米国独立戦争後は、多くの人々は、アメリカの民主主義が

政府をその根源的な基礎、本源的純粋さの上に復元した…と感じたのでした。

  19世紀初めになりますと、この(政治形態の)復元・復帰は、宗教の分野に

も適用・拡大されるべきである…との考えがアメリカ文化の間に広くゆき渡っ

ていたのです。

  アメリカの1ドル紙幣の国璽のピラミッドは、砂漠の上にそそり立つ未完成

のピラミッドを示しています。ピラミッドの周辺は不毛の、荒涼とした荒野で

す。そしてこのピラミッドがアメリカを表しています。

  ピラミッドの上には目があります。神様の目です。アメリカを見渡される

神様の目を象徴しています。更にピラミッドの上にはラテン語の語句が書かれ

ています。〈ANNUIT COEPTIS=アヌイット・コェプティス〉で、「我々の初め

を神様がほほえまれた」とでも訳したらよい意味です。

  また、ピラミッドの下には同じようにラテン語で〈NOVUS ORDO SECLORUM =

ノヴォス・オド・セクロラム〉という語句が書かれています。(訳者注:その

意味は、agesを幾世紀、すなわち、永遠と訳し、全体で 「永遠の新秩序」と訳

したらよいかと思われる)

  この「新しい」という意味は必ずしも「新しい」という意味だけではなく、

むしろ、「とても古い」とか、「とても古い、オリジナルなもの」と言う意味

をも含むものなのです。

  このことが象徴することは、ストーンやキャンベル親子の復帰運動が育まれ

て出て来た当時のアメリカの精神・思考である…ということです。

  更に、この最初で純粋な時代への訴えというものは、ストーン・キャンベル

運動だけに限定されるものではありません。この時代の殆どのアメリカ開拓者

の間の、あるいは開拓地での諸宗教グループにも同じような訴えがあったので

す。『原始的な、素朴なクリスチャンの聖書に…』という訴えです。

 

  それでは、このあたりで、ドル紙幣が行方不明になる前に野村さんは紙幣を

全部回収したいのでしょうし、ディスカッションに入りましょう。

 

  質問1号:  アレン教授がお使いになっている〈プリミティヴ primitive〉

という言葉はどのような意味でお使いになっているのでしょうか?

 

  その返答:  私が使っている〈プリミティヴ〉という意味は、オリジナル、

すなわち「原始の、本来の、最初の、初期の、原点の」といった意味であり、

ピュアー、すなわち、純粋の、混じりけのない、清らかな、きれいな、純正

な、汚点のない…といった意味で使っています。

  復元・復帰運動の基本的な、根源的なすべての理念は、ものごとすべては

オリジナルなものから衰退し、朽ち果てるものである…という憶測に基づいて

いるのです。それですから、〈プリミティヴ〉という時、それは〈神様から

最初に汚れなきものとして与えられた時の状態〉を指すという意味で使ってい

ます。

 

  どうぞ、どんなことでも、質問がおありでしたら、ご自由に、率直にお尋ね

下さい。あるいは、何かご意見がおありでしたら、それもご自由にお聞かせ下

さい。

 

  質問2号:  昨日のお話の内容に関し、あのような内容の見解を抱いている

人は、こん日の米国で、多いのですか、少ないのですか?

  それと、昨日、クリティックということをおっしゃいましたが、ストーンや

キャンベルもクリティック、批判の対象になるとおっしゃいましたが、聖書も

批判の対象に含まれるのかどうかをお聞かせ下さい。

 

  その返答:  私が貴方のご質問を正しく理解できたかどうか分かりません

が、私の見解・意見がどう米国の諸教会で受け容れられているかどうか…とい

うご質問だろうと思います。貴方のおっしゃる私の立場というものがどういう

ことを意味するのか私にはよく分かりませんが、私の共著であるこの本が広く

討論されているということと、多くの場合、高く評価されていると言えます。

  なぜかと申しますと、アメリカの諸教会は、現在、自らを吟味し、自省する

過程を通っているからです。圧倒的な声は高い評価と感謝を表すものですが、

同時に、この本がアメリカのキリストの諸教会の間に論議を醸し出していると

いうことも事実だと申し上げておきましょう。

  なぜこの本が一部の人々の間に論議を招いたかの主な理由をご説明いたしま

しよう。                            レストレーション・ムーヴメント

  それは、それらの人々にとっては、復元・復帰・一致運動とは、ストーンと

キャンベルが始めた運動に限られたもの…というようにしか推測されていない

のですが、この本において、復元・復帰・回帰・一致運動というものは、もっ

と遥かに幅広い、時間的にももっと長期間にわたるテーマ、論題を抱えた運動

である…ということを示そうと試みているからです。

  そして、ある人々にとって、このことが気にさわったのです。

 

