《降誕節(クリスマス)になると想うこと》

 

  毎年この頃になりますと私は一種の「クルシミマス」を味わいます。

余りにも商業化され過ぎてしまったクリスマスという季節の再来だからです。

 

  そこには高価で贅沢な贈り物や華やかなパーティーや、クリスマス・ケーキなど

が中心となり、イェスのイの字も語られていませんし、顧みられない人々でこの地球

が溢れているというこを考えることもなく、恵まれない仲間に仕えるという思い遣り

もほとんど皆無に近いからです。

 

 

  有名な「きよし、この夜 Silent Night!」の讚美歌が安っぽくジャズ化されて鳴り

響き渡り、恐ろしい物質中心主義や貪欲な快楽追求主義が躍動しているからです。

  そしてイェス・キリストの教会と自称他称のクリスチャンたちまでもが同じように

商業主義・物質主義の奴隷と化しているように思えるからです。

  主イェスがこん日ここに私たちと一緒に肉体を伴って居られると仮定するならば、

イェスは何とおっしゃり、どんなにか驚かれることだろうか…と思うからです。

 

  辞典や事典から複写した別冊計11頁の参考資料を併せて読んで頂けることを前提

に話を進めてみましょう。  (希望なさる方に提供致します。  郵送もいたします)

 

  まず新約聖書マタイ伝とルカ伝にはイェスの誕生について語っています。

特にルカ伝ではイェスの誕生前後のことを詳しく記録しています。  大切な点です。

 

  しかし、イェスが1225日に生まれたなどということを、新約聖書のどこを調べて

見ても捜し出すことはできません。  新約聖書はイェスの誕生年月日をいっさい全く

語っていないのです。  大切なことであるならばそのように書かれている筈です。

  さらに、新約聖書のどこを捜してみても『1225日をイェスの誕生日として祝え』

とも命令されていないということです。

  イェスの誕生の事実を新約聖書は語っていますが、その日時に就いては無言です。

この二つの事実をしっかりと区別して把握しておく必要があると思います。

 

  添付資料によっても明らかですが、初代原始教会もイェスが1225日に生まれた

などとは言っておりませんし、むしろ護教家教父オリゲネスなどは、或る特定の日を

イェスの誕生日だなどと勝手に決めこんで「馬鹿騒ぎ」をすることを禁じています。

 

  宗教改革という一連の激しい動きが教会の中に見られるようになってからのこと

ですが、偉大な宗教改革家の一人ジャン・カルヴァン (15091564) やイングランド

のピューリタンたちは1225日をイェス・キリストの誕生日として祝うことに反対の

態度を明確に示しました。

 

  それは、聖書が語っていないのにもかかわらず、あたかもその日がイェスの誕生日

であるかのように決めて祝うことは、ローマ・カトリック教会の誤った教えを鵜呑に

して受け入れるだけではなく、キリスト教がヨーロッパに進出する前からヨーロッパ

にあった土着の太陽神崇拝の祭日をイェスの誕生日だとこじつけてまで聖なる教会内

に持ち込もうとすることは決して許されないことである…としたのです。

  そのほかにも、聖書的でない日付けを理由にして世俗の「乱痴気騒ぎ」に陥り易い

悪弊を警戒してのことであったかと、そのように私は思っています。

 

  このような反ローマ・カトリック教会精神、プロテスタント精神はイングリッシュ

・ピューリタンたちによって、すなわち、清教徒たちによって新世界・新大陸である

アメリカにも持ち込まれたのです。

 

  しかし同じ宗教改革家のマルティーン・ルター (14831546) はもともとローマ・

カトリック教会の極めてまじめな修道士でもありましたので、ローマ教会から決別し

たあとでも多くのロー・カトリック教会的な要素を抱えていました。  それですから

1225日をイェスの誕生日」として祝うことに抵抗はなかったようです。

 

