《いわゆる「クリスマス」について》

                          Christmas / Dick Soule

                 The Ekklesia Then and Now / Dec. 16, 2003

                      ディック・ソウル    野村基之訳

 

  1659年5月11日、マサチューセッツ湾植民地普通裁判所で以下のような文章が記録

されました。

  即ち、『当裁判所管轄内各地で最近起こっている事柄で、あちこちで迷信的に守られ

ている祝祭をいまだ継続して守っている人々が存在しているということとの関係で、

神への大いなる侮辱と他の人々を不愉快にさせるという無秩序な混乱を防止する目的

で、当法廷とその権力は、クリスマスやそのような日を守るという事に対して、或は

またそのために勤労を控えたり、断食をしたり、その他のいかなる方法手段であれ、

それらの行動を採る者に対しては、社会的制裁金として、そのひとつひとつの違反に

対して5シリングを当法廷に支払うことを命じる』

 

  ピューリタンが禁欲者か禁欲的であったというのは理解できますが、この裁判所の

告示から判断しますと、禁欲者たちの他に、クリスマスやそれに類した祝祭を禁じて

いたのでしょうか?

 

  少なくとも西暦2百年まではエクレシア(イェス・キリストの教会)で主イェスの

誕生をどのような形であれ祝ったという記録は全く存在していないのです。  実際、

その当時の習慣には誰かの誕生を祝うという事は一般的なものではなかったのです。

 

  初代教会の指導者で護教家でもあったテルトゥリアーヌス(Tertullian 145-220)

『捧げ物は、この世を離れた友たちを偲んで彼等が去った年を覚え、敬意を払うため

に捧げられるものである。  何故なら、彼等がこの世を去ったということは、彼等に

とっては彼等の真の誕生日であるということであり、我々はそのことを覚えて敬意を

払うのである。  彼等はより善い生命に生まれて行ったのである。』(護教論IV.1)

  テルトゥリアーヌスは彼の(バプテスマ論19)に於いて、オーリゲネス(Origen)

(ケルソス駁論 VIII.22)に於いて、共に2世紀初期の書き物ですが、イースターと

ペンテコステだけをクリスチャンたちの祝いの日として記録しています。

 

  然しながらこのことは、ユダヤ教の過ぎ越しの祭りと天幕の祭りという二つの祭り

を考える時に、イースター(復活祭)とペンテコステ(五旬節)の日にちを割り出す

ことができるということから、そんなに驚くようなことではないのです。

  福音書を読んでみますと、イェスの誕生に関する場所および様子は詳しく述べられ

ていますが、日にちということになりますと聖書は沈黙を守っているのです。

  然し、確かな事実としてわかっていることは、イェスは1225日に生まれたのでは

ないとうことです。

  ルカ伝2章8節によりますと、イェスの「誕生」時には、『羊飼たちが夜、野宿を

しながら羊の群れの番をしていた』のだと聖書は語っています。

  当時の習慣では、十月の中旬頃から羊飼たちは自分たちの羊の群れを一つに集めて

冬の寒さから羊たちを守ろうとしていたのです。

 

  1225日という特定の日をイェスの誕生日とすることは西暦 350年に教皇ユリウス

1世(Pope Julius I.  訳者注:アリウス主義を退け正統信仰を保護した)の治世時

からです。  然しローマ・カトリック教会系の百科事典 the Catholic Encyclopedia

が認めていることは、『キリスト聖誕に関しては、教会や社会的基準に照らしても、

尊敬すべき権威筋が、一年の内の或る特定の月をキリストの聖誕月だと割り当てたと

いう事実はない』ということです。

 

  それでは、1225日という日にちはどこから出てきたのでしょうか?