  第二番目のご質問、すなわち過去に対して批判的に接する…ということだけ

でなく、聖書をも批判的に見るということか?…とのご主旨と理解しました。

私のお答は、条件付、制限付きで「イエス」です。

  聖書に或る種の強い反超自然的なバイアスまたはアサンプション、すなわち

偏見、偏執、先入観、仮定、憶測を持ち込むことは可能ですが、私はそれを拒

みます。別の言い方で申しますと、聖書とは超自然的な啓示であります。

  その聖書が神様からの超自然的な啓示であるということを否定する憶測を持

ち込むことに対して、私はそのような意味での批判は拒絶いたします。

  しかし、その一方で、私達は或る意味での批判的見地、批判的相互関係とい

うものを聖書に向けなければならないだろうと私は思います。

  なぜかと申しますと、聖書は歴史的文献でもあるからです。 historical

criticism 史的批判とでも言えます。なぜならば、聖書はいにしえのさまざま

な文化に深く根を降ろした種々多様な文献の蓄積でもあるからです。

  そのような訳ですから、私が聖書に或る種の批判的態度で接しませんと、

私は私の文化的先入観なり仮定を簡単に聖書に押しつけてしまうことになり、

そのことによって聖書のメッセージを歪めてしまうからです。

  聖書は、少なくとも四つか五つの明白に異なった文化的背景に根づいている

ものです。青銅時代、鉄器時代、ペルシャ時代、ローマ時代、ギリシャ時代、

それにセム族の文化などを挙げることができますし、聖書はそれらの諸文化を

反映しているのです。

  それですから、私たちはある種の、或る程度の批判、クリティックを適用し

てそれらの文化の中に浸透し、そこから聖書の意味するものを欠如なく引き出

さなければなりません。

  背景となったこれらの諸文化は、西洋の人々の考え方と異なるものであり、

また、現代の人々の考えとも異なるものですから、私はそれらの文化の世界に

侵入する努力をしなければなりません。それらの文化の思考世界に潜入して、

私は聖書の意味するものをより完全に求めなければならないのです。

 

  質問3号:  この本をお書きになった動機は何であったのですか?

  つまり、この本が、今のアメリカの教会のどんな伝道・牧会活動に影響を与

えようと思ってお書きになったのでしょうか?

 

  その返答:  歴史は私たちに多くのことを教えてくれるものです。

  その一つのことは、或る運動の理念・理想というものがどのように色あせて

行くのか…、埋もれて行くのか…、失われて行くのか…、先細りになるのか…

ということです。

  例えば、私の学生たちの多くが、初めてキャンベルやストーンを読む時に、

キャンベルやストーンの考えがどんなにか柔軟性に富み、融通の利く、適応性

の豊かなものであったのか…を発見して驚いているということです。

  どんなにか彼らの思考がしなやかで、力強い、活力にあふれたものであった

か…ということです。

  更にまた、歴史が示すものの一つは、ほとんどの運動が、その運動が始まっ

た時に持っていた活力、その活力でその運動が始まった訳ですが、その活力が

次第に硬直化して行き、そしてその活力を失って行くか…ということです。

  そして、この同じ兆候・傾向が、或る程度、アメリカのキリストの諸教会に

も見られた、そして、今でも見えると、そのように私は考えています。

 

  質問4号:  伝統への批評的な見方について私は非常に重要視していました

し、聖書に対しても条件付で同じような姿勢をお持ちかというお話でありまし

たが、先日のお話では、伝統に対する、また、歴史に対する検証は聖書を基本

として行われるというふうに私は理解したのですが、その御言葉そのものが、

批評的な見方を持って行かれるということと、そこがどうつながるのか、どう

いうふうなお言葉の捉え方をするのか…?

 

  その返答:  私は聖書の中で何が啓示され、何が啓示されていないかを判断

するなどとは、いかなる意味でも申しあげませんでした。

(訳者注:マイクを移動させたらしく、その間に録音テープに雑音が混入し、

解答者の一部の発言が聴取不可能となったが、前後関係から判断して、恐らく

以上のような言葉で返答が始まったようである。)

  それよりもむしろ、課せられた作業というものは、解釈し、理解するという

ことであり、また、いにしえのいろいろな文化をその基礎とした古文書を適切

に、正しく解釈することは、〈historical criticism〉= 史的批評、高等批評

を採用してその時代の世界に入り込み、そこで正しくその*フォームを理解し

なければなりません。(*テープの音声聴取不可能)

  そのような訳ですから、聖書の一部を取り上げてそれが聖書であり、別の

一部は聖書ではない…といった批評をするというようなことを申し上げたので

は全くありません。

  なぜならば、私たちは、聖書のすべてが神様から啓示されたものであると信

じなければならないのです。

  しかし、私たちは或る種の史的高等批評の過程を使い、その助けを借りて、

いにしえの諸文献、古文書を理解するのです。  以上で貴方のご質問のお答に

なったでしょうか?