  ルターの影響の強い獨逸や北欧では、それですから、古くから伝統として残留して

いた冬至を中心とした太陽神を祝う祭と、それを巧みに利用して、「義の太陽である

イェス」の誕生を混ぜてローマ・カトリック教会が主張した1225日=イェスの誕生

日とすることに、カルヴァンほどの激しい抵抗は見られなかったようです。

 

  北米の人口の約10%以上はドイツ系や北欧系の移民ですから、彼らが新世界にその

ような理解や伝統を持ち込んで来たことも否定できないでしょう。

  アメリカに渡ったのち、コカ・コラの宣伝の「太った真っ赤なサンタクロース」の

イメージが一緒になって、すっかり世界中に定着してしまったのです。

 

  それですから、厳格なピューリタン系の信仰理解からイェスの誕生をどのように

見るのかということと、ルター的な古いヨーロッパの文化や伝統を肯定する立場では

同じキリスト教会とそのメンバーたちにも違いが出て来るのは当然だと思います。

 

  しかし、次第に厳格に聖書を調べて、聖書から照らし合わせてイェスの誕生月日を

吟味するという要素が薄れ始め、異教徒の祭りだったという拒否反応も消え失せ始め

1225日がイェスの誕生日であると信じて疑わなくなった人々が幸か不幸か多数を

占めるようになったと思います。  巨大資本の商業主義の影響を否定できません。

 

  先ほども述べましたように、新約聖書の中でマタイ伝とルカ伝がイェスの誕生を

述べています。  これは疑ったり議論をする必要のないことです。  ただし、イェス

の生年月日に関して新約聖書は全く沈黙を守っています。  留意しておきましょう。

 

  それですから私は、『聖書が語ることを語り聖書が黙することには私も黙す』と

いう信念から、イェスが十字架の上で人の罪の贖いのために死ぬようにこの世に来て

下さったという、イェスの誕生の意味を深い感謝と感動を抱きながら語ります。

 

  止ん事ヤンゴト無き王宮の王子さまとして生まれ給うたのではなく、「人の子」として

貧しい匠タクミ の子として馬小屋に生まれ、貧しい底辺層の人々がその日その日の生活

に喘ぎ苦しむ姿を甚イタく目撃されたばかりでなく、エルサレムを中心とする宗教界の

指導者やそれと結託していた政治家、そしてさらに、ローマ占領軍とそれにへつらう

イスラエルの軍人や権力者たち、これらの一握りの横暴な権力者たちが貧しい人々に

対して昼夜を問わず無慈悲に示していたさまざまな無理難題をつぶさに目撃しながら

育たれたのが「人の子」イェスだったと私は推測しています。

 

  それですから、究極的に救いを達成なさる神を信じることの大切さを教え、歴史を

導かれる神の贖いへの希望を抱き続けることの重要さを語り続け、無条件で愛し続け

ることの尊さをご自分の生きざまを通して示されたのがイェスであったのです。

  そしてそれらの集大成として十字架の上に架かって、創造主の御旨に従い、私たち

人類の贖罪の死をなし遂げて下さったお方、それが私たちの救い主イェスなのです。

 

  これらのことはイェスが馬小屋で処女オトメ マリアの子として生まれて下さらなかっ

たならば決してあり得なかったことでした。  それですからマタイ伝もルカ伝も淡々

と、そして情熱を込めて、十字架に赴くイェスの誕生を告白しているのです。

ルカ伝では天使がいくどか現れてイェスの誕生の準備を語っていますし…

 

  もし私たちがイェスとその十字架、その復活と再臨を語らないとするのであれば、

道端の石ころが叫び出す(ルカ1940)でしょうし、私たちはこの世界の中に生きて

いるすべての人の中で最も惨めな者(Iコリント 15:19)となるでしょう。

 

  しかしその一方で、聖書が何も全く語っていない「1225日をイェスの誕生日」

であるかのように、事実でないことを、まことしやかに語るという一種の冒涜行為を

私はできないのです。  1225日をイェスの誕生日として祝う」という気持ちには

到底なれないので、この時期になりますと当惑しクルシミマスなのです。

 