この質問に対する権威ある答というものはとっくの昔に失われてしまっています。

けれども、殆どの資料源が認めていることは、それが異教徒たちの祭りがキリスト教

の中に持ち込まれて来たものだということです。

 

  前述のローマ・カトリック系の百科事典によりますと、『善く知られている無敵の

太陽誕生の祝い Natalis (Solis) Invicti  1225日に祝われていたことが我々の

12月クリスマス説に強い影響を与えたものと考えられる』とあります。

 

  その他にも、1218日〜24日に祝われたローマのサトゥルナリア祭(訳者注:古代

ロ−マで12月中旬に数日間にわたり行われていた農神サトゥルヌスの収穫祭で、底抜

けに明るい一種の祭りで、公務は総て中断され、罪人の処罰もなく、奴隷は解放され

るという馬鹿騒ぎの祭り)や、1225日に祝ったブルマリア祭(訳者注:訳者所有の

相当に権威のある数冊の詳しい歴史・宗教辞典や英米百科事典などを調べても不明の

祭り。  但し、ブルマルはラテン語で冬の意、フランス革命暦になるとブリュメール

があり、霧月、太陽暦の1022日から1123日前後まで)があり、共に太陽神を祭る

宗教でした。

 

  人類というものは太陽に頼ることが多いために、太陽遥拝・太陽神礼拝というもの

も古代から自然に行われていました。  特に冬至は多くの古代信仰の神々の誕生日と

して守られ祝われていました。  トール(訳者注:北欧の雷神で農業や戦争の神)、

ディオニソス(訳者注:ギリシャ神話の酒神で、ローマ神話ではバッカスに相当)、

イシス(訳者注:エジプト神話の豊饒女神)、アドーニス(訳者注:ギリシャ神話の

美少年で、愛と美の女神アフロディーテ、ローマ神話ではヴィーナスに愛され、猪の

牙で殺された)、その他にも有名なミトラ(訳者注:ペルシャ神話の光と真理の神で

のちの太陽神)など多くの神々がローマ文化に対して大きな影響を与えていました。

(訳者補足:我が国でも「日の丸」の国旗、正月の初日の出遥拝、伊勢神宮夫婦岩の

間から昇る太陽を拝む御来光信仰、富士山頂から拝む御来光信仰などがあります)

 

  サトゥルヌスはローマの農業神でした。  サターン(訳者注:英語の「サタデー」

すなわち土曜日の語源)またはサトゥルナリアを拝む信仰は、ローマ帝国の一年間の

祝祭日の中で最も重要なものでした。  新しい太陽歴の始まりを祝し、冬の農作物が

守られることを神々に祈り願い、家族や仲間と一緒になって陽気に楽しみ寛ぐ季節で

した。  それはローマ文化の中に深く根を下ろした楽しい季節だったのです。

それを人々から容易に取りあげることなど到底不可能な喜びのお祭りの季節でした。

 

  カレンズ(訳者注:カレンズは「ついたち」で、ローマの古暦で各月の最初の日。

ここから単語「カレンダー」が派生)というお祭りもローマではもう一つ別の大切な

祭日でした。  1月1日のカレンズにローマの新しい執政官が任命されますが、人々

は家々を常緑樹で飾って就任を祝いました。

  コンスタンティヌス1世が 313年にキリスト教を公認しますと異教徒信仰はローマ

から次第に消え失せる運命を辿りました。  そうなりますと、社会的に極めて根深く

根づいていた異教徒の祝日をキリスト教のものと摩り替えますと、これは甚だ便利な

ものとなるのです。  まぁ、これは個人の観点によりますが、このような摩り替えは

忌まわしい順応と捉えてよいのか、それとも抜け目のない政治的な動きともとれるの

かも知れません。

 

  ローマ・カトリック教会が1225日をキリストの聖誕日として採用した後にも多く

の反対意見がありました。  当時の世界各地に散らばっていた諸教会がローマ教会の

決定を支持するに到るには相当な時間がかかりましたし、その多くの場合、ローマ軍

がそれらの教会に対して「腕をねじ上げる圧力」をしばしば加えたのでした。

  しかし、エルサレムの諸教会が1225日聖誕日説を採用することを決めたのは実に

7世紀になってからでした。

  このようにして、私たちは特定の日をイェスの誕生日として祝うという聖書的根拠

をどこにも見いだせないし、知り得ないのです。

 