 

  質問5号:  (クリスチャン・チャーチのプラット宣教師から)この場合、

〈批判〉と訳して使っている日本語は、英語の〈critique クリティーク 〉を正しく

表現しているのでしょうか?

 

  その返答:(他の日本人や宣教師からも発言があり)〈批判〉より〈批評〉

のほうがより正しいだろう…、いや、むしろ英語の〈evaluate  イヴァリュエイト〉、

〈評価する〉のほうがより正しいでしょう。何か裁きを下している、責めてい

るといったことではなくて、或ることの意味を正しく、適切に評価する…とい

うことです。この場合、聖書が権威を持つとかどうかというよりも、正しい

解釈をするかどうか…の問題でしょう。

 

  質問6号:  アレン教授が目指しておられる「原点に立ち返る」ということ

のために、現在の復元・復帰・一致運動を批判されている訳ですが、どのよう

な部分に批判・批評をお感じになっているのか、こうしなければならないとお

感じになっているのかお教え下さい。

 

  その返答:  ほとんど一つである二つのこと、二つの局面・見地を持つ一つ

の点についてお答させて下さい。

  アメリカの多くのキリストの諸教会の会員たちは聖なるご恩寵という聖書的

な教えと取り組んで全力を尽くしていますし、またそれを再発見しつつありま

す。特にローマ書からです。

  そして多くの人々が気付き始めたことですが、今世紀になってから私たちの

キリストの諸教会のあいだから、その教えが隠されてしまっていた、埋もれさ

せられていた…と感じているのです。

  さらに、そのことと深くかかわりがあることですが、イエスの十字架の上で

の死と復活が分散させられて来た傾向があったということです。

  それですから、現在では多くの人々が、その説教や教えをとおして、教会の

いのちのために、キリストの十字架の代価と意味について説くように努力し、

そのような方向に移りつつあるということです。

この点につきましては、午後からの講演でお話したいと考えています。

 

  そのような再考時代には、それと全く別の極端な方向に向かうという危険性

もある…ということです。

  このようにして、伝統や過去に対し強く反発することで過去に関する理論的

に正当な洞察力や堅固な利得を失う可能性があるということです。

  そのような訳で、アメリカの一部の兄弟たちが、信者のバプテスマというも

のを、再び生まれるためにキリストの死と復活とに結びつけることを止めてし

まった現実や傾向を見ますと、私の心は平安を欠き、乱され、不安にさせられ

るのです。

 

  質問7号:  昨日と今日と、私たちはヨーロッパとアメリカにおいてキリス

ト教がどのように動いていったかということを学習したのですが、日本におい

てそのような学習がどのように役立つか、なぜ私たち日本人がそのような学習

をしなければいけないのか?…という点について。

 

  その返答:  大変に重要で良い質問を出して下さって感謝します。

  このことにおいて、私は皆様がたのお助けが必要だと思います。なぜかと申

しますと、私はその質問に対する完全なお答を持っていないからです。

 

  しかしながら、このことを言わせて下さい。

  まず最初に、歴史を真摯に、真剣に受け止めるということは、皆様のお気に

召すか召さないかにかかわらず、この歴史こそが皆様の日本のキリストの教会

を形成して来たものであるからです。

  日本に土着化したキリストの教会の形成が前進する前に、過去百年間にわた

り皆様を形づくった、形成したこれらの影響を理解し、振り返って眺めて見る

ことはたいそう重要なことなのです。

  私たちはだれでも、自分より先に行った人々から受け継いだ伝統というもの

を持っているのです。それですから、私たちは新約聖書に行ったのだ、その他

のどこにも行っていない…などと考えてはいけないのです。

  どうしてかと申しますと、過去に存在された男や女の人が私たちの考え方を

形成してくれたのです。そして、しばしばそれは良い意味での思考形成だった

のです。それですからそれらの先輩とその影響に対し大変に感謝できます。

  しかしながら、それらの先輩の考え方が、何かあたかも新約聖書の権威と同

じものであるかのように捉えてはなりません。

  このような訳ですから、アメリカであれ日本であれ、私たちすべての者は、

私たちのキリストに在る人生を形成した、そして私たちが遺産として先輩から

受け継いだものを吟味しなければならないという挑戦を受けているのです。

 

