《九十九匹の羊》

 

  讚美歌 262番「十字架のもとぞいとやすけき  Beneath the Cross of Jesus」及び

聖歌 429番「九十九匹の羊 The Ninety and Nine」は世界中の多くのクリスチャンや

聖書を学ぼうとしている人々の心を強く揺り動かす有名な二つの讚美歌です。

 

  作詞はスコットランドの僻地メルローズ Melroseにあった長老教会系の自由教会に

属していた忠実な信仰者エリザベス・セシリア・クレファン(18301869) です。

 

  父は保安官を勤めていました。  母は有名なダグラス家の一族だそうです。

エディンバラで生まれましたが美しいことで有名なメルローズに定住しました。

わずか39歳で帰天しました。  幼少時から健康に恵まれぬ虚弱な体の持ち主でした。

 

  作詞することが好きな彼女は帰天前の三年間に多くの詩をスコットランド長老教会

の雑誌(仮私訳で)「家庭の宝 Family Treasure」に匿名で投稿していたそうです。

 

  病弱でもメルローズ周辺の極貧家族や病床にあった人々を見舞い、自分たちの日々

最低生活に必要な経費以外はすべて慈善事業に捧げていたそうです。時には自分の馬

と馬車を売り払ってまで人々の困窮を救ったとのことです。このため町の人々は彼女

を「太陽の光線 The Sunbeam」と呼んで尊敬していたそうです。

 

  エリザベスが帰天する直前に書き残した詩が日本語讚美歌 262番、聖歌では 156

「十字架のもとぞいとやすけし  Beneath the Cross of Jesus1868年作です。

  彼女は自分の地上での命が短くなって来ていることを覚え、主イェス・キリストへ

の信頼を十字架を想うことでそのように告白したのです。

 

  聖歌 429番「九十九匹の羊 The Ninety and Nine」は、1873年から1874年にかけて

大英帝国内を巡回伝道していた当時の世界的福音伝道者ムーディー及び福音讚美歌手

サンキー D.L. Moody and I.D. Sankey 隊が大衆伝道集会の席でたびたび歌ったので

世界中に知れ渡ることになった説得力のある福音伝道歌です。

 

  詩人であった病弱なエリザベス嬢は聖書を深く愛読する聖徒でした。

詩編63編1節、イザヤ書4章6節、同2812節、同32章2節、エレミヤ書9章2節、

マタイ伝1130節、ルカ伝15章3節~7節などを読んだ時に受けた感動を土台に作っ

た詞が八曲ほど遺されています。  イザヤ書55章6~7節の聖句も愛用聖句であった

そうですし、マルコ伝2章17節やペテロ後書3章9節から霊感を受けて作詞したとも

言われています。

 

  ムーディーとサンキーが大英帝国内を巡回伝道し続けていた時のことでした。

エディンバラ集会でムーディーはルカ伝15章の迷子の羊の譬から説教をしました。

  説教を終えたムーディーは傍にいたサンキーに向かって『何か招きに相応しい歌を

独唱してくれないか?』と何気なく声をかけたそうです。  とっさのことでサンキー

は戸惑ったようです。

 

  求められたサンキーは、ポケットの中から無名の女性が作詞した詩を取り出したの

です。  子供のために作詞した「九十九匹の羊」の詩をエリザベスはある雑誌に投稿

しておいたのです。  「子供の時間 The Children's Hour」という名前の子供向けの

雑誌だったようです。  帰天が迫っていた頃の作品だったようです。

 

  そのような彼女の事情を何も知らなかったサンキーは、グラスゴーでの伝道集会を

終えエディンバラの、仮私訳で「自由教会=体制的な長老教会ではないという意味の

Free Assembly Hall」に向かう途中、汽車が停車したとある駅のプラットフォームに

降りて、アメリカのことが載っているかも知れないと思い、新聞を購入したのです。

 

  その新聞を読んでいる内に、五年前にエリザベスが発表しておいた彼女の詩を偶然

に読んで深く感動し、詩のことをムーディーに話そうとしましたが、隣の席に坐って

いたムーディーは説教の準備に没頭していました。  サンキーはその詩が載っていた

頁を切り取って胸のポッケットにしまいこんでおいたのです。  集会の前日でした。

 

  ムーディーの突然の求めに戸惑ったサンキーでしたが、新聞に投稿してあった詩を

思い出し、独り短く神の導きと助けを求めて祈ったあと、携帯していた折り畳み式の

ポンプ・オルガンに向かってイ短調で即興作曲を始めたのです。

 

  即興で作曲を始めたサンキー自身、一章節ごとにたいそう緊張したそうです。

曲の終わりに到り、すなわち盛り上がり部分に達した時、サンキーの目から涙が溢れ

出して止まらなくなったそうです。  ムーディーも会衆も同じだったそうです。

  サンキーはその即興作曲をした時のことを「生涯忘れられることができない緊張の

瞬間だった」と、あとあとまで久しく語り続けていたそうです。

 

  サンキーの感動的な即興演奏が終わった瞬間、ムーディーは演壇上の椅子から立ち

上がり、演壇の前に進み出て、会衆に向かって、人々がイェスの下に戻って来るよう

にと招いたのです。  その日エディンバラ集会では多くの「失われていた羊たち」が

主イェスを受け入れたそうです。  そしてそれ以降この招きの讚美歌は到る所で愛唱

されるようになったそうです。  もちろん現在の日本においても同じです。

 

  各地で巡回同道をしていたムーディー・サンキー隊がエディンバラから南東約40

にある田舎町メルローズで伝道集会を開いた時にも、当然ですが、この讚美歌が歌わ

れ、多くの人々が感動し、同じように多くの人がイェスの下に戻ったのです。

 

  当日の集会の席で、特に二人の女性が涙を流しながらこの歌を聴き、歌っていたの

です。エリザベスが遺した二人の姉妹だったのです。    先に天国に送った自分たち

の姉妹が遺した詩が、サンキーの作曲した曲をつけて、サンキー自身が感情を込めて

彼女たちの目の前で歌われていたのです。

 

  身体の弱い一人の無名の聖徒の作品が、このようにして現在に到るまで、全世界の

人々の心を揺さぶり続け、主イェス・キリストの方にと導き続けているのです。

  それでは、私たちは何を後世への最大遺物として残そうとしているのでしょうか?