  私たちがこん日いわゆるクリスマスと呼んでいるいろいろな伝統、たとえば奇麗な

飾りつけ、贈り物の交換、クリスマス・ユール・ログ(訳者注:4、5世紀前後から

ヨーロッパで始まった?クリスマス前夜に炉で焚いた大きな薪、またはクリスマスに

食べる薪形のケーキ)、クリスマス・カード、エッグ・ノッグ(訳者注:卵に砂糖、

牛乳、また時にはブランデーなどを加えた飲み物)、サンタ・クロース、ミスルトー

(訳者注:ヨーロッパ産の宿り木でクリスマスの装飾に用いられ、その下では乙女に

接吻してもよいという習慣がある)、キャロリング、ベル、その他いろいろなものは

総てイェス・キリストの物語と何ら直接関係を持っていないものなのです。

 

  更に、主イェス・キリストのお傍近くにいて仕えていた使徒たちの誰もがイェスの

誕生日のことを語っていないのです。

 

  それでは:

 

  こん日のいわゆるクリスマスを祝うという伝統が、異教の伝統に深く根づいたもの

であり、また、愚鈍な物質主義に強く支配されたものであることを誰も否定できない

のです。

  「いわゆるクリスマスの季節」というものは、キリスト・イェスに焦点が当てられ

た季節であるというよりは、むしろ奔放な浪費主義の祝いの季節だと言えます。

とりわけ我が国の小売り業界がこの季節にとても寄りかかっているのです。

 

  クリスマスという問題は、煎じつめれば或る種のシンクレティズム、諸説混合主義

ということになると思います。  そしてそれに対して二つの反対意見もあります。

 

  論点  その1:

 

  「あなたは自ら慎み、彼等があなたの前から滅ぼされた後、彼等に倣って、罠にか

かってはならない。  また彼等の神々を尋ね求めて、『これらの国々の民はどのよう

にその神々に仕えたのか、私もそのようにしよう』と言ってはならない。  彼等は主

の憎まれるもろもろの忌むべき事を、その神々に向かって行い、息子、娘をさえ火に

焼いて、神々に捧げたからである」  申命記1230節〜31

 

  異教徒の慣習をあたかもクリスチャンの信条や象徴のように仮装させて偽ることは

神への冒涜であり、神を犯すころであり、神を怒らせることになるのです。

  私たちは私たちがクリスマスを祝っていることで私たちは神を崇めていると主張し

ていますが、どのようにひいき目に見てもそれは意味のない無駄なことであり、率直

に言えばそれは嫌悪すべきことでしかあり得ないのです。

  『人間の戒めを教えとして教え、無意味に私を拝んでいる』  マタイ伝15章9節。

クリスマスというものそのものが聖書的根拠を欠いているのですから、クリスマスの

伝統を守るということは、結局は人間の伝統でしか過ぎないのです。

  自然を讚美し礼拝する人たちがいるように、それはちょうど作り上げられたもの、

すなわち伝統というものを讚美し礼拝することと同じであり、創造主である神を讚美

し礼拝することではないのです。

  クリスマス・ツリーも、ユール・ロッグも、ミスルトーも、それらは総て植物であ

り、もともとは異教徒の礼拝の対象物であったのです。  これら三つのものは、結局

(訳者注:英語の語呂合わせで)太陽・ザ・サン the sunを礼拝するための物であっ

て、神の御子・ザ・サン the Sonに栄光を帰するものではないのです。

 