  アメリカの復元・復帰・一致運動は19世紀のアメリカの文化によって形成さ

れた独特なものを持っています。それが先ほど眺めたあの1ドル紙幣です。

  日本で生活していても、そのアメリカの文化的遺産から得ることはできます

が、私の考えでは、この日本の文化的土壌の中でキリストへの信仰を持って

忠実に生きぬかれるのであれば、実践されるならば、日本のキリストの教会

は、この国独特の或る特定の問題や課題や思想に向けた、アメリカのそれとは

多少異なるものを形成して行くだろうということです。

そして、これは皆様がたが日本でいま直面されている挑戦だと思います。

 

  質問8号:(クリスチャン・チャーチのパトン宣教師夫人のコメント)

  それと同じような質問は、アメリカのクリスチャン・チャーチの中ででも聞

かれます。なぜ我々は復帰運動を学習しなければならないのか?…と。

  多くの教会は復帰・復元・一致運動など全く知らないのです。『聖書だけ、

我々は聖書だけ…』という訳で、レストレーション・ムーヴメントなど気にも

かけないのです。知りたがりも、学びたがりもしないのです。

  ですけれども、聖書が我々に来たのは復帰運動をとおしてだ…ということを

知らないのです。学びたがりも、知りたがりもしないのです。

 

  その返答:  そうなのです。多くの場合、多くの人々は知ろうともしません

し、学びたいとも考えないのです。

  そして、クリスチャンの信仰は、必ず先輩のだれかをとおして自分のところ

にやって来たということに気づいていないのです。不完全である誰か他の人を

とおしてやって来たのです。

  そのことに対して私たちは感謝しなければなりませんが、その人の言葉を

そのまま、あたかも聖書の権威そのものであるかのように錯覚して、飲み込ん

ではいけません。

  各自が置かれている生活の場で、クリスチャンとしての挑戦を正面から受け

て立って、私たちのこの時代のいろいろなニーズ、求めに応じられるように、

常に挑戦を受けねばなりません。

 

  質問9号:  日本で私たちがキリスト教を伝道する時、日米間には文化的な

へだたりがあると思います。キリスト教を伝道すると、アメリカのキリスト教

を伝道するみたいな感じで、ところが日本人に伝道する時にはキリスト教それ

自身を伝道するのであって、日本人に分かるように伝道するのであって、博士

がおっしゃったように、オリジナルなものを伝道してゆくのはむつかしいと思

います。どうお考えになりますか?

 

  その返答:  それ自身が挑戦のように思えますネ。

  私はそのことに関してお答をする資格に欠けていると思います。

私にできるもっと控えめな仕事というものは、過去が私たちに、貴方と私に、

どのようなものをくれたのかを理解させることでしょう。

  少なくとも私はアメリカでその挑戦に貢献したいと願っていますので、貴方

は日本でその仕事・挑戦に挑んで下さることです。

  それでも、あえてここでひとこと申し上げることがあるとすれば、それは、

もしも私たちがこん日、私たちの先輩たちよりもより明瞭にものごとを眺める

ことができると、理解できる…と言うのであれば、それは、私たちがそれらの

先輩たちの肩の上に乗っているからより良く見えるのだ、理解できるのだ…と

いうことでしょう。先輩たちは巨人だったのです。

 

  質問10号:  キャンベルと…が(訳者注:雑音で聴取不能。「ストーン」と

聞こえる)いわゆる批評をして新たな復元・復帰・一致運動を行ったように、

日本のキリスト者も批評を怠らずに、その復帰運動の継続した流れの中で信仰

生活を送るということが課せられるものだと思います。

  もう一つは、なぜ伝統・歴史を学ばなければいけないのか…ということだっ

たのですが、大前提として、私は、神は歴史をもって人類にかかわっていると

いう事実をもってして、私たちは歴史を回避することはできず、またその歴史

そのものが神の恵みの足跡である…という解釈も可能だと思うのです。だから

伝統…(訳者注:一部の単語聴取不可能)を学ぶことは大切だと思う。

 