  多くの場合教会にも相当な責任がありますが、「1225日をイェス・キリストの

誕生日として祝う」目的で、その日だけ、一年に一回だけ、教会に集う人々が世界中

に一杯いるのです。  そうすることで自分は適当に立派なクリスチャンであると錯覚

して自己満足しているようです。  しかしこれはおかしいと私は思います。

 

  このようなことを使徒パウロはガラテヤ書4章8節~11節の中で厳しく警告して

います。  もともとこの箇所は当時の教会の内部に深く浸透していたグノーシス主義

を信じる者たち(二元説を信じる者たち、仮現説を信奉する者たち)を念頭において

書かれた警告だと思いますが、私たちにも当てはまる警告なのです。  添付資料参照

 

  それは、私たちは一体全体イェスのことを一年に一回だけ覚えて、あとの 364

は覚えなくてもよいことなのでしょうか?  そう言うことなのでしょうか?

  イェスとは一年 364日の間は覚えていなくても、「1225日だけ思い出してお祭り

騒ぎをしておけば、あとの一年間は上手に適当に何とかやって行ける」ような程度の

便利なカミサマ、私たちに都合のよいカミサマなのでしょうか?

 

  その程度のイェス理解で「1225日だけ教会に行ってイェスを拝んだような格好を

しておけばそれでもう充分なのだ」というのが「クリスチャンだ」ということなので

しょうか?

 

  その日だけ「クリスマス特別献金」と称して「相当な犠牲を払って捧げた」ような

気持ちになって「カミサマに貸しを作っておいた」とでも思っているのでしょうか?

使徒パウロが問題にしているのは、こういう姿勢ではないのでしょうか?

 

  その一方で、ロマ書14章5節~10節でパウロが主張していることがあります。

  当時の広大なローマ帝国(=全世界)の中心地であったローマには私たちの想像を

はるかに超えたさまざまな活動がありました。  最近NHK-TVでもやっていましたね。

 

  たとえば、各民族や人種に従った数の何倍も何十倍もの偶像神が奉られていたよう

です。  それらの神々に犠牲として捧げられた動物の肉が払い下げられていたようで

すし、その肉をクリスチャンが食べるのか、食べてもよいのか、食べるべきではない

のかと、クリスチャンの間でも肉をめぐっていろいろな意見があったようです。

 

  剣闘士どうしが相手を殺すまで闘うことをコロシアムの中で公開してローマ市民の

人気を得ようと皇帝が試みていたかと思えば、捕まえて来たクリスチャンたちを猛獣

に食い殺させて市民を喜ばせるというような残虐なこともやっていたようです。

 

  そのほかにも、ローマには数多くの奴隷や半奴隷たちがいました。  ローマ市民権

を持っていないそれら貧しい人々にとって、贅沢な肉を食べるということはほとんど

無理なこと、不可能に近いことであったでしょう。

 

  これらのことから考えてみますと、「肉を食べる」ということはローマとその周辺

に住むクリスチャンにとって、大きな倫理的、宗教的、感情的な問題となっていたの

だろうと推測します。

 

  使徒パウロは、このような社会的、文化的、宗教的、道徳的、倫理的、感情的な

理由からエクレシアの中の人々が互いに「肉食肯定派」と「肉食否定派」に分かれて

対立している現状を見聞きして、いずれの側に立つのであれ、それが「主のため」に

なされるようにと、「主の栄光」なり「主への感謝」を伴って行うようにと忠告して

いたのです。

 

  さらに5節では、ローマの人々にとって、「ある特定の日を大切にする習慣」が

あったことを思わせています。  「その日に」肉を食べたのかも知れません。

それに強く反対した人々もいたのかも知れません。

  あるいはローマに住むあるクリスチャンたちにとって、その特定の「日」が、何か

いまわしい思い出の日であったのか、また、ある別のクリスチャンたちにとっては、

特に取り立てて問題にするような日ではなかったのかも知れません。

  賛成・反対のどちらの側に立つにせよ、そのことを「主のために重んじるように」

とパウロは強く勧めています。  「主のために」が問題を解く鍵になっています。

 