  四世紀の小アジア(訳者注:現トルコ)のミラの監督であった聖ニコラスに纏わる

伝説のサンタ・クロースに関してですが、聖ニコラスのことは殆どわからないままで

す。  しかし彼がやっていた慈善活動というものがいつの間にかクリスマスの伝統の

中に組み込まれて来たのです。

  贈り物を交換するという慣習もローマ暦と決して無関係ではなく、ノールウェイの

古伝説神トールの暦とも無関係ではなかったのです。(訳者注:トールは北欧神話の

雷神であり農業と戦争の神でもあった)  トールは善い子らに果物やキャンディー、

また、いろりに使う石炭などの贈り物を届けてくれる神ともされていたのです。

  もちろん、クリスマスに贈り物を交換しあうという習慣を正当化するものとしては

マタイ伝2章1節から11節に登場する三人の賢者たちのことです。  賢者がイェスに

贈り物を捧げたということは、イェスをユダヤ人の王として認めたからです。

彼等は自分たち自身でお互いに贈り物を交換したというのでは決してありません。

 

  クリスマスという季節は、サタンが最も効果的に人々を騙す一番成功する時期なの

です。  第2コリント書1114節には『光の天使に偽装するサタン』として記されて

います。  サタンは「クリスマス・スピリット」「降誕祭の精神」というような素敵

な名目を装ってやって来るのです。  しかし現実には私たちを貪欲な消費主義という

網の中に私たちを誘いこみ、異教徒のお祭りの中へと誘惑して行くのです。

  もしもクリスマスが愛と喜びの季節であるとでも言うのであれば、それでは、なぜ

12月という月が、精神医学界に従事する専門家たちにとって一番に忙しい季節となっ

ているのでしょうか?  「ペテン・出鱈目・詐欺・ごまかし・大嘘」などという単語

(訳者注:原文はhumbug)はクリスマスが代表する偽りと不誠実を表すには余りにも

穏やかで丁寧すぎる単語だと思えるのです。

 

  論点  その2:

 

  『十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが、救いに与る私たちには、神の力

である』と第1コリントは語ります。

  当時のローマ帝国に於いてローマの権力を示すことができたシンボル・しるしで、

十字架が示す力を越えるようなものは殆どなかったと断言しても良いでしょう。

  十字架は処刑の究極的・極限的手段であり、公開された最も残忍・残酷な手段で、

絶対的なものでした。  それにもかかわらず、十字架はキリスト教の最も大切な象徴

に相当早い時期からなったのです。  神は死の象徴をいのちの象徴へと変えられたの

です。  同様に、初代のクリスチャンたちは彼等自身をキリストの無給の召し使い・

奴隷と自分たちを認識していたのです。  当時の慣習から言えば一番身分の低い者と

しての生涯無給で働かなければならなかった召し使い・奴隷制度を彼等は自らの意志

で最も貴い目標にと変えたのです。

  それでは、私たちは、異教徒のしるし・象徴・シンボルであるクリスマスとそれに

纏わるいろいろなきらびやかな装飾を、初代のクリスチャンたちがやったのと同様に

崇高なものへと変えることができるのでしょうか?

 

  仮にもしも世界中のクリスチャンが突如としてクリスマスというものと縁を切った

とすればどういうことになるのでしょうか?  この世は少しは良くなるでしょうか?

クリスマス・ショッピングを誘う限りのない商業広告は直ちに終わるのでしょうか?

 

  神はその巨大な能力を用いて、神の御用のために欠陥の多い私たちの営みを通して

働かれます。  神は人間の伝統の総てを非難されるわけではありません。

しかし、偽善を表すものや人々を神から遠ざけるものに対して非難されるのです。

  クリスマスとそれを取り巻く商業主義の総ては、疑いもなく人々を霊的な思いから

遠ざけていることだけは確かです。

  また同時に、最大のキニク学徒(訳者注:真の幸福は善に基づき、徳の本質は克己

・無欲であるとして禁欲主義を唱えたが、後にいたずらに当時の哲学に反対し社会的

習慣を無視するようになった紀元前のギリシャ哲学)ですらクリスマスからキリスト

を分別分離することは困難であったであろうと思われます。

 

  それですから、答は、私たちが「どのように」クリスマスを祝うのかということに

なるでしょう。  私たちは異教徒の影響や商業主義の束縛の側に立つのでしょうか?