  その返答:  それのコメントは良い点を突いていると思います。アーメンと

言えます。

  ちょっとここでひとことつけ加えさせて下さい。キャンベルとストーンは

特定の…(雑音で聴取不能。チャーチ?ともチャンス?ともチャージ?とも聞

こえる)に語りかけていた…ということです。特別な一つの課題が与えられて

いたということです。

  (聴取不能に近いが)そのチャンス?とは、分裂状態にあったキリスト教で

した。ストーンとキャンベルは、多くの分派や宗派に分裂こそしていました

が、クリスチャンたちに宛てて語りかけていたのです。分裂し、分派化してい

て、一致できない状態にありましたが、それでも、すでにクリスチャンたちに

対して語りかけていたのです。

  それですから、それらの人々の多くは、基本的なキリスト教の教義を身に

つけていたと考えられますので、教会の秩序とか習慣などに焦点を当てれば、

それらの上で同意できる…、一致できる…と考えていたのです。

  しかし、日本では、皆様は全く違った状態の中にいらっしゃいます。

  皆様は、多くの分派、教派があるキリスト教を背景とする文化に直面されて

いるのではなく、ほとんどクリスチャンが存在しない文化の中にいらっしゃい

ます。キャンベルやストーンが相手にした人々は十字架の贖罪の教義を身につ

けていましたが、たとえば、ここ(日本)ではキリスト教の福音の中心的なも

のとして贖罪が宣べられなければなりません。これは全く異なった挑戦なので

す。

  彼らが、彼らの状況の中でやったことをこちらに移植しようとするならば、

それは歪められたメッセージになってしまいます。そして人々をキリストに

引きつけるハート、すなわち中心点をはずしてしまうことになります。

 

  質問11号:  さきほどの、9番目の質問との関連ですが、そしてコメントに

なると思いますが、特にこのレストレーションの流れに乗った働きは敗戦後

日本にたくさん入って来ています。

  ただ、その時、私たちが受け取ったのは、そして語った人々も、このレスト

レーション・ムーヴメントというものを限定してしまって、これが、アメリカ

で行われているものが、完全にできあがった…ということを教えた人々がいた

と思います。

  受けた側もそのとおり受けてしまった。でも、だんだんと日本人の中でも主

が成長させて下さって、おかしいんじゃないか…と言ってある方は離れてし

まった。しかし全体としては、私たちは何年間かこの学びにおいて、新約聖書

教会とは何か…ということを学んで来ているのです。

  ただ一つの問題は、アレン博士の主題から違って来ますが、私たちある部分

を…(訳者注:発言者の音声聴取一部不可能)、たとえば先程の聖書の権威と

いう言葉がありましたが、それについての疑問を持つ人もいるということで

す。それは問題もありますが、今、私たちは本当に固定したものでなくて、

改めて日本という場において聖書が何を教えているか…を学びつつあるという

ことを知って頂きたいのです。

 

  その返答:  私はそれに一言つけ加えて申し上げておきたいことは、聖書の

絶対的権威というものは総てのレストレーション・ムーヴメントの人々にとっ

て基本的・根本的なものです。

  私たちは私たちの理解の不足からしくじる時もあるでしょうし、多くの過ち

を犯すこともあるかも知れませんが、しかし、その絶対的権威の崇高な理念が

私たちを常に聖書を捜させ、聖書に戻らせるのです。

 

  質問12号:  そろそろ時間の制限もありますし、通訳の福島先生を助けたい

という願いもありますが、私の個人的なお願いと質問ですが、キリストの教会

の現状、アメリカの復帰運動の現状に対する批判として、恵みの意味の陰り、

それから主の死の意味についての理解の部分において問題があるということで

したけれども、午後に、それも加えて、博士がそれを聖書的な立場で受け止め

られて批判されようとなさっているのか、それからもう一つ加えて、ずっと、

このストーン、キャンベル運動における聖書理解ということで私たちの方にも

来ていることですが、ストーンやキャンベル、それに、その他に復帰運動をし

て来た人たちの聖書理解の批判というお立場に立っていらっしゃるのですネ。

  かれらの運動のどの部分を批判されようとされておいでになっているのか、

それをもしできたら午後の時間に扱って頂きたい。

 

  その返答:  それはまさしく私が午後からやろうと思っていたことです。

  午後の時間の講義の内容に含まれているので、午後にお答できるでしょう。

 

  質問13号:  午後からでも結構ですが、今日から教会ですぐ役立つように、

具体的に、分かりやすく、箇条書き的にお願いしたいのですけれども、長い

年月の中でできて来た伝統の中で、神様の栄光を拝している伝統と、イエス様

の御名を汚すような伝統が、具体的にアメリカで、どういうものがあるのか、

また日本で長年働いて来られた伝道者の方々にお願いしたいのですが、日本の

中にでき上がった伝統があるのか、あったらどういうマイナス的なものがある

のか、プラス的なものがあるのかということを教えて下されば幸いです。

 

  その返答:  それらにつきましても午後の講演で扱いたいと思います。

  もし説明が足らなかったなら、改めて、喜んでお話したいと思います。