  このことから思うことですが、1225日をイェスの誕生日であると主張する人が

あったとしても、そうでないと主張する私であっても、そのことを論じる前に、使徒

パウロが勧めるように、「主のために」それを考えることが大切だと思います。

 

  毎日毎晩、一年を通して欠かさずにイェスを思う人であるなら、すなわち 364日の

あいだ主イェスを思いながら、「1225日」だけはイェスを思わないし感謝もしない

というのも不自然なことです。

 

  364 日のあいだ主イェスを思い、その生涯を思い、その十字架を思い、その復活を

思い、そしてその再び来たり給うことを強く覚えて感謝の生活をする人が、どうして

も「1225日だけはそれができない」というのは、これは実におかしなことです。

 

  ほかのが人々が1225日だけ「宗教という酒」に酔っ払って「今日はイェスさんの

誕生日だ」と乱痴気騒ぎをしていても、私たちはその日も、ほかの 364日と全く同じ

ように、主の聖誕を祝い、その生涯を覚え、その十字架を偲び、そしてふたたび来た

り給うことを待望できる筈だと思うのです。  如何なものでしょうか?

 

  このことをロマ書14章は指摘しているのだと思います。  8節が言いますように、

「生くるも死するも主イェスのため」というのが本筋だと思います。

 

  それよりも、そしてこれは私個人の考えなのですが…

  毎年この時期が来るごとに、すなわち、いわゆるクリスマスという季節になって、

そのことで意見が分かれている、どちらかと言えば建設的でない日付けをめぐる論争

でクルシミマスよりも、「聖書が教会に対して決定的に大切なことを教えている」と

私には思えることがあります。

 

  それは主の晩餐、主の食卓のことです。  ある人々はそれをパン裂きと呼んでいる

ようですし、聖餐とか聖晩餐と呼んでいる教会や教派や教団もあります。  (ただし

それを聖餐「式」と呼ぶことは主イェスの御旨にそぐわないと信じています)

  マタイ伝2617節~30節、マルコ1410節~26節、ルカ伝22章7節~20節でイェス

御自身が主の食卓をご計画になり設定されたことを学びます。

 

  特にルカ伝2215節は主イェスがこの食卓を殊のほか大切なものとお考えになり、

せつに求めておられたことを教えています。  これは人間の都合でやってもやらなく

ても良いというような筋のもの、形式的な「式」ではないのです。  主イェス御自身

が望まれてそのように設定されたものだからです。

 

  それですから初代原始教会は主の食卓を極めて大切なものとして食卓に与っていた

のです。  コリント前書11章の半ばを読みますと、コリントのエクレシアの中で主の

食卓を社交の場として汚してしまったことに対して使徒パウロは厳しくこれを戒め、

主の食卓について23節以下で改めて極めて厳粛にその主旨を説明しています。

 

  使徒行伝20章7節以下には、「一回りの初めの日」に主の食卓に与っていたことを

暗示しています。  初代原始教会では、主の食卓に与るたびに、主が再臨なさる瞬間

に到るまで主の十字架上の贖罪の死を告知するのだと、使徒パウロはそのように述べ

ているのです。  使徒行伝2章41節以下にもパン裂きが語られています。

 

  それですから私は、曖昧ではっきりしないイェスの誕生日を、聖書が語っていない

ある特定の日に祝うというのではなく、毎日曜の朝、主の食卓に与る時ごとに、主の

ご降誕とそのご生涯、そしてその十字架と復活、さらに召天なさった主がやがて神の

時が及ぶに従い再臨なさることを覚えて感謝し、祝い、讚美し、待望するのです。

 

  クリスチャンにとって、そして『我々はプロテスタントである!』などと豪語する

のであれば、毎日曜ごとにイェスの聖誕と生涯、十字架と復活、そして再臨を覚える

のが一番ふさわしいと考えています。  人間が作り定めた日に煩わされることなく、

心から感謝できる日であると考えているのです。  如何でしょうか?