それとも私たちはイェスに焦点を合わせ、イェスに焦点をあてるように他の人々をも

助けようとしているのでしょうか?

  最近の話ですが、私はワールド・ヴィジョンから案内書を受け取りました。

そこには世界中で助けを必要としている子供たちと、その家族の必要としているもの

のリストが記されていました。  それらの子供たちに贈る贈り物のリストでした。

動物、保健衛生、教育、安心できる奇麗で清潔な飲料水、衣服、食料などでした。

  残念なことでしたが私たちはすでに予算を越えた今年のクリスマスの買い物計画を

立ててしまっています。  来年は早めにそのようなリストが届くと良いと思います。

 

  結局のところ、煎じ詰めれば、ヤコブ書1章27節は次のように語っています。

『父なる神の御前に清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、

自らは世の汚れに染まず、身を清く保つことにほかならない』

ワールド・ヴィジョンのカタログは両方を満たす機会を提供しているようです。

 

  毎年この時期になりますと「クリスマス・シーズン」という言葉が繰り返し聞こえ

ますし、語られていますが、実態は「もっともっとお金を使いなさい」ということに

しか過ぎません。

  しかし同時に、毎年この時期になりますと人々が福音に心を更に開く、開くことが

できる時でもあるということでしょう。  「善きおとずれ」である福音を他の人々と

分け合う時期なのです。

  究極的に、各クリスチャンが「どのように」クリスマスを祝い、クリスマスに臨む

のかということは、各クリスチャンの個人的良心に属する最もむつかしい分野のこと

なのです。  いろいろな考えを抱いているクリスチャンを互いに非難したり批評する

ことは善いことではありません。  そのことでパウロは次のように述べています。

 

  『信仰の弱い者を受け入れなさい。  また、或る人は、この日がかの日よりも大事

であると考え、他の人はどの日も同じだと考える。  各自はそれぞれ心の中で、確信

を持っておるべきである。  日を重んじる者は、主のために重んじる。  また食べる

者も主のために食べる。  神に感謝して食べるからである。  食べない者も主のため

に食べない。  そして神に感謝する。  即ち、私たちのうち、誰ひとり自分のために

生きる者はなく、誰ひとり自分のために死ぬ者はない。  私たちは、生きるのも主の

ために生き、死ぬのも主のために死ぬ。  だから、生きるにしても死ぬにしても、私

たちは主のものなのである。  なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるため

に死んで生き返られたからである。  それだのに、あなたは、なぜ兄弟を裁くのか。

あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。  私たちはみな、神の裁きの座の前に立つので

ある』  ロマ書14章1節および5〜10

 

  以上の聖句から私たちが学ぶことは、もし誰かがクリスマスを祝うことに価値を見

いだすのであれば、その人はそのことによって神の栄光を顕すようにすべきであり、

他の人がその事をとやかく言う筋合いのものではないのです。  クリスマスであれ、

他の祝祭日を祝わないという人についても同じことが言えます。  祝わない人のこと

を祝う人がとやかく言う権利もないのです。  神に栄光を帰すという一点に絞られる

のです。

  サンタ・クロースや、馴鹿や、ミスルトーや、エグノッグや、その他のクリスマス

に纏わるものが神の栄光を顕し、栄光を帰するものとは到底理解し難いことですが、

クリスマスの他の幾つかのことがらを通して神に栄光を帰すことはできます。

 

  マサチューセッツ湾植民地でクリスマスが禁止された時、霊的な祝日から世俗的な

活動や要素を除去しようとの努力があったからだというのは確かだったと思います。

その反対ということはあり得なかったはずです。

  こん日のアメリカの問題というのは、クリスマスであれ他の宗教的な活動であれ、

世俗化してしまっているものから、本来は霊的なものであったものですが、霊的要素

を更に除去してしまおうとする点にあると言えるのです。

 

  読者の皆さんは、あなた個人、クリスマスをどのようにお考えになっていますか?

クリスマスをどのように扱い、過ごそうとお考えになっているのでしょうか?